第5話

 半年近くメッセージだけのやり取りが続き、ある日キャンパス内を歩いているときに、牧野さんから電話があった。僕はかけていたスマートグラスで通話のスイッチを入れる。数ヶ月ぶりに見る牧野さんの顔は、少しばかり痩せていた。

『牧野です。久しぶり』

 アニメ声が、懐かしかった。僕は少しだけ涙が出た。一滴の涙は、海水に溶けた。

「久しぶりだね。もう連絡くれないかと思った」

『実は、するつもりなかったんだけど』

 ショックだった。あのまま別れるつもりだったのだろうか。僕は諦めていなかったのに。

「そうだったのか」

『うん、どんなにがんばっても、いいヘルメットが開発できないんだもん』

「僕もいろいろ調べたけど、難しいよね」

『だからね、私、あなたで研究するなんて忍びなくて、やっぱり』

「そりゃ、そうだよね」

 牧野さんはしばらくうつむいて黙っていた。

「どうしたの」

『うん、ちょっと待ってね』

「うん、待ってるけど、大丈夫か」

 僕が立ち止まって彼女の動きをじっと待っていると、彼女は横にいるらしき誰かを手招きした。彼女の隣に現れたのは、僕自身だった。

「えっ」

『ごめんね、内田さん』

「いや、それ誰だ。僕と同じ顔」

 牧野さんは僕にそっくりな男に少しだけ笑いかけて、また僕のほうを向いた。まさか。

『ごめんね、内田さんのクローン作ったの』

「なんだって」

『禁止だってわかってるけど、研究したくて』

 人間が遺伝子操作によるクローン作成技術を手にして数百年、完ぺきな技術はできあがっているが、倫理的問題があるとして、実在の人物を造り上げることはいまだにかたく禁じられていた。もしも造ったことが知られると終身刑、悪質な場合は死刑になることが法律で定められている。現代のクローン技術は誠にパーフェクトで、髪の毛一本あればまったく同じ人格の人物が完成し、必ず世界や歴史が混乱する。

「なんてことしたんだ」

『だって、研究するためには仕方ないのよ』

「つかまったらどうするんだよ」

『そのときは大人しくつかまるわ』

「そうまでして研究する必要があるのか」

『ある。研究が成功したら、私たち陸で暮らせる』

 彼女の隣にいる「僕」が、苦しそうな顔をしている。僕自身と同じ人物なのだから、陸にいれば苦しいに決まっている。見ていると、僕まで息苦しくなってくる。

「牧野さん、おかしいよ。そこまでしたら犯罪だぞ」

『知ってるわよ』

「じゃあ、すぐにそいつを処分するんだ、ばれないうちに」

『だめよ、これは内田さんだもん』

「僕はここだ、僕が僕だよ」

『でも、これも内田さんだもん』

 牧野さんは「僕」の手を握りしめて、泣きながら叫んだ。

『あなたのこと、好きなんだもん。だから私、この人を使って、あなたが陸で暮らせるように研究進めるから』

 頭がくらくらしてきた。長く科学の世界に身を置いてはいるが、まさか自分自身のクローンを作られるとは思ってもみなかった。いや、クローン人間というものを見たのは産まれて初めてだった。それほどまでにクローン作成は厳しく禁じられていたのだ。

「処分するんだ」

『あなたなのに、殺せるわけない』

「殺すんじゃない、処分だ。それは僕じゃない」

『あなたよ、あなたの髪の毛から作ったのよ』

「勝手なことしやがって」

『あなたのためなのに』

 嬉しくもなんともなかった。彼女への気持ちの形が変わっていく。陸での研究のために、僕のクローンを作ってしまう彼女。水の中に住めるレベルの呼吸器を持っているのに、水で住む気持ちにはならず、僕のほうを変えようと躍起になる牧野さん。僕はなんだか、悲しくなってきた。そうまでして何がしたいのだろう。

「ノーベル賞でも、ほしいのか」

『そんなものいらないわよ、あなたと暮らしたいだけ』

「じゃあ、君が水の中に引っ越してくればいいじゃないか」

 牧野さんはしばらく黙っていて、そして泣き出した。

『できないの』

「なんでだよ。呼吸に問題ないだろう」

『できないの。だって』

 涙を拭って、牧野さんは僕を見据えた。

『私自身、父が造ったクローンだから。戸籍をいじってあるから、どうしても引っ越せないの』

「え、どういうこと」

『突然変異なんて嘘。私、科学者の父が造ったクローンなの。一族みんな純粋な陸の人なのに、一人娘の私のクローンを造って、水に強い陸の人を開発したの。だから私、本当は「いない人」なの』

「どうやって今まで生きてこられたんだよ」

『父、科学倫理省の大臣までやった人だから』

 言葉を濁す彼女の言いたいことはわかる。彼女の父親は大きな罪を犯し、それを隠蔽している。

 ならば電話の向こうにいる牧野さんは、偽物なのか。僕ははじめから偽物に出会い、偽物を好きになったのか。牧野さんの本物はどこにいるのか。

「クローンじゃない、本物の君はどこだ」

『家にいる』

「なぜばれない」

『脳死状態なの。父の実験のせいで事故になって、死にかけた。だから父がクローンの私を造ったのよ』

「君はお父さんと同じことを僕にしようとしているわけか」

『だから、事故に遭う前にクローンを造れば、あなたは安全でしょ』

「頭おかしいよ、狂ってる」

 僕は叫んで、一方的に電話を切った。



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