開かずの扉と【黒騎士】

 王都にあるナイラル侯爵家のタウンハウス、その奥まった場所に宝物庫はあった。

「王都のタウンハウスにも宝物庫があったのですね」

「その通りだよ、ジール。タウンハウスの宝物庫には、主に先祖伝来の武具が収められていて、領地のカントリーハウスの宝物庫には金銭的な価値のある物が収められているんだ」

 父トライゾンの言葉に、ジールディアの二人の兄たちは同意するように頷いた。

 彼らも成人した際に、タウンハウスの宝物庫からそれぞれ武具をひとつずつ譲り受けている。その時に今と同じ説明を父から聞いたのである。

「いいなぁ……僕も早く成人して武具をもらいたいです」

 兄たちや姉のように、末っ子のアインザムも先祖伝来の武具を欲しいと思う。

「ははは、アインもジール同様、成人したらもらえるさ。やっぱり、アインは槍をもらうのか?」

「はい、ネル兄上! 僕は槍が一番得意ですから!」

 長兄のネルガティスが末弟の頭をぐりぐりと撫でると、アインザムは嬉しそうに目を細める。

 そんな息子たちのじゃれ合いに微笑みを浮かべながら、トライゾンはその足を止めた。

 ランタンの明かりの中には、一枚の扉が浮かび上がっている。この扉こそが宝物庫の入り口だ。

「宝物庫に見張りなどはいないのですね」

「ああ、ここの扉は特殊でね。専用の鍵がなければどんな凄腕の盗賊も開けることはできないのだよ」

 娘の質問に、トライゾンは必要以上に胸を張って答える。そして、持参した鍵を鍵穴に差し込み、かちゃりと音を立てて開錠した。

 トライゾンが宝物庫の扉を開ければ、宝物庫の中に青白い光が灯る。どうやら扉を開けると自動的に魔法の光が灯る仕掛けのようだ。

「盗賊撃退用の罠などは全て解除してる。さあ、入りなさい」

 ナイラル侯爵家に伝わる武具と言えば、国内でもかなり有名だ。名のある業物ばかりが集められ、中には神器さえも含まれる。

 当然、そのようなお宝を狙って盗賊が忍び込むこともあり、そんな愚かな盗賊を撃退するための罠も、この宝物庫にはいくつも仕掛けられていた。

 もっとも、先述したようにこの宝物庫の扉はトライゾンが持つ鍵でなければ開くことはできないので、その罠が発動したことは一度もないのだが。



 父親に勧められ、ジールディアは兄たちと弟と共に、宝物庫に足を踏み入れた。

 宝物庫の中には、様々な武具が収められている。剣、槍、弓、斧、槌などの武器類もあれば、鎧や盾などの防具類もある。

 中には宝石や金銀細工で装飾された宝剣などもあり、女性であるジールディアでも見ていて飽きない。

 父や兄たちから離れ、ジールディアはゆっくりと宝物庫の中を見て回る。兄たちや弟は、それぞれ勝手に宝物庫内の武具を見ているようだ。

 宝物庫の中は特に整理などされてはおらず、雑多に剣やら槍やらがあちこちに置いてある。

 この中から自分の気に入ったものを見つけるのは結構大変そうだ、とジールディアが思い始めた時、それは彼女の視界に入った。

「扉……? 宝物庫の中に更に扉……?」

 宝物庫の壁の一角に、その扉はあった。古ぼけてはいるが、何の変哲もない扉だ。強いて特徴を挙げれば、金属製の重厚な扉ということぐらいか。

「お父様、この扉は?」

「ああ、その扉か。その扉はこれまで誰も開けたことのない、『開かずの扉』だよ」

 トライゾンが言うには、その扉は相当昔からそこにあるらしい。だが、これまで一度たりとも開けられたことはなく、扉の向こうがどうなっているのか知る者もいないのだとか。

「館の造りからして、その扉の向こうは裏庭のはずなのだが……当然、裏庭に面した館の壁に扉などは存在しない」

 父の言葉にジールディアも頷く。この館の裏庭には彼女も行ったことがある。その際、裏庭に面した館の壁に扉などなかった。

「もしかすると、その扉の向こうには壁しかないのかもしれないね」

