焚火と仲間と【黒騎士】

 月が空の頂点をやや過ぎた頃、寝ころんでいた漆黒の全身鎧がむくりと起き上がった。

「そろそろ、見張りの交代ではないか?」

「そうだな。確かに丁度いい時間だろう」

 焚火の番をしつつ周囲を警戒していたライナスが、起き上がった【黒騎士】に不思議そうな顔をしつつ言葉を続けた。

「その鎧には、時間を知らせる機能もあるのか? あまりにも丁度いい時間すぎるが?」

「そんな便利な機能はないが、時間に関しては完全な勘だ」

「………………君の勘は魔封具よりも正確なのか……?」

 片手で目を覆いながら、天を仰ぐライナス。

 こくがいウィンダムが凄いのか、それとも凄いのは鎧の中身であるジールディアか。

 どちらにしろ、ライナスの目の前にいる全身鎧の人物はいろいろと規格外だ。

「それより……よかったのか?」

「レディルとレアスのことか……まあ、成り行きである部分は大きいが、見捨てるわけにもいかなかったからな」

 ジルガは二人で寄り添うように毛布にくるまり、寝入っている鬼人族の姉弟きょうだいを見る。やはり、奴隷商人に捕らえられていた間は気が休まる時がなく、ゆっくり寝ることもできなかったのだろう。

 奴隷商人から解放され、ようやく安心して眠ることができたようだ。

 もちろん、彼女らもジルガとライナスをまだ完全に信用したわけではあるまい。もしもジルガたちが姉弟にとって何らかの怪しげな行動を取れば、すぐに二人はジルガたちの下から逃げ出すに違いない。

「せめて、人間にも信用できる者がいることを、二人には教えてやりたいところだな」

 そのためには、やはり自分が抱えている事情を説明する必要がある、とジルガは考えていた。

 だが、事情を説明するためには、おそらくレディルとレアスの前で鎧を脱がなくてはなるまい。

 同性であるレディルはまだしも、まだ子供とはいえ異性であるレアスの前で鎧を脱ぐことは、ジルガには──いや、ジールディアにはさすがに抵抗がある。その場面を想像しただけで、恥ずかしさのあまり気を失いそうだ。

 いや、気絶を取り越して死んでしまうかもしれない。死因、恥ずか死。

「慌てなくてもいいと思うぞ? 一緒に行動する以上、いつかその機会も訪れよう」

 そんなジールディアの内心を見透かしたかのように、ライナスの穏やかな声が響く。その声はジールディアを励ますように、ゆっくりと彼女の体に滲み込んでいく。

「そう……だな。いつか機会があるだろう。さて、そろそろライナスも休むがいい。後は私が引き受けた」

「ああ、頼む」

 焚火の傍らで、毛布にくるまり地面に横たわるライナス。すぐに寝入ってしまったところを見ると、どうやら彼もかなり疲れていたようだ。

 自分の近くで眠る三人の仲間たちを見て、ジルガは漆黒の兜の中で緩やかに微笑んだ。

「仲間……か。よもや、自分にそう呼べる者たちができるとはな」

 鎧に呪われてから今日まで、ずっと一人だったジルガ。そのことを、これまで寂しいなどと思ったことはなかった。

 ただひたすら、自身を縛る呪いを祓うことだけを考えていたから。

 しかし、こうして間近に誰かがいるということは──

「悪くは……ないな。もしかして、私は一人が寂しかったのだろうか?」

 小さく呟かれたその問いに、応えたのは虫の音だけだった。



 夜明けと共に野営地を出発したジルガたちは、太陽が頂点に差し掛かる前に次の宿場町であるマイアの町に到着した。

 一行はまず、古着屋へ向かう。そこで、レディルとレアスの服を数着買い込み、早速店の奥を借りて──ジルガが奥を借りたいと申し出たところ、店主はおびえ……げふん、快く貸してくれた──貫頭衣からあまり目立たない衣服へと着替える。

「ふむ……これで先ほどよりは目立たなくなったな」

「鬼人族が明らかに奴隷用と思われる粗末な貫頭衣を着ていたからな。目立って当然だろう」

 マイアの町へ入ってから……いや、町に入る前から、ジルガたち一行は実に目立っていた。

 鬼気というか殺気というか、見るからに恐ろしげな雰囲気を撒き散らす真っ黒な全身鎧が、どう見ても奴隷にしか見えない格好の鬼人族、それも成人前の子供を連れているのだ。周囲の人々がジルガをどう見ていたか、想像するまでもない。

 実際、町に入る際に町の出入り口を固めていた衛兵たちが、不審に思ってジルガを呼び止めたほどだ。

 その場はレディルとレアス本人が自分たちは決して奴隷ではなく、逆に奴隷商人から助けられたことを告げたことで、何とか疑いを晴らすことができた。

「とはいえ、これからもレディルとレアスは目立ちそうだな」

 人間の町に鬼人族が足を踏み入れることはまずない。現在、人間と鬼人族は表立って敵対しているわけではないが、交流はほぼないからだ。その鬼人族が人間の町を歩いていれば、どうしたって目立ってしまうだろう。

「そこはそれほど心配しなくてもいいと思うぞ」

「どういうことだ、ライナス?」

「なに、これから町の中を一緒に歩いてみれば分かるさ」

 ライナスの言葉に、ジルガとレディル、そしてレアスが一緒になって首を傾げた。

 その後、実際に町の中を歩いてみれば、ライナスの言葉をすぐに理解する一行。

 先頭を行くのは、もちろん【黒騎士】ジルガである。

 全身を漆黒の鎧で覆い尽くした巨漢。更には、全身からこれでもかというほど禍々しい雰囲気を放っている。道のど真ん中を堂々と歩く【黒騎士】を、町の人々は慌てて避けて端へと寄る。

