旅立ちの【黒騎士】

「──この中の誰が、勇者組合に所属するのかね?」

 自分を見つめるナイラル侯爵家の者たちをゆっくりと見回し、筆頭宮廷魔術師であるセルマンはそう告げた。

 今回の一件は、ジールディアの将来がかかっていると言ってもいい。そのため、彼女が呪われた事実を広めるわけにはいかず、黒鎧やその呪いに関する情報を集めるのであれば、やはり家族の誰かが直接動くことが望ましい。

 ちなみに、昨夜からこの件に関わった何人かの使用人には、きつく口止め──ちょっと多めの臨時俸給を渡しつつ──してある。ナイラル侯爵家の使用人はほぼ信頼できる者ばかりであり、彼ら彼女らの口から呪いの件が漏れる心配はまずない。

 もちろん、使用人の中には今ひとつ信をおけない者たちもいるが、そのような者たちは主人家族から遠い部署に配属されているため、昨夜から今日にかけての事件を知らずにいた。

 もしも使用人の誰かが今回の件を家外に漏らせば、おそらくは厳しい沙汰──しかも連帯責任で──があるかもしれない。

「侯爵家の当主が今更勇者組合に所属するなどおかしな話だ。そしてそれは、既に騎士団に所属している息子二人も同様。加えて、末っ子は組合に所属するには若すぎる。では女性陣かと言えば……エレジアもジールも、荒事に耐えられるような性格ではあるまい」

 セルマンが言うとおり、ナイラル侯爵家の男性陣は既に社会的な地位がある。その地位を投げ出して、もしくは今の地位を保ったまま勇者組合に所属するとなると、痛くもない腹を探ろうとする輩が出てきても不思議ではない。

 そして、女性陣はある意味で生粋の「貴族女性」である。軽い護身術や乗馬ぐらいならともかく、これまで本格的な戦闘訓練など受けたこともない。

 勇者組合はその性質上、どうしても荒事を扱うことが多い。戦闘経験が皆無な二人が所属しても、とても階位を上げることはできないだろう。

 そもそも、侯爵家の夫人や令嬢が勇者組合に所属するなど、貴族社会では醜聞以外のなにものでもない。

 そして最後に、勇者組合に所属するには14歳以上という規則がある。末弟のアインザムはその14歳に達していない。

 結果、今のナイラル侯爵家には、勇者組合に所属できる者がいないのだ。

 もちろん、信頼できる家臣を勇者組合に所属させる方法もある。もしくは、口の固い組合の勇者を雇うという手段もあるだろう。

 だが、ジールディアの今後を考えれば、呪いの黒鎧に関することを知る者は少ない方がいいのは間違いない。

「親戚筋から、この件に関わっても大丈夫そうな者を選出するか……?」

「待てよ、親父。俺が騎士団を辞めて勇者組合に所属する。兄貴はこの家の跡継ぎだし、今のまま騎士団にいた方がいいだろうが、俺は騎士団を辞めて勇者組合に所属しても、『将来を見越して』とか言えばそれほど無理もないだろう?」

