呪いの内容と【黒騎士】

 それはもう大騒ぎだった。

 禍々しい漆黒の全身鎧が消えたと思ったら、全裸のジールディアが現れたのだ。

 当主であるトライゾンは、あまりにも非常識な現状に思わず目を見開いて娘を呆然と凝視し、その妻であるエレジアは思わず失神。

 長兄と次兄は最愛の妹とはいえ、年頃の娘の裸身を見つめるわけにもいかずに視線を逸らしておろおろするばかり。

 そして、当のジールディアは初め、どうして家族がそんな態度なのか全く理解できずに首を傾げ、その直後に自分が何も着ていないことをようやく理解して、その白い裸身を両手で隠しつつ悲鳴を上げてその場に蹲る。

 更には、部屋の外に待機していた兵たちがジールディアの悲鳴を聞きつけ、リビングに飛び込んで来そうだったのを間一髪で末弟のアインザムが「部屋に入らないでください!」と叫んで兵たちを押し留めることに成功。

 その後、アインザムは自身が着ていた上着を素早く脱ぐと、それをかけて姉の裸身を覆い隠す。

 まだ10歳ほどのアインザムが一番冷静に行動している時点で、ナイラル侯爵家の家族たちの混乱のほどが知れるというものだろう。

 だが、その直後だった。

 アインザムが姉の体にかけた上着が、突然音を立てて破れたのは。

「………………え?」

 そう呟いたのは、ナイラル侯爵家の誰だっただろうか。

 再び家族全員──失神中の母親は除く──からの視線を浴びて、ジールディアは二度目の悲鳴を上げるのだった。



「ふむ……何ともおもしろいことになっているようだな」

 あまりにも非常識な事態が連続した一夜が明けて。

 トライゾンは朝一番でとある人物へと使いを送った。そして、知らせを受けたその人物は、即刻ナイラル侯爵家のタウンハウスを訪れたのだ。

 侯爵家当主であり長年の友人でもあるトライゾンから昨夜のできごとの説明を受けたその人物は、実に興味深そうな視線を漆黒の全身鎧へと向けた。

「おもしろい、ではない! 娘の一生がかかっているやもしれぬのだぞ、セルマン!」

 セルマン──ガラルド王国筆頭宮廷魔術師であるセルマン・ロッドは、漆黒の鎧から鼻息の荒い旧友へと視線を移動させた。

「そうは言うがな、トライゾン。魔術師としては、これほど興味をそそられることはないぞ? まあ、ジールにしてみれば災難以外のなにものでもないのだろうがね」

 セルマンは再び漆黒の鎧へと目を向けると、彼女を安心させるかのように穏やかに微笑む。

 彼、セルマンとトライゾンは幼い頃からの友人だ。今でもその関係は続いており、家族ぐるみの付き合いでもある。お互いに最も信頼する友人だと公言さえしているほどだ。

 だからトライゾンは真っ先に、セルマンに昨夜のことを相談したのだった。

 もちろん、彼がこの国で最も優れた魔術師の一人であるのも、相談した理由のひとつだが。

「ふむ……その鎧は間違いなく神器だろうな。とても強い力をその鎧から感じる。ジール、その鎧を調べてみるが、直接触れても構わないか?」

「ああ、構わない」

 黒鎧の返答に、セルマンは思わず眉を跳ね上げた。生まれた頃からよく知っているジールディアとは、声も口調もまるで違うものだったからだ。

「その喋り方や声は、意識して変えているのかね?」

「いや、特に意識などはしていないし、自分ではこれまで通りに喋っているつもりなのだが……」

「ふむ……となると、声と口調の変化は何らかの呪いという可能性もあるな」

 もしも呪いがかかっているような鎧なら、直接触れることは危険かもしれない──とセルマンは判断し、ひとつの魔術を行使する。

 だが。

「む? 〈解析〉の魔術が弾かれた……だと?」

 〈解析〉。その名の通り、魔封具などの能力を鑑定識別する魔術である。術者の力量次第で判明する能力に差が生じることもあるが、曲がりなりにも筆頭宮廷魔術師が使用した【解析】である。不完全な鑑定結果ならともかく、魔術そのものが弾かれるとは通常であれば考えられない。

