第17話 トオルの下心


「すごいな」


「だろ?♪」


 広間のテーブルには所狭しと料理が並び、各々好きな物を皿にとって、嬉しそうに食べていた。

 サラダも生野菜や温野菜、ポテトサラダや卵サラダ等々。前菜は言うに及ばず、スープも複数あり、どれにしようか目移りしてしまう。


「お勧めはヴィシソワーズかミネストローネだな。他は普段の食事にも出たことあるから。この二つは今回初披露目だ」


 トオルの言葉に頷き、千早はヴィシソワーズを器によそうと、恐る恐る口をつけた。途端、ヒヤリとした感触に肩を竦める。


「冷たい」


 驚く千早を見て、トオルが悪戯気ににかっと笑った。


「でも美味いべ? ヴィシソワーズ地方でおもてなしに使われるスープだ。静養に来る人の負担にならないよう、食材を裏漉しして、固形物のない滑らかなスープになってるんだ」


 なるほど。まろやかで口当たりのよいスープには、そんな意味があったのか。


 感心したかのような眼差しの千早に気を良くし、トオルはアレコレと料理に纏わる話を交えながら、次々テーブルを回っていった。

 サラダに前菜、スープやメイン。トオルお勧めのピザやチーズフォンデュ、魚の煮付けに豆腐や蒟蒻の味噌田楽。

 たらふく食べ歩き、最後のデザートにタルトタタンを選んでテーブルに戻った千早は、ふと自分の席に見慣れない器が置いてあるのに気づいた。


 硝子の器に....これは桃かな? しっとり艶々した桃に白く滑らかなソースがかかっている。


 不思議そうに首を傾げた千早の前に、ワイングラス片手なトオルが現れた。反対の腕にはワイン瓶。


 思わず千早は眼を剥く。


 酒は一口程度の試飲のみと決めていなかったか? なんだ、その大きなグラスは。それに、そのワイン瓶。よもや、そのまま続けて飲む気じゃあるまいな??!!


 眼は口ほどに物を言うとは良く言ったものだ。


 言いたい事だだ漏れな千早の剣呑な眼差しに、トオルは両手を上げて苦笑する。


「飲まないよ。まだ、な。取り敢えず、その器は俺からのプレゼントだ。食べてみ?」


 訝しげに千早は件の器を見つめた。そして、ソースの絡まった桃を静かに口に運ぶ。

 瞬間、瞠目。咀嚼するのも忘れ、千早は口一杯に広がる風味に絶句した。


 酸味と甘味が程よく調和し、鼻腔を擽る懐かしい香り。これは.....


「ヨーグルト....?」


 信じられないモノを見る眼で硝子の器を凝視する千早に、トオルはガッツポーズ。


「いぇっすっ!! 苦労した甲斐があったぜっ!!」


 トオルは満面の笑みで両手を振り上げる。


 以前、彼が温室で手に入れたのはヨーグルトの木の枝だった。非常に希少価値の高い植物で、トオルのいた時代では日本に数ヶ所しか栽培されていなかった。

 それを温室で見つけた時、トオルはヨーグルトを作るという事で頭が一杯になったのである。


 結果、醸造や発酵を言い出し、一人密かにヨーグルト作りに没頭した。


「いや、本当に苦労したんだよ。何度作ってもえぐみが強くて抜けなくて。種をとり、作るを延々繰り返して、ようやく安定したヨーグルトが出来上がって、確定した種が取れるようになったばっかなんだわ。報われたーっ!!」


「本物のヨーグルトって、こんなんなのか。ビックリした」


「出来立ては暖かくて、また別な風味もあるぜ。今度食べに来いよ」


 御満悦で微笑むトオルの前にはワイングラス。


 しばし、それをジト眼で見据え、千早は仕方無さ気な顔で不承不承呟いた。


「今日だけだ。明日からは試飲以上の飲酒は許さないからな」


「うっす!!」


 ビシッと敬礼を決め、トオルは嬉しそうにワイングラスを傾ける。それを忌々しげに睨めつけ、千早は硝子の器を手にとり、桃に絡まるヨーグルトを口にしては思わずニヨニヨと口元を綻ばせた。


 本当に懐かしい味だ。


 そんな千早を意味深な面差しで見つめつつ、トオルはワインを傾けていく。


 ゆっくり一口ずつ味わっていた千早は、最後の一口を食べ終わり、ほぅっと溜め息をついた。.....そして気づく。トオルの回りにワインの瓶が複数転がっている事に。


 いや待て、あれから十分くらいしかたってないよな? なんで空瓶が二本...いや、三本か? えーっ、多すぎだろ??


