母の行方と【黒騎士】
ストラムがレティルとレアスを力なく抱きしめる。
その両目からはとめどなく涙が溢れ落ち、それを見た姉弟は嫌な予感に襲われた。
「お、お父さん……? お母さんは……お母さんはどこにいるの……?」
「や、宿屋かどこかで父さんを待っているんだよな……?」
恐る恐るといった感じで、父親に問うレティルとレアス。だが、ストラムはその問いに答えることもなく、ただ、涙を流しながら我が子を抱きしめるのみ。
そして、抱きしめられる子供たちの、どこか救いを求める視線が漆黒の全身鎧へと向けられた。
「あ、あー……失礼だが……レティルとレアスのご尊父であるストラム殿で間違いはないかな?」
地の底から響くようなおどろおどろしい声に、再会した子供たちを抱きしめていたストラムが、思い出したように顔を上げた。
「くっ、怪しい奴め、まだいたのか! レティル、レアス、ちょっとだけ離れていてくれ。すぐにこの怪しい黒鎧を倒してやるからな!」
子供たちを背中で庇い、ふらふらとした足取りで立ち上がるストラム。
「だ、だからっ!! ジルガさんは悪い人じゃないんだってばっ!!」
「姉さんの言う通りだよっ!! ジルガさんとライナスさんは、僕たちを助けてくれたんだっ!!」
背後から父親を押し留めるように、レティルとレアスが必死に声をかける。
その声に含まれる真剣さに、ストラムは我が子たちと黒鎧を交互に見比べた。
「おまえたちを……助けてくれた……?」
「そうなの! 悪い人間に捕まった私たちをジルガさんたちが助けてくれたのっ!!」
「一度は僕たちの家まで連れて行ってくれたし、その後もお父さんたちを探すのを手伝ってくれたんだよっ!!」
「ほ、本当なのか……?」
ストラムの問いただす声に、姉弟は力強く頷いた。
「本当に……本当に申し訳ないっ!!」
目の前の禍々しい黒鎧を纏った人物が、我が子らを攫った悪人どころか子供たちを助けてくれた恩人だと理解したストラムは、その場で跪いて深々と頭を下げた。
「我が子らを助けてくださった恩人に対して、俺は……俺は……っ!!」
「気にしないでいただきたい、ストラム殿。勘違いは誰にだってあるのだからな」
「それよりも、もっと落ち着ける場所で話した方がいいのではないか? ここでは何かと目立ち過ぎる」
それまで黙って成り行きを見守っていたライナスが、周囲を見回しながらそう告げた。
ここは闘技場の出入り口の真正面。当然ながら周囲には大勢の人々がいる。
この場に居合わせた人々は、何が起きているのかとジルガたちを遠巻きにして様子を窺っている。もちろん、遠巻きにしているのはジルガが放つ鬼気を恐れて近寄れないからだ。
「うむ、このヒョロい奴の言う通りじゃな。良かったら儂の屋敷に来ぬか? そこなら腰を落ち着けて話もできようて」
「うむ、オルグ師のお言葉に甘えさせていただこう。ストラム殿もそれでよろしいか?」
「あ、ああ……レティルとレアスも一緒なのであれば、俺はどこでも構わないが……」
立ち上がるも、ふらふらと足元の定まらないストラム。そんな父親の姿を見て、レティルとレアスは左右から父を支えた。
「どうしてお父さんがこんなに……」
「もしかして、母さんと何か関係があるのか?」
「…………そのことに関しても、後で説明する…………」
子供たちと目を合わせようとせず、ストラムはただ、そう言った。
「ストラム殿、少々失礼するぞ」
ふらつくストラムを見かねたジルガが、すっと彼の体を持ち上げた。背中と膝裏に手を回し、軽々と抱え上げたその体勢は────いわゆる、お姫様だっこというやつで。
「い、いや、ま、待ってくれ……いや、待っていただきたい、戦士殿っ!! い、いくら何でもこの体勢は…………っ!!」
「なに、気に召さるるな、ストラム殿。貴殿は全然重くないぞ」
「そ、そういう意味ではなく────せ、せめて背負っていただけ……っ!!」
「ははは、大丈夫、大丈夫。全然重くないからな!」
