帰宅と【黒騎士】

 その場所に到着したのは、太陽が天頂へと到達するちょっと前だった。

 獣道さえ途中で途切れ、木々の間を縫うようなほんのわずかな隙間を進んだ先に、その場所はあった。

 明らかに誰かの手によって切り開かれた空間。そこに存在するのは、粗末な家と僅かな畑。

「……ここが、君たちの家か」

 漆黒の全身鎧の人物──ジルガの横で呆然と自分たちの家を見つめていた鬼人族の姉弟は、その声をきっかけに家の中へと駆けこんだ。

 家の中は二人が強引に連れ出された時のまま……ではなった。

 奴隷商人の配下の傭兵たちがレディルたちの家に踏み込んだ時、テーブルや椅子などの僅かな調度品などは全て倒されたはずだが、それらはきちんと片付けられている。

 そして。

「お父さんの弓と山刀がない……?」

「非常用の食べ物もないぞ。これってあいつら……奴隷商人たちが勝手に持ち出したのか?」

「そうではあるまい」

 姉弟の言葉を引き継いだのは、大きな体を窮屈そうにしながら家に入ってきたジルガだった。

「武器や食料を勝手に持ち出したというのは理解できなくもないが、その後にわざわざ家の中を片付けていく必要はあるまい。ということは──」

「ジルガの言う通りだ。おそらく、君たちのご両親は生きているだろう」

 外で何か調べていたらしいライナスも家の中に入ってきた。

「どうだった?」

「家の裏手に大きな血溜まりらしき痕跡があった。乾き具合からみて、数日前のものだろうな」

 ジルガの問いに答えたライナスに、漆黒の全身鎧はなるほどとばかりに大きく頷いた。

「死体は?」

「裏手の一部に何かを埋めた形跡があった。おそらく、そこに埋まっているのはあの商人の手下だろう」

 どのような手段を用いたのかまでは不明だが、レディルとレアスの両親は奴隷商人の配下を倒して生き長らえたようだ。

 彼らの両親が奴隷商人の配下に殺されているのであれば、その亡骸はおそらくそこらに打ち捨てられているはず。

 奴隷商人の配下が、レディルたちの両親を殺した後でわざわざ埋めたとは考えづらい。奴隷商人の配下たちからすれば、鬼人族など野生動物と大して変わりなく、その死体など山中に放り出しておけば獣が始末してくれる、ぐらいにしか考えないだろうから。

 だが、ライナスが調べたところによると、家の裏手に何かを埋めた形跡があるらしい。であれば、それはレディルたちの両親が商人の配下を倒した後、そこに埋葬した可能性が高い。

 レディルたちの両親たちからすれば、自分の家の近くに人間の死体を放置したくはないだろうからだ。

「倒した配下をどこか遠くに捨てる時間もなかったのだと思う」

「時間がなかった……?」

 ライナスの言葉に、レディルが首を傾げる。

「君たちの両親は奴隷商人の配下を倒した後、連れ去られた君たちの後を追うことを優先したのだろう。死体の始末に時間をかければ、それだけ君たちの後を追うことが難しくなる」

「ふむ、ライナスの言う通りだと私も思う。状況から判断しただけなので断言はできないが、君たちのご両親は生きている可能性が高い」

 父親が死体の埋葬をしている間に、母親が家の中を片付けた。そのため、家の中がこれだけ片付いている。つまり両親は共に生きているだろう。と、いう自身の推測をライナスは姉弟に聞かせた。

