鎧を脱いだ【黒騎士】

 振り返ったら、見知らぬ女がいた

 なぜか、すっぽんぽんで。



 そのあまりにも現実離れした光景に、【白金の賢者】とまで呼ばれた彼の非常に優れた頭脳をもってしても、目の前の現実に理解が追い付くまでしばらく時間が必要だった。

 目を見開き、呆然と目の前に立つ全裸の女性を見つめる。

 赤味のかかった長い金髪と緑柱石エメラルドのような瞳を持つ、とても美しい女性。

 その彼女は顔どころか胸元までを真っ赤にしつつ、胸と股間を手で恥ずかしそうに隠しながら【白金の賢者】の視線に無言で耐えていた。

 やがて、ゆっくりと【白金の賢者】の脳が回転し、現実を理解し始める。

「ち…………」

「は、はい……?」

 【白金の賢者】が唇をわななかせ、言葉を漏らす。だが、それはあまりにも小さくて聞き取りづらく、女性は思わず首を傾げた。

 そして。【白金の賢者】の唇から続けて言葉が漏れ出た。

「…………痴女がいるっ!! 目の前にっ!! 痴女なんて初めて見たっ!!」

「ち、痴女ではありませんっ!! あなたが鎧を脱げとおっしゃったから、恥ずかしいのに耐えて脱いだのではありませんかっ!!」

 赤かった頬を更に紅潮させ、全裸の女性が叫んだ。

 その女性の叫び声に、【白金の賢者】の頭脳が更に回転を加速する。

「よ、鎧……? そ、そういえば、【黒騎士】はどこに消えたっ!?」

 きょろきょろと部屋の中を見回す【白金の賢者】。

 脳の回転こそ加速したものの、その方向性がややズレているのは彼がまだ混乱から完全に立ち直っていないからだろうか。

「で、ですから……っ!! わ、私が【黒騎士】なのです……っ!!」

「………………は?」

 今度は【白金の賢者】の口が大きく開かれた。

 ──今、目の前の痴女は何と言った? 自分が【黒騎士】とか言わなかったか? ははは、馬鹿を言え。【黒騎士】は2メートルを超える巨漢で…………え?

 間抜けな感じに口を開けたまま、【白金の賢者】は改めて女性を見る。

 仮に彼女が本当に【黒騎士】の中身だったとして、あまりにも体格に差がありすぎる。

 【黒騎士】の身長が明らかに2メートルを超えていたのに対し、目の前の女性は170センチよりやや低いといったところ。

 確かに女性にしては上背のある方だが、それでも【白金の賢者】よりも背は低く、とても巨漢の【黒騎士】と同一人物とは思えない。

「ほ、本当に……本当にあなたが【黒騎士】……なのか……?」

「はい。私が【黒騎士】ジルガ……本名をジールディア・ナイラルと申します」

 羞恥に長い睫毛を震わせながら【黒騎士】……いや、ジールディアはそう告げた。



 さすがに裸のままでは話もできないと、ジールディアは改めて黒鎧を着込んだ。

 その際、彼女が口にした「鍵なる言葉」に【白金の賢者】──ライナスの眉が微妙に揺れ動いたが、それは些細な問題。

「なるほど……目の前で見せられては、もはや疑うわけにもいかないな」

 「鍵なる言葉」を唱えてジールディアから【黒騎士】ジルガへと姿を変えるのを直に見て、ライナスはむぅと唸った。

「しかし……先ほどあなたはナイラルと名乗ったが、もしや……?」

「ああ。私はナイラル侯爵家の娘だ」

 呪われた黒鎧を着たことで、声も口調も【黒騎士】に戻っているジールディア。いや、この姿の時はジルガと呼ぶべきだろうか。

 そのあまりに激しい変化の幅に、内心で激しく戸惑うライナス。だが、それを表に出すことはなく言葉を続ける。

「やはり、か。我が国きっての武の名門、ナイラル侯爵家の令嬢であるあなたが、どうして鎧に呪われるようなことになったのだ?」

 ナイラル侯爵家。

 それはガルラド王国でも最も有名な家名のひとつであり、武の名門と呼ばれる家系である。

 ガルラド王国は現国王がまだ二代目でしかなく、歴史といっても50年にも満たない程度だ。

 だが、ガルラド王国の前身であったアルティメア王国は、数百年の歴史を誇った由緒ある大国だった。だがそんな大国も、《銀邪竜》ガーラーハイゼガによって瞬く間に滅ぼされた。

