鬼人族の姉弟と【黒騎士】

「なんだとぉ? ブレイがられて、他の連中が捕まっただぁ?」

「へ、へい、そうなんでさ、親分! あ、あっしはちょいと小便していてブレイの兄貴たちが馬車を襲うのに遅れちまったんですが、あっしがその場に着いた時、もう兄貴たちは捕まっていまして……」

 それは、とある山奥の放棄された小さな砦の跡。

 いつ、誰が、どんな目的でこの小さな砦を作ったのかは知らない。しかし、そこが彼らにとって格好の根城であることは間違いない。

 彼ら──【りょくりんだん】と名乗る山賊たちにとって。

 【緑林団】の首魁である【鉄塊】のドーセは、唯一戻った配下をうろんげに見つめる。

「ブレイの奴ぁ、あれで結構な手練れだ。あいつが後れを取るとは思えねぇがなぁ?」

「う、嘘じゃありませんぜ、親分! あっしゃぁ、離れた茂みの中から確かに見たんだ! ブレイの兄貴──は全身黒ずくめの鎧野郎に殺されちまったけど、他の仲間たちが縄で縛り上げられるところを!」

 どうやらこの配下、仲間たちが捕まっている所を、離れた場所で隠れて見ていたらしい。

 そのことを【鉄塊】のドーセは咎めるつもりはない。自分の配下とはいえ、殺されたり捕まったりするようなヘマをした奴が馬鹿なのだ。

 それどころか、配下が捕まったことを報せたことをドーセは逆に評価する。

 なんせ、配下を捕まえたという黒ずくめの鎧に、彼は心当たりがあったのだから。

「そうか……勇者組合の【黒騎士】ジルガか。全身黒ずくめの鎧野郎なんて、噂の【黒騎士】ぐらいだろうからな。そして、あいつの噂が本当であればいくらブレイが強くても敵いっこねぇわな」

 噂によれば、勇者組合に属する【黒騎士】ジルガは、単独で竜さえ討伐するバケモノらしい。そんなバケモノに遭遇するとは、ブレイたちは運が悪かったとしか言えない。

 まあ、噂なんてものには尾ヒレがつくものだ。単独で竜を倒したというのはさすがに誇張された噂だろうが、話半分に聞いても【黒騎士】が相当な手練れであることは間違いあるまい。

 そして、おそらくは自分よりも強いだろう、とドーセは冷静に判断する。

「となると、早々にここを引き払った方がいいな。捕まった連中が、この根城のことを吐くかもしれねぇ」

 捕らえられた山賊の末路は決まっている。大抵は極刑か、軽く済んでも数十年の強制労働だ。単なる禁固刑では済まされない。

 禁固刑だと、その者が生きていくためにどうしたって金がかかる。どの地域の支配者も、山賊を生かすために金を使うぐらいならさっさと処刑するか、生きていくための金を強制的に自ら稼がせるかを選ぶに違いない。

 だが、仲間や根城の情報を吐いた場合、時に刑を減刑される場合がある。これもその地域の支配者次第だが、自らの刑の減刑を求めて仲間の情報を吐く可能性は低くはないだろう。