 顔から血の気を引かせ、千早はヨーグルトに絆されて飲酒の許可を出した事を心の底から後悔した。

 トオルは斜めに傾いだまま動かない。その姿に声を失い、千早は驚愕に眼を見開く。


 えっ? 不味くないか?? 何だっけ.... そうだ、急性アルコール中毒?? 確かそんなんがあったはず、医局っ、誰か........っ


 思考は巡るが、千早は顔面蒼白。眼を皿にして凝視する視界の中で、むくりとトオルが身体を起こした。

 寝たぼけたような眼差しで、気だるげに髪を掻き上げると、浮かされ潤んだ瞳が、ぼんやりと千早を視界に捉えている。


 ああ、意識はあるようだ、でも、本当に驚いたな。


「顔が赤いし、眼も虚ろだ。これが酔うという現象か。大丈夫なのか? トオル」


 心配気に覗き込むと、トオルはへにゃりと柔らかく笑った。


「ダイジョブ。美味いなぁ~。うん、良く出来てるよ」


 上機嫌なトオルが再びワイングラスに手を伸ばした。それを慌てて取り上げ、千早は厳めしい顔で彼を怒鳴り付ける。


「いい加減にしろっ、酒は呑んでも呑まれるなと言うらしいじゃないかっ、おまえ完全に呑まれ切ってるだろっ!!」


「なんで~? 俺、酔ってないよ~」


 嘘をつけっっ!!


 ギンッと睨めつける千早の前で、トオルは力なくテーブルに突っ伏した。


「呑ませろよ~ もう、俺一人なんだからさ~」


 トオルの吐き捨てるような呟きに、千早はどくんっと心臓が大きく脈打つ。


「....もう、誰もいないんだ。みんな死んだ」


 トオルの呟きを理解して、知らず千早の顔が歪む。切ない眼差しでトオルを見つめながら、取り上げたグラスと瓶を彼の手の届かない所へ置いた。


「私がいる。皆もいる。お前は一人じゃないぞ」


 薄っぺらい詭弁だ。千早は自嘲気味な笑顔でトオルの横へ腰掛けた。心に穿つ悲しみは、簡単に癒える事はない。

 最後の旧人類だった姉が行方不明となり、いずれ自分が最後の一人になるという想像だけで、千早は深い闇の陥穽にはまり酷く病んだ。


 誰よりも今のトオルの気持ちが理解出来る。


「........ずっと?」


 お、反応した。


 顔だけ横向け、トオルは心許ない瞳で千早を見上げた。小動物のようなその仕草に、千早の瞳には濡れそぼった犬耳と尻尾の幻覚が見える。


「過去の旧人類達が切実に願った奇跡のパーセンテージを掴んで、お前はこの時代までやってきたんだ。私はお前はがここにいてくれて、とても嬉しい」


「嬉しい?」


「ああ」


 ほにゃっと、トオルが笑う。それに応えるように、千早も静かに微笑んだ。


「じゃ、俺と付き合ってよ。俺、千早の事、好き~」


 は?


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で千早はトオルをガン見する。

 へらへらと笑う彼は、完全な酔っぱらいだ。この様子では今の記憶など明日には飛んでいるだろう。

 ならば、今だけでも彼の心を少しは軽くしてあげられるかもしれない。


「良いよ。私もトオルが好きだから」


 しっとりとした優美な笑み。花開くような満面の微笑みに、トオルばかりでなく、周囲にいた新人類達も眼を見開き絶句する。


 千早自身も眼を見開く。口にして初めて自覚するとは。自分もトオルに心を寄せていた。うん、これは私の本心だ。


 きっとトオルは今夜の事を忘れてしまうだろう。それを思うと少し胸が傷んだ。


「.....マジで?」


「ああ」


「ずっと? 俺といてくれる?」


「良いよ」


「いよっしゃあぉぁぁぁっ、言質取ったぁぁぁっ!!」


 途端、トオルが立ち上がり、両手を振り上げ雄叫びを上げた。

 すると周囲の新人類達が、わっと二人に駆け寄り、口々におめでとうございますと祝いを述べる。


 え? なに? 何が起きてる??


 狼狽える千早に力一杯微笑み、ぎゅっとトオルが抱きついてきた。


「あー、緊張した。もう、一生分の勇気使い切ったわ」


 バクバク脈打つトオルの鼓動を聞きながら、ようやく千早は騙されていた事に気づき、顔を真っ赤にする。


「酔ってなかった? 振り? なんでそんな紛らわしい事を」


「だってフラれたらギクシャクしちまうだろ? 酔った勢いに見せれば忘れた振り出来るじゃん」


 あれだけ呑んでて酔ってないとは思わなかった。身体おかしいんじゃないのか。


 気恥ずかしさにプルプル震える千早の視界に酒瓶を片付けている若い新人類達が見えた。

 彼等は集めた酒瓶を試飲用のグラスが並ぶ場所へ運んでいく。


 あ....っ!


 転がしてあったのは試飲で空いた酒瓶かっ! 騙されたっ!!


 知らぬは千早ばかりなり。


 トオルの千早への想いは周知の事実で、多くの宮内人がその成就に協力していた。

 長様には幸せになっていただきたい。新人類達の想いは完全に一致している。

 こうしてトオルの恋心と新人類らの願望が強力タッグを組み、今回の謀を成し得たのだった。


「お前達....私を騙すなど....」


 トオルに抱き締められたまま、真っ赤な顔で睨みつけてくる長様が可愛らしい。

 ゆでダコもかくやという千早に、にっこりと微笑み、新人類らは揃って口を開いた。


「長様がトオルに心を寄せておられたのは存じておりましたから。御自覚がないのも。よろしゅうございましたね♪」


 唖然とする千早に、周囲は一斉に残念な子を見る生ぬるい眼差しをする。


 本当に、知らぬは千早ばかりなりであった。

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