閑話─恋する王太子2

 あれから3年が経過した。

 それは彼──ガラルド王国の第一王子にして王太子、ジェイルトール・シン・ガラルドが、とある女性と出会い、即座に恋に落ちてからの時間である。

 ジェイルトールの運命の──あくまでもジェイルトールの主観では──の名は、ジールディア・ナイラル。武の名門として名高いナイラル侯爵家の令嬢である。

 やや赤みのかかった黄金色の髪はどこまでも艶やかで癖もなく、その双眸は緑柱石のように煌めいていて。

 穢れなき白い肌は彼女の心の清らかさを表しているかのようで。

 以前よりナイラル侯爵家の令嬢は美姫であると評判だったが、実際に彼女をその目で見た時、噂以上の美しさにジェイルトールは稲妻に打たれたかのような気がしたほどだ。

 無論、人の美しさというものは主観によって様々だ。人によっては、ナイラル家の令嬢を噂ほどの美姫ではないと言う者もいるに違いない。

 だが。

 だが、少なくともジェイルトールにとって、かの令嬢は美しかった。美しすぎた。彼女に比べたら、世界全てが色あせて感じられるほどに。

 それほど、ナイラル家の令嬢はジェイルトールの好みにストライクだったのだ。

「あれからもう3年……一向に彼女の容態が良くなったという話は聞かないが……それほど、彼女の病気は重篤なのだろうか……」

 と、ジェイルトールはナイラル侯爵家の領地がある方角を熱く見つめながら、ほぅと溜息を零した。

 今、ジェイルトールが想い煩う運命の女性は、病気療養のために領地へと戻っているらしい。

 ジェイルトールが彼女と出会ってから3年。初めて彼女と会ってから、もう3年も会っていない。

 ナイラル侯爵家の当主と個人的に親しい彼の元師、筆頭宮廷魔術師のサルマン・ロッドによれば、ジールディアの容態は快方には向かっていないらしい。

 もちろん、この3年間ジェイルトールはジールディアに何通も手紙を書いた。だが、その返事は一通もない。

 まさか、ガラルド王国の第一王子にして王太子である自分が直接書いた手紙に、返事を寄こさないということは普通であればあり得ない。

 だが、ジールディアの病気が想像以上に重く、返事さえ書くことができないのであれば……

「い、いや、も、もしかして……返事を書くことさえ嫌なほど彼女に避けられているなんてことは……あ、あり得ないよな……?」

 と、これまで何度も胸中に湧き上がってきた疑問を、ジェイルトールは必死に否定する。

「は、ははは……この国の王子にして王太子である私を、返事さえ書きたくないほど嫌うなど…………ははは…………」

 と、必死に否定するも、どうしてもこの疑問を否定しきることができないジェイルトール。

 もしかして、この3年の間に書き続けた手紙の内容が、彼女の気を悪くしたのかもしれない。

 彼女の美しさを称えるため、この世で最も大きな花であるといわれるデェラクッサバナと比較したのが不味かったのだろうか。

 それとも、彼女のたおやかさを褒めるため、音もなく忍び寄るという魔物のアッレシンジマッタイを引き合いに出したのがいけなかったのだろうか。

 それともそれとも、彼女のあの鈴の音のような澄んだ美声を、歌声で男を魅了する魔物であるコエナラビッジーンよりも美しいと表現したのが悪かったのだろうか。

「…………いや、何度思い返しても特に不適切な表現ではないはず。では、手紙の内容ではないとすると、一体何が彼女の気を悪くさせているのか……いやいや、彼女は病気なのだ。私の手紙に返事が書けないほどの……であるならば…………」

