船上の【黒騎士】

 周囲に響き渡るのは、ざしゅん、という何かを斬り裂く音。

 その音がした僅か後、ぼちゃんと何か重いものが着水する音も響いた。

 切断面から大量の血を周囲にまき散らしながら、巨大な細長い体が水面下へと沈んでいく。

「お、おいおい……たんすいぎょりゅうの首を一撃で刎ねただと……?」

 船上からその様子を見ていた男の一人が、呆れたように呟いた。

「あ、相変わらずというか……いつも通り規格外というか……」

「や、やっぱりあの人には常識が通じないな……」

 荒れ狂う水面を何でもないように駆け回る漆黒の全身鎧を見つめながら、年若い鬼人族の二人が呟いた。

「あれ……ジルガさんが水面をまるで地面のように走っているのって、ライナスさんの魔術なんですか?」

 鬼人族の少女──レディルが背後に立つ白い魔術師へと問う。

「いや、あいつの……あいつが着ている黒鎧はほとんど全ての魔術を弾いてしまうからな。あいつが今、水面を自在に駆け回っているのは別の魔封具の恩恵だ」

 ジルガが着るこくがいウィンダムは、ほとんど全ての魔術を弾き返す力が宿っている。

 だが、鎧の外側からくる魔術を撥ね返すだけで、鎧の内側で発動した魔術にまではその力は及ばない。

 そのことを、ジルガとライナスは今日までに何度も検証していた。

 具体的には、ウィンダムを着る前にジルガ──いや、ジールディアが魔封具を発動させ、そのままウィンダムを着る。

 そうすれば、魔封具を発動させたまま鎧を着ることができるのだ。

 とはいえ、使えるのが指輪や首飾りのような装飾品タイプの魔封具に限られてしまうのは仕方がないことだろう。

 今も【黒騎士】は指輪タイプの魔封具──「水面歩行の指輪」という名称──の力で水面歩行を可能にして、淡水魚竜と戦っているのだった。

「だが……あれだけ荒れ狂う水面を、地面と変わることなく自由に走り回ることなど普通であればできんのだがな」

 肩を竦めながら、ふうと溜息を零すライナス。「水面歩行の指輪」は文字通り水面を歩いたり走ったりできるが、だからと言ってどのような水面でも自在に動けるようになるわけではない。

 今、テグノ河の水面は激しくうねっていた。

 水面下で巨大な怪物が動き回っているのだから、水面が荒れるのは当然だ。

 巨大な怪物──淡水魚竜は大河や湖に生息する魔物である。名前に「竜」とつくが、正確には竜種ではなく魚類である。

 蛇のように細長い巨体を持つこの恐るべき魔物が、最近テグノ河で何度も目撃されていた。それも、複数体が。

 テグノ河を利用する漁師や商人たちが何人も襲われ、そんな漁師や商人たちが連名でこの怪物の討伐を勇者組合に依頼したのは自然な流れと言ってもいいだろう。

 だが、淡水魚竜は強敵だ。

 巨体はそれだけで脅威だし、鋭い牙と強靭な顎は中型の漁船でさえ容易に咬み砕く。

 体を覆う鱗は極めて頑丈で、そんじょそこらの銛や槍では貫くことさえかなわない。

 そして何よりも、その生息域が水中ということが最大の問題だった。当然ながら、人間は水中に適応していない。

 人間が水中で淡水魚竜に敵うはずなどなく、水中に引き込まれたらそれで終わり。

 この世界には水棲の知的種族が存在し、組合にはそんな水棲種族の勇者も在籍している。だが、どうしたってその数は少なく、階位上位には一人も名を連ねていなかった。

 その結果、淡水魚竜討伐に手を挙げる組合勇者はいなかったのだ。

 だが。

 だが、そこに「彼」が名乗りを上げた。

 常に漆黒の全身鎧に身を包み、「無敵」とも「最強」とも呼ばれる── 一部では「最恐」とも「最狂」とも呼ばれているが──あの組合勇者が。



 時間は少し遡る。

「【黒騎士】さんたちは船でテグノ河を下るんだよね? だったらついでに淡水魚竜の討伐依頼を請けてくれないかな? いやなに、【黒騎士】さんたちなら淡水魚竜だって討伐できるでしょ? ってか、【黒騎士】さんたちに討伐できないようなら、もう誰にも討伐できないんじゃないかと個人的には思うんだよね?」