「い、いや、だから、そうじゃなくて……あ、あああ、ア──────────────っ!!」
ストラムを抱え、がっしゃんがっしゃんと高らかに鎧を鳴らしながら歩み去る【黒騎士】。
その背中を、レティルたちが生温かい目で見つめていた。
「お、お父さん……」
「僕……さすがに父さんが気の毒になってきた」
「儂もじゃよ、少年」
鬼人族とはいえ、成人男性が人前でお姫様だっこされれば、その羞恥は並大抵ではあるまい。
慰めるように、オルグの手がレアスの肩にぽんと置かれた。
「ところで…………」
遠ざかる黒い背中を目で追いながら、ライナスがぽつりと零す。
「ジルガのやつ、オルグの屋敷がどこにあるのか知っているのか?」
「あ」
「あ」
「あ」
その後、四人は慌てて黒い背中を追って駆け出した。
「そ、そんな…………」
「か、母さんが……母さんがそんなことに…………」
結局、ストラムはオルグの屋敷に到着するまで、ジルガに抱きかかえられたままだった。
ようやく屋敷に到着した時、オルグはジルガの腕の中で魂が抜けたようにぐったりしていたが、彼の心境を理解できるライナスたちにはかける言葉もなかった。
そして、何とかストラムが復活し、オルグ邸のとある一室で彼の話を聞くオルグと【黒騎士党】の面々。
ストラムから話を聞いた彼らは、先ほどとは違った意味で言葉を失っていた。
「母さんは……ハーデは呪われてしまったようなのだ…………あ、ある日突然、体が徐々に石のようになり始め……今では、歩くことさえできずに…………」
ソファに腰を下ろし、顔を俯かせて途切れ途切れに言葉を吐き出すストラム。
言葉と同時に彼の両目からは、子供たちと再会できた時とはまるで温度の違う涙が溢れていた。
「攫われたレディルとレアスを探して、あちこちを歩き回った。そんな旅のどこかでハーデは呪われてしまったのだろう……」
「そ、そんな……い、一体どこで呪いなんて……」
「原因に何か心当たりはないのか、父さんっ!?」
呪いというものは、必ず何か原因があるものだ。
何らかの呪物に触れたとか、禁域に足を踏み入れたとか、呪われるには原因があるはずである。
「わ、わからない……だ、だが、実際に母さんの体は徐々に石に……」
親子の会話を傍で聞いていたジルガは、腕を組んだ姿勢のままその目だけをライナスへと向けた。
「どう思う?」
「正直、今の話だけでは何もわからんな。一口に石化と言っても様々な原因がある。ストラム殿が言われたように呪いによるものもあれば、石化の能力を持った魔物に襲われた場合もある。原因がはっきりしなければ、治療方法もまたはっきりしない」
「つまりな、【黒騎士】殿。原因さえわかれば石化を取り除く手段もわかるということよ」
「だ、だが…………」
ジルガたちの話を聞いていたらしいストラムが、弱々しく言葉を続ける。
「人間たちに治療を頼む場合…………そ、その…………か、金が必要なのだろう?」
どうやらストラムは、このラームスの町に来るまでに妻の治療を人間に依頼したらしい。その際、相当高額な治療費が必要になると言われたそうだ。
そのため、ストラムは人間の社会に入って金を稼ごうとした。腕のいい猟師でもあるストラムなら、そこそこの稼ぎを見込めるだろう。
だが。
「俺たちが鬼人族ということだけで、人間たちはこちらの話をまもとに聞いてはくれなかった。狩った獲物を売ろうとしても、呪われそうだとか言って断られてしまったのだ……」
更には、当時はまだそれほど石化が進行していなかったハーデを伴っていたため、手先や顔の一部が石化した彼女を見て、人間たちの警戒心は必要以上に高まってしまった。
「そして……噂に聞いたのだ。ここ……ラームスの町なら、誰でも金を稼ぐことができると……」
「なるほど。それで貴殿は闘技場にいたのか」
ストラムが闘技場にいた理由。それは妻の治療費を稼ぐため。それも、出場者ではなく一般の観客で、賭博で金を稼ごうとしたらしい。
