特別席の【黒騎士】

「ユージンに会いたい? なら、私が口を利こう」

 ジルガたちにそう言ったのは、もちろん元宮廷魔術師のオルグである。

 彼とこの地の領主には交流があった。オルグがこの地の領主に仕えているわけではないが、元とはいえ宮廷魔術師であったほどの人物が自分の領地で暮らしているとなれば、交流を得ようとするのは領主として当然のこと。

 もしも友誼が結べれば領主としては心強いし、そうでなくても顔を合わせておけば有事の際に何らかの頼みごともしやすくなる。

 もちろん、オルグが領主の頼みごとを何でも聞き入れるわけではないが、それでも事前に何らかの挨拶を交わしておけば、頼みごとを聞き入れてくれる可能性が僅かでも上がるかもしれない。

 であるならば、領主がその選択を捨てるわけがない。

 実際、オルグとこの地の領主は友好な関係を築いているそうだ。そのため、闘技場の支配人──当然領主の部下である──にもある程度顔が利くとのこと。

「済まないな、オルグ。手間をかけさせる」

「気にするな。この程度のこと手間でも何でもないわ」

 呵々と笑うオルグ。そうしながら、太い腕でライナスの背中をばんばんと叩くものだから、当のライナスは痛そうに顔を歪めた。

「もう少し加減しろ、この馬鹿力が」

「そういう貴様はもう少し体を鍛えた方がいいな。ジルガ殿ほどとは言わんが、もう少し肉があった方がおなの受けがいいぞ。なあ、そう思わんかな、レディルの嬢ちゃん?」

「そ、そんなことはない!」

 オルグの問いに答えたのは、尋ねられたレディルではなくジルガだった。

「ライナスは今でも十分すぎるほどに頼りになる男性だ! 決し──て──」

 と、途中で突然言葉を止め、きょろきょろと仲間たちやオルグを見回すジルガ。

「な、何でもないっ!! ただ、ライナスが信頼できる人物だと分かってもらえればそれでいいっ!!」

「無論、儂もライナスのことは信頼しているとも。これでも付き合いは長いほうだしな」

 にやにやと、何か含むものを感じさせながらオルグが言う。当のライナスは困惑しつつも何となく嬉しそうで、レディルはなぜか何度も頷いている。

 ただ一人、レアスだけが不思議そうに皆を見比べていた。



「さて、今すぐユージンに会いに行きたいだろうが、今はちと無理でな」

 オルグによると、試合前の出場者には闘技場の関係者以外は会えない決まりなのだとか。

 これは不正を防ぐのが目的らしい。

 闘技場における勝負は全て賭博の対象である。有名所な闘技者の勝負から、駆け出し無名同士の勝負まで、すべて賭けの対象となる。

 そのため、何らかの不正を考える馬鹿はどこにでもいるのだ。

 自分が賭けた闘技者の対戦相手に、何らかの毒物を含ませて体調を崩すとか、怪我をさせて出場できなくするとか。

 闘技者を直接傷つける目的でなくとも、試合前の闘技者の体調などを知ることができれば、賭けるべき相手を見定める目安になる。

 そのため、出場する予定の闘技者は試合の二日ほど前から指定された宿屋より外に出ることを禁じられ、外部との接触も一切規制される。

「よって、たとえこの地の領主であろうが国王陛下であろうが、これから試合を控えているユージンに会うことはできんのだ」

「では、会えるのは試合が終わってからか」

「そうなるな。とりあえず、会う前に観客席からユージンの対戦を見てはどうかね?」

 オルグの言葉を聞いたジルガがレディルとレアスへと視線を向ければ、姉弟はゆっくりと頷いた。

 彼らは少しでも早く、ユージンという鬼人族に会ってみたいのだろう。もしかすると、ユージンが彼らの父親かもしれないのだから、その気持ちは当然だ。

 だが、それでも黙ってジルガたちに従うことをレディルとレアスは選択した。このままジルガたちに従っていれば、多少遅くなってもユージンという鬼人族に会えることは間違いない。

