家族に囲まれる【黒騎士】
ジルガたち一行、そしてナイラル侯爵家に仕える兵士たちが一斉に声がした方へと顔を向けると、そこに一人の老紳士の姿があった。
年齢を感じさせない、背筋の伸びた立ち姿。決して華美ではないが、それでいて上質で丁寧な仕立てを感じさせる執事服。
きらりと
「ようこそおいでくださいました、【黒騎士】ジルガ様」
「ギャリソンこそ……いや、ギャリソン殿こそ、お元気そうで何よりだ」
ジルガに向かって慇懃に礼をする老執事──ナイラル侯爵家の内情全てを取り仕切る執事長であるギャリソンと、そんな彼に対して何度も頷く全身鎧の巨漢。
その光景に、先ほどまで殺気立っていた兵士たちもぽかんとした表情を浮かべて困惑するばかり。
「連絡が行き届かず済まない。こちらの方々は旦那様の正式なお客様だ」
ギャリソンが兵士たちにそう説明すれば、兵士たちは慌てて武器を収めた。
「申し訳ありません! 旦那様のお客様とは知らず──っ」
「いや、気にすることはない。突然現れた我々にこそ非がある」
頭を下げる兵士たちにジルガがそう応えた後、ギャリソンがジルガ一行を屋敷の中へと案内する。
そして、屋敷の中に入って他の使用人たちの目がない場所で、先導していたギャリソンがくるりと振り返った。
「ジールお嬢様……お元気そうで……よく……よく、お戻りになられました……」
単眼鏡の奥を涙で滲ませながら、感極まった様子のギャリソンは懐から取り出したハンカチで目元をぬぐう。
「さあ、旦那様もお待ちのはずです」
「お父様は書斎か?」
「いえ、旦那様と奥様は居間でお待ちでございます」
「ところで、よく私に気づいたな?」
「ははは、あれだけ門の前で騒げば、寝ていても気づくというものです」
どうやら門の前で騒いでいたジルガたちにいち早く気づいたギャリソンは、自ら彼女を出迎えると共に主でありジールディアの父でもあるトライゾンと、母エレジアに使いの者を走らせたようだ。
勝手知ったるといった様子──自分の家なので当たり前なのだが──で屋敷の中を進むジルガと、その後に続く仲間たち。
そして、彼らを先導するギャリソンが居間へと続く扉を開けた瞬間。
「ジぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃルぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
顔中を涙と鼻水で濡らしたトライゾン・ナイラル侯爵その人が、漆黒の全身鎧に向かって突進してきたのだった。
「ジール! ジール! ジぃぃぃぃぃぃルぅぅぅぅぅぅぅっ!! よくぞ、よくぞ帰ってきてくれたあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
漆黒の全身鎧に抱き着き──いや、しがみつき、涙と鼻水をだだ漏れにする男性。彼こそがナイラル侯爵家の当主であり、神槍とまで呼ばれる槍の名手、トライゾン・ナイラルその人である。
「ただいま戻りました、お父様、そしてお母様。ですが……ですが、我が身を縛る呪いはいまだに……」
「そんなものは些細な問題だ! おまえが……ジールが無事に帰ってきてくれたことが、私はとても嬉しいのだよ!」
「ええ、この人の言う通りです。私たちはあなたの家族として、あなたが……かけがえのない娘がこの家に無事に帰ってきたことが喜ばしいのですから」
と、トライゾンの妻でありジルガ……いや、ジールディアの母であるエレジア・ナイラルは、涙に濡れた目を漆黒の鎧の背後へと向けた。
「あなた方は……ジールのお友だちかしら?」
「はい、ナイラル侯爵夫人。私は旅の途中のジールディア嬢と知り合い、彼女の呪いを祓うために協力しております、しがない魔術師でございます」
丁寧な仕草で腰を折るライナスを、エレジアは好意的な笑みを浮かべて受け入れた。
「まあまあ、ご丁寧なご挨拶をどうも。魔術師殿は、娘の事情をご存じなのですね?」
「はい。私だけではなく、ここにいる者たち全員がお嬢様の事情を知り、お嬢様に協力しております」
「そうですか。それだけあなた方には娘も心を許しているということなのでしょう。であれば、あなた方を当ナイラル家の正式な客人として迎えましょう。いいですね、あなた…………あなた? どうかいたしまして?」
不思議そうに、エレジアは自分の夫へと振り返った。
彼女の視線の先、トライゾンはいまだに娘にしがみつきながらも、その視線はじっと白い魔術師へと向けられている。
「ま、まさか……君は……いや……あなたは…………」
「侯爵閣下、その話は後ほど」
ライナスが片目を閉じながらそう告げれば、トライゾンは娘にしがみついた姿勢のまま何度も頷いた。
「それで、本日ここに来たのはお父様とお母様にお願いがありまして」
「なに? ジールのお願いだと? ははは、この父が可愛い娘のお願いを断るわけがなかろう。ささ、どんなお願いかな? どんな願いでもこの父がかなえてあげよう」
「おそらく……そちらの鬼人族の方々のことかしら? 私もできることがあれば協力するわ」
父と母にそう言われて、ジールディアはレティルたちの事情を両親に説明していく。
なお、この時になってもまだ、トライゾンは漆黒の全身鎧にしがみついたままだった。
「なるほど…………」
「それは…………災難でしたわね」
腕を組み、何度も頷くトライゾンと、柔らかな笑みを鬼人族の家族へと向けるエレミア。
一方、豪華な調度品があちこちに並べられている居間の、これまた上質なソファに腰を下ろした鬼人族の家族は、居心地悪そうにあちこちを見回していた。
