違法奴隷と【黒騎士】

 ガラルド王国に、奴隷制度は存在しない。

 刑罰で強制労働を科せられたり、借金の返済に身を売ったりする者はいなくはないが、それは決して奴隷ではないのだ。

 強制労働は刑期が明ければ釈放されるし、身売りした者も借金の返済が終われば自由になれる。

 もっとも、強制労働はその過酷さから刑期が明ける前に命を落とす者が少なくはないし、身売りした者も借金を返し終えるまでに体を壊してしまう者も多い。

 だが、それらは決して奴隷ではない。服役中の罪人や身売りした者を意図的に害すれば法律で罰せられるし、売買の対象にすることもできない。

 しかし、それはあくまでも表向きの話。

 ガラルド王国にも闇の部分はある。その闇の中には、密かに奴隷を売買している組織や商人が存在するのだ。

 ジルガが助けた商人も、おそらくはそんな闇の奴隷商人の一人なのだろう。

 馬車に積まれた金属製の檻は二つ。それぞれに一人、人間が入れられている。

 檻の中に入れられているのは、まだ年若い少女と少年だ。

 馬車の中は薄暗いが、ジルガの鋭い視力は少女と少年の面立ちに似通った部分を認めた。この二人は姉弟か、それでなくても血縁であるのは間違いあるまい。

 その少女と少年は、怯えた目で突然馬車を覗き込んだ漆黒の巨漢を見つめている。

「おい、貴様────ん?」

 ジルガが再び商人へと目を向けた時、既にその姿は彼女の傍にはなかった。

 自身が違法な奴隷商人だということが露見したため、慌てて逃げ出したのだろう。

「愚かなやつめ。この私から逃げられると…………おや?」

 さて、奴隷商人はどちらに逃げたのかとジルガが周囲を見回した時、彼女から少し離れた街道脇の木に、ねばねばとした何かで件の奴隷商人が括り付けられ、そこから逃れようと必死にもがいていた。

「これは『蜘蛛糸』の魔術……ライナスか?」

「当然だろう」

 声のした方へと視線を向ければ、そこには白いローブ姿の魔術師──ライナスが立っていた。

「犠牲者の埋葬をしていたのか?」

 ジルガがライナスから僅かに視線を逸らせば、そこに真新しい土饅頭がいくつか。どうやら、山賊に殺された護衛たちを魔術で埋葬していたようだ。

「まあ、犠牲者だけではなく、先程君が殺した山賊も一緒に埋葬したがな。道端に死体を放置しておくわけにもいかん」

「おお、手間をかけさせてしまったな。確かに、死体を放置しておくと獣や魔獣を呼び寄せかねんし、最悪の場合は不死の怪物と化してしまうからな」

「それから、山賊に殺された者たちの中に組合の勇者はいなかったぞ。誰も勇者の首飾りを所持していなかった」

 もしもどこかで組合の勇者の亡骸と遭遇した場合、その者が所持する勇者の首飾りを回収し、勇者組合に提出することが組合の勇者たちの間では暗黙の了解となっている。

 規則で決まっていることではないので、亡くなった者の勇者の首飾りを回収提出しても特別報酬は発生しない。

 だが同じ勇者組合に所属する者への最期の弔いとして、組合の勇者は死した者の勇者の首飾りを回収し、最寄りの組合支部へと提出することが定例となっていた。

 なお、命を落とした者の勇者の首飾りを組合に提出すると、人格と功績が認められて階位が上がりやすくなる、という噂が組合の勇者の間で密かに広がっているが、あくまで噂でしかない。

「あの者は違法な奴隷商人のようだからな。正規の手段で組合の勇者を雇うことなどできぬさ」

「それもそうか。さて、それよりも問題は、だ」

 肩を竦めたライナスが周囲を見回す。

 辺りには、馬がいなくなった馬車と、捕縛された十人ほどの山賊、その山賊たちに襲われていた違法な奴隷商人、そして、奴隷としてどこかから攫われてきたと思しき少女と少年。

