第4章

昔の記憶と【黒騎士】

 「それ」はまどろんでいた。

 もう随分と長い間、まどろんでいた。

 だが、「それ」の意識は少しずつ少しずつ明確になってきている。

 徐々に明瞭になっていく「それ」の意識。同時に、その脳裏に浮かぶのは数匹の小さな蟲ども。

 かつて、「それ」と対峙し、「それ」をここに封じた憎むべき蟲どもの記憶。

 蟲どもに封じられたという、屈辱と怨念の忌まわしき記憶が、「それ」の脳裏に鮮明に浮かび上がった。



 「それ」がどうやってこの世界に生まれ落ちたのか、「それ」自体にも分かっていない。気づいた時、「それ」は「それ」としてこの世界にったのだから。

 そして、「それ」はこの世界でどう振る舞うべきかも理解していた。

 だから、それを行った。

 それ──破壊と殺戮こそが「それ」の魂に刻まれたものであり、存在する理由でもある。

 同時に、「それ」の魂の奥底とでもいう場所には、とある記憶があることにも気づいていた。

 かつて、「それ」の起源とも呼ぶべき存在は、この世界全ての知恵と力ある者たちの頂点に君臨していた。

 数々の「力ある者たち」やその眷属を従え、世界を支配するために戦ったのだ。

 戦う相手は、「それ」と同じように大いなる力を持つ者たち。そして、その者たちに従う小さく弱き者ども。

 数百年と続いた「力ある者たち」同士の激しい闘争。その闘争の結果、かつての「それ」の起源は討ち取られてしまった。

 誰に討ち取られたのか、今では思い出せない。だが、「それ」の起源が敗北したのは紛れもない事実。

 敗北した「それ」の起源は、体を塵にまで刻まれ、魂までも粉々に砕かれた。そして砕かれた魂は、輪廻の輪へと投げ込まれる。

 何度も繰り返される輪廻の輪の中で、「それ」と起源を同じくする魂たちを少しずつ摩耗させ、浄化するために。

 「それ」の魂もまた、無数に砕かれた魂の欠片のひとつ。だが、他の欠片たちとは違って、まだまだ大きな力を有していた。

 「それ」というこの世界でも最も長命な生命体に転生したことで、輪廻を繰り返す数が少なかったからなのか、それとも他に要因があったからなのか。

 原因は不明だが、他の欠片たちとはけた違いに大きな力をその魂に宿し、「それ」は破壊と殺戮を繰り広げたのだ。



 やがて、「それ」が撒き散らす破壊と殺戮に抗う者たちが現れた。

 だが、その蟲ども──「それ」よりも遥かに小さく遥かに弱い者たちを、「それ」は「蟲」と呼んでいた──の力では、とてもではないが「それ」に抗うことなどできなかった。

 小さな蟲がどれだけ集まろうが、巨大な「それ」の前では脅威にもならない。

 群がる蟲どもをあっさりと蹴散らし、「それ」は破壊と殺戮を繰り返していった。

 だが、蟲の中にも僅かながら例外がいた。その例外な蟲どもは、「それ」と起源を同じくするもの。つまり、「それ」の魂のはらからと呼んでもいい蟲どもだった。

 そんな例外な蟲の中でも、特に「それ」の目を引いたのは、黒い髪に黒い目、そしてその手に漆黒の大剣を持った蟲だ。

 その蟲からは、自分と同じ波動を微弱ながらも確かに感じた。そのためだろう。その蟲は他の蟲に比べて強大な力を秘め、「それ」へと抗ってきた。

 とはいえ、「それ」と比べるとその黒い蟲はかなり弱い。既に何度もの転生を経たことで、本来の力を相当擦り切らせてしまっているようだ。

 更には、黒い蟲の近くにもう一匹同じ魂を宿す蟲がいた。その蟲は金の髪を有し、手には黒い杖。その杖も黒蟲の剣と同じく、かつて「それ」の起源となった存在が愛用していたもの。