「では、呪いの解呪はどうだ?」

 たとえ黒鎧に秘められた能力が不明でも、呪いそのものを祓うことは不可能でない。そう考えたセルマンは、次に〈解呪〉の魔術を使用する。

 しかし、その結果は……〈解析〉を使った時と同様、魔術そのものが弾かれてしまった。

「これは……鎧そのものに魔術を弾く能力があるのか。この強力な力……やはり、この鎧は神器で間違いなかろう」

 ソファに座っているジールに……いや、彼女が纏っている鎧に顔を近づけ、ふむふむと何度も頷くセルマン。

 そうやってしばらく鎧を観察していた彼が、その視線を友人であるトライゾンへと向けた。

「どうやら、この黒鎧は私の手に余るようだ」

「お、おまえの手に余るだと…………だ、だとしたら、ジールはどうなるのだ……?」

 筆頭宮廷魔術師。それはつまり、この国において最高の実力を持つ魔術師ということでもある。

 その筆頭宮廷魔術師であるセルマンに鑑定も解呪もできないのであれば、少なくともガラルド王国内にこの鎧をどうこうできる者はいないと考えてもいい。

「それから……鎧を脱いだジールが服を着ると、どんな服も破れてしまうとおまえは言っていたな?」

「あ、ああ、そうだ……昨夜、ジールの侍女が試したのだが、黒鎧を脱いだジールにどのような服を着せてもすぐに破れてしまうらしい。ああ、試しに服よりも強度の高い鎧なども着せてみたのだが、結果は同じだった」

「なるほど……おそらくはそれもまたこの黒鎧が秘めた力……いや、これはもう呪いと言った方がいいか。私の魔術をことごとく弾いたことといい、この鎧以外の服や鎧を着ると破壊してしまう理不尽な呪いといい、何から何まで想定外すぎる鎧だな」

 声の変質と口調の変化、そして、黒鎧以外のありとあらゆる「着る物」を破壊する力。

 それがこの漆黒の全身鎧がジールディアに及ぼした呪いである、とセルマンは考えた。

 そしてその事実は、ジールディアの未来を閉ざしてしまったにも等しい。

 幼い頃から美姫として評判であり、求婚者が途絶えることのなかったジールディア。だが、このような呪いを受けた彼女を、妻に迎えたいと望む者はまずいないだろう。

 特に、周囲からの外聞を重視する貴族の男性には。



 現状、ジールディアにかけられた呪いを祓う方法はない。

 その事実に、トライゾンを始めとしたナイラル侯爵家の面々の表情は暗い。

 そんな旧友とその家族を見て、セルマンはまだ希望は残されていると告げた。

「確かに、私にはその鎧の呪いは解呪できない。だが、私以上の術者であれば、解呪できるかもしれない」

「おまえ以上の術者……? そんな者がこのガラルド王国にいるわけが……」

「確かに、私以上の術者はまずいないと自分でも自負している。だが、それはこのガラルド王国内に限っての話だ」

 サルマンのその言葉に、ナイラル侯爵家の者は全員弾かれたように顔を上げ、筆頭宮廷魔術師を見た。

「具体的な例を挙げるとすれば……【黄金の賢者】レメット・カミルティ様。彼の方が今どこにおられるかは不明だが、彼の方はであり今も存命されている可能性が高い。もし、レメット様に会うことができれば、その呪いを解呪することができるかもしれん」

「お、おお……た、確かにサルマンの言うとおりだ! 建国王陛下と共に【銀邪竜】を討ったあの方なら、この鎧の呪いを解いてくださるやもしれん!」

「仮に呪いを解呪することができなかったとしても、その鎧に関する何らかの知識をお持ちかもしれんからな。会ってみる価値はあるだろう。そして、それ以外にも解呪の道は残されている」

 と続けたサルマンに、ナイラル侯爵家の者たちの表情は更に明るくなる。もっとも、中には兜に覆われて全く表情が分からない者もいるのだが。

「世に存在する神器……神器は全て強力な魔封具であり、様々な能力を持つ。中には鎧の呪いを解呪できる神器があっても不思議ではない」

 【黄金の賢者】レメット・カミルティと、黒鎧の呪いを祓うほどの強力な神器。

 それがサルマンの示した希望であった。



 二つ示された、鎧の呪いを解くための光明。だが、その光明は決して明るいものではないとサルマンは続ける。

「レメット様が今どこにおられるのかは全く不明。もしかすると、既に神々の下に召されている可能性さえもなくはない。そして、その鎧の呪いを解呪できる神器が本当にあるのか、あったとしてもどこにあるのか……その辺りが問題となるだろう」

