第3章

仲間と【黒騎士】

「くそ……っ!! 増援はまだかよっ!?」

 大きな盾と戦槌で武装した男性が吐き捨てた。

 その男性の眼前には、身の丈3メートルにも及ぼうかという巨大なカエル。

 ただし、そのカエルは二足歩行をし、手には巨大な棍棒を握っている。

 ガルガリバンボン。それが目の前の巨大カエルの名前……いや、種族名と言った方がいいだろうか。

 いつ、誰が、どんな理由でこの二足歩行する巨大カエルをガルガリバンボンという名前で呼び始めたのかは誰も知らない。だが、この巨大なカエルがガルガリバンボンという名前で呼ばれていることは違えようのない事実。

 頭部の両側からひょこりと突き出した巨大な赤い目がぎょろりと動き、盾を構えた男性──勇者組合に所属する、階位117位の勇者──を見下ろした。

 同時に、構えた盾にがつんと重い衝撃。だが、巨大カエルが棍棒を振り下ろした気配はない。そもそも、棍棒が届く距離でもないのだ。

 では、どうやって攻撃された?

 男性が盾の陰から顔だけ出して確認すれば、薄紫色をした「何か」がカエルの口に引き込まれるところだった。

「…………舌かよ…………」

 そう。

 今、彼が構える盾を強打したのは、カエルの口から伸ばされた舌だった。

 更には、攻撃を受けた盾の表面から異臭がする。よく見れば、金属製の盾の表面が溶けかけているではないか。

 どうやらあのカエルの唾液は酸性のようで、その酸が盾の表面を溶かしたのだろう。

「おい、大丈夫かっ!?」

 背後から仲間の声がする。

「怪我人は……新人たちはどうなったっ!?」

 巨大カエルから目を離すことなく、重装備の男性が声を上げる。

「全員、怪我はかなり酷いが命に別状はない。今、治癒術師が治療している」

 そうか、と重装備の男性は心の中で呟く。同時に、再び盾に重い衝撃。またもや巨大カエルが舌を伸ばして攻撃してきたのだ。

 じゅわり、と男性が構える盾の表面が溶ける。

 このままでは、あと数回も攻撃を受ければ盾は使い物にならなくなるだろう。

「増援はまだ来ないのかよっ!?」

 男性が吐き捨てる。このままでは遠からず巨大カエルの餌食になってしまうに違いない。



 巨大なカエルの化け物が大量に現れたので、それを退治して欲しい。

 という依頼が勇者組合に寄せられ、まだまだ駆け出しのパーティがこれを請けた。

 依頼主──王都セイルバードにほど近い村の村長──からの情報によれば、相手は大カエルのようだ。

 大カエルとは、全長90センチほどにも及ぶ雑食カエルである。

 だが、口に入るものは何でも食べてしまうため、大量に現れると作物や鶏などの小型の家畜が全滅する危険性がある。

 そこでその村の村長は、勇者組合を頼ったわけだ。

 大カエルの討伐であれば、どれだけ大量に現れてもそれほど危険ではない。なぜなら人間は、大カエルにとって獲物とするには大きすぎるからだ。よって、勇者組合はこの依頼を新人たちへと回した。

