呪いの発動と【黒騎士】

 王都に存在する、ライアル侯爵家のタウンハウス。

 その最奥に位置する宝物庫の真ん中に佇むのは、禍々しい雰囲気を周囲にまき散らす漆黒の全身鎧を着た巨漢。

 はっきり言って不審者以外の何者でもないその人物を、呆然と見つめていたライアル侯爵家の家族とその使用人や兵士たち。

 その中で真っ先に我に返ったのは、当主であるトライゾン・ナイラルだった。

「な、何奴っ!? もしや、貴様が私のジールをかどわかしたのかっ!? ジールはどこだっ!? どこに隠したっ!?」

 手にしていた剣を鞘から抜き放ち、その切っ先を漆黒の巨漢へと向ける。

 それに続き、三人の息子たちと兵士たちもまた、それぞれ己の武器を素早く抜いて構えた。

 その声にぴくりと体を揺らした鎧姿の人物は、ゆっくりとトライゾンたちへと振り返る。

 それだけで、侯爵家の者たちと兵士たちは、何かに気圧されたかのように一歩後ずさってしまう。

 そして、その様子を無言で見つめる漆黒の鎧。その姿はまるで、魔物のリビング・アーマーのようであった。

 どちらも無言で互いに見つめ合う。しばらくそんな状況が続いた後、漆黒の鎧がぽつりと声を零した。

「…………お……父……さま……?」

 まるで、地の底から響くような低くて不気味な印象の声。当然ながら、侯爵家の者たちはこのような声を聞いたこともない。

 その声に改めて警戒を強める侯爵家の者たち。だが、そんな中でトライゾンだけが不審そうに眉を寄せた。

 今、目の前の鎧姿の不審者は何と言った? 自分の聞き間違いでなければ「お父さま」と言わなかったか?

 この世界でトライゾンのことを「お父さま」と呼ぶのは、彼が心から愛する愛娘だけ。

 で、あるならば。

 この目の前に佇む漆黒の鎧姿の巨漢は──

「ま、まさか……ジール………………なのか?」

 トライゾンの口から零れ出る言葉。それを聞いた彼の息子たちは、ぎょっとした表情を浮かべてトライゾンを見やる。

「ち、父上、今、何と?」

「おいおい、親父はあのデカブツが俺たちのジールに見えるっていうのか? もしかして、で目がおかしくなったんじゃね?」

「ちょ、ちょっと待ってください、兄上……」

 長兄と次兄が父親を不審そうに見る中、末弟だけは別の場所を見ていた。すなわち、宝物庫の中で立ち尽くす黒鎧の巨漢の周囲を。

「あの人物の周囲に飛び散っているのは……もしかして、姉上の夜着では……?」

 アインザムの言葉に、父と兄たち、そしてこの場にいる使用人や兵士たちは、改めて黒い不審者の周囲を見る。

 そこには、びりびりに破れた衣服らしきものが散乱していたのだ。

「あ、あれはまさか……今夜ジールが着ていた夜着か……?」

「も、もしもあの衣服の残骸がジールの夜着だとすると、い、今のジールは……」

 この場にいたライアル侯爵家の男性陣は思わず想像してしまった。

 彼らが最も愛する娘であり、妹であり、姉である少女が、あられもない姿で誰とも知れぬ者に誘拐される場面を。

「ゆ……許さんっ!! 私のジールをあられもない姿にした挙句、私の腕の中から連れ去ろうなど……たとえ天が許したとしても、この私は絶対に許さんぞっ!!」

「いや、少し待ってください、父上。さっき、あの黒鎧がジールだとおっしゃったのは父上自身じゃないですか」

「兄貴の言うとおりだぜ、親父。それに、もしもジールを誘拐するのが目的であったとしても、裸にする必要はないだろう。裸にした方がどうしても目立つし、誘拐するには不都合ってものだ」

「あ、あの……あなたはジール姉上……なのですか……?」

 父と兄たちが言い合いをしている隙をつくように、アインザムは黒鎧の巨漢へと近づき、おそるおそるそう訊ねた。

「あ、ああ、そうだとも、アイン。私がジールディアだ」

 その声と口調はとてもジールディアとは思えないものであり、ライアル侯爵家の男性陣は再び不審そうに黒鎧の人物を見つめるのだった。



 やや時が流れて。

 今、ナイラル侯爵家の者たちは、全員リビングに集まっていた。

 当主であるトライゾンと、その妻のエレジア。

 三人の息子たちであるネルガティス、イリスアーク、アインザム。

 そして。

 広いリビングが狭く感じるほど、おどろおどろしい雰囲気と威圧感を放ちまくっている謎の黒鎧。

 執事や侍女といった使用人、そして護衛の兵士などは、誰一人として同席しておらず、ナイラル侯爵家の者だけがこの部屋に集まっていた。

 もっとも、使用人も兵士も部屋の外に控えていて、何かあればすぐ部屋に飛び込む準備はできている。

「ジールの侍女に確認したところ、例の残骸は間違いなく今夜ジールが身に着けていた夜着だそうだ」

 深々とした溜め息と共にトライゾンがそう告げると、リビングに居る全員の目が黒鎧に人物へと向けられた。

「本当に……本当におまえがジールなのだな?」

「ああ、そうだとも、お父さま。信じてもらえないかもしれんが……間違いなく、私がジールだ」

 低く響く、妙に迫力のある声。本来鈴の音のように澄んでいるジールディアのものとは、似ても似つかないその声と、まるで男性のような口調にナイラル侯爵家の者たちは揃って眉を寄せた。