 ならば、今は少し我慢して、客席からユージンを見てみよう。遠目であっても、ひょっとするとユージンが彼らの父親かどうか分かるかもしれない。

「では、儂についてくるといい」

 そう言い置いて歩き出したオルグの後を追い、ジルガたち【黒騎士党】は再び闘技場へと足を踏み入れた。

 しかし、オルグが向かうのは午前中にジルガたちが入った入り口とは別の場所。

「こ、これはこれはオルグ様!」

「席は空いているかね? 空いているなら使わせてもらってもいいだろうか?」

「もちろんでございますとも!」

 別の入口に立っていた係員らしき男性──武装をしているので、ただの職員ではなさそうだ──が、オルグに何度も頭を下げる。

「オルグ師、この入り口はどこに繋がっているのだ?」

「この先はいわゆる特別席という奴でな。どうせ対戦を見るのであれば、よく見える所から見た方が良かろうて」

 ここ、ラームスの闘技場には賓客を迎え入れるための特別席がいくつか用意されている。

 当然一般客が利用する観客席とは入り口からして別であり、特別席には高級な調度品が揃えられ、食事や飲み物まで用意されているらしい。当然それらの飲食物は無料である。

「なに、ここの領主殿からいつでも好きな時に特別席を使っていいと言われているからの」

 そんな特別席を自由に利用できるほど、オルグはこの地の領主と良好な関係を築いているようだ。



 オルグに案内されて足を踏み入れた特別席は、本当に特別感溢れる場所だった。

 位置的には、一般観客席の下側。貴賓席などは高い場所にありそうなものだが、ここは違うらしい。

 ジルガたちが王都で拠点としている〔黄金の木の葉亭〕、その客室2部屋分ほどの広さがあり、床には毛足の長い絨毯が敷き詰められ、一目で高級品と分かるソファやテーブルなどが数脚置かれている。

 そして、特別席の正面は大きく開け放たれており、対戦者同士の対決が間近で見ることができた。

「なるほど、ここなら確かに対戦がよく見えるな!」

「上の客席と違って、本当に間近で見られますね!」

「………………」

 正面の大窓に近寄り、子供のようにはしゃいだ声を上げるジルガとレディル。

 最近、宿の部屋を一緒にするようになってから、この二人はまるで仲のいい姉妹のようだ。

 そんな二人を、レアスが複雑そうな目で見つめているが……それをあえて無視してライナスは特別席の中をざっと調べてみる。

「ふむ……特別席という名は伊達ではないな。正面にはめ込まれている透明な玻璃には、防御と強化の魔術が込められている。これなら、対戦の影響を受けることもあるまい」

「さすがはライナス。初見でそれを見抜くか。ここは賓客に対戦を間近で見て楽しんでもらうための席じゃからな。万が一にも賓客に何かあってはならんというものよ」

 対戦の中には、魔術の行使を始めとした飛び道具の使用が認められているものもある。そのような場合、闘技場の対戦ステージ間近に設置された特別席では流れ弾の恐れがどうしても拭えない。