 この金蟲もまた、蟲の中では飛び抜けて力がある存在だろう。それでも黒蟲と同じで、「それ」に比べれば全く比較にならないほど弱いが。

 しかし、やつらが持つ黒い剣と黒い杖は侮れない。あの剣と杖がいかに強力な呪具であるかを、「それ」は嫌というほど知っていた。

 黒蟲と金蟲、そしてその二匹の蟲を補佐するように存在する赤い色の蟲。三匹の蟲と「それ」は、長い長い激闘を繰り広げた。

 その激闘の余波で、山は削れ、湖は干上がり、森は砂漠と化し、海岸線はその形を変えた。だが、そんな果てなき激闘にも、遂に終焉が訪れる。

 黒蟲が手にした黒い剣が、「それ」のほんのわずかな隙を突いてその胸を貫いた。途端、「それ」が有する膨大な生命力が、どんどんと黒い剣に吸い取られていく。

 いや、違う。

 「それ」の生命力を吸い上げているのは、黒い剣ではなく黒い杖の方。黒剣と魔術的に接続した黒杖が、杖を持つ金蟲に吸い上げた生命力を注ぎ込んでいるのだ。

 急激な力の減少に、「それ」は咆哮を上げる。だが、「それ」の体に深々と突き刺さった黒剣は、更に生命力を奪っていく。

「おい、婆さんっ!! 本当に大丈夫なんだろうなっ!?」

「ふん、この儂を見くびるでないわっ!! 洟垂れ小僧に心配されるほど耄碌しとらんっ!!」

「ああ、誰が洟垂れだぁ? 超絶イケメン勇者と名高いこの俺様に向かって、そんなナメたこと言いやがるのは婆さんぐらいだぜ!」

「ふん、貴様など儂に比べれば洟垂れよ! 儂を見返したくば、もっと大人としての魅力を身に付けることじゃな!」

「もう、二人とも言い争っている場合じゃありませんよ! ったく、こんな状況でも言い争いをするんだから、本当に呆れるやら何やら──」

 何やら言い合う三色の蟲ども。だが、「それ」には関係がない。いや、関心を向けるだけの余裕がないというのが正しいか。

 どんどん吸い上げられる生命力。吸い上げられた生命力は、黒杖を持つ金蟲へと流れ込む。

 普通の蟲であれば、「それ」の生命力を僅か一滴ほど注ぎ込まれただけで、容量を超えて体が弾け飛ぶだろう。

 だが、あの金蟲は蟲の中でも長命種のようだ。膨大な「それ」の生命力を相当注ぎ込んだにも拘らず、いまだ健在でいる。その魂に宿した力も大きな影響を与えているに違いない。

 とはいえ、それも長くは持たないだろう。どれだけ力を有していようが所詮は蟲。「それ」とは生物として階梯があまりにも違いすぎる。

 だが、「それ」は忘れていた。黒蟲と金蟲が持つ黒剣と黒杖は、「それ」の起源が有していた強大な呪具であることを。

 長く続いた激闘が、「それ」から一時的にその事実を忘れさせていたのだろう。「それ」も今では生物だ。かつてのように疲労を知らずに永遠に動けるわけでもない。

 黒剣と黒杖がどくんと大きく脈動し、「それ」から一気に生命力を吸い上げた。それまで以上の生命力が流れ込んだことで、金蟲が後方に大きく弾き飛ばされる。

 だが、地面に体を強かに打ち付け、全身に大きなダメージを受けつつも、金蟲は黒杖を手放すことはなかった。

「く……っ! さすがの儂もこれ以上は耐えきれぬ! じゃが、きゃつにはもう大して力は残されておらん! 今以上の好機はないと思え!」

「はいっ!!」

 金蟲の言葉に応じ、赤蟲がしゅを紡ぐ。その呪はかつて、「それ」がまだ強大な力を有していた時代に、怨敵ともいうべき「モノ」たちが用いた強大な力、その一部。

 赤蟲が紡いだ呪が完成すると同時に弾けた光。その光は鎖へと変化して「それ」の巨体を縛り上げていく。

 幾重にも。幾重にも。

 光の鎖は「それ」に巻き付き、体だけでなく意識までも拘束する。

 そして。

 そして、「それ」の意識は深い深い闇の中へと落ちていった。



 かつてのことを思い出し、「それ」は激しく身もだえする。

 だが、いまだ体は自由に動かず、どことも知れぬ闇の中でぎちぎちとその牙を打ち鳴らすのみ。

 だが、そう遠くないうちにこの縛めは解けるだろう。

 その時、以前に受けた恨みを晴らせばいい。

 おそらく、既に三色の蟲たちはこの世にはいまい。もしかすると長命種の金蟲だけはまだ存在しているかもしれないが、金蟲だけでは大した脅威にもなるまい。

 そして、更にとある事実が「それ」の口元を歪に歪ませた。

 感じる。感じるのだ。

 「それ」が宿す魂の力と同等以上の力を有する魂の存在を。

 その力を手に入れれば、己はもっと強くなる。「それ」の起源には及ばずとも、起源に仕えていた眷属と同等程度の力を取り戻すことができるだろう。

 それだけの力があれば、たとえ再び三色の蟲が揃ったところで、今度は易々と滅ぼしてくれよう。

 更には、その魂を有する者の近くには例の呪具の存在も感じられる。そしてその存在の大きさから、黒い呪具のであろうと「それ」は推測する。

 呪具の本体と、自分と同等の力を宿す魂。

 この二つが揃えば──そう考えて、「それ」は動かない体を悦びでぎしぎしと軋ませた。

 どことも知れぬ深い闇の中。

 封印という名の鎖を断ち切るかのような、ぎしぎしという忌まわしい音が人知れず響き続けた。



「どうかしたのか?」

 ジルガたち【黒騎士党】が、ナイラル侯爵家に逗留するようになってからしばらくしたある日。

 今朝からどことなくぼーっとしているように見えるジルガに、ライナスは首をやや傾げながら問う。

「いや、昨夜何か変な夢を見たような気がするのだが……どんな夢なのか全く思い出せん」

「ふむ……本来、夢とはそのようなものだが……」

 何となくすっきりしないものを感じつつ、ライナスが漆黒の全身鎧をじっと見つめる。

「う……そ、そんなに見つめられると、そ、その……な、何と言うか……」

 大柄な体をなぜかもじもじさせて悶える【黒騎士】。はっきり言って不気味以外の何者でもない。

「いや、夢というものは案外馬鹿にできなくてな。君が見た夢が何らかの予知夢という可能性はゼロではない」

「わ、私にはそんな不可思議な力はないのだが……」

「まあ、何か思い出したら言ってくれ。君の力になれるのならどんなことでも力を貸そう」

「う、うむ……や、やはりライナスは頼りになるな!」

 その時だった。

 ライナル侯爵家の使用人の一人が、ジルガたちにとんでもない客が来たことを知らせたのは。


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