「どうした、レティルもレアスも。ご両親が傍にいるというのに、随分と不安そうだな?」
「だ、だってジルガさん…………」
「僕たちが今まで泊っていた王都の宿屋も相当だったけど、ここの方が遥かに豪華で落ち着かないよ…………」
「そうか? 私は全く気にならんぞ?」
「そ、そりゃあジルガさんにとって、ここは自分の家だし……」
子どもたちとジルガのそんなやりとりを聞きながら、ストラムとハーデもうんうんと頷いている。
自然の中で暮らすことを旨とする鬼人族にとって、ここはあまりにも異質すぎるのかもしれない。
「それで、お父様。レティルたちのご両親の件なのですが……」
ストラムとハーデの体調はかなり回復しているが、彼らの家があるリノーム山までは相当な距離がある。
ここで無理をして旅をすれば、再び体調を崩すかもしれない。
もちろん彼らが家に帰る時、ジルガとライナスも同行するつもりだ。ライナスが操るゴーレム馬車もあるので、徒歩で旅をするよりは体力の消耗を防げるだろうが。それでも絶対に体調を崩さないという保証はない。
「うむ、ストラム殿たちは正式にこの家の客人として迎えよう。だが…………一つだけ問題が、いや、疑問がある!」
「疑問……ですか?」
ジールディアがやや首を傾げながら父に問えば、彼は座っていたソファから立ち上がって叫んだ。
「聞けば、ジールは随分と前から王都に戻って来ていたそうじゃないか! だったら、どうしてすぐこの家に帰って来なかったんだっ!? 宿屋などに泊らずとも、自分の家であるここに帰って来るべきだろうっ!? 違うかい、ジールっ!?」
どびしっ、と漆黒の全身鎧に指を突きつけるトライゾン。確かに彼の言うことにも理はある。この王都に自宅があるのだから、高い金を払って宿屋に泊る必要はないだろう。
「私を縛る呪いはまだ祓われておりません。私がこの家を発つ際、呪いが消えるまでこの家には帰らぬと言ったはずです。今回はレティルたちのご両親の件もあり、恥ずかしながらお父様たちを頼りましたが…………」
「もっとこのお父様を頼りになさいませっ!! 娘が親に頼ることは悪いことではありませんことよっ!!」
興奮のあまりか、口調がおかしくなっているトライゾン。
その隣では、母であるエレジアも優しく微笑んでいる。
「この人の言う通りです。子に頼られるのは親としても嬉しいこと。もちろん、大人になっても親を頼りすぎ、依存してしまうのは問題ですが、我が子たちはそこらをしっかりとわきまえていますからね」
母にそう言われた時、ジールディアはふと思い至る。
二人の兄が家にいないのは理解できる。騎士である兄たちは、昼間のこの時間は王城に詰めているのだろう。
それを言えば騎士団長である父が家にいたことは不可解──実はたまたま今日が非番なだけだった──だが、それよりも問題は弟のアインザムの姿が見えないことだ。
アインザムはまだ成人していないので、家にいるはずである。そして家にいるのであれば、当然この場に顔を出すはずなのだ。
「ところで……アインはどうしたのですか?」
「ああ、アインならジールと同じく勇者組合に所属して、あちこちで活躍しているらしいぞ」
「アインが勇者組合に? なぜ彼が組合に所属を? そもそも、アインはまだ組合に所属できる年齢ではないでしょう?」
ナイラル侯爵家の末っ子のアインザムは、幼いながらも確かにその武の才能を周囲から認められていた。
将来は二人の兄たち同様に、王国の騎士団に所属するだろうと誰もが考えていたのだ。そしてそれは、姉であるジールディアも例外ではなかった。
そのアインザムが、成人を待たずして勇者組合に所属していたとは。
同じく組合に所属しているジールディアも知らないことだった。
「アインはあなたの力になりたいと、特例措置を受けて組合に所属したのですよ。勇者組合の中で何か聞いていませんか?」
「申し訳ありません、お母様。他の組合勇者に関して、私はあまり知識がなく……」
「もしや、【雷撃団】に所属している【雷槍】アインザムのことですか?」
大きな肩を小さくすぼめるジールディアの横、並んでソファに腰を下ろしているライナスが思いついたように答えた。
「知っているのか、ライナス?」
「ああ、もちろんだ。最近、勇者組合では規定に及ばない年齢でありながら、特別に加入が認められた者が続出したと噂になっていただろう……ああ、そうか……」
ライナスが、どこか可哀そうな子を見るような目で隣のジールディアを見る。
なんせこの見た目のせいで、彼女と親しくしてくれる組合勇者は多くないのだ。そのため、ジールディアが組合勇者に関する情報を耳にする機会はほとんどない。
「あ、【電槍】の噂なら私も聞いたことありますよ」
「うん、僕も何度か聞いたな」
そう答えたレティルとレアスもまた、特例措置で組合に加入が認められた者たちである。自分たちと同じ立場である者の噂は、どうしたって記憶に残りやすい。
「ふ、二人まで知っていたのか?」
「はい、噂に聞いた程度ですけど……それに、その【雷槍】がジルガさんの弟さんだとは思いもしませんでしたけど」
レティルの言葉を聞きながら、ジールディアは腕を組んで「むぅ」と唸る。
まだ幼いと言っていいレティルとレアスでさえ知っていたことを、自分が知らなかったことが恥ずかしいやら悔しいやら。
これは今後、自分ももう少し他の組合勇者と親交を温めるべきかと、思い悩む【黒騎士】であった。
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