 その《銀邪竜》ガーラーハイゼガを討った【漆黒の勇者】ガーランド・シン・ガラルドが、アルティメア王国を引き継ぐ形で建国されたのがカルラド王国である。

 ナイラル侯爵家はアルティメア王国時代から続く歴史ある家柄であるが、アルティメア王国時代は子爵でしかなかった。

 だが、当時の当主──ジールディアの曾祖父にあたる──がガーランドと共にガーラーハイゼガと戦い、その際に打ち立てたいくつもの功績により侯爵にまで陞爵したのである。

 アルティメア王国時代の各貴族家は、一部を除いてそのままカルラド王国に吸収された。

 当時はそれなりにあれこれ揉めたらしいが、建国王ガーランド・シン・ガラルドの正妻に収まった《真紅の聖者》ミラベル・ペイズリックが、傍流ながらもアルティメア王家の血を引いていたため、各貴族家もガーランドを新たな王と認めたと王国の歴史書には記されている。

 つまり、ジールディアは古くから続く歴史ある名門のご令嬢というわけだ。

 しかし、武の名門と言われるほどの家系であっても、普通であれば貴族の令嬢が鎧を着るようなことはない。しかも、見るからに禍々しい漆黒の全身鎧を。

 アルティメア王国時代、そして現在のカルラド王国においても、貴族家の女性が剣を取ることはまず考えられない。

 護身術に短剣の扱いを覚えることはあるが、それも嗜み程度。そもそもにおいて、女性の社会的立場は極めて低く、女性が家督を引き継ぐことさえほとんどないのだ。

 女性は家の中を取り仕切る存在。それが今も昔も王国の上流階級における常識なのである。

 一般の平民ともなれば多少事情は違ってくるが、それでも女性が各種武術を学ぶことは極めて珍しい。

 騎士、兵士、傭兵などの世界は完全な男社会であり、女性がそこに足を踏み入れるのは異端視される。

 カルラド王国の時代になり、建国王が勇者組合を立ち上げたことで、ようやく女性が剣を取る機会も増えてきた。

 それでも、武術を学ぶ女性はほとんどが平民であり、貴族の女性が武術を身につけることは皆無に近い。

 そのような状況において、ジールディアが鎧に呪われたことをライナスが疑問に思うのも当然だろう。

「歴史上、『呪われた鎧』というものは多々見受けられてきた。そして、それらの鎧に秘められた呪いが発動するのはその鎧を初めて装備した時、というケースが非常に多い。あなたの場合もそうではないのか?」

