決断する【黒騎士】

「妻を助けていただいた此度の件……そして、我が子らを救ってくださった御恩、我らは決して忘れません」

「夫共々、私たちにできることがあれば、何でも命じてください。それぐらいしか御恩を返す方法を私たちは知りません」

 数日ほどの療養期間を経て。

 ライナスとオルグ、二人の賢者からもう大丈夫と診断されたハーデは、夫のストラムと共に改めてジルガと面会していた。

 床に片膝をつき、深々と頭を垂れるストラムとハーデ夫妻。

 そんな彼らの傍には、嬉しそうなレティルとレアスの姿もある。両親と無事に再会できた彼女たちの表情は、実に晴れやかだ。

「ストラム殿もハーデ殿も、そう気にすることはない。私としても、レティルとレアスのご両親を放っておくことなどできなかったのでな」

「ですが……妻を助けていただくため、貴重で高価な神器が……」

「それも気にするなと何度も言っている。なに、あれはとある親切な竜から友情の証としてもらったものだ。たとえ壊れてしまったとしても、有効に活用した結果なのだからあやつも怒ったりはしないだろう」

 神器「しんの宝珠」は、ハーデの病を癒した後に力を使い果たして塵となってしまった。

 かの神器はルドラル山脈に巣くう「黒魔王」とまで呼ばれた巨竜が、命を助けてもらう代償としてジルガに涙ながらに差し出したのだが、当の本人はそんなことは思ってもいない。

 相変わらず周囲に鬼気を放つ黒鎧を身に付けたジルガだが、その機嫌はとても良さそうだ。彼女としても、ストラムとハーデの二人を救えたことは嬉しいことなのだろう。

 なお、ストラムを博打で嵌めようとした組織は、近々この地の領主の指示によって大規模な手入れを受けて壊滅する予定である。

 もちろんオルグが領主へと提言し、領主がそれに応じて動いてくれた結果であった。これでストラムを縛り付ける不当な借金もなくなるだろう。

 どうやらこの地の領主は話の分かる善良な人柄らしい、とジルガは密かに感心している。

 ただ、借金だけは一応でも返しておいた方がいいというライナスの提案に従い、ストラムはジルガから金を借りて既に借金を返し終わっている。

 相手がよくはない組織なのは間違いないが、それでも借金をしたのはストラム自身であり、彼に全く責任がないわけでもない。

 闘技場の運営自体はその組織ではなくこの地の領主が行っている。そのため、組織が壊滅すればおそらく借金は無効になると思われるが、そこは領主の判断次第な面もある。

 それに、逃げ延びた組織の残党が後々絡んでくる可能性も考えられなくはないので、予め全て清算しておいた方が後腐れなくていいだろう、というのがライナスの判断だった。

 なお、その組織は息のかかった闘技者に、不自然にならない程度にわざと負けさせることで勝敗を操作していた。そのわざと負ける闘技者に賭けるように勧めて、ストラムに多額の借金を背負わせたのである。

 人間社会の常識や闘技場のシステムがよく分かっていなかったストラムは、見事にこれに嵌まり込んでしまったわけだ。

「それで、今後ストラム殿たちはどうするつもりかな? 四人で暮らしていたあの家に戻るご予定か?」

 王国の外れ、リノーム山中に存在するレティルたちの家。普通に考えれば、彼らはそこに戻るだろう。

 もしも彼らがそのつもりであれば、ジルガはそこまで家族を送り届けるつもりでいる。

「その件なのですが……病は癒えたとはいえ、妻の体力はまだ戻りきってはおりません。どこか安心できる所でもう少し養生してから、我らの家に戻りたいと考えています。それに、ジルガ殿……いえ、ジルガ様に立て替えていただいた借金の件もありますし……」

