特例措置と【黒騎士】

「リノーム山?」

「ああ。そこがレディルたちの家族が住んでいた場所だと、奴隷商人が吐いたよ」

 勇者組合マイア支部へと向かう途中、ライナスは奴隷商人から聞き出した情報を、ジルガたちに話した。

「リノーム山と言えば、ここマイアの町からだと王都とは正反対の方角だな」

 ぎしぎしと金属鎧を軋ませながら、ジルガが腕を組んで考え込む。

 今、ジルガとライナスが目指しているのは王都セイルバード。現在彼らがいるこのマイアの町は、王国全体からすると東部に当たる。

 王国の中央に位置する王都セイルバードに向かうには、当然西を目指さねばならない。

 対して、レディルとレアスたち家族が住んでいたと思しきリノーム山は、王国最東端と呼んでもいい場所。

 西を目指すジルガとライナスにとって、そこは正反対の位置であった。

「どうする?」

「当然、リノーム山を目指す。レディルたちの家族の安否を確認するのが先だろう」

「君ならそう言うと思ったよ」

 先頭を歩いていたライナスが振り返り、柔らかく微笑む。その笑みはジルガの提案を肯定したことを意味し、それを理解した鬼人族の姉弟は互いに顔を見合わせて安堵の笑みを浮かべた。

