ラームスに到着した【黒騎士】

「うむ、終わってみれば大した敵ではなかったな!」

 降ろされた縄梯子をよじ登って船上へと戻ったジルガが、出迎えた仲間たちにそう告げた。

たんすいぎょりゅう五体を相手にして、そう言えるのは君ぐらいだぞ?」

「ほとんど、一撃で首を落としていたましたし……」

「しかも、極めて足場の悪い水面で……」

 ライナスが言うように、船の周囲に現われた淡水魚竜は全部で五体。淡水魚竜は一体だけでも、【黒騎士党】が乗るこの船を容易に沈めるだけの力がある。

 そんな淡水魚竜を五体も同時に相手取り、そのほとんどを一撃で斬首してのけた【黒騎士】に、レディルとレアスをはじめ同乗していた乗客たちや船員たちが畏怖の篭った目を向けていた。

 いや、レディルとレアスに至っては、既に呆れの境地に入りかけているが。

「いやぁ、噂にゃ聞いていたが、こうして実際に目にすると凄まじいの一言だな!」

 と、にこやかな笑みを浮かべながら近づいてきたのは、この船の船長だ。

「猛者揃いの組合勇者の中でも、一等強いと言われている【黒騎士】の旦那……ホント、大したもんだぜ!」

 大柄な体と日焼けした肌、そして、伸ばし放題の髭など、何ともワイルドな印象の男性こそが、この船の船長であるメギスだ。

「いくらなんでも、五体もの淡水魚竜に襲われたら終わりだったからな。本当にありがとよ! 今回の件は俺からしっかりと勇者組合へと報告しておくぜ!」

「そうしてくれると助かる。もちろん、我々も直接依頼完了の報告はするが…………しかし、ちょっと残念だな」

 腕を組み、視線──漆黒のフルヘルム視線自体は分からないが──を船の後方へと向けるジルガ。

「何が残念なんだい、旦那?」

「いや、折角倒した淡水魚竜たちだが……倒した後に全て水中に沈んでしまったからな。あれでは素材などが全く回収できん」

「…………水上で五体もの淡水魚竜に襲われ、全くの無傷で潜り抜けたってだけでも僥倖なのに……ホント、大したお人だな、旦那はよ」

 と、メギスは感心したのか呆れたのかよく分からない表情で、肩を竦めたのだった。



 その日の夕暮れ。

 ジルガたち【黒騎士党】が乗った船は、ラームスの町へと到着した。

 淡水魚竜に襲われた以外に特に障害らしきものもなく、船は予定通りにラームスまで着いたのだ。

「まずは勇者組合のラームス支部で仕事完了の報告、その後に宿を探すか」

「いや、時刻も時刻だ。先に宿を探した方が良かろう」

 空を見上げながら、ライナスが言う。

 空は既に赤から群青へとさしかかっており、暗くなるもの遠くはない。

 いくら町中とはいえ、初めて訪れた町を暗くなってから歩くのは危険が伴う。

 先に拠点となる宿屋を定め、明日の朝に勇者組合へ報告しても遅くはない。

「メギス船長から勧められた宿もあるし、先にそちらへ向かうのはどうだ?」

 ジルガたちが乗ってきた船の船長であるメギスから勧められたのは、この町でもかなり上等な〔きらめく水晶亭〕である。【黒騎士党】が王都で拠点としていた〔黄金の木の葉亭〕と同格の宿とのことなので、ジルガが訪れても嫌な顔をされることもないだろう。

 もちろん値段の方もかなり上等だが、金で丁寧な対応と上質な居心地が買えるのであれば、ジルガたちは迷わずそちらを選ぶ。

「はいっ!! 私、またジルガさんと一緒の部屋がいいですっ!!」

「ね、姉さん……や、やっぱり姉さんは……」

「レアス…………君が考えているようなことはありえないと、何度言ったら理解するんだ?」

 ジルガの本当の姿を知らないレアスにしてみれば、彼の「誤解」も無理はない。これはまた、「眠り」の魔術をレアスにかけて無理矢理眠らせねばなるまいな、とライナスは心の中で呟いた。