「それに関しては、我がナイラル侯爵家の総力をあげて情報を集めよう。我が家にだって方々に伝手はある。伊達に歴史を重ねてはおらん!」

 ナイラル侯爵家の歴史は古く、これまでに築き上げた伝手は相当なものがある。それらを駆使すれば、【黄金の賢者】と神器に関する情報は集まるかもしれない。

「確かに、ナイラル侯爵家の伝手を使えば様々な情報が得られよう。だが、他にも情報を集める手段がある」

 再び、ナイラル侯爵家の者たちの視線が筆頭宮廷魔術師に集まる。

 この際、黒鎧の呪いを解くためであれば、どのようなことでも労力を惜しまないと侯爵家の者たちは全員が思っている。

「勇者養成相互支援組合──通称『勇者組合』を活用するのだ。あの組織には多種多様な情報が集まる。それを利用しない手はない」

 建国王ガーランド・シン・ガラルドの主導の下に作られた勇者組合には、数多くの加盟者……いわゆる「組合の勇者」が存在する。

 彼らは国中どころか時には国外でも活躍し、その活躍の結果は全て勇者組合へと報告される。

 その中には【黄金の賢者】や、呪いを解呪できる神器の情報が含まれているかもしれない。

「確かに、サルマン師の言うとおり勇者組合を利用しない手はないな」

「だけどよ、兄貴。勇者組合に情報を集める依頼を出すのはいいが、どういう理由にするんだ? まさか、ジールが呪われたからなんて正直に言うわけにもいかないぞ?」

 結婚前の娘が呪われた。そのような醜聞は貴族社会では大きな問題となる。

 仮に呪いが完全に祓えたとしても、一度醜聞として貴族社会で広まってしまえば、それを払拭するのは決して簡単ではない。

 ジールディアの将来を考えるのであれば、彼女が呪われたことは伏せるに限るだろう。

「それに、神器はともかく、【黄金の賢者】様に関する情報はもしかしたら組合でも伏せられている可能性がある」

 勇者組合を設立した【漆黒の勇者】ガーランド・シン・ガラルド。【黄金の賢者】レメット・カミルティは彼のかつての仲間である。

 現在、【黄金の賢者】に関する情報は全くと言っていいほど出回っていない。その裏には、誰かが意図的に情報を隠している可能性もなくはない。

 もし、実際に誰かが情報を隠蔽しているのであれば、そこに勇者組合が関わっている可能性は否定できないだろう。

 勇者組合が創立者のかつての仲間である【黄金の賢者】から、自身に関する情報を隠蔽するように依頼されているかもしれないからだ。

「もしも実際に勇者組合が本当に【黄金の賢者】様から依頼されて情報を隠しているのであれば、いくら金を積み上げてもそれを公開してはくれまい」

 サルマンの言葉に、再び沈黙がリビングの中に舞い降りた。

 だが、その沈黙を破ったのもまた、サルマン自身であった。

「しかし、方法がないわけではない。誰かが勇者組合に所属し、そこで無視できないほど階位を上げる。そうすれば、勇者組合とて伏せられた情報を開示してくれるかもしれん。まあ、あくまでも可能性があるというだけで、断言できるわけではないがな」

 勇者組合に所属し、そこで無視できないほどの功績を上げる。そうすれば、勇者組合とて何らかの特例を認めてくれるかもしれない。

 もっとも、それは本当に勇者組合が【黄金の賢者】の情報を秘匿している場合だ。仮に本当に秘匿していたとして、組合内での階位を上げて特例を認めてくれるかどうかも分からない。

 もしかすると、勇者組合に所属して活躍したとしても、望む結果にはならないかもしれない。

「それでも、何もしないよりはマシだと私は思うがね。ところで──」

 途中で言葉を止めたサルマンは、改めてナイラル侯爵家の者たちを順に見回す。

「──この中の誰が、勇者組合に所属するのだ?」


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