旅の商人と【黒騎士】

 ビシェドの町から王都セイルバードへと至る街道。

 その街道を、対照的な黒白二人組が歩いていた。

 黒い方の人物は随分と大柄だ。悪魔というか悪鬼というか、どこからどう見ても禍々しいとしか言えない漆黒の全身鎧を纏い、その手には巨躯に相応しい巨大なハルバード。

 がっちょんがっちょんと鎧が鳴る音も高らかに、王都へと続く街道のど真ん中を堂々と歩いて行く。

 対して、白い方の人物は黒い方とは対照的だった。

 身長こそ黒い方に劣るものの、十分長身と言える。

 だが、横幅がどうにも細い。いや、はっきり言って「ヒョロい」が最適な表現だろう。そのヒョロい痩身を、汚れのない白いローブで覆っていた。

 更に白ローブの人物は、疲れているのか歩く速度がかなり遅い。

 街道の真ん中を真っ直ぐに歩く黒い方に比べて、白い方は妙にふらふらとしていた。

「どうした、もう疲れたのか?」

「あ、当たり前だ……っ!! もう何時間歩き続けていると……っ!!」

「何情けないことを言うのだ? 旅をする以上、数時間歩くことなど普通だぞ?」

「そ、そうかもしれないが、私は本来派なのだ。数時間も歩くなど……」

「女の私でさえ、数時間歩き続けることは難しくないぞ?」

「……」

 男だろうが女だろうが、人には向き不向きというものがある、と白ローブ──ライナスは言いたかった。

 だが、それだけは言えない。言うわけにはいかない。そんなことを言い出すと、あまりにも自分が情けなく思えるので。

 彼にも男としての矜持が──特に彼女の前では──多少なりとはあるのだから。

 しかし、とライナスは改めて前を歩く黒鎧──ジルガを見る。

 全身鎧を着ているというのに、その足取りは相当軽い。確かにあの鎧は特殊で重さをあまり感じさせない能力がある。

 それでも、全く重さを感じないわけではない。そのジルガの足取りが乱れない以上、自分から休憩しようなどとは言い出せない。

 仮に彼女が黒魔鎧ウィンダムを着ていなかったとしても、おそらく体力面ではライナスの方が相当劣っているのは間違いないだろう。

 三年ほど前までは、剣を手にしたことさえなかったジルガ──ジールディアが、今では竜さえ倒せるほどに至った。

 生まれ持った才覚はあっただろう。ウィンダムの桁外れな防御力に頼っている部分もあるだろう。それでも、彼女が僅か三年で竜を倒せるまでになったことは事実であり、そこに至るまでジールディアが相当な努力を積み重ねたことは違いあるまい。

「……私も少しは体を鍛えた方が良さそうだな……」

 疲れ果てた自らの両足に密かに活を入れ、ライナスは黒い鎧姿を必死に追いかけていった。



 その後もしばらく街道を歩き続けた二人。

 先頭を行くジルガが、なぜか突然その足を止めた。

「…………どうした?」

 体力の限界寸前になっていたライナスが、荒い息を吐きながら何とか尋ねた。

「どうやら、この先で誰かが争っているようだ」

「何? このような場所で争いごととは……野盗の類か?」

「うむ、おそらくそうだろう」

 そう言った途端、ジルガが軽快に駆け出す。

「おまえは後からゆっくり来るがいい。おまえが到着するまでに片付けておくからな!」

 そう言い残したジルガの背中が、見る見るうちに小さくなっていく。

「まったく……そう言われて黙って従えるわけがなかろう……」

 ライナスは呆れたように呟くと、続けて小声で呪文を詠唱する。

 使うは高速飛翔魔術。かなり高難易度の魔術だが、【白金の賢者】とまで呼ばれる彼にしてみれば、それほど難しい魔術ではない。

 詠唱を終えたライナスの体が、風を孕みながらふわりと宙に浮く。

 そして、放たれた矢のように風を引き裂いて空を舞う。

 確かに、体力面でライナスはジルガにかなり劣る。だが、それを補うだけの知識と魔術が彼にはあるのだ。

 上空を高速で飛翔しながら、ライナスはジルガの後を追う。

 やがて地と空を行く二人の前方に、横転した馬車が見えてきた。



 横転した馬車。

 その周囲に血まみれで倒れている数人の男たちは、護衛の傭兵か組合の勇者か。馬車を牽いていたはずの馬の姿は見えないが、逃げ出してしまったのだろうか。

 そんな横転した馬車を取り囲むのは、薄汚れた十数人の男たち。明らかに山賊か野盗の類に違いない。

 そして今、山賊たちの手によって、倒れた馬車から一人の男性が引き摺り出された。

 恰幅のいい体を仕立ての良い衣服で包んでいるところから、裕福な商人といったところか。

 引き摺り出された商人風の男性を、山賊たちが取り囲み下卑た笑みを浮かべる。

 商人は額を地面に擦り付けるようにして命乞いをするが、山賊の一人がそれを無視して手にした得物──手入れの行き届いていない斧──を振り上げ、商人の頭へと振り下ろした。

