第4話

 どうやって生活していくかの結論が出ないまま、僕は牧野さんにプロポーズしてしまった。東大の壊れかけた安田講堂のそばを二人で通りがかった瞬間に呟いた。

「牧野さん、結婚しようか」

「え、内田さんと私が」

「うん、僕と君が」

「でも、陸と水だよ私たち」

「うん、わかってる」

「深水と本郷ってかなり遠いんだけど」

「うん、わかってる」

「わかってるなら、何か対策があるの」

「ない」

「じゃあ簡単にプロポーズなんてしないほうがいいよ」

「でも僕、牧野さんのことが好きなんだ」

「私も内田さんのこと好きだけどさ」

 二人とも、何も解決策はなかった。ただ好きであるだけではどうにもならないこともある。

 牧野さんからは、なかなかプロポーズの返事をもらえなかった。彼女は僕のことが好きだと言うし、結婚もしてみたいと言う。けれども研究はやめるつもりはないし、水日本で暮らす気持ちもない。僕は牧野さんのためなら陸日本で暮らしても構わないのだが、そうなると長くは生きられない。長くない命で結婚するのは気が引けた。

 プロポーズしてから二ヶ月近くが経過してから、牧野さんは初めて二人で行った居酒屋へ僕を誘った。プロポーズの返事をしたいと言う。僕は最近では陸地へ行くのがかなり苦しくなっていて、本郷へ赴くことが減っていたからだ。僕自身、自分がこれほどまでに水の人で、陸での呼吸がどんどん苦しくなってくるなんて思いもしなかった。

「私も内田さんと結婚したいと思うの」

「ありがとう、でも」

「二人でどこに住むか、よね」

「そうだよね」

 牧野さんはジョッキを両手で持って、ビールをがぶがぶと飲み干した。はあとため息をつき、僕の目を見据えた。

「内田さん、私、あなたを研究するわ」

「研究、するとは」

「一緒に東京に住んで。あなたが長生きできるように、私、研究するから」

 僕は目を見開いて、牧野さんをじっと見た。

「僕を研究対象にするのか」

「うん。あなたみたいな人を長生きさせたいの」

「いや、水中なら普通に生きられるんだけど」

「でも呼吸の研究をする価値はあると思うわ」

「陸で早死にするのは嫌だよ」

「私があなたを生かすから。約束するから」

「命のことは約束なんかできないだろ」

「私たちに子どもが産まれたら、また違った展開もしそうだし」

 僕らは居酒屋で地味に喧嘩をした。彼女に僕の命を軽く見られているような気がした。そんなはずはないとわかっているのだが、陸での呼吸の苦しさを思い出すと、やはり東京で生活するのは怖かった。いつ倒れるかわからない。呼吸の苦手な水の人が陸で使う「陸上ヘルメット」も売ってはいるが、これでもつのはせいぜい一日程度で、長期間息をすることはできない。そして意外と高価だ。牧野さんは陸上ヘルメットの開発も手掛けているので、最新技術を使ったいいヘルメットをつけさせてもらえるかもしれないが、まだまだ研究段階でしかないことはわかっている。息が続くのはもって三日だろう。僕らはその日、仲違いしたままで「少し頭を冷やそう」とそれぞれの家に帰った。

 どうすれば、陸地で少しでも長く生きられるだろう。僕はたくさんの研究論文を漁り、多くの専門医を訪ねた。しかしこの分野の研究はまだ浅く、そして今後も進みかたは遅そうだった。水の人は水中で生きればいいし、陸の人は陸地で生きればいいという不文律が存在していた。水と陸の夫婦がなかなかいないのも、このせいだ。みんな諦めているのだ。変だなと、思う。人間同士なのだから水と陸を超えて好き合う人たちもあるだろうに。なぜ研究が進まないのか。時代が早すぎるのかもしれない。昔は同性同士の結婚が長らく認められなかったと歴史の授業で習ったが、それと似たようなものなのかもしれない。

 牧野さんからは、たまにぎこちない挨拶のメッセージが届く程度だった。一ヶ月経っても二ヶ月経っても、会おうという言葉は出てこなかった。僕はもう、だめかなと感じつつあった。アニメ声の牧野さんとはもう会えないのかなと。



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