病の治療と【黒騎士】

「私が……か? 私は医術や薬草学には詳しくはないぞ?」

 こてんと漆黒の兜を傾げさせ、自らを指差すジルガ。

 そんなジルガを、ライナスは微笑ましく見つめる。

「おい、ライナスよ。ジルガ殿と石化症せきかしょうの治療とどういう関係がある? 件の病は極めて治療が難しいもののひとつじゃぞ? 石化症に効果のある薬は極めて特殊な材料が必要だから、いくらジルガ殿とてそう簡単には集めることはかなうまいて」

「いや、薬など必要ない。それよりもストラム殿、奥方は今どこに?」

「妻なら……ハーデなら、町外れの廃棄された小屋に……」

「お、お父さん! どうして病気のお母さんをそんな所にっ!?」

「お、俺とてハーデをそんな所に置いておきたくはない! だが、石化の呪いに蝕まれたハーデを、町の中に連れて入ることはできなかったのだ……」

 ストラムと妻のハーデがこの町に到着した時、既にハーデの呪い──実際は病なのだが、その時点でストラムは呪いだと思い込んでいた──が相当進行しており、歩くのがやっという状態だった。

 体の石化はかなり酷くなっており、顔の半分ほどや両手のほとんどが石化で固まっていて、それを見た町門の衛兵が彼らの町への立ち入りを禁じてしまったのだ。

 衛兵たちの判断は、決して間違ってはいないだろう。

 一目で呪われていると思えるような者を、町の中に入れるわけにはいかない。その呪いが町の中でどのような災いをもたらすか、彼らには判断できないのだから。

 しかも、その当人たちは得体の知れない鬼人族である。鬼人族が故意に人間の町に災いを振りまこうとしていると思われても、無理はないだろう。

 結果、ストラムはラームスの町外れで偶然見つけた廃棄されたと思しき猟師小屋に、妻であるハーデを残して一人町の中に入り込んだ。

 彼一人であれば、鬼人族ということを隠して何とか町に入ることができた。そして素性のよくない者たちと出会い、闘技場の賭博という名の罠にはめ込まれてしまったのである。

「じゃ、じゃあ、母さんは今もその廃棄小屋に?」

「ああ……最近では食事や水を摂ることさえままならず……」

 力なく呟く父親に、レティルとレアスが寄り添う。

「大丈夫だよ、お父さん。ジルガさんがきっと何とかしてくれるから!」

「ジルガ殿……? こちらの黒い戦士殿のことか……?」

 娘の言葉に、ストラムは禍々しい鎧を着た人物を見る。

 とても人を助けてくれるような善人には見えない。どちらかというと、手当たり次第に人を虐殺しまくる殺人鬼と言われたほうが納得できる見た目だが、他ならぬ自分の娘がそう言うのであれば、きっとこの黒い人物は見た目と反する善良な人なのだろう。