「確かにアークの言うことにも一理あるが、俺もおまえも騎士団ですでに中隊長の立場だ。そう簡単に騎士団は辞められないぞ」

「だがよ、兄貴。それしか方法がないんだぞ? だったら、俺が騎士団を抜けて勇者組合に所属するべきだろう」

 双子の兄弟がかんかんがくがくと意見を交わす。当主であるトライゾンもその妻であるエレジアも、イリスアークが勇者組合に所属するのが最も問題のない方法かと結論づける。

 だが、それに反対する者がいた。

「待ってくれ、アーク兄さま」

 尚も言い合う双子に向けてかけられた声に、その場にいる全員の視線が声を上げた者へと集まる。

 すなわち、禍々しい漆黒の全身鎧を纏ったジールディアへと。

「勇者組合には……私自身が所属しよう」



「なぜ、私がこの黒鎧に見込まれたのか……それは分からない。だが、これは私の問題だ。私自身が問題解決に乗り出さないでどうする?」

 地の底から響くような重厚感のある声。その声に圧されたかのように、ナイラル侯爵家の者たちとマルセンは言葉を発することもできずに黒鎧を見つめる。

「私が勇者組合に所属し、この鎧や【黄金の賢者】様に関する情報を集める。それが最もいい手段ではないだろうか?」

 そう続けた黒鎧──いや、ジールディアに、ようやく我に返ったトライゾンが言葉を返す。

「ま、待て、ジール。いくらなんでもおまえには無理だ! 勇者組合に所属する以上、どうしても荒事が必要になってくるのだぞ!」

「そ、そうだとも! 父上の言うとおりだ!」

「ジールはこれまで最低限の護身術ぐらいしか身につけていないだろう? やはり、ここは俺が勇者組合に加わるのが一番いいって!」

「姉上! 勇者組合に属すれば、姉上が酷い怪我を……いえ、最悪命を落とすことだってありえるのですよっ!?」

「そうですよ、ジール。皆の言うとおりです。あなたが無理をする必要はありません」

 家族が自分を心配してくれることは素直に嬉しい。だが、それでもジールディアの決心は揺るがない。

「アーク兄さまに今の地位を捨てさせるような真似は、私にはできない。やはり、私が自分で動くのが一番いいだろう」

 そう言い、ジールディアは立ち上がる。今のジールディアは2メートル近い身長があり、そのため家族全員を見下ろす形になる。

 ただでさえ禍々しいことこの上ない黒鎧が見下ろしてくる圧力は、相当なものだ。武の名門であるナイラル侯爵家の男性陣をその気配だけで圧倒するほどに。

「今日これより、私はナイラル侯爵家の娘ジールディア・ナイラルではない。ただの組合所属の勇者……『ジルガ』として、必ずこの鎧の呪いを打ち祓う。私は既にそう決めたのだ」

 それは、ナイラル侯爵家に連なる者ではなく、ただ一人の人間──しかも女性ではなく男性──として勇者組合に属し、活躍してみせるというジールディアの宣言であった。

「ジール……」

「思い返せば、あなたという娘は幼いころから案外頑固なところがありましたね……」

「ああ……昔から言い出したらきかないところがあったよな」

「こうなったジールは誰にも止められない……か」

「姉上……」

「私とて武の名門ナイラル家の者だ。すぐに勇者組合でも名を上げてみせよう」

「どうやら、話は纏まったようだな?」

 それまで黙って成り行きを見守っていたセルマン。いくら親しい友人とはいえ、ナイラル侯爵家の問題に自分が口を出すわけにはいかないと、結論が出るのを待っていたのだ。

「私も文献などをあたってその鎧に関する情報を集めてみよう。それほどまでに強力な神器だ、何れの文献に記載されていても不思議ではないからな。もし何か分かれば、勇者組合を通して知らせを出す」

「感謝する、セルマン様」

「わ、私も我が家に伝わる先祖の記録や手記などを調べてみるぞ! そうすれば、その鎧に関することが何か分かるかもしれないからな! パパ、ジールのためにがんばるよ!」

「お父さま……ありがとうございます」

 友人に張り合うかのようなトライゾンに、妻や息子たちは溜め息を吐くやら肩を竦めるやら。

「では、俺たちで少しでも戦闘術をジールに教えるか」

「そうだな。たとえわずかでも戦いについての技術を知っているかいないかでは、大きな違いになるからな」

「もちろん、僕も協力します!」

 いくら何でも、今日明日に家を出て勇者組合に所属するわけにもいかない。

 ジールディアにも旅立つための準備はあるし、双子の兄たちが言うように戦いのための最低限の基礎訓練は必要だろう。

 貴族の令嬢としての教育は受けているが、市井の中で暮らすとなると貴族とは別の知識も必要になってくる。

 それらの準備をするため、少なくても二十日から三十日は必要となるだろうか。

 できるなら一年ぐらいは準備時間に──特に戦闘技術面では──あてたいところだが、さすがにそこまでのんびりとしているわけにもいかない。

「ジール……」

 母であるエレジアが、娘の手を取る。もちろん鎧の手甲部分に覆われているため、直接娘の手を握ることはできない。

「たとえその鎧に呪われていようが、あなたが私たちの娘であり、ここがあなたの家であることに変わりはありません。いつでも帰ってきなさい。ですから…………絶対に無理だけはしてはいけませんよ」

