新たな指針と【黒騎士】

「…………見つけた」

 生い茂る灌木の陰に潜みながら、ストラムは前方へと鋭い視線を向けた。

 その彼の視線の先には、一体の魔物。

 生まれてから今日まで、ストラムが見たことのないその魔物。

 一言で言い表すならば、「巨大なカエル」だろうか。

 身の丈は3メートルを超えているだろう。異様に長い腕と逆に短い足は、異形と呼ぶに相応しい。

 しかもその大カエルは直立歩行をして、手には得物らしき棍棒まで持っていた。

 ガルガリバンボン。目の前の異形が人間社会ではそう呼ばれていることを、ストラムは知らない。

 今の彼にとって、目の前の魔物は初めて目にする巨大なカエル。

 だが、それが脅威であることはよく分かる。なんせ、この怪物は氏族一の狩人とまで言われていた彼の父親を殺しているのだから。

 父親の仇が目の前にいる。その事実に、ストラムの血が沸き立つ。

 だが、彼は唇を噛み締めてその思いを封殺する。

 父が敵わなかった魔物に、彼一人で挑んで勝てるとは思えない。下手に刺激してこの魔物が集落へ向かいでもすれば、予想できないような被害が出るだろう。

 それだけは避けなければ。集落には、彼にとって唯一の家族ともいうべき大切な女性がいるのだから。

 地面に這うようにして灌木の陰に潜み、ストラムは魔物をじっと見つめる。

 気配を殺し、周囲の森に溶け込む。それは彼もまた一流の狩人である証拠。

 呼吸さえ最低限に抑えたストラムは、魔物を見張りながら集落からの増援を待つ。

 その時だ。

 拳ほどの大きさの石が、巨大カエルに向かって放り投げられたのは。

 投じられた石は、ぬめぬめとした濃緑色の肌に勢いよくぶつかる。

 どうやら化け物カエルにとってもそれなりの衝撃だったようで、顔の両側に突き出した巨大な眼が、ぎょろりとへと向けられた。

 そう。

 先ほどの石は、ストラムの背後から投じられたのだ。

 振り返った大カエルが、ストラムが潜む灌木へと目を向ける。

 視力が鋭いのか、それとも嗅覚や聴覚がいいのか。大カエルは潜むストラムに気づいたようだ。

 げぇぇぇぇぇぇ、と大ガエルが大きく鳴く。それはこの魔物の咆哮であろうか。

 ぐぐっと短い足をたわめた大カエル。次の瞬間、その巨体からは考えられないほど大ガエルは高く舞い上がった。

 そして、落下。

 落下する先は、もちろんストラムが潜む灌木。宙を舞いながら、大カエルは手にした棍棒を空へと翳す。

 どん、という大きな音と共に、地面も揺れた。

 落下の勢いと共に振り下ろされた大カエルの棍棒が、ストラムが潜んでいた灌木を叩き潰し、ついでとばかりに周囲の地面をも大きく陥没させたのだ。

「…………くっ!!」

 カエルの振り下ろした棍棒が灌木を圧し潰す直前、何とか回避に成功したストラムが素早く立ち上がり、弓を構えて矢を番える。

 そして、一瞬だけそれまで潜んでいた灌木の後方へと目を向ける。

 そこには、彼のよく知る背中が走り去って行くのが確かに見えた。



「────その後、私は氏族の集落に魔物を近づけさせまいとしましたが、結果的に戦いながら集落方面へと移動してしまい、集落近くまで迫ったところで総動員された氏族の戦士たちの力を借り、何とか魔物を倒すことができました。ですが…………」

