姉弟の鍛錬と【黒騎士】
空が朱色に染まる頃、街道沿いの平原に甲高い金属音が響き渡る。
金属音の正体は、ショートソードとハルバードがぶつかり合う音。高速で繰り出されるショートソードの連撃を、巨大なハルバードがことごとく受け止める。
時折、ショートソードの斬撃の中にダガーの刺突が交じる。だが、そのダガーもまた、ハルバードが易々と弾き返した。
「ど、どうしてそんな大きな武器で、私の連撃を受け止められるんですかっ!?」
「はははは、連撃というにはちと剣速が遅いのではないかな? 真の連撃とは……こういうものを言うのだ!」
途端、ハルバードの翻る速度が数段上がる。
言うまでもなく、ハルバードは取り回しがよくない武器である。巨大で重量があり、武器全体としてのバランスも悪い。そのため、普通であれば取り回しや手数に優れたショートソードやダガーの連続した攻撃の全てを、完全に受け止めることは極めて難しい。
そう、普通であれば。
ハルバードを操るのは、漆黒の全身鎧を着た巨漢。言うまでもなくジルガである。
彼女の優れた技量と鎧の桁外れの性能が、普通ではできないことを易々と成し遂げる。
旋風を伴いながら、ハルバードがショートソードとダガーの使い手──レディルへと迫る。
新調したばかりの革鎧を装備したレディルは、それまで攻撃に用いていた二振りの刃を防御に回し、迫るハルバードを何とか防ぐ。
だが、本来ならハルバードよりも余程取り回しに優れたショートソードとダガーが、ハルバードの速度に追いつかなくなっていく。
そして。
それまで
止まったハルバードの槍部分の先、そこから僅かに離れた所にレディルの喉があった。あとほんの少しハルバードを押し出せば、レディルの喉に大きな穴が開くことだろう。
「ま、参りしました……」
ショートソードとダガーを持ったまま、両手を上げて負けを宣言するレディル。
「うむ、レディルはなかなか筋がいい。その歳でそれだけ剣が操れるとは、さすがは鬼人族といったところだな」
「で、ですけどジルガさんには全然敵いませんよぉ……」
若干、涙を浮かべながらレディルが告げる。
「こう見えてもかなりの場数を踏んでいるからな、私は。その私から見て、レディルは将来有望だぞ? 少なくとも剣を振る速度だけならば、既に私の父や兄たちにさえ匹敵しそうだ」
人間よりも身体能力に優れる鬼人族。また、戦闘に関するセンスなども先天的なものがあり、彼らは生まれながらに戦士と呼べる存在なのである。
その後、戦闘中の注意点や改善点をレディルに告げ、手取り足取り丁寧に指導をするジルガ。その視線が、少し離れた所で黙々と弓を引いているレアスへと向けられた。
「レアル。矢を放つ際に上半身がブレているぞ。体幹を意識して、上半身を揺らすことなく矢を放つといい」
「こう……かな?」
ジルガの注意を受け入れ、早速改善するレアル。
限界まで引き絞られた
「あ……ジルガさんの言う通りにしてみたら、確かに正確さが増した気がする」
その後も真剣に矢を射るレアルの背中を見て、ジルガは満足そうに頷いた。
「ジルガさんって、弓も扱えるんですか?」
「ああ、あまり得手とは言えないが、一応弓も使えるぞ。私の兄……下の兄が弓の名手でな。その兄から基本的なことを教わったのだ」
「ジルガさんって、お兄さんもいるんですね。弟さんがいるとは以前にちょっとだけ聞きましたけど」
「私には二人の兄と一人の弟がいる。今頃、兄たちや弟はどうしているのやら……」
暮れゆく空を見上げながら、ジルガが誰に告げるでもなく呟く。
家族たちの顔が、ジルガの脳裏に浮かんでは消える。父と母、そして兄たちと弟は元気にしているだろうか。
そんな郷愁にも似た想いが彼女の心に湧き上がる。家族たちと再び会うためにも、必ずやこの身を縛る呪いを祓わねばならない。
そんな想いを振り払い、ジルガは再びハルバードを構える。
「さて、夕食の準備が整うまでに、もう少し鍛錬といこうではないか。レアスも一緒にかかってくるがいい」
「はい! お願いします!」
「姉さん、最初っから全力でいくぞ」
「もちろん!」
両手にショートソードとダガーを構えたレディルが、ジルガに向かって地を蹴った。
同時に、後方へと下がったレアスが立て続けに矢を放つ。
「さすがは姉弟、いい連携だ」
迫る無数の矢と二振りの刃を、ジルガは余裕を失うことなく迎え撃った。
「へえ、ライナスさんって料理がお上手なんですね」
ジルガと姉弟が鍛錬をしている間、夕食の準備をしていたのはライナスである。四人中三人が鍛錬をしていた以上、当然といえば当然なのだが。
「かつて師と一緒に旅をしていた時期、毎日の食事の準備は俺の担当だったからな。自然と身に付いたってわけだ」
熾した火を囲みながら、ライナス、レディル、レアスの三人は温くて美味い食事に舌鼓を打つ。
この場にジルガの姿がないのは、彼女は一人離れた場所で食事をしているからだ。
ジルガが食事をするためには、鎧を脱がなくてはならない。同性であるレディルだけならともかく、ライナスやレアスといった異性の前で肌を晒すことが躊躇われる彼女は、一人離れて食事を摂るしかない。