「…………お母さま……ありがとうございます……」

 ジールディアもまた、母の手を握り返す。

 その際、エレジアの繊手が黒鎧の手に握り潰されそうになったのだが、それを彼女は表情に出すことはなかった。

 母は強し、である。



 そして。

 いよいよジールディアが旅立つ時が来た。

 彼女が黒鎧の呪いに侵されてから、約30日。この間、ジールディアは表向き侯爵家の客人として扱われ、家族や信頼のおける使用人たちから様々なことを学んだ。

「ジール……私のジール……本当に行ってしまうんだね……」

 涙を滝のように流すトライゾンを筆頭に、夜明け間近の早朝にも拘らずナイラル侯爵家の人間は愛する娘であり妹、そして姉の見送りに来ていた。

 旅立つ時間を早朝にしたのは、もちろん人目につかぬためだ。

「やはり、考え直さないか、ジール? 鎧の呪いであれば、私が必ず何とかするから!」

「あなたもしつこいですね」

 子供たちから見えぬ角度で、妻の拳が夫の脇腹に突き刺さる。これで戦闘経験は皆無というのだから、やはり母は強しということなのだろう。

 いや、母ではなく、この場合は妻であろうか。

「ジール、一日も早くその呪いが解けることを祈っているぞ」

「親父じゃないけど、俺たちも呪いを祓うためにできることをするからな!」

 二人の兄が、代わる代わる妹を抱き締める。もっとも、黒鎧を着た今のジールは兄たちよりも背が高いので、見ため的には彼女が兄たちを抱き締めて……いや、逃がさないように押さえ込んでいるようにしか見えないが。

「でも、驚きましたよね。姉上にあんな才能があったとは……」

 自身も兄たちと同様に姉を抱き締めながら、アインザムがにっこりと微笑む。

 彼の言う姉の才能とは、戦いにおける才能のことだった。

 ジールディアが呪われてから今日まで、彼女は家族から戦うための技術や心構えなどを教わった。

 その際、教えられたことを彼女はぐんぐん吸収していったのだ。

 たとえ女性とはいえ、ジールディアもまた武の名門ナイラル侯爵家の血を受け継ぐ者。もしかすると、戦いに関する才能は家族の中で最も優れているのかもしれない。

「では、お父さま、お母さま、ネル兄さま、リーク兄さま、そしてアイン……行ってくるぞ」

 そう言い残し、ジールディアは……いや、漆黒の全身鎧を纏った「ジルガ」という人物は、王都にある勇者養成相互支援組合の本部を目指して歩き出した。

 背にはこれからの生活に必要となるであろう様々な日用品。そして、腰にはその巨体に見合う大ぶりな剣。

 がしゃん、がしゃんと鎧が鳴る音を立てて歩くジルガを見て、早朝より動き出していた王都の住民たちは、まるで魔物に遭遇したかのように顔色を変えて道を開ける。

 中には「あ、あれ、悪魔じゃないのか? 衛兵を呼んだ方が──」とか言っている者もいるが、その声はジルガには届いていないようだ。

 そして漆黒の全身鎧を着た人物が、目的地である勇者養成相互支援組合に到着する。

 一切戸惑うこともなく扉を開け、勇者組合の建物の中に足を踏み入れるジルガ。

 それまでがやがやと騒々しかった本部の中が、一瞬にして静寂に支配される。

 その静かな空間を、ジルガの鎧が鳴る音だけが高々と響く。

「失礼。少々尋ねたいことがあるのだが」

「ひいいいいいっ!!」

 受付に座っていた組合の男性職員が、間近に寄せられた漆黒の兜に圧されるように仰け反った。

「勇者組合に所属したい。どうすればいいのか教えて欲しい」



 そう。

 ここから。

 ここから、後に「無敵の黒騎士」、「不敗騎士」、「竜倒者」などと謳われる、【黒騎士】ジルガの伝説が始まるのだった。


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