 果たして、これだけの人数をこれからどうするべきか。

 その事実に、実質的な勇者組合の最高実力者二人は大いに頭を悩ませるのだった。



 黒白の二人組があれこれと悩んだ結果、檻に入れられていた少女と少年は檻から解放し、次の町までジルガたちが二人を送り届けることにした。

 そして、捕らえた山賊や奴隷商人を少年と少女が入れられていた檻に押し込み──檻の大きさと人数から、文字通りに押し込んだ──、馬車で町まで運ぶことに。

 その際、馬車を運ぶのはライナスが即席で作り上げたゴーレムだ。

「即席の簡易ゴーレムなので稼働時間は精々一日程度だが、次の町まで馬車を引っ張るぐらいはできる」

 と、ライナスはジルガに告げた。

 地面から湧き出るように出現した土のゴーレム──クレイ・ゴーレムに、解放された少女と少年はびくりと怯えた様子を見せる。

「安心するがいい。そのゴーレムが君たちを傷つることは絶対にないからな」

 怯える少女と少年にジルガが声をかけるが、漆黒の全身鎧から滲み出る何とも言えない恐怖感に、二人は更に怯えてしまう。

 そんな二人の様子に、ジルガの多感な乙女心がかなり傷ついた。

 もう忘れているかもしれないが、ジルガは──いや、ジールディアはまだまだ多感と言っても差し支えない年頃の女性なのである。

 落ち込むジルガの肩を、ライナスが慰めるようにぽんぽんと叩く。

「君の気持ちも分かるが、それよりも問題があるだろう」

「む、む? 問題だと?」

「そうだ。君はあの二人が何者なのか、気づいていないのか?」

 ライナスにそう言われて、ジルガは改めて少女と少年を見る。

 二人とも肌の色は薄い褐色。ガラルド王国ではあまり見かけない肌色だ。

 そして、瞳は晴天の夕焼けのような見事な赤。こちらもガラルド王国ではまず見かけない。

 髪はライナスと同じ白金色。いや、彼よりは若干薄く、白金色というよりは銀色と言ったほうがいいだろう。

 着ているものは簡素な貫頭衣。おそらくは奴隷商人が与えたものと思われる。

 そして何より、二人の額から飛び出している小さな角。

 額の左右の端から、人差し指ほどの長さの黒い角が生えていた。

「もしや……この二人はじんぞくか?」

「間違いあるまい……これは少々厄介なことになるやもしれんな」



「鬼人族は小人族ドワーフなどとは違い、人間との交流を基本的に断っているからな」

 ライナスが言うように、鬼人族は人間たちとの交流を好ましく思っていない。その理由は過去、人間と鬼人族の間で大きな争いがあったからだ。

 肌の色や角があるなど、見た目的に多少の差はあるものの鬼人族の容姿は優れている場合が多い。そのため、一部の心ない者たちからは違法奴隷の格好の標的とされていた。

 それは鬼人族が人里離れた山奥で、狩猟と採集を主体とした原始的な生活を送っていることも大きな要因だったのだろう。

 人間よりも下等な存在として、「狩り」の標的にされてきたのだ。

 もちろん、鬼人族とて黙っていたわけではない。最初こそ穏便に話し合うことで問題を解決しようとした彼らだったが、一向に改善しない事態に遂に武力でもって人間に対抗した。

 鬼人族の数は人間に比べてかなり少ない。だが、その身体能力は人間を遥かに凌ぐ。

 彼らは特に筋力と敏捷性に優れるため、敵対した鬼人族は恐るべき存在と化した。

 両者の争いは長くは続かず、どちらが明確な勝者となることもなかった。結果、それ以降人間と鬼人族は不干渉──ごく個人的な細々とした交流を除いて──を貫いている。

 その鬼人族の少女と少年が、違法な奴隷商人に囚われていた。これが公になれば、人間と鬼人族の間で再び争いが起こるかもしれない。

「できれば、この二人は元いた彼らの集落へ穏便に帰したいところだな」

「謝罪や賠償で済むものであれば、私ができる限り応じるのだが……」

 再び悩み始める黒白の二人。そこへ声をかける者がいた。

「あ、あの……騎士様に魔術師様」

 考え込む二人が声の方へと目を向ければ、そこには鬼人族の少女が。少年と比べてやや背が高く、顔立ちも大人びているので彼女の方が年上なのは明らかだろう。

 年齢は少女の方は13歳か14歳、少年は10歳より少し上ぐらいか。明らかにどちらもまだ成人してはいない。

「私たち姉弟きょうだいのことはお気になさらずとも結構です。私たちは二人だけでも生きていけますので」

「た、助けてくれたことには礼を言う。だが、これ以上僕と姉さんに関わるな!」

 鬼人族の二人はやはり姉弟だったようだ。だが、今の二人の言葉にライナスは引っかかりを覚える。

「二人だけ、とはどういうことかな? 鬼人族は少数ながらも集団で暮らしていると聞いているが?」

 人里離れた山奥で暮らす鬼人族たちは、いくつかの家族が集まった集団を形成して暮らしており、彼らはその集団を「氏族」と呼んでいる。

 一つの氏族の人員は多くても百人未満、少ない場合でも十人前後の規模となる。

 なので、今鬼人族の姉弟が言ったように、「二人だけ」ということはないはずだ。

 しかし、鬼人族の姉弟はライナスの問いに答えるつもりはないらしい。

「お二人には関係のないことです」

「僕たちはもう行くからな!」

 そう言い残すと、姉弟はジルガたちが向かう方向とは逆に歩き出した。

 その背中を、黒白の二人は黙って見送るしかない。

「どうする?」

「どうする、と言われてもな。あの二人、相当人間を嫌っているようだ」

 ジルガの質問に、ライナスは肩を竦めながら答える。

 助けてもらったことに関しては恩義を感じているようだが、それ以上にジルガたちに……いや、人間に対する憎しみのようなものを抱えているのをライナスは感じた。

「これ以上、我々にできることはないだろう。それよりも、捕らえた山賊と奴隷商人を次の町まで運んだ方がよくないか?」

「…………」

 ライナスの問いに答えることもなく、ジルガは腕を組んで鬼人族の姉弟が立ち去った方角をじっと見つめ続けた。



「な、なんだあの黒いバケモノは……」

 腕を組んで鬼人族の姉弟が立ち去るのを見つめるジルガ。その背中を、彼らからやや離れた茂みから息を殺して見つめる者がいた。

 そして、そのことにジルガもライナスも気づいていない。

 さすがのジルガとライナスも、離れた場所に潜む小さな気配を察知してはいなかったのである。


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