両親の過去と【黒騎士】
「…………そのようなことがあったとは」
ストラムとハーデから彼らの過去を聞いたジルガは、漆黒の兜の奥からじっと二人を見つめた。
ストラムとハーデ夫妻は、ジルガの前で共に跪き、深々と頭を下げている。
そして、そんな両親にレディルとレアスは悲しそうな目を向けていた。
「…………少なくとも、今の話を聞いた限り、私にはストラム殿に罪はないように思えるが?」
「ですが、氏族の掟は掟。守らねばならないものであり、その掟を破った私は
「だが……当時既に恋仲であったストラム殿とハーデ殿を引き裂こうとしたのはその男なのだろう? であれば、その男がいくら次代の族長とはいえいささか人の道から外れてはいやしまいか?」
珍しく、ジルガは大いに怒っていた。
腕を組み、どっかりとソファに腰を下ろしながら、その漆黒の兜の中で怒りの炎を燃え上がらせている。
その禍々しい外見に反し、ジルガ──いや、ジールディアの性格はとても穏やかだ。鎧の呪いによって多少好戦的になってはいるが、それでもその本質は貴族の令嬢たるジールディアのもの。
その彼女がこれだけ怒っているのは、互いに想い合っていた二人の間に強引に割り込もうとした下種な男に対する怒り。
こういったことに怒りを感じるのもまた、彼女が深窓の令嬢だからだろうか。
そして、怒れる漆黒の全身鎧の隣に座る白い魔術師は、そんなジルガをどこまでも優し気に見つめている。
「理由はどうあれ、私が氏族を壊滅させかねない危機を招き、更には次代の族長となる者を皆の前で殴ったのは事実であり、それは裁かれるのに十分な理由なのです」
鬼人族の氏族の一つである、「
名が示す通り鹿を祖霊として崇める氏族であり、争いごととは無縁というより忌避する傾向にある、穏やかな気性の氏族である。
「白鹿の氏族」は人間社会とは隔絶した山奥に集落を築き、その人口は300人ほど。
開墾した僅かな畑と狩猟で生活を成り立たせている、鬼人族としては規模も風習も一般的な氏族である。
そんな「白鹿の氏族」の狩人の子として生まれたのがストラムであり、族長の分家筋に生まれたのがハーデであった。
鬼人族は、集落全体で子供を育てる。同世代の子供たちは兄弟姉妹同然に育ち、そんな兄弟姉妹たちと一緒に遊び、一緒に学び、そして時に喧嘩をしながら大人になっていく。
そして大人になれば、氏族を構成する一員となり、更にその一部は族長や顔役などの氏族を導く立場になる。
そして鬼人族は、一緒に育った者たちの中から将来の伴侶を見つける場合がほとんどである。
「白鹿の氏族」はそれほど大きな規模ではないので、どうしても同世代グループ内での結婚となる。時に他の氏族から伴侶を招く場合もあるが、それは氏族内の血を濃くしすぎないためであった。
ストラムとハーデもまた、同世代として一般的な出会いをし、気づけば互いに意識し合う関係となり、最終的には結婚の約束をするに至ったのである。
しかし、彼らの世代には「白鹿の氏族」の次代の族長となる者がいた。それが彼らに悲劇を呼び寄せることになるのだが、当時の彼らはそんなことを知る由もない。
そのストラムたちの世代も、気づけば大人となっていた。大人になれば、次の世代を誕生させねばならない。それが自然と共に生きる鬼人族の生き方なのだから。
同世代や近い世代の者同士で伴侶を選ぶ。当然ストラムはハーデを伴侶として望み、ハーデもそれを望んでいた。
だが。
だが、そこに暗い感情を抱く者がいた。
その者の名はエルカト。現「白鹿の氏族」の族長の長男であり、次代の族長となることが決まっている男である。
鬼人族は長子が家を継ぐ。そこに性別は関係なく、一番最初に生まれた者が家の後継ぎとなるのが習わしだ。
次代の族長であるエルカトは、同世代の中ではリーダー格だった。彼は同世代たちの面倒見もよく、他の世代からの信頼も篤かった。当然、そんな彼を将来の伴侶として望む同世代の少女は数多く、時にはやや離れた世代の少女たちからも情熱的な目を向けられることさえあった。