 と、いつもの組合職員から頼まれた【黒騎士】ジルガは、やや考え込むような様子を見せた。

「淡水魚竜か……あいつらは陸に引き上げてしまえばそれほど脅威ではないが……」

「まるで、過去に淡水魚竜を倒したことがあるような口ぶりだな?」

「うむ、倒したことならあるぞ。とある湖で釣りをしていたら淡水魚竜が掛かったので、そのまま釣り上げたのだ」

 こともなげに言うジルガ。そんなジルガにもう慣れたとばかりに肩を竦めるライナス。

 そして、淡水魚竜を知らないレディルとレアスも、「ジルガさんが関わったのなら絶対に普通のことじゃないだろうな」と推測して、若干遠い目をしていた。

「…………ところで今、淡水魚竜を釣り上げたと言ったな? もしかしてその時に使っていたのは……」

「うむ、釣り竿の神器だ。どこで手に入れたのかまでは忘れたがな。さすがに普通の釣り竿で淡水魚竜は釣り上げられん」

「ほほぅ」

 ジルガの言葉を聞いたライナスの目がきらんと光る。【白金の賢者】と呼ばれており、魔封具や魔法生物などを創り出す付与魔術師である彼にとって、見知らぬ神器は興味深い対象なのであろう。

「その釣り竿の神器、今度見せてくれ」

「構わんぞ。だが、どうせなら皆でどこかで釣りをしながらにしないか?」

「え、釣りですか?」

「僕、釣りってしたことないな」

「私たちが暮らしていた山でも川魚は獲れたけど、釣りじゃなくて罠を仕掛けていたもんね」

「うん。だから、釣りはちょっと楽しみだ」

「楽しそうなところ申し訳ないけど、依頼は請けてくれるってことでいいのかな?」

 本来の話題から逸れそうになったことに気づいたのか、職員が会話の軌道修正を試みる。

「……どうする?」

 ジルガが問えば、ライナスが苦笑しながら頷いた。

「どうせ請ける気でいるのだろう? それに、船でテグノ河を下ってラームスへ向かうのだから、依頼を請けなくても遭遇する可能性はある」

 ならば最初から依頼として請けておいた方がいい、とライナスは続けた。

 そして、ジルガがレディルとレアスを見れば、彼らもまた頷いている。

「うむ、ではその依頼、【黒騎士党】が請けるとしよう」

 こうして。

 ラームスの町へと向かう【黒騎士党】は、ついでの依頼を請けながら船上の人となったのだった。



 ジルガたち【黒騎士党】が乗り込んだ船は、それほど大型ではない。

 だが、河川用の船としては大きな方で、たくさんの乗客や荷物が積み込まれていた。

 そんな船の舷側にて、レディルとレアスの姉弟きょうだいは流れる景色を見つめる。

「わぁ、船ってこんなに速く走るんだね! 馬車よりもずっと速いよ!」

 きらきらとした目で周囲を眺めながら、レディルが楽しそうな声を上げた。一方のレアスは、姉よりは大人しい。

「こ、これ、河に落ちたらどうなるんだ……? ぼ、僕、泳ぎはそれほど得意じゃないぞ……?」

「大丈夫! もしも河に落ちたとしても、きっとジルガさんが助けてくれるから!」

「た、確かにジルガさんなら大抵のことならどうとでもするだろうけど…………」

 すっかりジルガを信頼している姉を見て、レアスはどこか不満そうだった。

「ね、ねえ、姉さん……ジルガさんって……鎧の下はどんな感じだった?」

「そりゃあもう、すっっっっっっっっっっっっごく素敵だった!」

 鎧を脱いだジルガ……いや、ジールディアの姿を思い出し、レディルはうっとりとした表情を浮かべる。

 その美しい容貌と均整の取れた肢体は、同性である彼女から見てもとても魅力的で、レディルはすっかりジールディアに憧れてしまった。

 そして同性ということもあり、昨夜は一緒のベッドで寄り添いながら寝たのだが、その時に覚えたのは母親とはまた違った安心感。

 ジールディアの柔らかく温かな体と、何とも言えないいい匂いに包まれて、レディルは朝までぐっすりと熟睡してしまった。