 それを聞き、レディルとレアスは喜色を浮かべながら顔を見合わせる。

「お父さんたちが……生きている……っ!」

「うん、きっと父さんも母さんも生きているよ!」

「でも、それならお父さんとお母さんは今どこに?」

「連れ去られた君たちの後を追ったのだとすれば……我々とは行き違いになったようだな」

 ジルガたちはレディルとレアスを助け出した後、奴隷商人たちの護送依頼を受けてやや遠回りしてからここに来た。

 おそらく、その間に行き違いになったか、別のルートを移動したことで出会わなかったと推測される。

「家の中の様子を見るに、ご両親は二人で君たちの後を追ったのだろうな」

「おそらくジルガの考える通りだろう。まさか、連れ去られた子供たちが数日でここに戻って来るとは思いもしなかったに違いない」

「我が子たちの後を追うため、最低限の武器や食料だけを持って大急ぎでここを飛び出した、といったところか」

「おそらくな。そして、レディルたちの両親は一緒に行動していると思う」

「うむ、父親と母親のどちらかがここに残るのは不安だろう。件の奴隷商人のような連中が、再びここに来ないとも限らないからな」

 互いにあらかたの推測を述べ合ったジルガとライナスの視線が、鬼人族の姉弟へと向けられる。

 その視線を真正面から受け止め、レディルとレアスははっきりと頷いてみせた。

「私たちはお父さんとお母さんを追いかけます」

「僕たちが無事なことを、早く父さんたちに知らせないと!」

「そう言うと思ったぞ。であれば、すぐにでもここを立とう」

 そのまま家の出入り口へと向かうとするジルガと鬼人族の姉弟を、ライナスは「まあ、もう少しだけ待て」とその場に留めた。

「もしかすると、レディルたちの両親が再びここに戻ってくるかもしれん。せめて置手紙ぐらいはしておくべきだと思うが?」

「それもそうだな。レディルとレアスが無事なことを伝えられるやもしれん」

 ライナスが用意した羊皮紙とペンを使い、レディルが何やら書き記していく。

 どうやら鬼人族には独自の文字があるらしく、ジルガには何らかの記号にしか見えない文字をレディルは羊皮紙に書き込んだ。

「ライナス、これが読めるか?」

 レディルが書いた手紙を見たジルガが、首を傾げながらライナスに問う。

「当然だ。鬼人族だけではなく小人族ドワーフなど、主要種族の言語はほとんど読み書きできるぞ」

「むぅ……何か悔しいぞ。よし、私も鬼人族の文字を覚えよう!」

 なぜか対抗意識を燃やす黒騎士に、ライナスは優し気な笑みを浮かべた。



 手紙を書き終えた後、【黒騎士】一行は登ってきた道とは別ルートで山を下りる。

 途中、僅かながらもレディルたちの両親らしき痕跡が見つけられたからだ。

「お父さんだけなら、僅かな痕跡も残さなかっただろうけど……」

「母さんが一緒だから、僅かながらも痕跡が残ったんだな」

 既に狩人としての心得があるレディルとレアスが、山の中に残されたほんの僅かな痕跡を辿っていく。

 そして山を下った先には、小さな集落。ジルガたちがリノーム山を登る際に立ち寄った集落とは、また別の集落である。

「あ、ここ……」

「何となくだけど、見覚えがあるかも……」

 集落の様子をぐるりと見回しながら、レディルとレアスが思い出したように呟いた。

 彼らは奴隷商人に捕らえられた後、この集落で馬車に載せられたようだ。

 レディルたちはその時、一連の衝撃的なことで呆然としていたが、それでもこの風景には何となく見覚えがあった。

「なるほど。であれば、ここの住人は君たちの両親について何か知っているかもしれんな。よし、私が聞いてこよう」

 そう言い置き、ジルガが鎧を高らかに鳴らしながら、村人たちが集まっている方へと向かう。

 どうやらこの村の住人たちは、突然山から下りてきた怪しげな全身鎧の巨漢に気づき、集まって警戒していたようだ。

「もし、少々尋ねたいこ──」

 だが、ジルガが声をかけるより早く、住人たちはそれぞれの家へと逃げ込んでしまう。

「………………」

「………………」

「………………」

 レディルとレアスの「そりゃそうだよね」という視線が、ジルガの黒い背中に突き刺さる。そして、村人たちに逃げられた当のジルガはこっそりと落ち込んでいた。

 年頃の娘さんの心はとても傷つきやすいのである。

「まあ、任せろ。俺が聞き込んでこよう」

 そんなジルガの肩をぽんと叩きながら、白い魔術師が集落の中心へと向かっていった。



「どうやら、この集落の住人たちは奴隷商人のことはよく覚えていたが、レディルたちの両親については知らないようだ」

 集落の外れで待つジルガたち三人の元に、聞き込みを終えたライナスが戻ってきた。

「だが、山の中に誰かが住みついている、という噂は前々からあったらしい。住人たちはその誰かの正体を知らず、恐れて近づかないようにしていたようだがな」

 この集落の住人たちは、当然リノーム山の中に立ち入る。山の恵みや薪などの燃料を求めて、もしくは猟の獲物を追いかけて。

 そんな時に、山中に住みつく何者かの痕跡を見つけることがあったそうだ。だが、その正体までは分からなかったことに加え、特に実害もなかったこともあり下手に刺激するよりは静観することを選んだらしい。