「そのことは気にしなくてもいいのだが……」

「そうはいきません! ただでさえジルガ様にはとてもお世話になったのです。たとえどれだけ時間がかかろうが、お借りした金額は全てお返しいたします」

「ふむ、そ、そうか……ストラム殿がそこまで言うのであれば、あなたの意思を尊重しよう。それはそれとして、だ」

 漆黒の兜の奥から、真剣な視線がストラムとハーデへと注がれる。

 二人とも精神的はそれなりに回復したようだが、体力の方はまだまだのようだとジルガも判断した。

 病が癒えたばかりのハーデはもちろん、よくない連中によって賭博に嵌められていたストラムも、金銭が底を突いていたことからまともに食事をしておらず、妻の病気からくる心労も合わさって、相当体力が低下している様子。

 このまま王国の外れであるリノーム山まで旅をするのは、かなり危険と言えるだろう。

「であれば、安心して養生できる場所に心当たりがある。そこでしばらく休まれてはどうかな?」

「これ以上ジルガ様にお世話になるのは……とはいえ、今の俺たちにはジルガ様に頼るほかありません」

「大丈夫だよ、お父さん。お父さんとお母さんがお世話になる分、私とレアスがジルガさんたちのお手伝いをするから!」

「そうだよ。僕たち、これでも王都でかなり有名になっているんだぜ」

 勇者組合に属する鬼人族の姉弟。そして、組合勇者の中でも名高い【黒騎士】が率いる【黒騎士党】のメンバー。その事実と噂はかなり広範囲に広まっている。

「子供たちに働かせて自分は何もしないのは、さすがに親として……」

「夫の言う通りです…………」

 我が子らが自分たちの代わりに働くというのは、親としてどうかと思うストラムとハーデ。

 だが、満足に体も動かない今の状況では、それに甘えるしか選択肢はなかった。

「お二人は何より体を癒すことを考えればよい。それに、レティルとレアスが一緒にいてくれるのは、私としても助かるというものだからな!」

「それでジルガ殿。この二人を休ませる場所とはどこかね? 二人が元気になるまで、我が館にいてもらってもいいのだぞ?」

 ジルガたちのやり取りを黙って聞いていたオルグが口を挟む。

 そのオルグの横では、ライナスが同じように質問したそうにしていた。

「さすがにこれ以上オルグ師の世話になるのは申し訳ないのでな。お二人には少々移動してもらわねばならないが、王都へ戻ろうと思う」

「そうか……もう少し、ジルガ殿には所有する神器を見せて欲しかったのだが……仕方あるまいなぁ」

「王都? もしかして…………」

 実に名残惜しそうなオルグの横で、ライナスが何かに思い至ったようで口を挟む。その言葉に、ジルガが大きく頷いた。

「王都の────私の実家に行ってみようと思う」



 テグノ河を利用した水運は、上流から下流──王都方面からラームス方面へ──へ下る便だけではなく、その逆もまた存在する。

 もっとも、河を遡ることになるので往路よりも船賃はやや値が張るが、ジルガ率いる【黒騎士党】にとって、それほど負担になるものではない。

 しかも、今回は病み上がりで体力が衰えた者が二人もいるので、王都付近まで船便を使うのは当然であった。

「まさか、帰りの便でもあんたたちを乗せることになるたぁな!」

 そう言って【黒騎士党】を歓迎したのは、往路でも世話になったメギス船長である。

「さすがに淡水魚竜はもう出ないと思うが、他に何か出た時は頼りにさせてもらうぜ、【黒騎士】の旦那!」

「うむ、任されよ!」

 メギス船長とジルガががっしりと握手を交わす。

「テグノ河は河幅の広い河だけあって流れは穏やかだが、今時分の季節なら往路よりも数日は余分に日程がかかると思ってくれ。何日余分にかかるかは風向き次第だがよ」

「なるほど、下流から上流へと向かうわけだから、それも道理だな」

「分かってもらえたようで何よりだ。復路は川の流れを遡るンだからよ、往路と同じってわけにはいかねぇのよ。だが、それを理解しねぇ連中も結構いるのさ」