 ライナスの言葉に、ジルガはその重厚な鎧を軋ませながらゆっくりと頷いた。

「確かに貴殿の言う通り、この黒鎧を着たことで我が身を呪いに縛られた。だが、私から望んでこの鎧を着たわけでは決してないのだ」

 黒鎧を着たことで呪われたのは間違いないが、自ら望んで着たわけではない。というジルガの言葉に、ライナスは興味を引かれたように眉を跳ねさせる。

「どういうことだ? 詳しく聞かせてもらえるか?」

「無論だとも。あれは三年前、私が15歳の誕生日を迎えた日のことだった──」



「もうすぐジールも15歳か。早いものだねぇ」

「はい、お父様。私も晴れて成人を迎えます」

 とある日のこと。

 穏やかな陽の光が降り注ぎ、気持ちのいい風が吹き抜けるテラスにて。

 一組の男女が楽し気に言葉を交わしていた。

 男性は四十代前半か中ほど。鍛え上げられた大柄な体を仕立てのいい衣服に包み込み、テーブルから口元へとカップを運ぶその仕草は優雅の一言。

 だが、顔に走る一筋の太刀傷が、彼がただ雅なだけの存在ではないことを物語る。

 武の名門、ナイラル侯爵家現当主トライゾン・ナイラル。カルラド王国に三つ存在する騎士団のうち、第二騎士団を率いる団長である。

 成人前から槍の腕は王国随一とまで言われ、今では【神槍】の二つ名で呼ばれる槍の名手。

 190センチを超える大柄な体はしっかりと鍛え込まれており、40歳を過ぎた今でも王国最強の一人に挙げられる。

 自分自身、そして部下たちを鍛えることを生きがいにしている、と言われるほど常に鍛錬を施す「鬼の団長」であるが、愛娘にはとことんまでに甘い「お父さん」の側面も持つ。

 そんな鬼の団長が、普段は決して見せない優し気な眼差しで見つめるのは、彼が愛してやまない愛娘。

 ジールディア・ナイラル、現在14歳。まもなく訪れる15歳の誕生日を迎えれば、正式に成人として認められるようになる。

「ジールが成人しちゃうと、結婚相手を探さなくてはならなくなる……ああ、憂鬱だ。ジールにはずっとお父さんの娘でいて欲しいのに……」

「できれば私もそうしたいところですが、貴族の娘に生まれた以上、他家に嫁ぐことは義務であり宿命でもありますから」

 深々と溜め息を吐く父親に、とても困った顔をするジールディア。

 父親から大きな愛情を注がれているのは分かるが、最近ではそれがちょっと重たいなーなんて思うこともある難しいお年頃。

 貴族の家に生まれた女性は、政略結婚をするのが常である。

 貴族社会に恋愛結婚はまずありえない。それを理解しているからこそ、ジールディアも近々どこかの貴族家へと嫁ぐことになることを承知していた。

 普通であれば、既に婚約者がいても不思議ではないのだ。だが事実、彼女に婚約者はまだ決まっていない。その理由はひとえにどこかの娘が大好きすぎる父親のせいである。

 家柄、容姿共に恵まれたジールディアには、縁談自体は毎日のように舞い込んでくるが、そのことごとくをトライゾンが蹴散らしていた。

 ちなみに、ジールディアには二人の兄と一人の弟がいるので、彼女が家督問題に関わることは現時点ではありえない。

「分かっている。分かってはいるんだ! このままジールを私の腕の中に閉じ込めておくことなどできないことは! それどころか、結婚もできない欠陥のある人間だと思われてしまうことも! ああ、分かっているさ!」

 それまでの穏やかな雰囲気はどこへやら。トライゾンは血の涙を流しかねない勢いで熱弁を振るう。

 ジールディアを始め、近くに控えている使用人たちは「また始まったか」と重々しいため息を吐く。もちろん、使用人たちはそんな感情を表に出すことは絶対にしないが。

「だからこそ! だからこそだ! ジールの結婚相手は最高の男でなければならないのだ! 家柄! 容姿! 心! 資産! そして何より、一生ジールだけを愛し抜く男でなければ、お父さんは我が娘の結婚相手とは認めませんことよ!」

「誰か、お茶のお代わりをいただけるかしら?」

「はい、お嬢様。ただいまお持ちいたします」

 どんどんヒートアップしていく父親を完全にスルーして、ジールディアは使用人にお茶のお代わりを求めた。そして、今日の自分の予定を頭の中で再確認。

 今日は詩と刺繍のお稽古のある日だったわね、とジールディアは心の中で呟く。

 正直、彼女は詩も刺繍もあまり得意ではない。だが、詩と刺繍、そして何らかの楽器の演奏は旧アルティメア王国時代から続く貴族女性の必要不可欠な技能であり、これを疎かにするわけにはいかない。

 対して、ダンスや乗馬などは得意であり、同世代の令嬢の間でも頭ひとつ抜きん出ている。ちまちまとしたことや頭脳を回転させることより、体を動かすことの方が彼女には合っているようだ。

 この時の彼女は、武の名門に生まれてはいても剣に触れたこともなかった。それが貴族女性の常識であったのだから。

 だが、そんな彼女の日常は、ある日を境に大きく変化することになる。

 彼女──ジールディア・ナイラルが、15歳の誕生日を迎えたその日を境に。


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