鬼人族の集落と【黒騎士】
ワジーロ連山。
険しい山々がいくつも連なるそこに、ストラムとハーデの故郷である「白鹿の氏族」の集落があるという。
ストラム親子が住んでいた、王国最東端であるリノーム山よりも更に東にあり、どこの国の領土でもない空白地帯。
連なる山々は高山ばかり。森林資源は得られるものの危険な魔物も数多く生息しているため、収入よりも支出の方がはるかに上回る。それが理由で、どの国も多大な費用をかけてまで領土に組み込もうとしない地域である。
そんな場所だからこそ、鬼人族の集落が今日まで存在できたのであろう。
「…………再びこの場所に戻って来るとは思わなかったな」
「ええ……」
王国の国境を越え、ワジーロ連山のすぐ近くで。
間近に迫ったワジーロ連山──自分たちの故郷がある場所を望みながら、ストラムとハーデが呟いた。
王都セイルバードから、いつものようにゴーレムが牽く馬車でここまで来た【黒騎士党】。
馬よりも力が強く、かつ休息も不要なゴーレムを使うことで、一行は通常よりも短時間でここまで来ることができた。
国境の外に出ると村落はなくなるため、国境近くの町で馬車を預けてワジーロ連山の麓までは徒歩で移動。
王都から国境付近までの移動の間にストラムとハーデの体力はすっかり回復しており、鬼人族は身体能力だけではなく回復面でも人間以上という証左なのかもしれない。
国境を越えてからここまでは徒歩の旅だったが、二人の足が鈍ることはなく、常に一行の先頭を歩いて道案内を務めていたほどである。
ジルガはもちろん、まだまだ幼いレディルとレアスも旅の足が乱れることはなく、一行で一番歩みが遅いのは体力的に不安なライナスという事実。
「何なら、おまえを負ぶって歩いてもいいのだぞ?」
「…………………………それだけは絶対に遠慮しよう」
なんてやりとりが黒白二人の間であったりもしたが、何とかここまで来ることができた一行であった。
「………………この山を登るのか…………」
目の前に迫る険しい山々を見て、ライナスがげっそりしたように言う。
「本当に負ぶって登ろうか?」
「…………いや、それだけは…………な」
何というか、男としての矜持が許さないっぽい。
さて、改めて山を登り始めた【黒騎士党】。
ストラムとハーデにしてみれば、ここは既に我が家の庭のようなもの。その足が鈍ることは一切なく、レディルとレアスも両親の後を余裕でついていく。
もちろんジルガの歩みが遅れるようなことはなく、
そして、問題のライナスだが。
「付近に魔物らしき影は見当たらないな」
連なる樹々より少し高い場所を、悠然と飛行するライナス。
体力はないが魔力ならある彼は、自分の長所で短所を補うことにしたようだ。
実際、ライナスにしてみれば山道を歩くよりも、魔術で空を飛ぶ方が何倍も楽なのである。
低空を飛行しながら周囲の索敵も行うライナスの目に、妙に樹々が途切れている場所が映し出された。
おそらく、その場所が「白鹿の氏族」が暮らす集落なのだろう。
「ストラム殿、集落はこの先かね?」
「は、ライナス様の言われる通りです。ですが…………」
頭上から聞こえるライナスの声に応えながら、ストラムは鋭い視線で周囲を見回す。
確かにライナスの言う通り、「白鹿の氏族」の集落はこの先すぐの所にある。つまり、ここは既に氏族の勢力圏内なのだ。
であるならば、氏族の戦士たちが姿を見せてもおかしくはない。
自分は氏族を追放された身だし、ジルガとライナスは見知らぬ人間。レディルとレアスも、氏族には属していない。現状、「白鹿の氏族」に問題なく受け入れられるのはハーデぐらいである。
ならば、集落を守る戦士が自分たちの前に姿を見せているはず。しかし、戦士たちの姿は見えず、周囲に潜んでいる気配もない。
──もしかして、ジルガ様の鬼気に怯えているのでは?
