第19話 過去と現在と未来 


「トオル、髪がのびたな」


 畑作業をしている彼を眺めながら、千早は呟いた。


 あれから一年。トオルの髪は肩より長くなり、首の後ろあたりで一つ結わきにされている。


「ああ。ここでは誰も奇異の眼で見ないからな。伸ばしても良いかなと」


 薄く笑むトオルの髪は、毛先に行くほど色が抜け、白くなっていく。色素欠乏症だ。

 陽に当たったりとかの外的要因で幾らかの色がでるが、生まれたばかりの頃は新人類らと変わらぬ白さだったらしい。

 それが原因かは分からないが、トオルの両親らは仲が悪く、トオルは両親に抱かれた記憶すら無いと言う。

 顔を合わせた事も殆どなく、トオルが研究で糧を得るようになってからは、全く音信不通な状態だったとか。


「俺の一番最初の記憶は、母親に化け物と呼ばれた事だからなぁ。まあ、こんな欠陥品が生まれたら仕方ないんだろうが」


「欠陥品なんて言うな。私達までそうなるだろうが」


 トオルの後ろ頭をペチペチ叩きながら千早は苦笑する。


 自分達新人類は、旧人類らに歓呼で迎えられた。

 誰もが惜しみ無い愛情を注いでくれ、奇異の眼など向けられた事はなかった。

 時代が違うと言えばそれまでだが、小さな子供が親に見捨てられ化け物扱いされるなど、いかばかりの悲しさだっただろう。

 叩かれて嬉しそうなトオルを後ろから抱きしめ、千早は切な気に眼を伏せた。


 軽く雑談してから執務に戻る千早を見送り、トオルはガイアの許可を貰って《悌》の間に向かう。

 旧人類の卵子が尽きてからお役御免になった悌の間は閑散とし、誰の訪れもない。

 そこの人工子宮と培養シリンダーに、トオルはあらゆる方法で新人類達の卵子を使い受精を試みていた。


 今のところ全敗。


 千早の言ったとおり、見事なまでに新人類らの卵子と精子は無関心。御互いに培養液の中で、そこに居るだけと言う有り様だ。

 これも肉体的支配を脱した精神的支配な人種の弊害なのだろうか。

 トオルは自然な受精を諦め、今は組織的にカットした細胞同士の結合に取り組んでいた。

 何とかして新人類達に希望の芽を与えたい。欠片の期待でも良いから結果を出したい。

 この一年で、彼は旧人類らの残した技術の殆どを身に付けていた。元々が研究職だ。基本的な知識や技術は同じなので、とっかかりは楽なモノ。

 トオルは、あれよあれよと言う間に、《エデン》のシステムを手中におさめていった。


 懸命に努力する彼の脳裏に浮かぶのはただ一人。


 新人類達のためと言いながら、実のところ彼の努力は千早だけのためである。

 ヨーグルトの一件から、彼の頭の中には彼女しかいない。

 手詰まりでのたうつトオルに、ガイアが書庫を薦めてきた。

 大戦前の書物が詰まっており、データベースに入力されている以外の知識も有るかもしれないと。


 なるほど、有り得る。


 ガイアに言われるまま、トオルはシェルター内の書庫へと向かった。


「時代が変わってもこういう場所は変わらないな」


 巨大な空間を埋め尽くす書籍の山。他の新人類らも時々訪れるらしく、中は業務用アンドロイドが綺麗に設えている。

 書庫独特の埃っぽい匂いに懐かしさを覚えながら、トオルは現代科学の欄を総当たりで読み始めた。

 長い年月にもロボットやアンドロイド達が補修や修繕してきたのだろう。どの本も手入れが行き届き、読むのに不自由のない状態である。


 何時間かかけて一通り眼を通し、トオルは両手を上げながら伸びをする。


「やっぱ簡単には見つからないか」


 半日かけたが棚の半分も読めてない。ズラリと並んだ書棚に、思わず意識が遠退くトオルだった。


 うん。時間はあるし、ゆっくりやろう。


 軽くすがめた彼の眼が、いきなり陽炎のように揺らいだ。

 驚き瞬いた瞬間、それは霞のごとく消えている。


 今のはいったい? ゆらゆらと.... まるで炎のような?