「一体、何があったのだ? どうしてそんな鎧を着ているのだ? そもそも、宝物庫の中にそのような怪しい鎧があったか?」

 全身黒づくめのその鎧は、悪魔をモチーフにしているのか異様に禍々しい。しかも、なぜか妙な威圧感を放っていて、武術の心得のある者でも気圧されるほどだ。

 さすがに侯爵家の者たちはそうでもないが、もしもここに侍女などがいたら、間違いなく顔色を悪くしていることだろう。

「私にもよく分からん。自室で寝ていたはずなのに、気づけば宝物庫に……しかも、このような鎧を着ていたのだ」

 仕草だけは年頃の少女のような自称ジールディア。だが、今の彼女の姿は禍々しい全身鎧であり、しかも声まで地獄の悪鬼のごとくであるため、その違和感が半端ない。

「ただ…………何となく覚えているのは……」

 黒鎧姿のジールディアが、片手を頬に──黒い兜の上からだが──当てながら考え込む。

「……宝物庫の中の……開かずの扉を開けたような……」

「な、なんだと……っ!?」

 娘の言葉を聞いたトライゾンは、すぐに最も信頼する執事──名をギャリソンという──を呼ぶと彼に宝物倉庫の鍵を預け、開かずの扉を確認させる。

 その時になって、侯爵家の面々はようやく一つの疑問に行き当たった。

「そもそも、姉上はどうやって宝物庫の中に入ったのでしょうか?」

「そういや、あの扉は当主である父上が持つ鍵がなければ開けられない特別製だったな」

 アインザムが口にした疑問は、ネルガティスを始めとした家族全員が抱える疑問でもあった。

「すまない、アインにネルお兄さま。その辺り、私自身も全く覚えていないのだ」

 兄と弟の会話に、ジールディアが割り込む。先ほど同様、頬に手を当てたジールディアがこくんと首を傾げる。やっぱり聞きなれない声と口調の違和感は相当だ。

「とにかく、今はギャリソンが戻るのを待つとしよう。みんな、それでいいな?」

 当主であるトライゾンの決定に、その場の全員が頷くのだった。



 ナイラル侯爵家の者たちがリビングで待っていると、しばらくして執事のギャリソンが戻って来た。

 その表情はとてもではないが晴れやかとは言えない。

「宝物庫の中から、開かずの扉はなくなっておりました。かつて扉があった場所は、ただ壁があるだけでございました」

 主人たちを見回したギャリソンがそう告げると、再び皆の視線がジールディアへと集まった。

「……あの扉の向こうにその鎧はあったのだろうな。そして、あの扉は一種の結界でもあった。そのため、あの扉は誰にも開けることができなかった。だが、扉の向こうに隠されていたであろうこの黒鎧が外へと出たことで結界が消失し、鎧を収めていた空間もまた消失した……といったところか。まあ、全ては私の推測でしかないが」

 改めてソファに体を預けたトライゾンが、家族たちを見回しながら告げた。

「ってことは何か? 親父はジールがこの真っ黒な鎧に呼ばれた……とでも言いたいのか?」

「アークの言う通りだろう……と、私は思う」

 トライゾンが言い終えると同時に、リビングは静寂に支配された。そうして誰もが口を開くことなく時間だけが流れていく。

「ま、まあ、何だな! あれだよな!」

 重苦しい雰囲気を嫌ったのか、次兄のイリスアークが軽い調子で言う。

 どこか飄々とした雰囲気を持つイリスアークは、ある意味でナイラル侯爵家のムードメーカーでもある。

「変な鎧を着たからと言って、ジールが俺たちのジールなのは変わらないわけだ。そもそも、そんな鎧なんぞ脱いじまえばいいだけだろ?」

「あ、あの、アーク兄上……姉上が着ているこの鎧、留め具の類が一切見当たりませんけど……」

 それまでちらちらと姉が着ている鎧を見ていたアインザムは、鎧を脱着するために必要な留め具が一切見当たらないことに気づいた。

 全身鎧はいくつかのパーツを繋ぎ合わせて着るものだ。そのため、それら各パーツを繋ぎ合わせるための留め具や留め紐、鎖などが必ず存在する。

 だが、ジールディアが着ている黒鎧には、それらが一切見当たらない。

「じゃあ……ジールはどうやってその鎧を着たというのですか?」

 当然の疑問に、エレジアが首を傾げる。

「母上の言うことも疑問だが、全身鎧なんてものは普通一人で着られるものじゃないだろう?」

 母の疑問に頷きつつ、更なる疑問を重ねたのはネルガティスだ。

 全身をくまなく覆う全身鎧。防御力は極めて高いものの、その反面いつくかのデメリットも存在する。

 特に関節などの可動部分は、その可動域がどうしても狭くなってしまう。

 そのため、体の各箇所まで手が届かなくなる、などといったことが生じて、普通であれば誰かの手助けを受けながら着るものである。

 また、その重量も相当なもので、一人では満足に歩くことも難しい。

 しかし、ジールディアは誰かの手助けを受けて黒鎧を着たわけではなく、普通に歩くのも特に問題はないようだ。実際、宝物庫からこのリビングに移動する際、彼女はまるで鎧など着ていないかのように自然に歩いていた。

 それらの点から見ても、この漆黒の鎧がただの全身鎧ではないことが容易に知れる。

「もしかして……ジールは二度とその黒い鎧を脱ぐことはできないのか?」

「いや、アーク兄さま……この鎧を脱ぐことはできると思うぞ」

「なら、すぐに脱げばいいだろ?」

「ああ、やってみよう」

 次兄に対してそう答えたジールディアは、なぜか記憶に残っている「鍵なる言葉」を漆黒の兜の内側で紡ぐ。

 その途端。

 ナイラル侯爵家のリビングから漆黒の全身鎧は消え去り、その代わりに白い裸身を家族の前に晒したジールディアの姿があった。


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