賢者と【黒騎士】

 勇者組合ビシェド支部にて、黎明の塔の具体的な場所と【白金の賢者】への紹介状を入手した【黒騎士】は、意気揚々とその漆黒の全身鎧の音を響かせていた。

 今、彼女が歩いているのは森の中。僅かに細い獣道らしきものがあるだけで、周囲は鬱蒼とした木々に囲まれている。

 ビシェドの町からそれほど離れていない森なので、全く人が入っていないわけではないが、それでもあまり奥まで立ち入らないのか、周囲にそれらしき痕跡はほとんど見られない。

 しかし、いくら高名な賢者といえども、食料などの生活物資は必要となる。

 それらの物資を賢者本人──もしくは雇っている使用人など──がビシェドまで買いに出ているのか、それとも商人に「黎明の塔」まで運ばせているのかは不明だが、全く町と塔の行き来がないというわけでもなさそうだ。

 今、【黒騎士】が歩いている細い獣道こそが、その証なのだろう。

 だが、当の【黒騎士】にとってはそんなことは些事でしかなく、彼女の頭の中には呪いが祓えるかどうかしかない。

 がしょんがしょんと重々しく響く鎧の音。その音に驚いて、森に棲まう動物は一目散に逃げていく。

 その中には普通の動物ではなく、明らかに魔物や魔獣に分類されるような生物も含まれていた。おそらく、魔物たちは響く騒音に興味を引かれて【黒騎士】に近づいたはいいが、彼女が放つその鬼気に中てられて逃げ出したのだろう。

 そもそも、ここは【白金の賢者】とその関係者が使っていると思しき獣道であり、そうそう魔物や魔獣の類が近づくことはない。先ほど姿を見せた魔物たちも、脅威という点ではかなり低く、「組合の勇者」であれば階位三桁以下でも容易に倒せるような相手であった。

 そのような事実に気づいているのかいないのか、【黒騎士】の足取りも軽く──足音だけは重々しいが──森の中を進んで行った。



「ほう、あれが黎明の塔か」

 森を行く【黒騎士】の目に、周囲の木々よりも尚高い塔が見えてきた。

 このような森の中に塔が何本も建っているとは思えないので、あの塔こそが目的地である黎明の塔に間違いあるまい。

「さて、【白金の賢者】とはどのような人物なのか」

 そして、彼の賢者は自身を縛る呪いを祓える、もしくはその手がかりを知っているのか。

 そんなことを考えつつ森の中を更に進み、ついに【黒騎士】は黎明の塔と思しき塔へと辿り着いた。

 今、彼女の目の前には、塔への入り口らしき鉄製の扉がある。そして、その扉の表面には、美しい女性を形どった彫刻が施されている。

 実に緻密な細工の彫刻であり、その彫刻に気づいた【黒騎士】がよく見ようと扉へと無警戒に近づいた時。

 それまで閉じられていた彫刻の目蓋が、ゆっくりと持ち上がっていった。

「黎明の塔に御用がおありでしょうか? 御用なき場合、もしくは我が主に害意ある場合は速やかに立ち去ることを推奨いたします」

 彫刻の目蓋だけではなく、口までもが動き出し、流暢な言葉を紡いだ。どうやらこの扉自体が一種の魔法生物、いわゆるゴーレムのようだ。

 この扉のゴーレムはおそらく、この塔を護る門番でもあるのだろう。

「ああ、私はジルガ。勇者組合に所属する者であり、【黒騎士】などとも呼ばれている。この塔の主人である、【白金の賢者】殿に用あって会いに来た次第だ」

「組合の勇者様でしたか。失礼ですが、勇者組合、もしくはその他の紹介状などはお持ちでしょうか?」

「ああ、もちろん用意してあるとも」

 まるで人間のような受け答えをする高度なゴーレムに感心しつつ、【黒騎士】は腰に装着したポーチから紹介状を取り出して扉型ゴーレムへと差し出した。

 果たしてゴーレムはどのように紹介状を受け取るのかと、興味津々で見つめる【黒騎士】。もっともその表情は黒兜に隠されて見ることはできないが。

 しかし、これほどまでに高度なゴーレムを【白金の賢者】自身が製作したのであれば、【白金の賢者】は賢者として、そして魔術師として噂に違わぬ実力を持っているということであり、これは呪いに関しても期待が持てそうだ、と【黒騎士】は内心で呟く。