 訳の分からない幻覚を見て、トオルの背筋に冷たいモノが走った。

 疲れてるのかもしれないな。と、彼は癒されるべく、愛しい恋人の元へ急いで帰っていった。


 しかしそれからも度々、トオルの周りに炎の幻覚が現れる。ついには煙の幻臭とか、阿鼻叫喚な叫びや呻き声の幻聴までオプションについてきた。


 いらんサービスだ。本当にどうなっちまったんだ? 俺は。


 誰に相談する事も出来ず、トオルは自分で開墾した畑の横に大の字に寝転がっている。

 畑では若手の新人類らが農作業を手伝ってくれていた。

 それを眺めながら、ぼうっとするトオルの視界に、再び炎の幻が現れる。


「うわっ!!」


 脊髄反射のごとくトオルは全身で飛び起きた。跳ねるかのように飛び起きた彼を新人類達が不思議そうに見つめる。


「どうしたんですか? トオル」


 揺らめく業火の中に新人類達は平然と佇んでいた。やはり、これは幻覚だ。しかも自分にしか見えていない。

 まるで空襲にでもあったかのような風景。なんだってこんな見た事もない光景が自分にだけ見えているのか。


 きっかけは何だっただろう?


 しばし思案し、トオルは炯眼な光を眼に灯す。


 .........書庫だ。あそこに行くようになってからだ。


 トオルは勢い良く書庫へ走り出した。




「そういう事か」


 書庫の最奥でトオルは答えを見つけた。

 予想外......... いや、よくよく考えれば、当たり前な事だった。

 あんな試作品の冷凍睡眠カプセルが数世紀もの時間を越えられる訳がなかったのだ。自分は現実ではない時を飛んだ。


 だから.... 時のアナグラムはそれを正そうと働く。


 俯く彼の手には一冊の週刊誌。わずかに残された大戦前の雑誌。ガイアが本当に見せたかったのは、これなのだろう。


 トオルは仄かな狂気を瞳に浮かべ、静かな足取りで《エデン》に向かった。




「お前、何なんだ?」


『.......』


「知っていたんだよな? 俺をどうしたいんだ?」


『ワタシハ 千早ヲ守ル。鶏ガ揃イ 卵ガ生マレル可能性ヲ探シテイマシタ。卵必要。アナタハ ソノタメニ喚バレタ』


「....生まれるのか?」


『ワカラナイ デモ アナタシカイナイ。始メノ新人類デアル アナタシカ 時ノ環ヲ完成サセラレナイ』


「始めの新人類? なんのこった?」


 ガイアは過去から現在に至るまでの説明をあまさずトオルに伝えた。トオル自身も知らなかった己の出自の秘密。


 絶句する彼に、ガイアのコンソールが瞬いた。


『選ブノハ アナタ。アナタノ決断デ 時ノ環ハ完成スル』


「救われるのか?」


『ワカラナイ デモ 他ニ道ハ無イ』


 トオルはガイアを忌々しく睨め下ろし、《悌》の間が重い沈黙で満たされる。

 確かに他に方法はない。トオルは泣き出しそうな顔で、天井を仰いだ。


「やるよ。やってみる。あいつのためなら、俺は悪魔に魂だって売ってやる」


『デハ コレヲ』


 ガイアのコンソール横がスライドし、一つの箱が出てきた。

 一抱えもありそうなそれは、ずしりと重く、中身を考えると気が滅入る。


「ほんと......... 人間やめてるよな、御互いに」


 沈黙したままのガイアを据えた眼で一瞥し、トオルは預かった箱を、有るべき場所へ運んでいった。




 その夜、トオルは幻覚の炎に包まれた。


「トオル?? 何だ、これっ! 炎が...っ」


 見えているのか。


 トオルにしか見えていないはずの炎が千早には見えていた。


 ああ、ガイアの話は本当だったんだな。


 彼は慌てる千早を力一杯抱きしめて、切な気な眼差しで見つめる。その眼には諦めに似た絶望が色濃く浮かんでいた。


「御迎えみたいだ。....どうも俺はタイムスリップして、ここに運ばれたらしい。時は俺を在るべき場所に戻そうと動く。ごめんな」


 千早は言われた言葉が分からない。頭では理解しているが、感情が否定し絶叫を上げている。


 戻る? タイムスリップ? 何で....?