「昨夜は一緒のベッドで、ジルガさんにしがみつくようにして寝ちゃったけど……何か、とっても気持ち良かったなぁ」

「い、一緒のベッドでしがみつくように……っ!?」

 その言葉に大きな衝撃を受けるレアス。ここ数日、一緒の部屋に泊まったジルガと姉が「そういう」関係に発展しているのでは? とは思っていたが、姉の口から直にその事実が出たことが、レアスの複雑な心境に突き刺さった。

 もちろん、ジルガ……じゃなくてジールディアとレディルの間に、レアスが考えているような事実は一切ない。

 ジールディアにとってのレディルは可愛い妹のような存在で、レディルにとってもジールディアは甘えさせてくれる姉のような存在である。

 特に、両親と離れ離れになり自分が弟を守らないと、とずっと気を張っていたレディルにとって、姉のようなジールディアは大きな安らぎになっていた。

「や、やっぱり姉さんとジルガさんは……」

 だが、そんなこととは知らないレアス。彼とてもジルガは信頼している。レアスにとっては未知の魔境にも等しい人間社会の中で、ジルガとライナスの二人だけが本当に信頼し、信用できる存在と言っても過言ではない。

 とはいえ、いくら信頼しているジルガでも、姉と「そういう」関係になるのは、また別の話で。

 何と言って表現していいのかよく分からない感情がレアスの胸中で渦巻き、そのもやもやとしたモノが彼の小さな体を満たそうとした直前。

「で、出たっ!! 淡水魚竜だっ!!」

「淡水魚竜が出たぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 船尾の方から、船員の叫び声が響いた。

「レアス、ジルガさんたちの所に行くわよ!」

「う、うん!」

 瞬時に意識を切り替えたレディルとレアスは、真剣な表情でジルガとライナスがいるであろう場所へと駆け出した。



 準備しておいた得物を手にしたジルガは、鬼人族の姉弟が近づいてくることにすぐ気づいた。

「レディル、レアス。どうやら淡水魚竜が出たようだぞ」

 慌てる様子もなく、淡々と事実を告げるジルガ。

 その巨体の傍らでは、杖を手にしたライナスが船の後方へと目を向けている。

「事前情報では複数体というだけで、具体的に何体いるのか不明だ。くれぐれも油断をするなよ?」

「うむ、承知した」

 そう答えたジルガは、手にした巨大なハルバードをぶんぶんと振り回す。

 その光景を頼もしそうに見ながら、レディルとレアスは【黒騎士党】の頭脳ともいうべき賢者に問いかける。

「私たちは何をすればいいんですか?」

「船の上じゃあ、移動できる場所も限られているし……」

 【黒騎士党】におけるレディルとレアスの役目は、レディルが牽制と攪乱、レアスが常に移動しながらの弓を用いた後方支援。

 【黒騎士】ジルガという攻撃力防御力双方に優れた前衛がいるため、彼女を中心にした戦術が基本となっている。

 ライナスも直接的な攻撃魔法を使うより、支援魔法を使うことの方が多い。

「レアスは極力淡水魚竜が船に近づかないように、レディルは淡水魚竜が船上に身を乗り出した際の牽制に専念してくれ。ライナスは二人の援護と指示を頼む」

「心得た」

 ジルガが仲間たちに指示を出し終えた時、船尾から大きな悲鳴が響く。

 【黒騎士党】の面々がそちらへと目を向ければ、船後方の水面から巨大な怪物が顔を出している。

「よし! では行くぞ!」

 そう言い残し、漆黒の全身鎧がひらりと舷側を飛び越えて水面へと落下する。

 ジルガは水面下へ沈むことはなく、硬い足場に着地したかのように膝を曲げて落下の衝撃を吸収、そのまま足音も高らかに水面から首を出した淡水魚竜へと駆け出していった。



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