「では、〔きらめく水晶亭〕へ向かうとしよう」

 〔きらめく水晶亭〕の場所はメギス船長から聞いている。港にほど近い場所にあるそうなので、迷うことなく見つけることもできるだろう。

「明日は勇者組合で報告を済ませたら、問題の闘技場へと行ってみるか」

 そう。

 彼ら【黒騎士党】がこのラームスの町まで来たのは、この町にある闘技場に鬼人族が出場しているらしい、という情報を聞き入れたからだ。

「そこに……私たちのお父さんやお母さんがいるのかな……?」

「正直、僕は父さんたちじゃないと思う。父さんたちが人間の町で、見知らぬ誰かと戦うところを周囲に見せるようなこと、するとは思えないから」

 互いに顔を見合わせながら、それぞれの思いや考えを口にする鬼人族の姉弟。

 もしかすると、この町に自分たちの両親がいるのかもしれない。そう考えただけで、彼らの心は逸りそうになる。

「二人の思いも理解できるが、全ては明日だ。明日、闘技場へ行けば少なからず何か掴めるだろう」

 そう言いながら、ジルガが両手で姉弟の肩を勇気づけるかのようにそれぞれ軽く叩いた。



 翌朝。

 夜明けと共に【黒騎士党】はこの町の勇者組合支部へと向かう。

 既にラームスの町は起き出しており、至る所で人々が活発に動いていた。

 日の出と共に町を発つ旅人や行商人、そして彼らを護衛する傭兵や組合勇者。

 そんな旅人たち目当てで早朝から開店している店舗や露天商も多く、ラームスに限らず早朝は最も人々が活発に活動する時間帯である。

 そんなラームスの町を、ジルガを先頭にした【黒騎士党】が歩いていく。

 厳めしく、禍々しい漆黒の全身鎧が放つ鬼気に、人々は怯えたように道を開ける。おかげで賑わいを見せる大通りも、人波に邪魔されることなく悠々と歩くことができる。

 この光景はジルガが訪れる先では常に見られるものなので、今ではライナスもレディルとレアスもすっかり慣れてしまった。

「清々しいいい朝だな! 今日は何かいいことが起こるかもしれんぞ!」

 悪魔か魔神かと思わせる恐ろし気な見た目の全身鎧。そして、手には巨大なハルバード。

 これを見て反射的に道を開けてしまうのは無理もないだろう。

 実際、今も行商人の見習いらしき少年──レアスよりも年下と思われる──が、【黒騎士】の姿を見て腰を抜かしながら泣いている。

 そんな周囲の様子に気づくことはなく……、いや、既に気にしないようにしているジルガは、実に機嫌良さそうに纏う鎧をがちゃりがちゃりと鳴らした。



 勇者組合ラームス支部で、淡水魚竜を討伐したことを報告した【黒騎士党】は、その報酬を受け取って勇者組合を後にする。

 彼らが次に向かうは、ラームスの中央に位置する闘技場。

 この町の名物である闘技場には、早朝にも拘らず既に多くの人が集まっていた。

 この闘技場では、ただ対戦を観戦するだけではなく、賭博も公に認められているため毎日多くの人々が集うのだ。

 既に張り出されている対戦表を熱心に覗き込み、誰に賭けるのか、そして、どれくらい賭けるのかを熟考する者。

 誰と誰とではどっちが強いのか、と近くにいる者たちで熱く盛り上がっている者。

 中には悲壮な表情を浮かべ、血走った目で対戦表を見つめる者たちもいる。おそらく、賭博で相当負けが続いているのだろう。

 そんな中、彼らが現れた。

 禍々しい漆黒の全身鎧を着た巨漢を先頭に、白い魔術師と鬼人族の姉弟。

 当然、目立った。目立たないわけがない。

 そして、再び【黒騎士】を中心にしてでき上る、人々の遠巻きの輪。

 その輪の中、ジルガは堂々とした足取りで張り出されている対戦表へと近づいた。

「ふむ…………」

 腕を組み、食い入るように対戦表を見つめる【黒騎士】。

 そんな彼女を、周囲の人々は遠巻きにしながらあれこれと囁き合う。

「お、おい、ありゃ誰だ?」

「も、もしかして、あれが噂の【黒騎士】か……? 今の勇者組合で最も強いって話の……」

「く、【黒騎士】が闘技場に出場するのか?」

「馬鹿言え! あいつが出場しようものなら、賭けにならねえだろ!」

「勝つのが分かり切っているのに、負ける方に賭ける奴なんていねえもんな」

「あいつと対戦する奴、可哀そうになぁ……」

 などと、周囲が囁き合う中、【黒騎士】が不意に振り返った。

 その視線の先には、一人の中年男性。哀れなその男性は、【黒騎士】の鋭い視線に悲鳴を上げて竦み上がる。