「しかし、奴隷商人がよく素直に吐いたな? 情報を提供する代わりに、何らかの取引を持ち掛けられたか、もしくは嘘の情報ではないのか?」

 非合法な奴隷売買に手を出すような輩が、そうすんなりと情報を吐くとはジルガには思えない。

 そのような奴隷商人が情報を吐いたのであれば、そこに何か自分にとって有利な条件を盛り込んだとしても不思議ではない。

「そこは【黒騎士】の名前を出したら実に素直に吐いたぞ。どうやら、君はあの商人から相当恐れられているようだな」

 奴隷商人のあまりにもな怯えっぷりを思い出し、くつくつと笑いを零す【白金の賢者】を前に、【黒騎士】はむぅと唸る。

「まったく、私のどこがそんなに恐ろしいというのだ?」

 不思議そうに首を傾げるジルガに、彼女の後ろを歩く鬼人族の姉弟が再び顔を見合わせた。

「…………ジルガさんって……」

「…………何も知らずに初めて見たら、普通におっかないよなぁ……」

 くすり、と笑う姉弟。

 現に今も、彼らが行く道の先では、町の住民たちが我先にと逃げ出している。その理由は今更説明するまでもないだろう。



 勇者組合マイア支部。

 勇者組合の支部としては、中堅規模といったところだろうか。

 そのマイア支部にジルガが足を踏み入れた途端、それまで賑やかだった支部の中が一瞬で静まり返る。

 これもまた、ジルガにとっては毎度のことであった。

 静寂に支配された支部の中を、ジルガたちは周囲を気にすることもなく受付を目指す。いや、レディルとレアスは、興味深そうに支部の中を見回していたが。

 普通であれば珍しい鬼人族の姉弟に視線が集まるものだろうが、【黒騎士】の存在感が半端ないためか、姉弟に目を向ける者はほとんどいない。

 そんな中、一行が受付に到着する。

「失礼、【黒騎士】ジルガに指名依頼が入っているはずだが?」

 柔らかな笑みを浮かべながら、ライナスが受付にいた女性に声をかける。

 徐々に近づいてくる【黒騎士】に顔面を蒼白にしていた受付の女性は、ライナスの穏やかな声と笑みに大きな安堵の息を吐いた。そして、自分の役目を思い出す。

「あ、ああ、え、えっと……は、はい、つい先ほど、この町の衛視長さんから【黒騎士】ジルガ様あてに指名依頼が入りました。その内容は──押送任務ですね」

 ジルガたちが捕らえた違法奴隷商人と山賊たちを、近隣で最も大きな町であるナールまで押送すること。

 それがこの町の衛視長からライナスが依頼された仕事の内容である。

 この町の衛視たちにとって、捕らえられた奴隷商人たちは手に余る存在だった。かといって、近隣の大きな町まで押送するにも人手が必要になってしまう。

 そこで衛視長は、ジルガたちに奴隷商人と山賊たちを押送させようと考えた。奴隷商人たちを捕らえた張本人である彼らなら、押送をするのにこれ以上ない人材だろう、と。

「依頼の条件として、衛視隊から馬車を貸与とあります。その馬車で山賊たちを、この辺りでは一番大きな町であるナールまで運んで欲しいそうです」

「だ、そうだが、依頼を受ける方向で構わないか?」

「いいだろう。ナールの町に寄るとなると、リノーム山に向かうにはやや遠回りだが、仕方あるまい。レディルとレアスもそれでいいか?」

「はい、私に異存はありません。レアスもいいよね?」

「うん、僕もそれでいい」

 ジルガの地の底から響くような恐ろし気な声に、再び顔面を蒼白にしていた受付の女性が、この時初めてレディルとレアスに気づいた。

 鬼人族の姉弟へと視線を向ける受付の女性に、ジルガがふと何かを思いついたように言葉を続けた。

「おお、そうだ。彼らの勇者組合への登録もお願いしたいのだが、いいだろうか?」

「え?」

「僕たちが……?」

 まず驚いたのは、レディルとレアスだった。彼らにしてみれば、勇者組合がどのような組織かさえ知らないのだから無理もない。

 何の知識もない所へ所属させると突然言われたのだから、その反応は当然だろう。

 そして、驚いたのは二人だけではなかった。

「あ、あの……そ、そちらのお二人はき、鬼人族……ですよね?」

「うむ、その通りだ」

「ちょ、ちょっとお待ちください!」

 受付の女性は支部の奥へと駆けていく。そして、奥から壮年の男性を伴って戻って来た。

「鬼人族を組合に登録したいってのはおまえさんたちかい?」

 上背もあり体格もいいその男性。さすがに背丈ではジルガほどではないが、体の幅は彼女──正確には彼女が着ている黒鎧──と同じぐらいありそうだ。

「おまえさんたちにちぃっと話がある。ここじゃ落ち着かねぇから、奥へ行こうや」



「オレぁ、この支部の支部長を務めるオラングってモンだ。これまで、鬼人族を勇者組合に所属させたって前例はないんだぜ?」

 勇者組合マイア支部の奥にある談話室。そこに置かれていたソファに腰を落ち着けた壮年の男性は、前置きもなく話を始めた。

「つまり貴殿は、この二人を勇者組合に所属させることはできない、とでも言いたのか?」

「まあ、大体似たようなモンだな。そもそもよぉ──」

 オラングと名乗った支部長が、じろりとレディルとレアスを見た。

「このガキ共ぁ、組合規定の年齢に達していねぇだろうが」

 勇者組合の規定では、14歳にならなければ組合に所属できないことになっている。現在、レディルが13歳でレアルが10歳。確かにどちらも条件を満たしていない。

「だが、勇者組合の規定には特例措置があったはずだ」

「あぁ? 特例措置だぁ?」

 オラングが、隣に控えている職員──先ほどジルガたちと対応した女性──をじろりと睨む。その視線に怯えながら、女性職員は慌てて何かの書類を確認し始めた。

「おまえさん、どうして組合の規定に年齢制限が設けられているのか、理解しているか?」

 再びジルガへと目を向けたオラングが、彼女が何か答える前に言葉を続けた。

「組合の年齢制限は体も心もまだまだ未熟なガキどもが、無理な背伸びをして無駄に命を落とさせないようにするためのモンだ。もしもそこのガキどもに何かあった場合……おまえさんに責任が取れるのか?」

