期待外れの【黒騎士】

「おお、何とも久しいな!」

「ああ、久しぶりだ」

 その日、突然訪ねて来た旧友を見て、その人物は懐かしそうに目を細めた。

「しばらく見ない内に、増々御父上に似てきたな。髪の色こそ違えども、今の貴様の顔立ちは、若い頃のあのお方にそっくりじゃないか? もっとも、儂もあのお方の若い頃のお姿など、肖像画でしか見たことはないがな!」

「髪の色は母方の血のせいだな。あちらはこのような色の髪をしている者が多い。で……そういう君は随分と老けたな」

「うるさい! 貴様と一緒にするんじゃない!」

 皺が刻まれ始めた顔を、その人物は楽しそうに歪めた。

 言葉の勢いこそ激しいが、そこに含まれているのは明らかな喜色。久しぶりに旧友と会えたことが相当嬉しいらしい。

「して、ただ単に顔を見せに来たわけではあるまい? 何用だ?」

「最近、とあることから『ヴァルヴァスの五黒牙』について調べている。五黒牙に関して何か情報を持っていたら教えて欲しい」

「ふむ……そのためにわざわざ儂を訪ねて来たのか? 出不精で黎明の塔からなかなか出ようとしなかった貴様が?」

「この町……ラームスに来たのは別件だ。以前、君が年齢を理由に引退し、この町に居を構えたと手紙を寄こしたことがあっただろう? それを思い出してな」

「それで儂の所に来たわけか…………ふむ」

 その人物──五十前後と思しき男性は、黒い豊かな髭を何度もしごきながら瞑目して思考に耽る。

 そして、閉じていた目を開くと、にかりとまるで子供のように笑う。

「儂とてかつては宮廷魔術師に名を連ねておった者。それ相応の知識はあると自負しておる。が、儂の知識を披露する前に、まずは貴様の知っていることを話してもらおうか。既に知っていることを高説されてもおもしろくあるまい?」

「確かに。……ふふ、変わらんな、君は」

「儂もそろそろ老域と呼ばれる年代に差し掛かっているからな、この歳になるとそうそう変化などせんよ。だが……」

 ぶっとい眉毛の下にある男性の目が、きらりと光りながら旧友へと向けられる。

「貴様は……少々変わったか? はてさて、何が貴様を変えたのか……できれば、そちらの話もして欲しいものだな?」

 と、男性は楽しそうにまた笑った。



 ラームスの町の名物、闘技場にて行われた午前の対戦を全て見終えたジルガたちは、どこか興奮した様子で闘技場の外へと出た。

「闘技場……なかなかおもしろかったな!」

「そうですね、ジルガさん。他の人が戦うところを見るのって、なかなか勉強になりますね」

「他人が戦うところなんて、客観的に見る機会なんてないもんな」

 出場者と出場者が命がけで戦う。それが闘技場──と思われがちだが、案外そうでもない。

 もちろん、対戦者同士が命がけで戦う対戦カードも存在するが、どちらかというとそれはごく少数。

 ここ、ラームスの闘技場に出場するのは、そのほとんどが自由意志で参戦している。

 中には「ヤバいところ」で借金をしてしまい、その返済代わりに出場せざるをえない者もいるにはいるがそれはごく一部であり、そんなごく一部の者が、命がけの対戦に出場するのだ。いや、出場させられると言ったほうがいいだろうか。

 そして、闘技場で行われるのはあくまでもエンターテイメントであり、闘技場の主宰者──ラームス一帯を治める領主──は、腕のいい治癒術師や薬師、時には治療用の神器を予め用意して、負傷者には無料もしくは安価で治療を施すものだ。そうでなければ出場者は集まらない。