「ずっと一緒って....約束したよね? なんで?」


 本当に何でだろうな? 神様がいるなら、残酷過ぎるよな?


 トオルは泣き笑いのように、くしゃりと顔を歪めた。


 止められない。止めようがない。時は勝手にトオルを連れ去るのだろう。


 千早は瞬時に覚り、全身から力が抜ける。呆然と見開かれた瞳は何も映していなかった。

 そんな千早をベッドに座らせ、トオルは正面から彼女の眼を見つめる。


「俺は未来を変える。新人類らは必ず生まれる種なんだ。ならば、生まれる新人類達のために、俺は過去で戦争を止めて見せる。こんな悲惨な末路を辿らせないよう動いてみる」


 虚ろだった千早の瞳に生気が宿り、微かに戦慄いたかと思うと、ポタポタと涙が零れた。

 声もなくハラハラと泣くその姿に、トオルの胸が軋み悲鳴を上げる。しかし他に選択肢は無いのだ。


 彼に絡まる炎と煙は、否応なしにトオルを過去へと連れ戻すだろう。


「ごめん。...もう行かないと」


 トオルは涙の止まらない千早の瞳に口付け、そのまま《エデン》へと駆け出した。


 残された千早は呆然とトオルを見送り、彼の後ろ姿が見えなくなると、嗚咽をあげながら号泣する。

 彼を心配させまいと堪えに堪え、一人きりになった途端、堰が壊れたかのように慟哭が迸った。


 その声に後ろ髪を引かれながら、トオルは《エデン》にある冷凍睡眠カプセルへと向かっていく。


 彼が到着した冷凍睡眠カプセルはハッチが開いており、業火のような炎と煙の光景が一面に広がっていた。

 トオルは中に入りハッチを閉じるとシステムパネルを操作し、冷凍睡眠の準備をする。

 左右から冷気とともに睡眠ガスが流れ出し、あっという間にトオルはスリープ状態に入った。


 こんだけの事やらせたんだ、無事に過去へ戻してくれよ、神様っ!!