 とその時、彼の脳裏に稲妻が奔った。

「おお! そうだ! いい手を思いついたぞ! 早速サルマン師に相談せねば!」

 誰に告げるでもなくそう言い置くと、そのままジェイルトールは自室を飛び出した。



「突然自宅にまでやって来るから、何か緊急の用件でも発生したのかと思えば……」

 いきなり自宅まで押しかけてきた元教え子を前にして、ガラルド王国筆頭宮廷魔術師のサルマン・ロッドは深々と溜め息を吐いた。

「聞いてください、サルマン師! ジールディア嬢の病を治す素晴らしいアイデアを思い付いたのです!」

 サルマンの苦悩を知ることもなく、ジェイルトールは喜々とした様子で一方的に語り出した。

「強力な治癒系の能力を秘めた神器を手に入れて、その力でジールディア嬢の病を癒すのです! いかな難病であろうとも、治癒系の神器であれば治せるはず!」

 一方的にまくし立てるジェイルトールに、サルマンは再び溜め息を吐く。

「それならば、既にナイラル侯爵家が動いている。ナイラル家の財力を以てすれば、高額な神器でも集められよう」

「う……い、言われてみれば……」

 ナイラル侯爵家はガラルド王国でもトップクラスの大貴族である。広大な領地は住人と資源に富み、領政も極めて順調。

 当然ながら、その財力は木っ端貴族では足元にも及ばないほど。

 その財力を以てすれば、限度はあるもののどのような神器であろうとも買い求めることはできるだろう。

 その事実に、ジェイルトールは元師の指摘で今更ながら気づいた。

「相変わらず、思いつめると視野が狭くなるな、おまえは」

 ジェイルトールという人物は文武に優れ人当たりもよく、幼い頃から将来は名君になるだろうと期待されてきた。

 加えて、かなりのイケメン。

 というように非常に優れた人物なのだが、一つのことを思いつめると視野が狭くなるという一面も有していた。これは、彼の性格が非常に生真面目であることの証左でもあろうか。

「それに、ここ最近治癒系の神器はあまり市場に流れていないようだぞ」

「そ、それは……もしや、誰かが治癒系神器を買い占めているということでしょうか?」

「さてな。私もそっち方面はあまり明るくはないので分かりかねる。何なら、調べてみるが?」

 治癒系神器の有効性は極めて高い。貴族や庶民でも裕福な者であれば、いざという時のために治癒系神器の一つや二つは所有しておきたいと考え、一部では確実に確保されているものだ。

