閑話─恋する王太子3
「もしかして──私は彼女に嫌われているのでしょうか……?」
「突然訪ねてきたかと思えば、何を言い出すのかね君は?」
はああああああ、と重々しい溜息を吐き出すかつての教え子を、筆頭宮廷魔術師であるサルマン・ロッドは思いっきり眉を寄せながら睨みつけた。
「しかしですよ、サルマン師。彼女……ジールディア嬢から、私の手紙に対する返事のひとつぐらいあってもいいと思いませんか?」
「…………相変わらず返事がないのか。だがそれは病気がよくないからではないか?」
「たとえ病気のせいで直筆の返事は書けなくても、返事を使用人に代筆させることぐらいできるでしょう?」
サルマンの言葉に、来客用のソファに力なく身を沈めたかつての教え子にして現王太子であるジェイルトール・シン・ガラルドは、その整った顔をゆらゆらと左右に振った。
まあ、返事はなくて当然だが、と心の中で呟くサルマン。なんせ、ジェイルトーンが手紙を送り続けている相手は病気ではないし、それどころか今頃どこでどうしているのかさえ分からないのだから。
いや、どこでどうしているのかは、大体分かる。
勇者組合に所属する、とある勇者の噂はよく耳にするのだ。その噂が真実であればという条件はあるが、彼女が今どうしているのかはサルマンには大体分かっていた。
「それとも、私の手紙を読むことさえできないほど病が酷いのでしょうか……? ああ、相変わらず治癒系の神器は手に入らないし……! サルマン師! 例の【黒騎士】の件は何か分かりましたかっ!?」
「ああ、噂の【黒騎士】が治癒系神器を意図的に独占しているかどうかという件か。もちろん、調べておいたぞ」
「それで何か分かりましたかっ!?」
それまでがっくりと項垂れていたジェイルトーンが、突然勢いよく顔を上げた。そこには、今までにない期待が宿っている。
「私が調べた限りでは、彼の人物に悪意があって治癒系神器を占有しているわけではなさそうだ」
「ではなぜ、その【黒騎士】は多くの治癒系神器を抱えているのでしょう?」
「実際に【黒騎士】がどれほどの数の神器を、どのような意図で所持しているのかは不明だが……自分が発見した神器を全て手元に置いておいたとしても、それは決して罪ではないからな」
神器は現代で作り出すことはできず、古代の遺跡などから発掘されるものしか存在しない。
そんな神器も、その所有権は発見者にあるというのが世の常識となっている。
そのため、神器の発見者が自分の手元に留め置いていたとしても、それは決して罪にはならない。とはいえ使う目的もない神器は、勇者組合などに売るのもまた常識ではあるのだが。
なんせ、神器を一つ売り払えば、モノによっては一生遊んで暮らせるだけの金額になるのだから、特に使う目的がないのであれば手に入れた神器はさっさと売却するものである。
だが、少なからず【黒騎士】を……いや、ジールディアという人物を知るサルマンは思う。おそらく彼女は、特に何か考えがあって神器を所有しているわけではないだろう。
特に何も考えず、ただ手に入れた神器をそのまま所有しているだけ。真相はそんなところだろうとサルマンは考えていた。
「…………しかし、普通は一人の人間がそれほど多くの神器に出会う機会はないのだがな……」
「サルマン師? 何かおっしゃいましたか?」
「いや、何でもない。とにかく、件の【黒騎士】に悪意はないと私は判断する」
「そうですか……サルマン師がそうおっしゃるのであれば、そうなのでしょうね……」
口ではそう言いつつも、納得できないとばかりに顔をしかめるジェイルトーン。そのまましばらく考え込んでいた彼が、何かを思いついたかのようにサルマンへと目を向けた。
「師がおっしゃるように【黒騎士】に特に意図がないとすれば、正式に交渉することで彼が所有する神器を譲ってもらうこともできるのではないでしょうか?」
「確かにできるかもしれんが……」
「では、王太子として組合勇者【黒騎士】に面会の申請を出しましょう。聞けば、その【黒騎士】は現在王都にいるそうですし」
顔を輝かせたジェイルトーンは、そのままソファから立ち上がると「では、早速城に戻って手配します」と言い残して、サルマンの屋敷を風のように立ち去った。
後に残されたサルマンは、先ほどの王太子よりも更に深い溜息を吐き出しつつ呟く。
「大丈夫だろうか? あの二人を会わせても……?」
果たして、このことを誰かに相談すべきだろうか? そして、相談するとしたら一体誰に?