 トオルが神様を毒づきながら深い眠りについた時、件のカプセルは炎の揺らぎに合わせて、しだいに輪郭がぼやけ、エデンの風に霧散する。




 次にトオルが目覚めた時、そこは彼の研究所。


 地震の揺れはおさまっているが、ヒビだらけな壁にゾッとし、トオルは足早に緊急避難用の梯子を上っていく。

 背中のザックにガイアからの預かり物を入れて、地上に出たトオルは、しばし絶句した。

 遠目に見える街は業火に包まれ、至るところから黒煙が渦を巻いて立ち上っている。

 山裾の地下にあった研究所だってあれだけの被害を受けたのだ。都市部などひとたまりもあるまい。


 トオルは駆け出した。


 以前の彼ならば、周囲がどうなろうと眉一つ動かさなかっただろう。悲惨な幼少期がトオルの人間性を歪めていた。

 しかし彼は未来で多くの優しさに触れ、笑い、怒り、困りと過去に得られなかった人情を、砂漠の砂のように貪欲に吸い込んでいる。

 今のトオルは他人のために駆け出す事が出来るのだ。未来の彼らに恥じる事がないよう、真っ当に生きる。


 生まれ変わったかのような気分のトオルであった。


 トオルが到着した街は悲惨な有り様で、建物のほぼ全てが瓦解し崩れ落ちている。

 人々は苦悶の声を上げ、それでも動ける者は必死に人命救助をしていた。

 炎と煙に右往左往しつつも、か細い助けを呼ぶ声に反応し、積み重なっている瓦礫と苦戦する。

 それを薄い笑みで見つめ、トオルも瓦礫の中を注意深く探索した。

 すると何処からか小さな声が聞こえる。

 慌ててトオルが声を頼りに瓦礫を退けていくと、瓦礫の隙間から小さな手が見えた。

 更に瓦礫を避けたそこには、十歳がそこらの血塗れな少女。

 トオルが抱き上げると、嗚咽をあげながら、か細い声で、お母さんと呟いた。

 見れば少女の居た場所に、瓦礫に押し潰され、ひしゃげた遺体がある。


 母親か。この子をかばって.........。


 トオルは深く頭を下げて、少女の手を引き、街を歩き回った。


 何処かに避難所か何かはないか。少女を預けられる所を探し、歩き続けた彼は、ひっくり返ったオモチャ箱のような惨憺たる有り様の街に、ほくそ笑んだ。


 根底から瓦解した今の日本なら、再建で改革出来る。愚かな未来を迎えぬよう、全力で改革に挑もう。


 時代の向こう風に真っ正面から対峙する心地好さよ。期待と希望に胸を踊らせ、知らずトオルは鼻歌を口ずさんでいた。


 柔らかな笑みを浮かべ、小さな少女を連れ、トオルは逆境の巷を打破すべく歩き出した。


 これが、後に新暦初の首相となる石動十流の第一歩である。






 そして時間は流れ、シェルター地下深くの《エデン》にトオルの姿があった。


 ガイアから預かったのは、後にガイアとなる脳。生体コンピューターガイアを作り出すため、未来から持ち込んだ物である。

 未来で最新技術を学んできたトオルは、未来のガイアと寸分違わぬマザーコンピューターを作り上げた。


 卵が先か鶏が先かなんて決まり切っている。

 鶏が努力せねば卵が生まれる訳はない。


 自嘲気味に顔を歪めるトオルの傍に一人の女性がやってきた。


「百香は順調ですか?」


 ここは《エデン》にある《悌》の間。五つの人工子宮の一つには胎児が浮かんでいる。言わずと知れた百香だ。


「うん。順調だ。私の血を引いてるからか、やはり色素が薄いな」


 人工子宮のガラスに手を当てながら、トオルはガイアの話を思い出していた。


 自分は実験体であったのだと。


 創世記時代。アダムとイブは最初の人類だった。過ちを犯すまで、彼らには強靭な肉体と千年にも及ぶ長寿が約束されていたという。


 神話の話だ。普通は眉唾なお伽噺と思うだろう。


 しかし、それを妄信的に信じ、復活を試みる機関があった。

 古代に繋がると言われる細胞や組織を合成、結合させ、旧き血族を生み出そうと、神の領域に手を出した奴等。

 この人工子宮も、そいつらの遺産だ。

 ほぼ全てが失敗に終わったと思われ、その機関は瓦解した。


 唯一の成功例が存在するとも知らずに。


 そう、その成功例がトオルだった。


 トオルは何物にも侵されぬ強靭な身体と千年近い寿命を持つ古代超人の末裔として人工的に生を受けた。

 この理を研究し、ある遺伝子に傷をつける事で擬似的に似たような作用を起こす事が出来るのを発見したのだ。

 自身を実験台にして、トオルはありとあらゆる可能性を模索したが..... ガイアから受けた説明以上の結果は出なかった。


 すでに結果は出ていた。未来で確認したのだから。


 新人類達は遺伝子に傷を入れる事によって、放射能に侵されず、二百年もの寿命を得ていた。

 トオルほどではないが、擬似的なモノでも十分な成果である。

 古代の血脈を引き継ぐのはY染色体。つまり、トオルの直系男子にしか超人的な肉体は引き継がれない。


 娘........いや、息子でもあるのか? 我が子だったとは。神様を殴り飛ばしてやりてぇ。


 両性具有であった新人類は当然Yを継承している。


「百香は女だから二百年くらい.... いや、色素欠乏してるだけなら、もっと短いかもしれない。事が済むまで別口で冷凍睡眠させておいてくれ、ガイア」


『了解シマシタ トオル』


 大戦が起きなくば、ここも無駄に終わるが。


 ガラスに当てたトオルの手に、小さな手が重なる。

 トオルは自分に寄り添う妻に視線を振った。

 彼女の名は八葉。大地震のおりにトオルが救助した少女の成長した姿である。


 似ているな、千早に。いや、千早が妻に似てるのか。


 未来のガイアよ。鶏は粉骨砕身で頑張った。.........卵がどうなったか知れないのが、心残りだよ。


 寄り添う妻の肩を抱き、トオルは遥か未来の彼の国へ想いを馳せていた。


 しかし、トオルの努力も虚しく、数十年後、大三次世界大戦は引き起こされる。


 完成された時の蛇は、そのまま己を呑み込み消えてしまうのか、それとも環の中に新たな世界を構築するのか。


 今現在のトオルには、知るよしもない。

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