「野郎ども! さっさとズラかる用意をしろ! 金目の物や酒は絶対に忘れんじゃねえぞ!」

 首魁の指令に、【緑林団】の山賊たちが動き出す。

 この古砦は結構居心地が良かったが、また別の根城を探せばいいだけだ。

 さて、自分も逃げ出す準備をするか、と腰を上げようとした【鉄塊】のドーセに、先ほどの手下が更に進言する。

「お、親分! あっしは見ましたぜ! ブレイの兄貴たちが捕まった後────」



「姉さん……これからどうするんだ?」

「どうしようか……」

 街道をとぼとぼと歩く二つの人影。

 どちらも身に着けているのは簡素な貫頭衣のみで、荷物もなければ身を守るための武器もなく、とても旅をしているようには見えない。

 先程、自分たちを助けてくれた恐ろしげな全身鎧の騎士や、その仲間らしい魔術師には自分たちだけで生きていけると言ったが、正直そんな自信はほとんどない。

 だからと言って、人間の世話になるのは嫌だった。なぜなら、人間こそが彼女たち姉弟を今の状況に追い込んだのだから。

 父と母、そして自分と弟の平穏な生活を一方的に破壊した人間など、絶対に信用できるものか。

「まずは……お父さんとお母さんがどこにいるか探そうか」

「でも……父さんと母さんは…………」

 弟の問いに、姉は黙り込んでしまう。

 彼女たち家族は、どこかの山奥でひっそりと暮らしていた。

 厳しくも優しい父と、いつも笑顔の絶えない温かな母。そして、ちょっと生意気だけど可愛い弟。

 どうして自分たちが、家族だけで山奥で暮らしていたのか。そんなこと疑問に思ったこともなかった。物心ついた頃から彼女たちは家族だけで山奥で暮らしていたのだから、それが普通だと思っていたから。

 そして、家族だけだが平和で穏やかな生活が、これから先もずっと続くと思っていた。

 しかし、そんな穏やかな生活は、ある日突然壊れてしまった。

 彼女たちが暮らす家に突然押し寄せた、数人の人間たちの手によって。

 前触れなく襲いかかってきた人間たちは一方的に自分と弟を捕らえ、そして自分たちを人質にされた父と母も、同じように捕らえられてしまった。

「しかし、こんな辺鄙なところに鬼人族が家族だけで暮らしているとはな」

「確か、何かを採集するためにこの辺りをうろついていた組合の勇者が、偶然この住処を見つけたんだったか?」

「ああ、酒場でそんなことを話している連中がいたんだよ。で、その話をたまたま聞きつけた俺が、レイモアの旦那に知らせたってわけだ」

「山の麓の村落にも、山の奥に何者かが住んでいるって噂はあったらしいぜ」

 人間たちが笑いながら何かを言っている。

 彼らの言葉は分かるが、突然自分たちに降りかかったできごとに、うまく頭が回ってくれない。

「さて、どうする? 女が二匹いるが……楽しんでおくか?」

「馬鹿言え。鬼人族なんて魔物と大差ねえだろ? よくそんな相手で楽しめる気になれるな? しかも、片方はまだガキじゃねえか」

「違いねぇ。俺なら、この仕事の報酬でちょっといい娼婦を買うぜ」

 縄で縛められ、床に転がされる自分たち家族を見下ろして、四人の人間たちがげらげらと笑う。

「おい、何を笑っている? もう片付いたのか?」

 そして、笑い合う人間たちの向こうから、五人目の声がした。そして、身なりがよくて恰幅もよい人間が現れ、鬼人族たちをじろりとねめつくような目で見下ろした。

「ふむ、大人二匹はそれほどでもないが、ガキどもの方は高く売れそうだ。鬼人族だけあって見目がいいしな。おい、おまえたち、さっさとこのガキどもを山の麓に停めてある馬車まで運んで檻に入れろ。大人二匹は……気性の荒い鬼人族の大人は奴隷には不向きだ、外で待っている奴らに言って適当に始末させろ」

「わかっていますよ、レイモアの旦那」

「それより、今回の仕事の報酬は……」

「分かっているとも。このガキどもが高く売れたら、後で臨時報酬も出してやる」

 身なりのいいレイモアと呼ばれた男が、背中を見せて家の外に出る。

「さて、じゃあ仕事を片付けるとするか」

 姉弟はそれぞれ大きな薄汚れた布袋に無理やり入れられ、そのまま荷物よろしく麓まで運ばれた。そして、そこに停めてあった大型の馬車の前で袋から引きずり出される。

「一応、ガキたちの衣服をひん剥いて武器を隠していないかどうかは確認しておかないとな」

「ま、魔物を脱がしても楽しくもねえがな」

 粘ついた笑みを浮かべた人間たちは、姉弟が着ていた衣服を短剣で切り裂き彼女らを全裸にする。そして、武器などを隠し持っていないことを確かめると、簡素な貫頭衣を与えて馬車に積まれていた檻へと押し込むのだった。