「しかし、ジルガさんの呪いもよく分からないよな。食事が一緒にできないって、どんな呪いなんだ?」
「ライナスさんは、ジルガさんの呪いについて知っているんですよね?」
食事をしながら、姿のないジルガのことが気になる様子の姉弟。
そんな彼らに、ライナスは真剣な表情で応える。
「一応、知ってはいる。だが、ジルガ自身に深く関わることである以上、勝手に教えるわけにはいかなくてな。君たちが呪いについて気にするのも理解できるが、もう少し待ってやってくれないか? そのうち、ジルガの方から話す時が来るだろう」
ライナスの言葉に、姉弟は素直に頷く。
「それはそれとして、ジルガさんのあの強さ……あの人、本当に人間か?」
食事を摂りながら、レアスは先ほどの鍛錬を思い出す。
彼が放った無数の矢を、時に躱し、時に打ち払い、時に当たるに任せていたジルガ。その光景は、今思い出しても現実とは思えないものだった。
更には、矢を躱しながら姉の繰り出す攻撃を全て完璧に対処してのけたのだ。とても人間技とは……いや、たとえ人間より身体能力に優れた鬼人族でも、とてもあれだけの動きはできないだろう。
「もしかして……人間の戦士って、みんなあれほどまでに強いのかな?」
「いや、そんなことはない。
レアスが抱いた疑問を、ライナスが即座に否定する。
「やっぱり、ジルガさんだけが特別なんですね……」
と、どこかぼぅっとした表情で呟いたのはレディルだ。
そんな姉のどこかいつもと違う様子にレアスは内心で首を傾げるが、すぐにそれを忘れてしまった。
なぜなら、どこか遠くで獣の吠える声が聞こえてきたからだ。
レディルとレアスは素早く自分の得物に手を伸ばす。一方、ライナスは平然としたまま食事を続けていた。
「あの声はおそらく狼か。であれば、心配することはないだろう。声からして距離もかなりあるようだしな」
「本当に大丈夫なんですか? あ、火を熾しているから狼は近づいてこない?」
目の前で揺れる炎と狼らしき声が聞こえてきた方角を何度も見比べながら、レディルが心配そうな表情を浮かべる。
「我が師によれば、獣が火を恐れるというのは迷信らしいぞ。獣の中でも賢い連中は、逆に火に興味を引かれて近寄ってくることもあるそうだ」
「だ、だったら余計に警戒しないと!」
ライナスの説明を聞いたレアスが、素早く立ち上がって弓を構える。そのやや前方に、ショートソードとダガーを手にしたレディルが周囲の様子を窺う。
「だから大丈夫だと言っているだろう。獣は火を恐れないかもしれないが、ジルガのことは確実に恐れるからな。狼ほどの知恵がある獣であれば……いや、たとえ知恵が低かろうとも、本能的にまず近寄ってこないさ」
「あ、あ……ああ、そういうことか……」
「た、確かにジルガさんなら……」
構えていた武器を下ろし、大いに納得したという表情を浮かべる姉弟だった。
結局、ライナスの言うとおり狼を始めとした野生動物や魔物の襲撃はなかった。
ジルガが……いや、
それは昼間も同様で、ジルガたちは取り立てて問題もなくリノーム山の麓に存在する村の一つに辿り着いた。
その村で一泊した一行──行商人やリノーム山で採集などを行う組合の勇者たちに向けて、小さいながらも宿屋があった──は、夜明けとともにリノーム山へと足を踏み入れる。
「あ……ここ……」
「間違いない……ここは僕たちが生まれ育った山だ……」
馴染みの山の雰囲気を感じたのか、レディルとレアスが呟いた。
「もう少し上まで登れば、私たちがよく知っている場所に出ると思います!」
「そうか。なら、道案内は二人に任せる。頼んだぞ」
「はい!」
それまで以上の速度で、どんどんと山道を登っていく姉弟。その後ろを、ジルガが高らかに鎧を鳴らしながら続く。
そして、最後尾のライナスはといえば……すでに息が上がっていた。
肩で息をしながら、頼りない足取りで山道を登るライナスに、ジルガは困ったような様子で告げる。
「大丈夫か? 何なら、麓の村で待っていてもいいのだぞ?」
「……君たちだ……に任せ……わけにも……くまい……」
ぜいぜいと荒い息をしながら、何とか言葉を紡ぐライナス。
「なら、空を飛べばどうだ? 空からなら遅れることもあるまいに」
「そ、それは……そ……だが、な、何か……負け……気がして……な」
「なかなかに難義な性格をしているな、おまえも」
そこは男としての矜持の問題なのだが、それを口にするわけにもいかない。特に、この黒鎧の人物の前では、弱音を吐きたくはない気持ちが強かった。
「レディル! レアス! 君たちが逸る気持ちは分かるが、ライナスがきつそうだ。もう少しゆっくり進んでくれ!」
「ライナスさん、体力なさそうだもんね」
「ライナスさん、体力なさそうだもんな」
鬼人族の姉弟は、口々にそんなことを言いながら駆け戻ってくる。
「…………これは本格的に体を鍛えた方が良さそうだな……」
思わず口元を歪ませた白い魔術師のそんな呟きは、誰の耳に届くこともなかった。
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