 依頼を請けた新人たちは、直ちにその村へと直行する。

 そして、彼らは到着した村で確かに見た。大量の大カエルが村のあちこちで蠢いているのを。

 当然ながら、新人たちは早速これを片っ端から片付けていく。

「簡単な仕事だよな」

「まあ、その分報酬は安いがな」

「だけど、カエルの肉は売れるだろ? それを考えるとそう悪くはないぞ」

「違いない」

 新人たちでも、片手間にできる簡単な依頼。新人勇者たちだけではなく、村の男衆もカエル退治を手伝っていた。

 だが。

 だが、大カエルをほぼ片付けたところで、思いもよらぬことが起きた。

 村に隣接する森の中から、大カエルよりも遥かに巨大なカエルが現れたのだ。

 直立歩行し、手に棍棒を持った3メートルを超える巨大なカエルの姿をした魔物──ガルガリバンボン。

 その巨大カエルは驚異的な跳躍を見せ、そのまま手にした棍棒を新人勇者の一人に振り下ろした。

 新人勇者は装備していた盾で何とか棍棒を受け止めたが、巨大カエルはその盾ごと新人勇者の腕を破壊してしまう。

 予想外の驚異の出現により、新人たちは混乱する。だが、新人とはいえ勇者組合に所属する者、すぐに我に返って行動した。

「王都に連絡! 至急応援を寄こすように伝えてくれ!」

 新人たちのリーダーが指示を飛ばす。仲間内で最も足の速いメンバーがそれにすぐさま応じた。

「俺たちはあのバケモノをここで食い止める! 応援が来るまで何としてでも粘れ!」

 怪我をした組合勇者を引きずって、残った勇者たちは村まで退避する。そこで籠城しつつ、応援が来るまで何としても持ちこたえるのだ。



 新人勇者たちの迅速な対応により、王都にガルガリバンボン出現の報告がなされた。

 勇者組合はそれにすぐさま対応し、上位パーティを複数派遣することを決定。

 とはいえ、都合よくすぐさま行動できるパーティは多くはなかった。

 とりあえず今すぐ行動できる1パーティを先行させ、新人勇者と村人の救助を優先。準備ができ次第、後続も応援に駆け付けることを決定。

 先行するパーティは勇者組合から馬を借り受け、それに飛び乗って現地に急行した。

 王都近郊の村だけあって、それほど遠くはない。馬を飛ばせば1時間もかからず到着する。

 彼らが現地に到着した時、新人たちはほぼ壊滅。何とか生きてはいるが、満身創痍という言葉が相応しい状況だった。

 村の防護柵や建物を巧みに使って防御に徹していたため、何とか救援が来るまで持ちこたえることができたのだろう。

「新人どもにしちゃ、いい判断だ」

 先行パーティのリーダーが、新人たちの判断を褒める。

 村の作物や建物などに被害は出ているが、状況を鑑みれば十分な対応と言えるのは間違いない。

「治癒術師は新人や村人たちの治療を急げ! 残りはカエル野郎を退治するぞ!」

 リーダーの指示に従い、パーティが展開する。

 しかし。

 巨大カエル──ガルガリバンボンは強かった。

 おそらく標準的なガルガリバンボンよりも強い個体なのだろう。もしかすると、まだ知られていないガルガリバンボンの上位種なのかもしれない。

 そもそも、ガルガリバンボンの出現率はそれほど高くはないため、生態などがよく分かっていない魔物なのである。

 先行したパーティは最初こそ苛烈な攻撃を仕掛けたが、あまり効果がないことを察すると、防御重視の布陣に切り替えた。

 増援が来ることは分かっている。ならば、無理はせずに増援を待った方がいい。

 もしもここで自分たちが敗れれば、後方の新人たちや村人も無事では済まないのだから。

 リーダーのその判断により、パーティは防御に専念して巨大カエルの攻撃に耐える。そうして、今にいたるのであった。



 がつん、という重い手応えと同時に、手にしている盾が破壊された。酸で脆くなったところを強打され、盾が限界を超えたのだ。

 重装備の男性──パーティのリーダーは、破壊された盾の残骸を放り捨て、戦槌を両手で構える。

 あと少し。あと少し耐えれば増援は来る。

 そう信じて、目の前に迫った巨大カエルをぎっと見据えた。

 そんな彼の決意を嘲笑うかのように、巨大カエルはその口を大きく開けた。同時に、そこから飛び出す薄紫の塊。

 巨大カエルの舌が、盾を失ったリーダーに向けて高速で伸ばされる。

 盾を失った以上、あの舌の攻撃を防ぐのは難しい。彼が装備する巨大な戦槌は、攻撃力は高いが防御にはあまり適さない。

 重く、バランスも悪い戦槌は、素早く振り回すことが難しい。よって、高速で伸びる巨大カエルの舌を防御することはまず不可能。

 重装の鎧を装備しているので、一撃ぐらいは耐えられるだろう。だが、それ以上はどうなるか分からない。

 悲壮な覚悟をし、それでも背後の守るべき者たちのため、その場に踏み留まるリーダー。

 そのリーダーに舌の攻撃が届く────その直前。

 巨大カエルとリーダーの間に、風のように割り込む者がいた。

 その者は手にした小剣と短剣で、伸ばされた巨大カエルの舌を見事に斬り飛ばす。

 そして、同時に巨大カエルに降り注ぐ無数の矢。

 今、戦場となっているのは村の入り口付近。周囲には身を隠す場所は無数にある。矢を射た射手は身を隠しながら攻撃しているようで、その姿はリーダーからは見えなかった。

 降り注ぐ矢は全て巨大カエルの体に突き刺さり、巨大カエルが苦悶の咆哮を上げる。

「無事ですかっ!?」

 先ほど割り込んできた者が、パーティリーダーに問う。

「すぐに『あの人』が来ます! それまで持ちこたえましょう! 私と弟も全力で援護しますから!」

 と、にっこりと微笑んだのは、まだ成人前と思しき少女だった。

 まだ幼さを残すが、将来が実に楽しみな容貌のその少女。だが、彼女の額の両脇に、小さな角があることにリーダーはすぐに気づいた。

「君は……鬼人族か? もしかして君、いや、君たちは……」

 勇者組合の規定に満たない幼い鬼人族の少女と少年が、特例を認められて勇者組合に加入した、という噂は彼も聞き及んでいた。

 そしてその少女と少年は、あの有名な組合勇者と共に行動しているという。

「そうか……君たちが【黒騎士党】か! じゃあ、すぐに来るというのは……」

 リーダーの脳裏に一人の人物が浮かび上がる。その人物は悪魔のような印象の黒い全身鎧を纏い、巨大なハルバードを軽々と振り回して竜さえも単独で退けるという、現在の勇者組合で最も強いと言われる人物。