なんて考えがストラムの脳裏を
「ライナス様、申し訳ありませんが集落の様子を見て来てはいただけませんか?」
「承知した。しばらくここで待っていてくれ」
ストラムの提案を受け入れたライナスが、集落のある方向へと高度を上げながら飛び去る。
いくら鬼人族の感覚が人間よりも鋭かろうとも、上空の存在に気づくのは難しいだろう。そう考えて、ストラムはライナスに先行偵察を頼んだのだ。
しばらくすると、ライナスが戻ってきた。
だが、彼の顔に浮かぶのは困惑。それを見たストラムとハーデは、何とも嫌な予感に囚われる。
「…………鬼人族の集落だが……ほぼ壊滅状態だった」
と、ライナスは言いにくそうにそう告げた。
「どういうこと……だ、これは…………?」
破壊された家屋、荒らされた畑。そして、集落の周囲に生えていた樹々はその多くが薙ぎ倒されている。
そして、集落内のあちこちに飛び散っている赤黒い染みは、紛れもなく血の汚れ。
間違いなく、この場で何らかの戦闘行為があったのだろう。
「……一体何がこの集落を襲ったの……?」
今、ストラムとハーデがいるのは集落中央にある広場だ。
ここは氏族の集会場であり、何かあった時の避難場所でもある。その広場のあちこちに血の染みが存在していることから、何らかの脅威がここまで侵入したのは間違いあるまい。
「…………この集落の
「何かに襲われたのなら、死体のひとつぐらいありそうだよな」
幼いながらも鋭い視線で周囲を見回すのは、レディルとレアス。【黒騎士党】の一員としてこれまで何度も荒事を経験してきた二人は、この程度で怯むことはない。
また、姉弟にはこの場所に対する思い入れもない。彼らは生まれた時から家族だけでリノーム山で過ごしていたので、ここが故郷という思いがある両親とは違うのだ。
「鬼人族たちの死体はないが、カエルの死体ならあちこちにあるな」
腕を組み、周囲に濃厚な鬼気を放ちながらジルガが言う。
彼女の言うとおり、集落内のあちこちには大カエルの死体が散乱していた。
大カエル。それは雑食性で全長90センチほどにまで成長する、巨大なカエルである。
だが、この大カエルは巨大ではあるものの普通の動物であり、決して魔物ではない。
「白鹿の氏族」がいくら争いを好まぬ気風の氏族とはいえ、ただ大きいだけのカエルにここまで荒らされるわけがなかった。
それは、集落を壊滅させた「何か」が別にいるということでもある。
「なあ、姉さん。このカエルを見ていると、あの化け物を思い出すよな」
「レアスの言う化け物って、もしかしてガルガ……なんとかっていう巨大カエルのこと?」
「そう、それそれ」
二人が言う巨大カエルとは、とある村を襲った巨大なカエルの姿をした魔物のことだ。
人間社会ではガルガリバンボンと呼ばれるその魔物は、3メートル近い巨躯とそれに見合った怪力を誇り、直立歩行をするために武器などの道具を使うことさえできる。
そのため、勇者組合に属する勇者でも階位2桁でもなければ単独での討伐は難しいとされているのだ。
「もしかして、あの巨大カエルがここにも現れたのかな?」
「その辺りはライナスさんが判断してくれると思うよ、姉さん」
そう答えたレアスの視線の先では、ライナスが地面にしゃがみ込んで何やら調べていた。
「この足跡……間違いなく、ガルガリバンボンだな」
「それも単独ではなく、複数のガルガリバンボンがこの集落を襲ったようだ」
我が子たち、そしてジルガとライナスが交わす言葉を聞き、ストラムがはっとした表情を浮かべた。
「巨大なカエルの魔物……? そ、それはもしや…………」
ストラムの脳裏を横切るのは、かつて彼がこの集落を追放された原因となった魔物だ。
彼の父親を殺し、そして誰よりも信じていた親友によってはめられ、故郷を追われることになった元凶。
「あ、あの魔物が再び現れて集落を襲ったというのかっ!?」
「まさか……かつて仲間が殺された復讐をしに現れたのでは……?」
ハーデもまた、かつて集落を襲った巨大なカエルの魔物を見ている。「白鹿の氏族」の戦士たちが総出で戦い、その半数以上が死傷したあの戦いは忘れることができない。
あの悪夢が再び氏族の集落を襲ったと聞き、恐怖からがたがたと震えだすハーデ。そして、震える彼女を安心させるため、ストラムは妻を力一杯抱き締める。
子供らも両親を心配して寄り添っているのを眺めながら、白い魔術師は黒い全身鎧へと声をかけた。
「変だとは思わないか?」
「何が変だというのだ?」
「ガルガリバンボンは確かに何でも食べる悪食だが、ここに鬼人族の死体がひとつもないのが気にかかる」
ふむ、と腕を組み、ライナスの言葉を改めて考えるジルガ。
もしも腹を満たすためにガルガリバンボンがこの集落を襲ったのであれば、それなら猶更その犠牲となった「食べ残し」があるはずなのだ。
ガルガリバンボンの知能はあまり高くはない。棍棒などの簡単な武器を使うことはできるが、複雑な道具を作り出したり、それを活用したりはできない。
そんなガルガリバンボンが、「食べ残し」を一切出さずに「食事」を綺麗に平らげるとは思えない。
ライナスがいう気にかかることは、おそらくそこだろうとジルガは考えた。
「では、ライナスはどう考える?」
「おそらくだが──この集落の住民たちのほとんどは、まだ生きているのではないか?」
~~~ 作者より ~~~
また仕事が立て込んできて来週はお休み! 申し訳ない!
次回は4月24日に更新します。
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