 対戦にも様々なルールがあり、そのルールに則って勝敗が決するのは言うまでもないだろう。

 勝者には名誉と賞金を。敗者には血と土の味と再度の挑戦権を。そして、観客には戦闘と賭博による興奮を。

 様々なものを与え、時に奪うのが闘技場なのである。

「私も一度ぐらいは出場してみたいものだな!」

「え? さすがにそれは…………」

「ジルガさんが出場したら、絶対に勝負にならないと思う」

 わくわくとした様子でとんでもないことを言い出す【黒騎士】に、引きつった表情を浮かべる鬼人族の姉弟。

 実際、ジルガが闘技場に出場すれば、誰も勝てなくて勝負になるまい。そして、誰もが彼女に賭けるだろうから、こちらもこちらで勝負にならないに違いない。

「それより、そろそろライナスさんと合流する時間じゃないですか?」

「姉さんの言う通りだ。ライナスさんを探そう」

「それもそうだな」

 姉弟に促され、ジルガは左右を見回す。

 午前中の全ての対戦が終わり、闘技場の周囲は大勢の人が溢れていた。

 そんな中で、一人の人間を見つけ出すのは容易ではない……のだが、逆は違ったようだ。

「ジルガ」

 名を呼ばれて声のした方へと振り向けば、そこにはすっかり見慣れた白い魔術師が。

 どれだけ人が大勢いようが、大柄で全身真っ黒な鎧を着た姿はどうしたって目立ってしまう。

 ジルガたちがライナスを探すのは難しかったかもしれないが、ライナスがジルガを見つけるのはそうでもなかったらしい。

「ほほう、こちらが噂に名高い勇者組合の【黒騎士】殿か。ふむふむ、噂以上に禍々し……いや、強そうなお人だ」

 戻って来たライナスは一人ではなかった。魔術師らしき風体の人物と一緒だったのだ。

 その人物の年齢は五十前後か。ライナスよりは頭ひとつほど背が低いが、体の幅はその人物の方が上だ。

 白いものが混じり始めた長い黒髪に、こちらも白いもの混じり始めた長い黒髭、そして何より特徴的なのが、小さな目のうえに横たわるぶっとい眉毛。

 魔術師が着るローブを纏っているからこそ魔術師に見えるが、そうでなければ鍛冶屋の親方かと思える人物だった。

「こちらは?」

「おお、これは失礼。挨拶が遅れてしまったな。儂はオルグというしがない魔術師で、ライナスとは昔馴染みでな。貴殿のことをこやつから聞き、一度会ってみたくてこうして参上したわけだ。以後、よしなにな【黒騎士】殿」

 オルグが差し出した腕と握手を交わしながら、ジルガははてとばかりに首を傾げる。

「オルグ……? どこかで聞いたような……」

「おそらく、サルマンから聞いたことがあるのではないか? このオルグはサルマンと師を同じくする、あいつの兄弟子にあたるからな」

「おお、言われてみれば! 確かにサルマン師から聞かされた覚えがあるな!」

 筆頭宮廷魔術師であり、父親の友人でもあるサルマン・ロッド。その彼が以前、もしもオルグという兄弟子が宮廷魔術師として在したままであるならば、筆頭の座は自分ではなく兄弟子のものであっただろうと言っていたことをジルガは思い出した。

「はん、宮廷なんて場所、平民出身の儂には性に合わん! 貴族連中の鼻持ちならんあれこれには嫌気がさして宮廷を飛び出してやったわい! 無論、国王陛下もお許し下さった。まあ、この国に何かあれば、一人の魔術師として国王陛下個人にお力添えする所存であるがな!」

 呵呵、とオルグが大笑する。

「そんなわけで、宮廷を飛び出したこいつがこの町にいることを思い出してな。五黒牙について何か情報を持っていないか訪ねに行っていたわけだ」

「おお、そうだったのか。で、何か新しい情報はあったのか?」

 ジルガは期待を隠そうともせずにライナスに問う。

 彼女はサルマンがどれだけ優れた魔術師か、よく知っている。そのサルマンをして自分よりも筆頭宮廷魔術師に相応しいと言わせるだけの人物がこのオルグという魔術師なのだ。

 どうしたって期待してしまうが、オルグの表情は芳しくはなかった。

「申し訳ないが、儂が持つ五黒牙に関する知識もライナスと同じぐらいでな。力になれそうもない」

「そ、そうであるか……い、いや、オルグ師が悪いわけではない。お気になさるな」



 何やら深刻そうに話し込むジルガたち。

 そんな彼らを、レディルとレアスの姉弟は不思議そうに見つめていた。

「ねえ…………さっき、あのオルグって人、ライナスさんと昔馴染みって言わなかった?」

「うん、確かにそう聞こえた。でも、それにしちゃ年齢が合わなくないか?」

 オルグと名乗った魔術師は五十前後ぐらいに見え、どう見ても自分たちの両親より年上だろう。

 対して、ライナスはどう見ても二十代にしか見えない。昔馴染みというにしては、年齢差がありすぎるように思える。

「歳の離れた友人……ってやつかな?」

「どうだろう? 人間の交友関係って、私たちには謎だから」

「僕たちがよく知っている人間なんて、ジルガさんとライナスさんぐらいだしな」

 そのライナスが友人だと言うのであれば、オルグという人物も悪い人間ではないのだろう。人間社会の中で暮らし始め、全ての人間が自分たちを攫おうとしたような者たちばかりではないことを鬼人族の姉弟は学んでいる。

 それよりも、今の二人の心を占めるのは、午後に闘技場に出場するという鬼人族のことだ。

 ユージンと名乗る鬼人族が、自分たちの父親なのか。それとも、全くの別人なのか。

 もしも父親であれば、母親はどうしたのか。父と母が一緒に行動していないとは二人には考えづらい。

 まさか、母親の身に何か問題が生じたのでは? その問題を解決するために、父親は闘技場に出場しているのかもしれない。

「姉さん……父さんと母さんは……」

「うん、大丈夫だよ。お父さんとお母さんは元気のはず。たとえこの町にいなくても、どこかで私たちを探しているはずだから。それに……」

 仮に両親に問題が生じていたとしても。

 レディルはオルグと話している黒い全身鎧へと目を向ける。

──ジルガさんなら、何があっても絶対に私たち……お父さんとお母さんも助けてくれるから。

 彼女に何でも頼り切ってはいけないとは理解しているものの、それでもレディルは期待を込めた視線を黒い背中へと向けるのだった。


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