「状況は分かった。どうやら、少しでも早く奥方をここに連れて来た方が良さそうだ」

「そうよな」

 ライナスの言葉に、この館の主人であるオルグも頷く。

「ジルガ、君はストラム殿に同行して、奥方をここまで運んでくれ。その際、奥方を他の人間に見られないように気をつけろ」

「心得た。レディル、レアス、君たちも一緒に来てくれ。その方が奥方も安心するだろう」

「分かりました、ジルガさん」

「うん、僕も一緒に行くよ」

 ライナスの指示に、ジルガとレティル、レアスが揃って頷いて腰を上げた。

「して、儂らはどうする? 石化症の治療の準備でもするかね? 分かっているとは思うが、石化症に効果のある薬を手配しようにも早々入手できんぞ?」

「薬など必要ない。ジルガがいればそれで十分だ」

「先程からそう言うが、それはどういう意味じゃ?」

「口で言っても信じられまい。まあ、見ていればわかるさ」

 と、ライナスは自信たっぷりに笑った。



 しばらくして。

 オルグ邸に、レティルたちの母であるハーデが運び込まれた。

 町の門を通過する際には、レティルたちには次元倉庫に入ってもらったため、特に問題なく門を通過できた。

 ジルガがレティルとレアスを連れて来たのは、ストラムとハーデだけで次元倉庫に入ってくれと言っても簡単には安心できないであろうからだ。

 そうして、特に怪しまれることなくオルグ邸に戻ったジルガ。その際、次元倉庫の存在を知ったオルグが目を輝かせてジルガに詰め寄ったのだが、ライナスに諫められて何とか落ち着きを取り戻す。

「ジルガ」

「む? 何だ、ライナス?」

 オルグ邸の客室の一つに病身のハーデを運び込み、ベッドに寝かせたところでライナスがジルガを呼ぶ。

「君は今、どれだけの治癒系神器を所持している?」

「治癒系神器……? おお、それを用いてハーデ殿の病を治そうというわけか!」

 ライナスが言いたいことを理解したジルガは、何度も大きく頷いた。

 そんな彼女のすぐ近くでは、神器と聞いたオルグが再び目を輝かせる。

「確かに石化症は治療の難しい病だが、神器であれば治療も難しくはあるまい?」

「なるほど、さすがはライナスだ! よし、待っていてくれ! 持っている治癒系神器を全て運び出すからな!」

「私も手伝います!」

「僕も!」

 再び錆びついた鍵を取り出し、次元倉庫を呼び出したジルガは、レティルとレアスを伴って次元倉庫へと入っていく。

「ライナスよ、ジルガ殿は複数の治癒系神器を持っておるのか?」

 次元倉庫へと入っていくジルガたちの背中を見送りつつ、オルグが問う。

 彼が疑問に思うのも無理はないだろう。神器の数は多くはなく、貴重なものなのだから。

 その問いに対し、ライナスは軽く肩を竦めてみせた。

「俺もジルガがいくつの神器を所持しているのか、正しくは知らない。だが、きっと驚くことになるだろうな」

 これから起こるだろうことを想像しながら、ライナスは旧友の問いにそう答えたのだった。



 その光景を目の前にして、オルグとストラムは目を丸くし、ライナスは呆れが多分に含まれた溜息を吐き出した。

 今、彼らの目の前には様々な神器がうず高く積み上げられていた。

 大きさ、形、色合いなど、実に多種多様な神器たち。かつては宮廷魔術師にまで登り詰めたオルグであっても、これだけ多量の神器を見るのは初めてである。

「とりあえず、治癒系と思しき神器をあるだけ運び出したが……これでハーデ殿の病を治せるか?」

「ああ、これだけの神器があれば、間違いなく治せるだろう……しかし……いや、予想はしていたが……予想を遥かに上回ったな。まあ、ジルガのことだからきっと予想を上回ると思ってはいたが…………」

 なぜか、神器の山を見てげんなりとするライナス。

 そんな一方で、鬼人族の親子は逸る気持ちが抑えられないようだ。

「こ、これでハーデが治るのか……な、ならば、早くハーデの治療を……!」

「う、うんうん! やっぱりジルガさんが何とかしてくれたよね! これでお母さんの病気もきっと治るよ!」

「父さんも、姉さんも、迂闊に触らない方がいいよ? これ、どれがどんな効果があるか僕たちじゃ分からないわけだし、余計なことをして母さんが治らなくなったら……」

「むむ、これは『大地の慈悲』か! して、こちらは『天空の泪』……おお、何ということだ! 『聖なる乙女の癒しの口付け』まであるではないか!」

 オルグもオルグで、これだけの神器が並んでいるのを前にして興奮を抑えきれないでいる。

「それで、ライナス。この内のどれがハーデ殿に効果がありそうだ?」

「そうだな……『しんの宝珠』であれば、間違いなく癒せるだろう。まずはそれから試してみるとしよう」

「うむ、心得た」

「ちょ、ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 積み上げられた神器の中から、ジルガが握り拳ほどの大きさの水晶玉を取り上げた時、オルグの声が響いた。