「この町に来てすぐに知り合った、人間にしては珍しく親切な人物が教えてくれたのだ。闘技場で賭けを行えば、すぐに大金を稼ぐことができると。しかもその人物は、賭けのための金まで貸してくれて……」
そこまで聞き、鬼人族の姉弟を除いた三人が大きな溜息を吐くと共に天井を仰ぎ見た。
間違いなく、ストラムは素性のよくない連中にカモにされたようだ。
「人間社会のあれこれに疎い鬼人族など、そっち方面の連中からすればカモ以外の何者でもないわな」
「金を貸しつつ借金を増やし、最後は闘技場で命を懸けた勝負を受けさせる……といった筋書きだろう」
二人の賢者が半ば呆れながら言葉を交わす。
だが、賭博でそうそう大勝ちできるわけもなく、既にストラムは相当な額の借金を抱えてしまっており、ここ数日は食うにも困っていて体力も底を突き、先ほどのようにふらふらとした状態にまで追い込まれていた。
それでも今日まで何とかがんばってきたのは、妻を助けたいという気持ちと我が子らを救い出すという二つの思いだけが支えだったのだ。
だが、呪いにしろ別の理由にしろ、石化を治療するには高額な治療費がかかるのもまた事実。その治療に魔具や神器などが必要になれば、かかる費用は更に跳ね上がる。
「ストラム殿。奥方の容態を詳しく聞かせてはもらえぬだろうか? ここには賢者と呼ばれるほどの人物が二人もいる。石化を解く手がかりもきっと掴めよう」
「し、しかし……お、俺にはもう金は……」
「レディルとレアスのご両親が困っているのであれば、私が……いや、私とライナスが手を貸すのに金など必要ないとも!」
どん、自分の胸を叩くジルガ。ごわんと妙にいい音がした。
ぽつぽつと、ストラムは妻の症状を二人の賢者に語っていく。
最初は指先や足先などに、小さな汚れのようなものが現れたこと。やがて、その汚れがかさぶたのようになったこと。そして更に時間が経過するにつれ、かさぶたは石のように硬くなっていき、妻の体のあちこちに現われ出したこと、など。
その様子を黙って聞いていた二人の賢者たちは、ストラムが語り終わると同時に顔を見合わせた。
「オルグ、今の話を聞くに…………」
「ああ、おそらくは
石化症。それは人体に影響する精霊の力のバランスが崩れることによって発症する病気である、と二人の賢者たちは語る。
「この世界には、あらゆる所にあらゆる精霊の力が及んでおる。空には風の精霊が、海や河には水の精霊が、火山の奥底には火の精霊が、といった具合に。そしてそれは、人体も例外ではないんじゃ」
「ヒトの体……人間だけではなく妖精族、鬼人族などの体にも精霊の力は作用している」
ヒトの体には、火、水、風、土のいわゆる四大精霊やその他の精霊の力がバランスよく及んでいて、そのバランスが崩れることで、様々な病気を発症する。
例えば火の力が大きくなることで発熱し、風の力が狂うことで咳が出て、水の力が作用しすぎると鼻水が出る。
余談だが、治癒師や薬師などが風邪のことを複合症状と呼ぶのは、複数の精霊の力がおかしくなることから来ているのだ。
そして、件の石化症とは土の力が強くなりすぎて皮膚が硬化し、皮膚の表面が石のようになってしまう症状をいう。
「ふむ……つまり、レティルたちのご母堂の体は現在、その精霊の力のバランスが狂っているわけか」
「そうだ。逆を言えば、その狂ったバランスを元通りに整えることができれば、石化症は治る」
「おお、つまり治る見込みがあるのだな!」
喜々とした声でジルガがライナスに尋ねる。そしてそのライナスは、苦笑しながらジルガを見た。
「本来、石化症は治療が極めて難しい病だが……今回はジルガがいるので簡単に治せるだろうな」
白い魔術師にそう言われて、何のことか理解できない黒い騎士は、不思議そうに首を傾げた。
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