 ご先祖様の誰かが悪戯で壁に扉だけつけたのかも、とトライゾンは苦笑する。

「それよりも、気に入ったものはあったかな?」

 トライゾンに言われて、ジールディアは再び武具の選定に戻る。

 しかし。


 ──来たれ。我が継承者よ。


 突然、声が聞こえた。

 思わずジールディアが振り向けば、そこには開かずの扉があるばかり。

 そもそも、この宝物庫の中にはジールディアたちライアル侯爵家の者たちしかいないのだから、家族以外の声が聞こえるはずがない。

 そう思い直し、ジールディアは再び宝物庫の中で武具を選定し、自身の瞳と同じ色の宝石で装飾された短剣を一振り選ぶのだった。



 ──来るがよい、我に相応しき者よ。

   永く待ち望んだ適合者よ。継承者よ。

   さあ、早く我が下へと来るのだ。



 自分を呼ぶ声がした。

 それは明らかに自分を呼ぶ声。

 その声に導かれるように、彼女はベッドから抜け出して部屋からも出る。

 身に着けているのは薄い夜着のみ。貴族の娘ならば、たとえ自分の家の中であってもこのような姿ではうろつかない。

 ふらふらと頼りない足取りで、彼女は進む。

 廊下は薄暗い。所々に魔法の明かりが灯っているのは、裕福な貴族ならではだ。それでも、広い屋敷の廊下全てを明かりで照らすことはできず、どうしても薄暗い場所ができてしまう。

 特に、その場所は闇が濃かった。周囲には明かりは全く存在せず、窓から差し込む月明かりだけが光源だ。

 そんな暗闇に近い廊下を、彼女はふらふらと進む。

 夢遊病者のごとく。何かに導かれるかのごとく。

 頼りない足取りで、のろのろと進む。だが、彼女は目的地へと辿り着いた。

 今、彼女の目の前には一枚の扉がある。数時間ほど前にも、彼女はこの扉の前に立ったのだが、今の彼女はそれを認識してはいない

 本来なら、専用の鍵がなければ開かないはずの扉。その扉が、彼女が軽く触れるだけでぎぃと軋んだ音を立てて開かれた。

 そして、扉が開くと同時に点灯した魔法の明かりが、周囲にわだかまっていた闇を駆逐する。

 光が満ちるそこ──宝物庫の中を、彼女はゆっくりと進む。うっすらと開かれた双眸は、周囲の景色を映しているのかいないのか。

 それでも、彼女は宝物庫の中を進む。ふらふらとしてはいるものの、迷うことはなく真っすぐにそこを目指す。

 やがて、彼女の前方に扉が見えてきた。宝物庫の中に存在する、もう一枚の扉が。

 その扉に引き寄せられるように、彼女はふらふらと近づいていく。

 そして。

 そして、扉の前に立った彼女は、扉の表面にそっと触れた──と同時に。

 激しい揺れが館──ライアル侯爵家のタウンハウスを大きく震わせた。



「何ごとだっ!?」

 突然館を襲った激しい揺れ。眠っていたところをたたき起こされたトライゾン・ナイラル侯爵は、夜着のまま剣だけを片手に寝室から飛び出した。

 そして、慌てて駆けつけてきた夜番の私兵に寝室にいる妻の警護を命じると、彼はそのまま館の中を早足で歩き出す。

「父上! 今の揺れは何ごとだっ!?」

「もしかして、これが噂に聞く地震とかいうやつか? それにしてはどうにも奇妙な感じだったが……」

「父上、母上はご無事でしょうかっ!?」

 トライゾンの下に、彼の息子たちが集まってくる。全員武器を手にしている──室内で用いることを考えて全員が剣を所持していた──のは武の名門の人間としては当然だろう。

「エレジアなら無事だ。今は寝室から出ないように命じ、兵たちを寝室の傍につけてある。それより……」

 トライゾンの歩みが早くなる。今、彼が向かっているのは大切な愛娘の部屋。突然館が震えたことで、ベッドの中で一人怯えているかもしれない。

 そう考えるだけで、トライゾンの心はぎりぎりと締め付けられる。

 ──怯える娘の許に駆けつけ、震えるその体を抱き締めて一刻も早く安心させてやらねば!