 確かに、が来てくれるのなら、これほど心強いことはない。

 リーダーは心の中でそう呟く。

「みんな! あと少しだ! あと少し待てば、が来る! そうすりゃ、俺たちの勝ちは揺るがねえ!」

 仲間たちを激励し、リーダーは士気を高める。

 と、そこで巨大カエルが再び動き出した。

 突き出た二つの目はせわしなくぎょろぎょろと動き、周囲にいる小さな存在──人間たちを見まわす。

 その双眸に宿るは、自分を傷つけた者へと怒りか憎しみか。

 棍棒を振り上げ……ようとしたその手に、再び数本の矢が突き刺さり巨大カエルは棍棒を取り落とした。

「先程の射手か……この射手も【黒騎士党】の一員か?」

 リーダーが姿を見せない射手に密かに舌を巻く。

 矢を射る速度、撃ち出された矢の正確さ。そして、射出地点が毎回違うこと。

 ただ隠れているだけではなく常に移動を繰り返し、それでいて正確な射撃を続けている。その実力は一流と呼んで差し支えない。

 そして、先ほどの少女の言葉から、この射手が少女の弟──弟というぐらいだから、射手もまた幼い鬼人族であろう──であると推測できる。

「さすがは噂の【黒騎士党】だ。鬼人族の少女といい姿を見せない射手といい、団員の実力が非常に高い」

 その少女はといえば、両手に小剣と短剣を装備し、躍るように巨大カエルを翻弄している。

 幼いながらも、少女の敏捷性は射手同様に一流のそれ。人間よりも身体能力に優れるという鬼人族ならではであろう。

「おまえら、気合入れろ! あの嬢ちゃんに負けてんじゃねえぞ!」

 リーダーとその仲間たちも、巨大カエルに接近戦を挑む。舌を失い、棍棒を取り落とした巨大カエルは、既に動き回るだけの的なのだから。



 自分を傷つけた者を許さない。もっともっと腹を満たしたい。

 ならば、自分の周りにいる連中を食べてしまえばいい。

 魔物の単純な脳細胞はそんな結論を出した。

 酸性の唾液が溢れる口腔を大きく開く。そこには、先ほど斬り飛ばされたはずの舌があった。

 そのことに気づいた鬼人族の少女が、周囲で戦う組合勇者に注意を促す。

「カエルの舌が再生しています!」

 だが、少女の注意は少し遅かった。

 熾烈な攻撃を繰り出す組合勇者たちがそれに気づいた時、既に再生した舌が伸ばされていたのだから。

 ひゅん、という空気を切り裂く音。

 舌が伸びるその先は、少し前にその舌を斬り飛ばした当人。つまり、鬼人族の少女。

 少女は素早く飛び退く。だが、その少女の後ろにいた組合勇者の一人が逃げ遅れてしまった。

 そのことに気づき、焦った様子で振り返る鬼人族の少女。

 仲間が舌に殴打され、吹き飛ばされる光景を幻視する組合勇者たち。

 だが、その幻視した光景は訪れなかった。

 突然、地面が隆起して土の壁が出現、その土壁が巨大カエルの舌を遮ったのだ。

「こ、これは……魔術……か?」

 おそらく、土系統の壁を作り出す魔術。初心者でも使える類の比較的簡単な魔術だ。

 だが、作り出された土壁の強度は、初心者が作り出すものとは桁が違った。

 巨大カエルの舌が直撃しても、全く崩れる様子をみせないのだから。

「レディル、もう少し周囲にも気を配るべきだ。このような乱戦では特にな」

 涼やかな若い男性の声が、空から聞こえた。

 思わず全員が視線を上に向ければ、白いローブを着た魔術師が宙に浮いていた。

「ライナスさん!」

 鬼人族の少女──レディルの声に応え、空中の魔術師がふわりと微笑む。

「諸君! 戦いはもう終わりだ! 速やかに村に戻って休みたまえ!」

 そう言った魔術師が、村から王都へと伸びる街道を指差す。

 そして、その場にいる者は見た。

 街道を王都方面から、ゆっくりと歩いてくるその者の姿を。

 その身を包む漆黒の全身鎧をがっちゃんがっちゃんと高らかに鳴らしつつ、大柄な人間がやって来るのを。

 その場に居合わせた者たちは見たのだ。

 街道を、ゆっくりとやって来る黒い悪鬼の姿を。

 そう。

 勇者組合階位第3位、【黒騎士】ジルガがこの地に到着したのだ。


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