 そのまましばらく待っていると、扉が内側から開いた。

 開かれた扉の向こうには、一人の執事。見た目の年齢は初老といったところの執事が【黒騎士】に対して丁寧に頭を下げた。

「ようこそおいでくださいました、【黒騎士】様。我が主の下までご案内いたします」

「これはご丁寧に。こちらこそ突然の訪問、申し訳ない」

 【黒騎士】が差し出した勇者組合の紹介状を、初老の執事は慇懃な態度で受け取る。

 そして、執事に案内された【黒騎士】は、黎明の塔へと足を踏み入れるのだった。



「初めてお目にかかる、【黒騎士】ジルガ殿。俺の名前はライナス。世間ではなぜか【白金の賢者】などと大仰な名で呼ばれているようだな」

 初老の執事に案内されたのは、応接室らしき部屋だった。

 その部屋に入り、【黒騎士】はソファに腰を下ろす。どうやら相当高級なソファのようで、全身鎧姿の【黒騎士】の体重を、ソファは難なく受け止めた。

 そして、それほど待たされることもなく、この塔の主である【白金の賢者】は現れたのだ。

 汚れのない白いローブ姿で現れたのは、二十代半ばほどの細身の男性だった。

 肩に届かないほどまで伸ばされたその髪は、二つ名のごとき見事な白金色で、その双眸は蒼玉サファイアのような蒼。白雪のような白い肌と実に整った容貌の男性である。

「貴殿がご高名な【白金の賢者】殿であられるか。いや、約束もなく訪問したことを許して欲しい。貴殿にどうしても相談したいことがあって、ここまで来た次第だ。是非、私の話を聞いてはくれまいか」

「ああ、もちろん伺おう。名高き【黒騎士】殿の話となれば、無視するわけにもいくまい」

 にこりと微笑みながら、【黒騎士】の対面に腰を下ろす【白金の賢者】。その洗練された仕草に、【黒騎士】は思わず目を奪われる。

 正直言って、彼女が想像していた【白金の賢者】と目の前の人物は、かなりかけ離れていた。

 「賢者」という言葉から、【白金の賢者】は相当な老人だとばかり思っていた【黒騎士】である。そして、「賢者」の世間一般的なイメージから偏屈な人物であるだろう、とも。

 だが、彼女の前に現われたのは、貴公子然とした青年であり、彼女の勝手な想像とはまるで違っていたのだ。

 ──賢者というよりも、舞台役者と言われた方がよほど信じられるな。少なくとも見た目には、だが。

 内心でそう呟きつつも、【黒騎士】は話を切り出す。

「貴殿に相談したいこととは……この、漆黒の全身鎧のことなのだ」

「ほう?」

 【白金の賢者】の視線が、改めて【黒騎士】の全身に向けられる。

 鋭い眼光が【黒騎士】を射貫く。もちろん、【白金の賢者】が見ているのは漆黒の鎧である。だが、見られている【黒騎士】自身は、まるで鎧の中の裸身を見られているかのような気恥ずかしさをなぜか覚えていた。

「ふむ……見るからに見事な鎧だ。俺は魔術師であり金属の細工などは専門外だが、貴公の鎧が特別な逸品であることは分かる。しかも、その鎧には魔法が秘められているな? それも相当強力な魔法が、だ」