だが、エルカトはそんな少女たちの想いを一切受け入れなかった。なぜなら彼は、幼い頃からハーデだけを想っていたからだ。
族長家の分家筋の生まれであり、世代も同じとなれば、普通であればハーデの伴侶はエルカトとなる。
だが、そのハーデが伴侶として望んだのはストラムだった。
鬼人族には人間社会の貴族のような政略結婚は存在しない。全ては当人同士の意思で伴侶を決める。時に血筋や親の意見が考慮されることもあるが、最終決定は当人同士に任される。
そのため、エルカトの想いはハーデに届くことはなく、そのことが本来真面目で人望も篤い彼を歪ませてしまったのだ。
表向きは今まで通りの好青年を装いながら、その裏側で暗い気持ちを抱え込んでいったエルカト。
やがて、彼にとっての好機が訪れることになる。
狩人であるストラムの父が、狩りの最中に魔物に襲われて命を落としたのだ。
鬼人族は奥深い山中に集落を築くため、魔物に襲われる場合が少なくはない。毎年数人は魔獣に襲われて命を落とす。
ストラムの母親は産後の肥立ちが悪く、彼を生んだ直後に祖霊へと還っている。
身内を全て失ったストラムだが、悲しんでばかりはいられない。腕利きの狩人だった父が敵わなかったほどの魔物が、集落の傍に潜んでいるのだから。
氏族を構成する一員として、ストラムも魔物狩りに参加する。父の仇を討つために、そして、ハーデという大切な女性を守るために。
族長の指示のもと、氏族の戦士や狩人たちが二人から三人ほどの組になって集落の周囲を探索していく。
ストラムと組んだのはエルカトだった。同世代で幼い頃から気心も知れており、親友と呼ぶほど親しい二人が組むことに、他の者たちが異を唱えることはない。
「…………どうだ、ストラム? 何か手がかりはあったか?」
森に分け入り、這いつくばるようにして地面を調べるストラムにエルカトが問う。
「今のところ、それらしい手がかりは見つからないな。それより、おまえも魔物の痕跡を調べたらどうだ、エルカト?」
「ははは、剣の腕ならともかく、狩人としてはおまえに絶対敵わんからな。おまえに見つけられない魔物の痕跡を、俺が見つけられるわけがないだろ?」
「そんなことを言いつつ、ただサボりたいだけじゃないのか?」
「さすが
ためらいもなくそう言い切るエルカトに、ストラムは苦笑する。
これまで、二人の仲は決して悪くはなく、それどころか親友と呼べるほど親しかった。ストラムはエルカトが抱える闇を知らず、エルカトも周囲に己の闇を悟らせることもなかったから。
自他共に認める親友同士。それが当時のストラムとエルカトの関係だったのだ。
そうやって森の中を調べることしばらく。遂にストラムが見慣れぬ魔物の足跡を見つけた。
「今までに見たことのない足跡だ。おそらく、この足跡の主が親父を殺した魔物のだろうな」
「ならば、おまえはこのまま足跡を追ってくれ。俺は集落に戻って応援を呼んでくる」
「分かった。大急ぎで頼むぞ」
「おまえこそ、絶対に無理はするなよ。いくら相手が父親の敵でも、おまえ一人じゃおそらく勝てないからな」
「それは承知している。目印を残しながら追跡するから、それを追ってきてくれ」
「了解だ。くれぐれも無理だけはするなよ!」
そう言い置いて、エルカトは集落へと戻った。そしてストラムは一人で魔物の足跡を追跡する。
この時、足跡に集中するあまりストラムは気づかなかった。
集落に戻ったはずのエルカトが、彼の後を追ってきていることに。
相手が最も信頼する親友とも呼べる存在であったことも、ストラムがエルカトに注意を向けなかった理由の一つではあるだろう。
魔物の痕跡を追跡するストラムと、その彼をこっそりと追うエルカト。
そして、悲劇は起きるのだった。
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