 ほとんどの者たちが【黒騎士】から目を逸らしてしまい、恐ろしげな【黒騎士】の後ろに続く鬼人族の姉弟にわざわざ注意を向ける者はほとんどいなかった。

「な、なるほど……確かにライナスさんの言う通りね」

「すげーな、ジルガさんって。いろいろな意味で……」

 そんなジルガの後ろを歩くレディルとレアスは、苦笑するしかない。

 そして、【黒騎士】一行が目指すのは、衛兵の詰め所である。昨日ジルガたちが捕らえた奴隷商人から、レディルたちの家があった場所を聞き出すためだ。



 衛兵の詰め所に、緊張が走る。

 このマイアの町は、宿場町とはいえそれほど大きな町ではない。そのため、酔っ払いの喧嘩程度なら頻発するも、大きな事件はまず起きたことがなかった。

 そんなマイアの町の衛兵詰め所に昨日、違法な奴隷売買を行っていた商人と、その商人を襲った山賊数名が突き出された。

 それまで平穏だった衛兵詰め所は、にわかに大騒ぎとなる。そもそも衛兵の数が多くはないので、日常の任務以外に違法な奴隷商人や山賊が捕らえられたとなると、当然各方面に手が回らなくなるのだ。

 そのため、衛兵たちは昨日から大忙し。奴隷商人や山賊たちをとりあえず牢に放り込み、彼らを今後どうするかあれこれ検討する。

 このままここで取り調べを行うのか、それとも近隣のもっと大きな町へ押送するのか。

 現在の人手を考えると、どちらを選択しても衛兵たちの手に余るだろう。

 衛兵全員がほぼ徹夜で様々な仕事をこなして一夜明けたところへ。

 突然、禍々しい雰囲気を撒き散らす全身黒づくめの鎧を着た巨漢が現れた。疲労困憊の衛兵たちからすれば、まるで悪魔が現れたかと思われたほどだ。

「邪魔するぞ」

 という全身鎧の巨漢の言葉は、衛兵たちにはまさしく悪魔の呪詛に聞こえた。

 衛兵たちが得物を手に立ち上がり、今にも得物を漆黒の悪魔へと向けようとした時。

「だから、俺が先に詰め所に入ると言ったのだ。君はもう少し人の話を聞け」

 手にした杖で黒い悪魔の肩をかつかつと叩きながら、悪魔とは対照的な白い人物が詰め所に入ってきた。

「き、貴殿は昨日の……」

 詰所の責任者らしき中年の衛兵が、昨日奴隷商人や盗賊たちを突き出した当人である白い人物──ライナスの顔を見てほっと安堵の息を吐いた。

「連れが失礼した。実は昨日捕らえた奴隷商人に少々訊きたいことがあるのだが、面会させてもらえるだろうか?」

「それは構わないが……おお、そうだ! 貴殿──魔術師殿に少々頼みたいことがある。後で話を聞いてもらいたい」

「俺に頼み? ならば、勇者組合を通して依頼としてもらえると助かる」

「そういえば、魔術師殿は組合の勇者であると言っていたな。あい分かった。正式に勇者組合に指名依頼を出しておく。とりあえず、ここで話だけでも聞いて欲しい」

 詰所の責任者──衛兵の隊長の言葉に、ライナスは背後を振り返る。彼が言おうとしていることを理解して、ジルガが頷いてみせた。

「では、奴隷商人に会った後で聞かせていただこう」

「承知した。おい、魔術師殿を地下牢に案内しろ」

 衛兵の隊長は、近くにいた部下にそう命じた。

 彼が自分の背後にいる黒い全身鎧に決して目を向けようとしていないことにライナスは気づいていたが、そのことには触れないでおいた。



 地下牢にはライナスだけが赴いた。理由は、地下へと続く通路が思いのほか狭く、ジルガでは通ることが難しかったからだ。

 よって、ライナスが地下で奴隷商人と話している間、ジルガと鬼人族の姉弟は詰所の外で待つことに。

 衛兵詰所の入り口付近で、腕を組んで仁王立ちする漆黒の全身鎧。通りを行く人々は、意図的にそちらから目を逸らしている。

 中にはジルガを見てしまい、突然泣き出す幼い子供もいた。その子供の母親は、慌てて我が子を抱きかかえて走り去っていく。

 そんな光景を見て、レディルとレアスは苦笑するしかない。

「ジルガさんって…………」

「…………うん、アレだよな」

「なに、気にするな。私も今では気にしなくなったからな」

 最初こそ──勇者組合に所属したばかりの頃は、自分を見て怯える人々や泣き出す子供を目の当たりにして、結構心にダメージを受けていたジルガ……いや、ジールディアであったが、すぐにそんなことには慣れてしまった。

 自分をどこか心配そうに見上げる姉弟の頭を、ジルガはその大きな掌でふわりと撫でる。

 金属の手甲に包まれていながら、それが姉弟を傷つけるようなことは決してなく。

 その行為に、この悪魔めいた【黒騎士】が見た目のように恐ろしい存在ではないとレディルとレアスが再認識する。

 そうやって待つことしばし。ようやく、詰所の中からライナスが姿を見せた。

「随分と遅かったな。それで、レディルとレアスたちが暮らしていた場所は分かったのか?」

「ああ、それなら件の奴隷商人から何とか訊き出せた。同時に、組合の勇者として仕事を一つ請けることにもなったがな」

「どういうことだ?」

「詳しくは勇者組合で説明するから、組合へ移動しよう」

 背を向けて歩き出すライナスの後を追い、ジルガたちもまた勇者組合のマイア支部を目指して歩き出した。


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