 妻に聞かれたらまた拳をくらいそうなことを心の中で叫びつつ、トライゾンは娘の部屋へと向かう。

 だが、目的地が近づいた時、彼とその息子たちは異変に気付いた。

「ジールの部屋の扉……開いているぞ?」

「もしかして、侍女の誰かが避難させたのか?」

「それなら安心ですけど……」

 息子たちが交わす言葉を聞きながら、トライゾンは娘の部屋へ飛び込んだ。

「ジール! 無事かっ!?」

 だが、その声に応える者はいなかった。ベッドは空で、乱れた寝具だけがトライゾンを出迎える。

「じ、ジールはどこだっ!? 早くジールを探せっ!!」

 当主の言葉に応え、後ろに従ってきた使用人や私兵たちが慌ただしく動き出す。

「父上、俺たちはリビングで使用人たちの報告を待ちましょう」

「兄貴の言うとおりだ。下手に動いて連携を欠く方がまずい」

「だ、だが、ジールが……っ!!」

「大丈夫ですよ、父上。姉上なら屋敷のどこかに必ずいるはずですから」

 息子たちに宥められ、トライゾンもリビングを目指す。

 そして彼らがリビングに着くと、すぐに数人の兵士と侍女を従えたエレジアが姿を見せた。夜着のままの男たちとは違い、淑女らしくしっかりと着替えを済ませている。

「あ、あなた……ジールの姿が見えないって本当なのですか?」

「ああ……今、使用人や兵たち総出で探してはいるのだが……」

 ソファの一つに深く腰を下ろし、両手で頭を抱えるトライゾン。そんな彼の隣に腰を下ろし、そっとその背中をさするエレジア。

「大丈夫です。あの子はあなたとわたくしの子……ライアル侯爵家の娘なのですから。そんじょそこらの貴族の令嬢とは違います」

「そ、そうだな……だが……」

 妻の言葉に頷きつつも、心配そうに視線を泳がせるトライゾン。

 その時、兵の一人が慌てた様子でリビングの中に駆けこんできた。

「も、申し上げます!」

「どうしたっ!? ジールが見つかったのかっ!?」

「い、いえ、お嬢様はまだ見つかっておりません。で、ですが……宝物庫の扉が開いていることを兵の一人が発見いたしましたっ!!」

「宝物庫……ま、まさかそこにジールがっ!!」

 トライゾンは弾き出された矢のようにリビングを飛び出した。そして、そのまま一直線に宝物庫を目指す。

 薄暗い廊下をとんでもない速度で苦もなく駆け抜け、あっという間に宝物庫へと辿り着く。

 そこは報告にあったように、確かに扉が開かれていた。宝物庫から漏れる魔法の光が、廊下の一部を照らし出している。

「ジールっ!! ここにいるのかっ!?」

 娘の名を叫びながら、宝物庫へと飛び込むトライゾン。

 だが、そこに彼が探す娘の姿はなく。

 宝物庫の中を目にしたトライゾンは、驚愕でその両の目を大きく見開いた。

 いや、それは彼だけではない。父親の背中を追いかけてきた三人の息子たちも、侯爵家に仕える使用人や兵士たちも。

 揃ってを見て、トライゾンと同じように目を見開いた。



 宝物庫の真ん中に静かに佇む、禍々しい雰囲気を撒き散らす漆黒の全身鎧を纏った一人の巨漢を目にして。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る