 過去の自分に起きたことを説明していたストラムが、言葉を詰まらせた。

 おそらく、その戦いでは相当数の怪我人が出たのであろう。もしかすると、命を落とした者もいたかもしれない。

 ストラムの様子から、ジルガとライナスはそう判断した。そして、その判断は間違っていない。

 巨大カエル──ガルガリバンボンとの戦いで、「しろ鹿じかの氏族」の戦士の半数以上が命を落としたり負傷したりしたのだ。

 中には命を落とすには至らぬものの、体の一部を失い戦士としては二度と戦えない者もいたほど。

 そしてそれらの責任の一切が、ストラムへと押し付けられた。他ならぬ、それまで親友だと信じていた者によって。

「俺は確かに見た! ストラムがあの魔物を前にして、その荒ぶる気持ちを抑えきれずにあの大カエルに矢を射かけるのを! 確かにストラムの気持ちは理解できる! 父の仇を目の前にして、大人しくしていろというのは酷な話かもしれない! だが、それでも俺は敢えてストラムを止めたのだ! 魔物を無暗に刺激せず、集落の戦士が揃うのを待つべきだと! だが、ストラムは俺の言葉を聞かなかった!」

 族長を始めとした、氏族の全員が集まる場所にて。

 エルカトは氏族全員に向かって朗々と声を張り上げた。今回の戦闘の発端がストラムにあり、集落に大きな被害が出たのは彼の責任であるとして。

 もちろん、ストラムはそれに反論した。だが、誰もがエルカトの話を信じてしまった。

 此度の戦闘により、家族を失った者もいる。親しい者が大怪我を負った者もいる。戦闘が終わってからそれほど経過していないこともあり、ある種の興奮が氏族全体を覆っていた。

 それは一種の集団ヒステリーと呼べるものだったのかもしれない。

 エルカト自身がそれを意図的に行ったのかは不明だが、結果的に彼の望む方向へと事態は転がっていく。

「…………エルカト…………、おまえはどうして俺を…………」

「残念だよ、ストラム。将来俺が族長となった時、おまえには俺を補佐してもらうつもりだったのだが…………まさか、こんなことになるなんてな…………」

 深く悲しみを湛えた表情を浮かべるエルカト。彼は静かにストラムへと近づき、そして彼にだけ聞こえる小声でそっと呟いた。

「これで……これでハーデは俺のものとなる。彼女のことは俺が責任を持って幸せにしてみせるから安心するがいい」

 ストラムはこの時になって、ようやくエルカトが秘める昏い感情に気づく。

 そして次の瞬間、ストラムはエルカトを力一杯殴り飛ばしていた。

 それは反射的な行動であった。そして、エルカトはにこの一撃を避けることさえせずまともに受けた。

 殴り飛ばされ、地面に転がるエルカト。興奮と怒りからその顔を醜いほどに歪めたストラム。

 この事実が、決定的となる。

 もとより、「白鹿の氏族」は争いごとを好まぬ気性の氏族。自衛のために戦士を育ててはいるが、人前で同胞を殴り飛ばした「乱暴者」に対して、氏族の者たちは冷ややかな目を向けることになった。

 あえて真相を告げることでストラムを怒らせ、氏族の皆の前で自分を殴らせる。それは幼馴染であり、親友でもあるストラムのことをよく知るエルカトだからこそ、思い描くことができた図面通りの結果だった。