 そのため、特別席の窓に使用されている玻璃には、耐物理・耐魔力の強度を上げた特別な物が使われているのだ。

「まあ、まずはゆっくりと観戦しようではないか。すぐにユージンの出番も回ってこよう」

 豪華な造りのソファに身を沈めたオルグは、傍に控えている使用人に飲み物を注文する。

 賓客相手のための特別席には、このように専用の使用人も配置されているのだ。

「さて、儂は勝手に注文をしたが……皆はどうするかね?」

「ああ、オルグ師。私は諸事情により人前で飲食できなくてな。申し訳ないが、飲食物は遠慮させていただく」

「ふむ……何か宗教的な問題かね? まあ、正直興味は湧くが、個人の事情であれば深くは聞くまいて。ライナスと鬼人族の子供らはどうする?」

「俺はオルグと同じものを。レディルとレアスには酒精の入っていないものを頼む」

 ライナスの言葉に頷いたオルグは、傍に控えている使用人にその旨を伝えた。



 金属と金属が交わす、熱い抱擁。

 片や剣、片や斧。鍛え上げ、研ぎ澄まされた刃と刃が何度も何度もぶつかり合う。

 そして、激しい金属音が闘技場のステージに響く度、客席からも熱い歓声が湧きあがる。

「どうですかな、【黒騎士】殿。貴殿から見て、今ステージで戦っておる者たちは?」

 激しい戦いが繰り広げられるステージから目を離さないジルガに向けて、隣のソファに腰を下ろしていたオルグが問う。

「ふむ……二人ともかなりの腕だ。だが、私の目にはまだまだに見えるな」

「ほほう。今戦っておる二人は、この闘技場の常連であり、上位実力者と認められておる者たちだが……【黒騎士】殿にはそう見えるのか」

「ああ。剣を使っている者は身体の重心がやや高い。そのため、攻撃を繰り出す時、そして防御の時も一拍の半分ほど動きが遅れてしまっている。そして斧を使っている者は、斧を大振りにし過ぎだ。確かに斧は剣に比べて、どうしても取り回しが大きくなるがそこを技量でカバーできるようになれば、恐るべき戦士となるだろう」

「さすがはジルガだな。俺ではそこまで詳しく見ぬけんぞ」

「うむ、儂もライナスと同意見だ」

「二人は魔術師であろう。いわば、畑が違い過ぎるだけだ」

 今、闘技場で行われているのは本日最後の対戦。いわゆる、メインイベントである。

 この闘技場に出場する戦士の中でも、最も強いと言われる者たちが、己の技量と矜持を賭けて熱闘を繰り広げていた。

 そして、ジルガたちを含めた観客は、その熱い戦いに大きな声援を送る。どちらの闘技者にも固定ファンがついているようで、まさに今日一番の大歓声だ。

 そんな中、対戦に目を向けることなく落ち込んでいる者たちがいた。

「そう落ち込むな、レディル、レアス」

 そう。

 高級なソファに腰を下ろし、その視線を床に固定しているのはレディルとレアス。

 なぜなら、今目の前で繰り広げられている最終戦の一つ前、つまりセミファイナルと言うべき対戦に、彼らの目的であるユージンという闘技者が出場したのだ。

 だが、そのユージンは彼らの父親ではなかった。体格があまりにも違い過ぎたのである。

 レディルたちの父親であるストラムも上背はある方だが、本日闘技場に出場したユージンは明らかにストラムよりも大柄で逞しい体つきであり、遠目にもそれははっきりとわかったのだ。

 そのため、期待が外れた鬼人族の姉弟は目に見えて落ち込んでいた。

「確かにユージンという鬼人族は君たちのご両親ではなかった。だが、ご両親に関して何かを知っているやもしれん。後でオルグ師がユージンに会わせてくれるのだから、その時に聞いてみようではないか」

「はい……」

「ジルガさんの言うとおりだな。そのユージンって人なら、父さんたちのことを何か知っているかもしれないよな」

 レディルを元気づけるように、その背中を優しく叩いているレアス。どうやら気持ちの切り替えという点ではレアスの方がはっきりしているらしい。

 そうしている内に、本日最後の対戦も終わった。そちらは剣の戦士の方が勝利したようだ。

 この対戦は扱う得物こそ本物だが、命懸けのものではなくどちらかが武器を落としたり負けを認めたりした時点で勝敗が決まる。

 もちろん本物の武器を使う以上、時には事故も起こり得る。だが、闘技場側からしても人気の高い闘技者には何度も試合に出て欲しいため、早々命懸けの対戦は行われない。

「さて、そろそろ……おお、丁度来たようじゃな」

 ジルガたちのいる特別席のドアがノックされた。前もってオルグが、ユージンの対戦が終わったらここに来るようにと闘技場の職員に伝えておいたのである。

 貴族や豪商などが、お気に入りの闘技者に直接会うことは珍しくはない。

 お気に入りの闘技者と直接言葉を交わしたり、褒美を渡したり、お抱えの騎士や護衛にするための交渉をしたりすることはよくあるのだ。

 そのため、お呼びがかかった闘技者は、この呼び出しを断ることはまずない。

「闘技者ユージン、お呼びにより参上しました」

「うむ、入ってくれ」

 オルグの言葉に従い、特別席のドアがゆっくりと開いていく。そして、その扉の向こうにいたのは鬼人族────ではなく。

 ジルガよりはやや低いものの、大柄でがっしりとした体格の、間違いなくの男性だったのだ。

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