「では、二人の両親はここには立ち寄っていないということか?」

「ああ。レディルたちの両親からしてみれば、人間を信用することなどとてもできまい。ゆえに、この集落には立ち寄らなかった。もしくは、遠くから観察して子供たちがここにはいないことを確信したのだろう」

 レディルたちの両親にとって、人間は全て自分たち家族を突然襲った奴隷商人の仲間に思えるのだろう。そんな人間たちの集落に足を踏み入れるとは思えない。

「であれば、おそらく街道は使うまい。とはいえ、街道を全く利用しないということも考えづらい」

「奴隷商人たちは間違いなく街道を使うだろうからな。となると、街道から付かず離れずに街道に沿って移動したと考えるべきか」

 実際、ジルガとライナスの推測はほぼ当たっていた。

 人間たちの前に姿を見せることを嫌ったレディルたちの両親は、街道からやや離れた場所を街道沿いに移動したのだ。

 もしもジルガたちがここに来るまでに同じ街道を使ったとしても、おそらくはここで行き違いが発生していただろう。

「じゃあ、お父さんたちはどこへ……?」

 そう不安そうに口にしたのはレディルだった。レアスもまた、同じような様子で姉とジルガたちを何度も見比べている。

「正直、ここから先の両親たちの足取りを追うのは難しい。なんせ、街道や宿場町を通ることがないので情報がまず集まらない。しかも、相手は野外の活動に優れている鬼人族だ。街道外れを探したところで痕跡が見つかるかどうか」

 ライナスが重々し気に呟く。街道沿いに移動したと思しき両親たちは、全く痕跡を残していないということはあるまい。

 だが、一口に街道沿いと言ってもその範囲は広大である。そんな中で僅かな痕跡を見つけ出すのは、同じ鬼人族のレディルとレアスでも難しいだろう。

「可能性があるとすれば、両親が家に戻ってきてあの置手紙を読むことだが……果たして、君たちの両親がいつ家に戻ってくるのか……」

「レディル、あの手紙には何と書いたのだ?」

「はい、『私たちは無事なので、この手紙を読んだら家で待っていて欲しい』と」

「だけど、父さんの性格を考えると……僕たちを見つけ出すまで家には戻らないんじゃないかなぁ?」

 どうやら、二人の両親……特に父親は性格らしい。

「レディルたち二人をこのまま家に残すのも手ではあるが……それも不安だな。ライナス、魔法生物を作ってレディルたちの代わりに家に置いておけないか?」

「……簡易的なものならばすぐにでも作れるが……それでは稼働時間が短くて意味がなかろう?」

 ゴーレムなどの魔法生物の製造は、ライナスの専門分野だ。だが、設備も資材も時間もない状況では、いくら彼でも簡易的なものしか作れない。

 「黎明の塔」のように設備の整った場所であれば、半永久的に稼働する魔法生物を作り出すことも可能だが、現状では一日ほどしか稼働できない簡易的なものしか作れない。

 とはいえ、それもライナスが付与術師として極めて優れているから可能なのだ。普通の術師であれば、簡易ゴーレムの稼働時間は半日の更に半分ほどでしかない。

「やはり、レディルとレアスは我々と行動を共にするべきか」

「このまま彼らだけ家に残しておくのは危険だろうな」

 とはいえ、レディルたち姉弟の両親が今どこにいるのか、全く手がかりがない。あてもなく探すのは極めて難しいだろう。

「だが、手段が全くないわけではない」

 というライナスの一言に、ジルガとレディル、そしてレアスの視線が集中する。

「鬼人族が人間の生活圏内で活動すれば、遠からず誰かに見つかるだろう。彼らの両親の目的を考えれば、人間の生活圏内に全く近づかないというわけにはいくまい。ならば、どこかで鬼人族の目撃情報が出る可能性が高い。そこで──」

 ライナスは一行を見回して、にやりとした笑みを浮かべる。

「勇者組合に依頼を出して、鬼人族の情報を集めるのさ」


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