「もし、少々ものを尋ねたいのだ──」

 突然近づいてきた【黒騎士】を見て、慌てて逃げ出す中年男性。

 一方、言葉の途中で相手に逃げられたジルガは、次の犠牲者──ではなく、次に尋ねる相手を探して周囲を見回す。

「まあ、待て、ジルガ。そういうことは俺に任せろと言っただろう」

 どことなく寂しそうな背中を、白い魔術師がぽんぽんと叩く。

「それで、何を聞けばいいのだ?」

「あ、ああ、この対戦表の中に、例の鬼人族がいるのかどうかを知りたかったのだ」

 と、ジルガが再び対戦表を見る。

 そこには本日出場する者たちの名前と二つ名らしきものが並んでおり、誰と誰が対戦するのか分かるようになっていた。

「確かに、名前を見ただけでは誰が鬼人族なのかは分からんな」

 なるほど、と納得したライナスが、ジルガたちの許を離れていく。どこかで情報を集めてくるのだろう。

「ここはライナスさんに任せておきましょう。きっと必要な話を聞いてきてくれますから」

 と、こっそり落ち込むジルガにレディルが元気づけるように言う。

 なお、レディルとレアスは人間たちが使う言語の文字は読めないので、そこに両親の名前があるのかどうかは分からない。

 よって、ジルガが出場者の名前を読み上げたところ、その中にレディルたちの両親の名前はなかった。しかし、このような闘技場などで出場者が本名を名乗ることは少ない。

 時に命がけの対戦を行う出場者は、大きな借金を背負っているなどの訳アリが多い。そのため、本名や顔を隠して出場する者がほとんどである。



 しばらく待っていると、ライナスが戻ってきた。

「どうやら、今日の対戦に例の鬼人族が出場するらしい」

 と、対戦表に刻まれた名前の一つを指差した。

「ユージン。こいつがここ最近連勝している鬼人族だそうだ」

 ユージン。その名を聞いたジルガが、レディルたちを見る。そして、その視線を受けた姉弟は揃って首を横に振った。

 どうやら、彼らの両親の名前ではないようだ。ちなみに、彼らの父親はストラム、母親はハーデという名前とのこと。

「だが、偽名という可能性はある」

「ならば、そのユージンという者の対戦を見物すればいい。そうすれば、その者がレディルたちの家族かどうか分かるだろう」

「それが良かろう。……ユージンの対戦は午後からか。では、午後にまたここで集まろうか」

「ん? その口ぶりだと、どこかに行く予定があるのか?」

「ああ。ここでも『ヴァルヴァスのこく』についての情報を集めておこうと思ってな」

 ここ、ラームスの町は様々な人と物が行き交う町だ。当然、情報だって流れてくる。

 ならば、王都で入手できなかった『ヴァルヴァスの五黒牙』についての情報が、ここでなら何か分かるかもしれない。

「この町には古い知り合いが一人いるので、午前中にそいつを訪ねてみよう。まあ、有用な情報があるかどうかまでは分からんから、あまり期待しないでくれ」

 と言い残し、白い背中が遠ざかっていった。

「うむ、うむ。ライナスは実に頼りになる」

 腕を組み、何度も頷くジルガ。その背中は人波に飲まれて既に見えないが、彼女はいつまでも彼が消えた方を見つめていた。

「………もしかして、ジルガさんって……」

 そんなジルガの隣で、何やら首を傾げたレディルが、黒い全身鎧を見上げていた。

「で、僕たちはどうするんだ、ジルガさん? ライナスさんが戻ってくるまでここで待つのか?」

「ふむ……さすがに午後までここに突っ立っているわけにはいかんな……」

 ジルガは目の前に存在する巨大な建築物へと目を向ける。

 無数の石を積み上げた、闘技場。これを造り上げるのに、どれだけの時間と資金と資材が消費されたのだろうか。

「折角ここまで来たのだから、ここで行われる対戦を観戦してみるか。他者が戦うところを見るのも、修行の一環になるだろうし」

「あ、いいですね、それ。実を言うと、ここで行われる対戦ってものを見てみたいなーって思っていました」

「うん、実は僕も見てみたかったんだ」

「では、闘技場で観戦してみよう。正直、私も楽しみだったのだ」

 いつもより鎧の音を高らかに鳴らしつつ、【黒騎士党】の三人は闘技場の入り口へと足を向けるのだった。


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