 その治癒系神器を、誰か、もしくは組織が独占しようと企んでいるのであれば。

 ガラルド王国の王太子として、そして筆頭宮廷魔術師として放置しておくわけにはいかない。

「これは王太子としての命である。筆頭宮廷魔術師サルマン・ロッド、至急、治癒系神器に関して調査せよ。国王陛下には私の方から報告しておく」

「御意」

 それまでの元師と教え子としての立場ではなく、王太子と宮廷魔術師として。その立場になれば二人の立ち位置は逆転する。

 こうして、王太子直々の命を受けた筆頭宮廷魔術師は、市場に流れる治癒系神器の調査に取りかかるのだった。



「とある人物が、治癒系神器を独占している疑いがある……ですか?」

「独占、というにはやや語弊があるな。その人物は遺跡などで自分が発見した治癒系神器を売らずに手元に置いているだけのようだからな」

 治癒系神器の調査を命令されてから数日後。

 調査結果を纏めた書類を、サルマンはジェイルトールへと提出した。

「勇者組合の【黒騎士】ジルガ……ですか。相当腕の立つ組合勇者だと私も噂程度には聞き及んでいますが……」

 書類から目を離したジェイルトールが、サルマンを見る。

 その視線には、【黒騎士】ジルガについて何か知っているかという問いが含まれていた。

「ああ、かのじ……いや、彼のことなら少しは知っている」

 確認したわけではないが、件の【黒騎士】の正体についてサルマンは心当たりがあった。

 3年ほど前から頭角を現し始め、今では勇者組合の階位上位者であるらしい人物。

 その人物はまるで悪鬼のように禍々しい漆黒の全身鎧で常に身を包み、正体に関しては誰も知らないとか。

 そんな怪しい鎧を着た人物など、二人といるはずがない。よってサルマンは、噂の【黒騎士】が「彼女」であろうとほぼ確信していた。

 そして、【黒騎士】が治癒系神器を集めている理由もまた分かっている。他ならぬ自分が「彼女」にそうしろと言ったのだから。

「それで、その【黒騎士】とやらはどのような人物なのです? 自分で集めたとはいえ、希少な治癒系神器を独占し、何か良からぬことを企むような人物なのですか?」

「いや、それはなかろう。かのじょ……彼は何かを企むような人間ではない」

 はっきりと答えたサルマンに、ジェイルトールが僅かに表情を歪める。

「随分とはっきり断言しますね? もしや、師は既に【黒騎士】について調べておられるのですか?」

「う、うむ、そんなところだ。まだ調査が完全ではないゆえ、ここで明言は控えさせてもらうがな」

「なるほど……さすがはサルマン師。私などが考えることより、一手も二手も先を見ておられる」

 別にそんな先見をしたわけではないのだが──と、サルマンは表情に出すことなく心の中で独り呟いた。

「では、その【黒騎士】はなぜ治癒系神器を集めているのでしょう?」

 神器を含め、遺跡などから発掘される「遺産」は、極めて希少である。現在では作り出すことができないからだ。

 そして、そんな遺産や神器の中でも治癒系の有用性は、今更語るまでもないだろう。

 一口に治癒系神器と言っても、かすり傷しか治せないものから瀕死の重傷や不治の病を治療できるもの、どのような呪いも解呪することができるものまで、神器によってその力は様々だ。

 そのような治癒系神器を誰かが独占でもしようものなら……大きな混乱や騒動が生じる可能性もある。

「件の【黒騎士】も、何か目的があって治癒系神器を集めているのだろうが……その目的までは本人でなければ分かるまい」

 しれっと嘘を吐く筆頭宮廷魔術師。とはいえ、ここで本当のことを言うわけにもいなかい。

「確かに師のおっしゃる通りですね……ならば、一度直接本人と接触してみましょう」

「何?」

「祖父である【漆黒の勇者】が勇者組合を立ち上げたのは、どのような国難にも立ち向かえるような人材の育成が目的。その孫である私が優れた組合勇者と接触するのは別段不思議ではないでしょう?」

 確かに、ジェイルトールの主張は筋が通っている。

 【黒騎士】ジルガが勇者組合における階位上位者であり、ジェイルトールは勇者組合設立者【漆黒の勇者】の孫。

 この二人が顔を合わせる理由に、特に問題はないだろう。

「早速、勇者組合にその旨の要請を出しましょう」

「それは構わんが……当人である【黒騎士】がおまえの要請を受けるとは限らんぞ?」

 勇者組合は国営の組織ではあるが、そこに所属する者は決して王国と王家が抱える兵士でも騎士でもないため、王太子とはいえども組合の勇者に対して直接的な命令権はない。

 そのため、今回のような場合はあくまでも「要請」であり、相手側に拒否する権利がある。

 とはいえ、組合の勇者もそのほとんどがガラルド王国の民である以上、王族の言葉にはまず従うであろうが。

「【黒騎士】と直接交渉し、彼が所持する治癒系神器を譲ってもらう。そして、その治癒系神器を使ってジールディア嬢の病を癒す。そうすれば……そうすれば、ジールディア嬢もきっと私のことを……」

 普段の涼しげなイケメンを台無しにするぐらい、にやにやした表情をするジェイルトール。仮にジールディアに王太子に対する好意があっても、今の彼を見ればその好意も霧散しそうだ。

「…………まあ、【黒騎士】が所持する神器を使っても、ジールの問題は解決しないだろうがな……」

 もしも【黒騎士】が手に入れた治癒系神器で彼女が抱える問題を解決したのであれば、とっくに彼女は【黒騎士】ではなくなっているだろう。

 それがいまだ【黒騎士】でいるのは、手に入れた治癒系神器でも呪いを解けなかったということ。

 それが分かっているサルマンだが、真実を告げるわけにもいかずに、だらしなくにやにやし続ける元教え子を見つめほぅと大きな溜息を吐くのだった。



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