 その直前。

 どこからともなく飛来したふうが、斧を振り上げた山賊の体を上下に分断した。

 血と肉片と内臓をまき散らし、瞬く間に命を散らした山賊を、他の仲間たちがぽかんとした表情で見つめる。

 その時だった。まるで地の底から響くような重々しい声が聞こえてきたのは。

「そこまでだ。大人しく投降するのであれば、命は奪わないと約束しよう。だが、歯向かう者は容赦せんぞ?」

 そう言いながら、街道をゆっくりと歩いて来たのは全身を黒い甲冑で覆った大柄な人間だった。

 悪魔をモチーフにしたかのような、禍々しい雰囲気の全身鎧。その姿を見ただけで、山賊たちは思わず数歩後ずさる。

 そんな山賊たちを無視して、全身鎧の人物は山賊たちの前をゆっくりと歩き、先ほど仲間の一人を両断した凶器を、突き刺さった地面から引き抜いた。

 この時になって、ようやく山賊たちは仲間の一人を上下に両断した颶風の正体が、巨大なハルバードであったことを知る。

 本来、ハルバードなどという武器は投げて使うものではない。というか、投げられるものじゃない。

 ただ放り投げるだけならともかく、人間を両断するほどの威力を持たせてするなど、普通に考えればできるわけがないのだ。

 更には、目の前の全身鎧が手にするハルバードは、通常のものよりも更に巨大で重量がある。それを投擲した時点で、この全身鎧がただの傭兵などではないことを盗賊たちは理解した。

「………………し、漆黒の……あ、悪魔……」

「誰が悪魔だ、人聞きの悪い」

 思わずといった感じで呟いた山賊の一人を、全身鎧の人物がじろりと睨む。

 それだけで、先ほど呟いた山賊は恐怖のあまり腰を抜かし失禁してしまった。

「もう一度だけ問う。投降するならよし、そうでなければ命の保障はできかねる。さあ、どうする?」

 居並ぶ山賊たちを見回しながら全身鎧がそう告げた時、山賊たちは手にした得物を足元に放り投げて投降の意思を示した。



「空を飛ぶ私よりも速く走るとは……しかし、これだけの数の山賊を一網打尽にするとは、勇者組合階位第3位は伊達じゃないな」

 空からライナスが舞い降りた時、既にジルガは十数人の盗賊たちを縄で縛め終わっていた。

「……十数人の人間を縛めるだけの縄なんてどこに持っていた?」

「それぐらい、組合勇者の嗜みというものだぞ」

 不思議そうに尋ねるライナスに、ジルガはそれが当然とばかりに答える。

 だが、ライナスの疑問ももっともだろう。十数人もの人間を縛り上げるには、相当な長さの縄が必要となる。

 だが、確かにジルガは旅用の背嚢を背負ってはいるものの、そこにそれだけの縄が入っていたとはとても思えない。

 尚も首を傾げ続けるライナスを無視して、ジルガは商人らしい男性へと近寄った。

「大事はないかね?」

「こ、これは騎士様。あ、危ないところを助けていただき、ま、ままま誠にありがとうございました」

「なに、たまたま通りかかっただけだ。礼には及ばぬよ。ああ、申し遅れた。私はジルガと言う。勇者組合に所属する者であり、決して怪しい者ではないので安心して欲しい」

「く、組合の勇者様で…………って、え? じ、ジルガ……? も、もしや【黒騎士】ジルガ様で……?」

「ああ、最近ではそのように呼ばれているな」

 ジルガの鎧が放つ鬼気に圧されておるのか、それとも他に理由があるのか。商人らしき男性の腰はすっかり引けていた。

「それで、貴殿は商人か? 馬が逃げては馬車を動かせないだろうが、これからどうするつもりかね?」

「はははははい、さ、幸い次の宿場町は近いですので、そ、そこまで行って人を雇うかと……こ、高名な【黒騎士】様のお手を煩わせるようなことは……」

 なぜかおどおどとした態度の商人。そのことを不審に思いつつも、ジルガは言葉を続けた。

「ん? 次の町まで決して近くはないぞ。ここからだと、半日近くはかかるだろう。そこまで行く間、この馬車をどうするつもりかね?」

「そ、そそそそそれは…………」

 怪しい。明らかに怪しい。ジルガは商人の態度から何かを隠していることを確信した。

 だから、少しちょっかいをかけてみる。

「何にしろ、馬車をこのままにしておくわけにはいくまい。どれ──」

 ジルガが横転している馬車に手をかける。そしてそのまま、ずいっとこともなく馬車を持ち上げた。

「…………は、はいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」

 そのあまりにもな光景に、商人が素っ頓狂な声を上げる。

 まあ、無理もない。横転していた馬車はかなり大型で、しかも全体が幌に覆われていて積み荷もそれなりにあるようだ。とてもじゃないが、人間一人が持ち上げられるものではない。

 そしてジルガは、持ち上げた馬車をずしんと音を響かせながら地面へと置く。もちろん、横転したままではなく本来の正しい形で。

 その際、幌の中からくぐもった声が聞こえてきたのを、ジルガははっきりと聞いた。

「うむ? 馬車の中にはまだ誰か乗っていたのか? だとしたら申し訳ないな。少々手荒に扱ってしまった。中の御仁、怪我はないかね? もしも怪我をしてしまったのであれば、私が責任をもって治療しよう」

 ちょっとわざとらしい演技をしながらも、ジルガは幌を捲り上げた。

「…………む?」

 ジルガが覗き込んだ馬車の中。そこには金属製の巨大な檻が二つあった。そしてその檻の中には、一人ずつ人間が閉じ込められている。

「これはまさか……違法奴隷か?」






~~~ 作者より ~~~

現在、仕事の方が多忙につき、来週の更新はお休み!

次回は4月11日に更新します。


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