「し、『神癒の宝珠』……? 『神癒の宝珠』を試しに使っちゃうだとぉっ!? ライナス、自分が何を言ってんのか理解しちゃってんのっ!?」

 思わず口調がおかしくなるほど、オルグが取り乱していた。

「【黒騎士】殿も【黒騎士】殿じゃっ!! 『神癒の宝珠』は神器の中でも最上級の神器っ!! しかも、一説にはその使用回数には制限があるとも言われているんじゃぞっ!? そ、それを軽々しく試しに使ってみるなど…………っ!!」

「何を言われるか、オルグ師。神器と言っても所詮は道具、人の命より重いはずがない。これひとつでレティルとレアスのご母堂殿が助かるのであれば、使わないという選択は私にはない」

 迷いを見せることなく、ジルガはきっぱりと断言する。そんな彼女に、オルグは言葉を続けることができない。

 ストラムも涙を流しながら床にひれ伏し、感謝の言葉を呟いていた。

「君ならそう言うと思っていたさ。さあ、早くハーデ殿を助けてやろう」

「承知した。レティル、手伝いを頼む」

「はい!」

 治療のためにハーデの衣服を脱がすので、男性であるライナスとオルグは部屋の外へと出される。

 ベッドの上に横たわった母親の上半身を、レティルが支えるように抱き起し、その正面ではジルガが両手に「神癒の宝珠」を捧げるようにして持つ。

 見ようによっては、邪悪な者が邪神に生贄でも捧げているような光景。だが、実際にやっていることは真逆である。

 「神癒の宝珠」が柔らかな光を放ち始め、その光がハーデの体を優しく包み込んでいく。

 光は滲み込むようにハーデの全身を覆う石のような岩のようなモノに作用し、それを見る間に崩していった。

「お、おお……おお……………………」

 その光景を見て、ストラムが更に涙を溢れさせる。やがて「神癒の宝珠」が光を放つのを止めた時、ベッドの上には健康的な肌を晒した一人の女性の姿があった。

「どうやら、うまくいったようだ。念のため、ライナスとオルグ師に診察してもらうとしよう。レアス、二人を呼んできてくれ」

「うん!」

「レディルは男性二人が来る前に、ご母堂殿の身支度を頼む」

「はい、わかりました!」

 レティルとレアスに指示を出したジルガは、まだ床に膝をついているストラムの肩を優しく叩く。

「賢者であるライナスとオルグ師に診てもらうまで断言はできぬが、奥方はもう大丈夫であろう」

「あ、ありが……ござい……す。ありがとう……ございます……っ!!」

 床に額を擦りつけるようにして、ストラムは何度も礼を言う。

「あ、お母さん!」

 そうしているとハーデの意識が戻ったらしく、レティルが嬉しそうな声を上げた。

「……………………ぁれ? ここは…………」

 意識が戻ったハーデは、不思議そうに周囲を見回す。

 それまでいた薄汚れた廃棄小屋ではなく、掃除の行き届いた客室にいるわけなので、彼女が戸惑うのも無理はない。

 そして、部屋の中を見回していたハーデの視線が、床で蹲るようにして頭を下げている夫を捉えた。

「あ、あなた……? そんなところで何を…………」

 自分の夫を見ていたハーデは、次いでストラムの傍に立つ漆黒の巨漢を見つけた。

 見つけて、しまった。

「──────────────────────────────はぅん」

 ジルガの姿をたっぷり数秒は見つめたハーデは、再び意識を失うのだった。



 なお、すぐに目覚めたハーデは、「夫が邪悪な魔人に首を差し出しているように見えた」と、極めて恥ずかしそうに述べたという。







~~~ 作者より ~~~


 現在仕事が多忙なため、来週の更新はお休み。

 次回は11月28日に更新します。


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