 【黒騎士】が鬼人族の子供たちを無理矢理配下にして、その子供たちに仕事をさせる。

 たとえ事実がどうであろうとも、そう考える者が少なからず出るだろう。そして、その噂を他の鬼人族が耳にした場合、人間と鬼人族の間に再び亀裂が入るかもしれない。

 そうなった時に【黒騎士】ジルガはどう責任を取るのか。オラングはそれを問うている。

 そして、その質問に対してジルガが何か答えようとした時。

「……あ、ありました! 勇者組合特例措置!」

 オラングの傍らで書類をめくっていた女性職員が、嬉しそうな声を上げた。

「えとえと……特例措置5条18項の3、規定年齢に満たない者の組合登録について──後見人として組合階位上位者(50位以内)二名以上の連盟により推薦があった場合においてのみ、規定年齢に満たない者の組合登録を認めるものとする……とあります」

 女性職員が読み上げた文章を聞き、オラングが詰まらなさそうに片方の眉を上げた。

「……だ、そうだ。噂の【黒騎士】が組合階位上位者だって話はオレも聞いている。だが、一人じゃ特例措置も何もねえやな。悪ぃことは言わねえから、ガキどもに無理させんじゃねえよ」

 どうやらこのオラングという人物、真剣にレディルとレアスのことを心配しているようだ。

 腕を組んでじっと自分を見つめる視線に、真摯なものが含まれていることにジルガは気づいていた。

 だからこそ、彼女は断言する。自身の矜持を誇るように胸を張りながら。

「無論、この私が全ての責任を負うとも! この二人を傷つけさせることは絶対に許さない! たとえそれが邪神や悪神であろうともな!」

 ごう、と【黒騎士】の体から目には見えない何かが噴き出し、それを真正面から浴びたオラングは思わず上体を僅かながらも仰け反らせる。

──こ、こいつが覇気や闘気ってやつか? 気合や意気込みだけで、オレをたじろがせるたぁ……【黒騎士】の実力は噂通りってことか。

 オラングが心の中でそう呟いている間も、【黒騎士】の言葉は続いていた。

「それに、階位上位者ならもう一人いるぞ。だから、特例措置を認めてはくれまいか?」

「なに? もしかして、そっちの白い魔導士のことか?」

「一応だが、俺も勇者組合階位上位者だ。俺とジルガの二人で、レディルとレアスを推薦しよう」

 柔らかく微笑みながら、ライナスがジルガの言葉を肯定する。

「どうして、そこまでそのガキどもを組合に入れたがるんだ?」

「端的にいえば二人を守るためだ。組合に所属するということは、最低限の身分証明がされる。鬼人族が何の後ろ盾もなく人間の町を歩けば、心ない者どもがちょっかいをかけてくるやもしれん」

 実際、レディルとレアスはそんな心ない者たちに違法奴隷として捕らえられたのだ。同じことが二度三度と繰り返される可能性は捨てきれない。

「なるほど、そういうことか。確かに組合に所属する者を違法に奴隷として売りさばくようなことがあれば、組合としても黙っちゃいられねぇな」

 オラングがにやりと笑う。

 目の前の【黒騎士】が、年端もない子供を酷使するような人物ではないと判断したのだろう。

「そういうことなら、組合支部長の権限でそこのガキどもの特例を認めよう。ただし、先ほど言った言葉を忘れんじゃねぇぞ? ガキどもに何かあった時、おまえさんがきっちりと落とし前をつけるんだぜ?」

 それは、何もレディルとレアスが傷つけられることだけではない。もしも二人が何らかの罪を犯した場合、その罪の一部、もしくは全てをジルガが負うということでもある。

 現時点で、鬼人族は人間の社会の中では異端と言ってもいい。中には魔物と同一視している者もいるぐらいだ。

 町中に鬼人族がいるというだけで、騒ぎになる可能性だってある。

「その辺りも全て含めて、この二人はこの私──勇者組合階位第3位の【黒騎士】ジルガが引き受けよう!」

 この瞬間、レディルとレアスの二人は鬼人族で初めて勇者組合に所属することになったのである。


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