 その後、両親がそれからどうなったのか、姉弟には分からない。だが、人間たちが言っていたことを実行したとすれば、父と母はもう──

 こみ上げてくる不安と悲しみ。だけど、今はそれを零すわけにはいかない。

 父と母がいない今、弟を守れるのは自分だけなのだから。

 大丈夫。お父さんもお母さんもきっと無事。自分にそう言い聞かせながら、湧き上がる不安をかみ殺す。

 改めて周囲へと目を向ければ、ここは全く知らない場所だった。

 馬車に押し込まれてから、どこをどう通ってここまで来たのか、姉弟には全く分からない。彼女らはずっと檻の中にいて、外の様子を確かめることもできなかったからだ。

 そのため、自分たちが今いるのがどこで、自分たちの家があったのがどちらの方角かさえ分からない。

 それから、姉も弟も口を開くことはなかった。二人の胸には自分たちの今後に対する大きな不安があった。

 その大きな不安が、彼女たちの口を重くしていたのだ。

 だが、その二人が突然足を止め、警戒を露わにして周囲を見回した。

「姉さん……」

「ええ、分かっているわ」

 どうやら囲まれている。そのことを、鬼人族特有の鋭い感覚で感じ取ったのだ。

 姉弟の足が止まったことを確認したからか、周囲の茂みから薄汚れた身なりの男たちが姿を現す。

 その数、十人以上。いくら鬼人族の身体能力が高かろうが、武器もなく、また、成人に達してもいない姉弟が突破を試みるのは絶望的な状況だ。

「……私が囮になる。その隙に、レアルだけでも逃げて」

「馬鹿言うなよ、レティル姉さん。囮になら僕がなる。姉さんの方こそ逃げてくれ」

 じわじわと近づいてくる人間たち。鬼人族の姉弟──レティルとレアルは、小声で自分の意思を示すが、相手が聞き入れないだろうことを半ば確信してもいた。

 姉弟の包囲網は徐々に縮まり、その包囲網の中から一際大柄な男が二人の前へと進み出た。

「ほう、本当に鬼人族じゃねえか。しかし、ブレイたちが襲ったのが奴隷商人だったとはな。まあ、別に知り合いでも何でもねえからどうでもいいけどよ」

 身を寄せ合う鬼人族の姉弟を、進み出た大柄な男──【緑林団】の首魁である【鉄塊】のドーセは、じろじろと無遠慮な目で見つめた。

「………………」

 現れた巨漢を、姉弟は不安げに見つめる。

「おまえたち、行くあてなんてないんだろ? だったら、俺たちが助けてやるから一緒に来な」

 にやり、と笑みを浮かべるドーセ。もちろん、この山賊の親玉が親切心からそんなことを言っているわけじゃないのは明白だ。

 おそらくは彼女たちを捕らえた奴隷商人のように、どこかに売り飛ばすつもりなのだろう。

 レティルとレアルの姉弟は、じりじりとドーセから後ずさる。しあかし、そんな彼女たちの背後にも、【緑林団】の山賊が回り込んで退路を塞いでいた。

 折角奴隷商人から逃げることができたのに、結局また捕まる運命なのか。

 悔しさに噛み締めたレティルの唇から、つつっと血が滴り落ちる。

 このまま再び捕まるぐらいなら、玉砕覚悟で山賊たちに突っ込もう。自分を庇うようにして立つ姉を横目で見ながら、レアルはそう考えていた。

「無駄に暴れるんじゃねえぞ? 下手に傷つけたら売値が下がるかもしれねえからな」

 下卑た笑みを更に深めたドーセが、その太くて毛むくじゃらな腕を姉弟へと伸ばす。

 その時。

「なんだ? また山賊か? 今日はよく山賊と遭遇する日だな」

 姉弟を囲む包囲の外側から、血の底から響くような低い声が聞こえてきた。


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