「さすがは【白金の賢者】殿だ。見ただけでそれがお分かりか」

 【黒騎士】の言葉に感嘆の色が混じる。一流の魔術師は魔力を可視化できると言わることもあるが、その真偽は定かではない。

 だが、今の【白金の賢者】の言葉から、少なくとも彼には漆黒の鎧が秘めた力の一端が見えているのは間違いないだろう。

「さすがに、見ただけではどのような魔力が秘められているのかまでは分からんがね」

 と、実に様になる仕草で肩を竦める【白金の賢者】。しかし、彼が【黒騎士】を見つめる視線から鋭さは失われてはいない。

 鎧に関して説明しろ、と言外に求めているのだろう。

「実はこの全身鎧だが…………呪われているのだ」

 呪われている。そう聞いた【白金の賢者】の眉がぴくりと跳ねた。

「詳しく聞かせてもらえるか?」

「無論。そのために私はここに来たのだからな」

 改めて姿勢を正し。

 【黒騎士】は目の前に座る【白金の賢者】に、漆黒の全身鎧にまつわる話をゆっくりと切り出していった。



「つまり……貴公の言う呪いとは、今装備しているその全身鎧以外の、衣類や鎧などの『着る物』が一切着られなくなるというのだな?」

 呆れることもなく真剣な様子の【白金の賢者】の言葉に、【黒騎士】は無言で頷いた。

「この鎧以外の衣服や鎧を着ると、それらは全て破壊されてしまうのだ」

「そのような呪いは俺も初めて聞いたな……あ、いや、貴公の言葉を疑うわけではないのだが」

 さすがの【白金の賢者】もあまりにも予想外な呪いの内容に、思わず首を傾げる。だが、その蒼い瞳に浮かぶ光は真剣そのもの。

 無言のまましばらく【黒騎士】の鎧を観察していた【白金の賢者】が、その色素の薄い唇を震わせた。

「では、その鎧を詳しく調べてみたい。鎧を外してもらえるか?」

「よ、鎧を外す……? 貴殿の前で……か?」

「無論だ。鎧にかかっている呪いを調べるにしても、貴公が鎧を着たままでは満足に調べられまい?」

 【白金の賢者】の言葉に、【黒騎士】はむぅと唸る。

 彼が言うことは正論だ。確かに、鎧を装着したままでは調べるものも調べられまい。

 だが、ここで鎧を外すということは──────つまりそういうことであり、異性の前でその肌を晒すことは、やはり女性にとって相当勇気がいる行為だ。

 忘れているかもしれないが、【黒騎士】の中身は年頃の娘さんなのである。

 しばらくその巨躯をもじもじと蠢かせつつ悩んでいた【黒騎士】だが、遂に決心したのか大きく頷いた。

「しょ、承知した……だが、私が鎧を脱ぎ終わるまで、そ、その……こ、こちらに背中を向けていてもらえると……た、助かる」

「背中……? ま、まあ、構わないが」

 【黒騎士】の、なぜか恥ずかしそうに身を捩る様子に眉を寄せ、背中を向けろという要請に口元を歪めつつも、【白金の賢者】は立ち上がって言われた通りに背中を向けた。

 そして。

「〈開門せよ。堅牢不落なる神の城〉」

 背中から聞こえた声に【白金の賢者】が抱える疑問は更に大きくなった。

 ──今のは間違いなく古代神聖語だ。どうやら何らかの「鍵なる言葉」のようだが……?

 一体、【黒騎士】は何がしたいのだ? 鎧を脱ぐところを見られたくないなど、年頃の娘が裸になるわけでもあるまいし。

 【黒騎士】の中身を知らぬ【白金の賢者】は、内心で首を傾げつつも【黒騎士】が鎧を脱ぎ終わるのを待つ。

 やがて。

「ぬ……脱ぎました……」

 と、いう声が背後から聞こえた。

 だが、その声は先ほど聞いた【黒騎士】の重々しく響く低い声ではなく、鈴を鳴らしたかのような若い娘のもので。

 そのことを疑問に思いつつ、【白金の賢者】は背後へと振り返り……その蒼い瞳を大きく見開いた。

 なぜなら、振り返った彼の目の前に、素肌を全て晒した年若い……途轍もなく美しい女性が立っていたのだから。


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