 特にお貴族様はよ、と続けたメギス船長が豪快に笑う。

 そんな彼の様子を、正真正銘貴族の令嬢であるジルガ……ジールディアは、漆黒の鎧の中で複雑な表情を浮かべていた。

 もちろん、それに気づくことができたのはライナスぐらいだ。

「ストラム殿、ハーデ殿、船室はどうしても狭くなってしまうが、そこは我慢して欲しい。レディルとレアスはご両親と同室で、二人の様子を見てやってくれ」

「分かりました!」

「父さんと母さんは初めて船に乗るんだから、僕たちが教えてあげないとね」

 レティルとレアスも船に乗るのはまだこれで二回目だが、彼らは両親に自慢げに語る。

「さて、旦那とそのお仲間さんたち、船はすぐに出るから急いでくんな!」

 メギス船長に促され、ジルガたちは船員に案内されて客室へと向かう。

 レティルたちで四人部屋を一つ、ジルガとライナスが個室を一つずつ用意してもらい、それぞれの部屋に入ったところでゆっくりと船が動き出す。

「錨をあげろぉぉぉぉぉぉいっ!! 船を出せぇぇぇぇぇぇっ!!」

 メギス船長の声と共に、どぉん、どぉんと太鼓の音も響いてくる。

 ジルガたちが乗り込んだ船は帆と櫂を併用するタイプのようで、太鼓は漕ぎ手の調子を合わせるための合図だろう。

 なお、漕ぎ手は奴隷などではなく正式な船員たちである。メギス船長が河の流れや風の機嫌を読み、必要に応じて船員たちが櫂を漕ぐ。

 そうして船は緩やかながらもテグノ河の流れに逆らい、ゆっくりと上流を目指して移動を始めるのだった。



 数日後。

 ジルガたちが乗った船は、王都よりやや南の町に到着した。

 航行中、暇だったジルガたちはメギス船長から借りた釣り竿で釣りをしてみたり。

 釣果は満足のいくもので、釣り上げた魚はメギス船長が適正価格で買い取ってくれた。船上では火が使えないため、釣り上げた魚をその場で調理して食べることはできなかったが、それでも初めて釣りを体験したレティルとレアスは楽しそうであった。

 その際、ジルガだけは借り物ではなく自前の釣り竿を使ったのだが、なぜか怪物級の魚ばかりかかり、船員や他の乗客たちを大いに驚かせた一幕も。

「ジルガ。君が今使っている竿はもしや……?」

「うむ、以前に言っていた神器だ。これを使うと大物がよくかかるぞ」

 と、白い魔術師が大きく空を仰ぐ一面もあったりしたが、特に問題が起こることもなく、一行は王都のほど近くまで来ることができたのだ。

 ここからはストラムとハーデの体調をみながら、のんびりと王都まで移動する予定である。

 ストラムはほぼ体力も戻ったようだが、ハーデの方はまだまだ回復しきってはおらず、ジルガたちは馬車を用意することに。

「今度は馬車まで……本当に……本当に、いくら感謝してもしきれません……」

「ジルガ様、何から何まで本当にありがとうございます」

「何度も言っているが、お二人が気にする必要はない。全て、私が勝手にしていることだからな」

 深々と頭を下げる鬼人族の夫妻に、子供たちは「あまり感謝ばかりすると、ジルガさん照れちゃうから」とこっそり耳打ちをする。

「ところで馬車はいいのですが、それを牽く馬は?」

 ジルガが用意したのは、馬車本体のみ。本来であれば、それを牽くための馬が必要となるはずだ。

 馬車を牽くための馬がいないことで首を傾げるストラムたちの前で、ライナスが呪文を詠唱する。すると、地面がぼこぼこと隆起し、そこから石でできた魔人形──ゴーレムが姿を現した。

「こいつに馬車を牽かせるので、馬は必要ないのだ! ははははは!」

 石ゴーレムの太い足をぽんぽんと叩きながら、ジルガが自慢げに言う。

 そして、突然生じた異様な光景に、鬼人族の夫妻だけでなく居合わせた人々もまた、目を大きく見開いてジルガたちを見つめるのだった。

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