妥当なところでジールディアの事情を知る彼女の父、トライゾン・ナイラル侯爵だが、あれもあれで娘が絡むと容易に暴走しかねない。
「こんな時にあの方が身近にいてくれれば、私も頼りにさせていただくのだが……」
と思い起こすのは、幼い頃に実の兄のように慕っていた一人の人物。その人物はサルマンたち──彼と彼の腐れ縁の悪友たち──よりもやや年上で、いつも落ち着いていて頼もしく、彼らにとって本当に兄のような存在だった。実際、悪友の一人にとっては異母兄にあたるのだし。
だがその人物は彼らが成人するより前に、突然ふらりと姿を消してしまった。
当時はなぜ突然姿を消したのか、全く理解できなかった。だが、今なら分かる。彼は自分の存在が問題になりかねないことを理解し、自ら姿を消したのだ、と。
「あの方は今、どこにおられるのやら……こんな時こそ、あの方に相談したいものだな……」
再び溜め息を吐きながら、サルマンは誰に聞かせることなくそう零した。
「…………駄目でした……」
数日後、再び突然屋敷を訪ねてきたジェイルトーンが、これまた再びソファに力なく腰を下ろしながらそう告げた。
「勇者組合に面会の申請を出したのですが、当の【黒騎士】は少し前に王都を発っていたようで……」
「なるほど、行き違ってしまったのか」
「はい……何でも、南の港町であるラームスまで行っているらしく、いつ頃戻るかは不明との返事が勇者組合から返ってきました」
「まあ、こればかりは仕方あるまい。その【黒騎士】も組合の勇者である以上、依頼があればそれに従って動くものだ」
ソファに力なく座るジェイルトーンが、その頭を抱えて顔を伏せる。
「ああ……こうしている間にも彼女が病で苦しんでいるかもしれないと思うと、この身が張り裂けそうです……できることであれば、私が彼女の病を肩代わりしたい……っ!!」
「いや、その発言は王太子としてどうなんだ?」
王太子ともあろう者が、いくら愛する女性のためとはいえ病を身代わりに引き受けたいなどという発言は、いささか自覚が足りないと判断されても仕方がないだろう。
これが演劇や物語であれば美談と称されるのだろうが、実際の王太子にそんなことが許されるはずがない。
「せめて、何か栄養のあるものや、病で弱っているであろう心を慰められる美しいものを彼女の元に送り届けようかと思います。もちろん、その際には私の気持ちを込めた手紙も一緒に!」
「ちょっと待て! 一体何を送るつもりだっ!?」
サルマンは知っている。
この王太子、見た目は眉目秀麗だし、頭脳は優秀だし、運動能力も極めて高いと神からいくつもの祝福を与えられて生まれて来たようなほぼ完璧な人間であるのだが、美術的なセンス──音楽やダンスなどは除く──や贈り物などに関する判断基準が、その容姿や能力に反するかのごとく極めて壊滅的であるのことを。
過去、ジェイルトーンがジールディアに贈ったものも、普通であれば「これは強烈な嫌味か、それとも決別の意思表明か?」と思われても仕方ないものばかりだった。
誰かそのことを注意する人間はコイツの周囲にいないのか? とサルマンは心の中で呟く。
実際のところは、あまりにもジェイルトーンが優秀すぎるため、周囲の人間は彼がすることには何らかの狙いがあると思ってしまうのだ。
あの王太子殿下がなされるのだから、我々には思いもつかない深い理由があるに違いない、と。
おそらく、普段ジェイルトーンの周囲にいる者たちは、彼の壊滅的なまで弱点を知らないのだろう。
だからこのほぼほぼ完璧な王太子がすることは、たとえ常識的に考えれば変なことであっても何か深い意味や考えがあるのだと思って、全く注意や指摘をしないのである。
「ジェイルの側近や近侍の者たちに、一度よーく説明せねばならんな、これは……」
筆頭宮廷魔術師サルマン・ロッド。
かつて彼は、まだ幼いジェイルトール・シン・ガラルドに、学問の師として様々なことを教えた。
その時に、どうして彼の弱点に気づかなかったのかと、今になって一人頭を悩ませるのであった。
~~~ 作者より ~~~
明けましておめでとうございます。
今年もひとつ、よろしくお願いします!
本年中には完結までたどり着く所存ですので、最後までお付き合いいただけると幸いです。
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