 そしてこの直後、氏族を率いる族長は決断し、宣言する。

「此度の件、その責はストラムにあるとし、また、人前で同胞を傷つけたことは罪深い! よって、ストラムを『白鹿の氏族』から永久に追放する!」



「…………なるほど。それでストラム殿とハーデ殿は氏族から離れてリノーム山で暮らしていたのか」

 ストラムの話を聞き終えたライナスは、どうしてストラムたちがリノーム山で家族だけで暮らしていたのかを理解した。

 本来、氏族単位で生活するはずの鬼人族。それが一家族だけで暮らしていたのには、それ相応の理由があるからだとは推測していたが。

「だが、その是非はともかく氏族から追放されたのはストラム殿だけであろう? ハーデ殿が一緒だったのはなぜだ?」

 腕を組みながら、ジルガが首を傾げる。これまで話を聞いた限りでは、氏族を追放されたのはストラムだけ。ハーデは特に罪に問われてはいないはず。

「それはもちろん、この人が氏族を追放された時に、私も一緒に氏族を飛び出したからです」

 にっこりと。

 一切の後悔を感じさせない笑顔で、ハーデはさも当然とばかりにそう答えた。

 エルカトの描いた暗い計画は、ほぼ彼の思い通りにことが運んだ。だが、最後の最後でその計画は破綻したのだ。

 他ならぬ、ハーデの思いもしなかった行動によって。

 氏族を追放されたとがびと。「白鹿の氏族」にとって、氏族からの追放は最も重い刑罰のひとつである。その追放をくらった咎人と一緒に、氏族を離れる決意をする者がいるなど考えもしないのが普通であろう。

 しかし、ハーデは氏族よりもストラムを選んだのだ。それだけ、強くストラムを想っていたからだが、エルカトにしてもそこまで彼女の気持ちが強いとは予想外だったのだろう。

「あの時はエルカトの想いとか全く知りませんでしたよ? 後になって、この人から話を聞いて……この人と一緒に氏族を飛び出して良かったって思いました。だって、あのまま氏族に残っていたら、事情を知らない私はおそらくエルカトと一緒になっていたでしょうから」

 そう言いながら、ハーデはレディルとレアスを抱き寄せた。

「エルカトと一緒になっていたら……この子たちには出会えませんでしたし」

 愛しそうに、我が子らの頭をなでるハーデ。そこにあるのは慈愛に満ちた笑顔のみ。自らの意思で氏族を飛び出したことには、一片の後悔もないようだ。

「ストラム殿たちの事情は分かった。その上で訊ねるのだが……『白鹿の氏族』の集落近くに、ソフィアという街があったらしいのは本当か?」

「はい、ジルガ様。少なくとも、『白鹿の氏族』には昔からそのような伝承が残されているのは事実です」

「ですが、それはあくまでも伝承。本当にソフィアという街があったのかどうかは、私たちにも分かりません」

 ストラムに続いてハーデが続けた。

 「白鹿の氏族」に昔から残る言い伝えによれば、氏族の集落からほど近い場所にある湖の底に、かつてソフィアと呼ばれた街が沈んでいるという。

 どうしてソフィアの街が湖底に沈んだのかまでは、正確には伝えられていない。何らかの理由で偉大なる水の大精霊を怒らせてしまったからだとか、その湖に棲む巨大な魔物によって一夜で水中に沈められたとか、様々な「昔話」が氏族には残されている。

 彼らのそんな話を聞き、ジルガは隣に座る白い魔術師を見る。

「どう思う?」

「行ってみる価値はあるだろう。現状、他に手がかりは何もないことだしな」

 もしもここに【黄金の賢者】が同席していたのならば、ライナスとは違った意見を出したかもしれない。

 2000年以上生きた彼女の知識量は、ライナスを遥かに凌駕する。もっとも、それらを今でも有効に活用できるかどうかはまた別の話だろう。

「では、実際に行ってみるか。だが……」

 「白鹿の氏族」の集落に行ってみる。ジルガはそう判断した。だが、そこにストラム一家を同行させるかどうかはまた別問題だ。

 氏族を追放されたストラムは、氏族の集落に戻ることを許されていないのだから。

「いえ、私も同行させてください。あの時は私も混乱しており族長の決定に黙って従ってしまいましたが──できればエルカトと……親友だと思っていたあいつともう一度話をしてみたいのです」

「もちろん、私も夫と共に行きます。最近は体力の方もほぼ回復しましたから、集落までの旅にも耐えられるでしょう。それに私自身は氏族を追放されたわけではありませんから、いざとなれば私がジルガ様たちを集落へ案内できます」

「私もお父さんとお母さんが生まれた場所に行ってみたいです!」

「僕も!」

 ストラム一家の意思を聞き入れたジルガは、その場で立ち上がって周囲にいる仲間たちを見回した。

「分かった。では、皆で『白鹿の氏族』の集落へ行ってみるとしよう!」

 こうして、【黒騎士党】の次なる目的が決まったのであった。


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