第16話 トオルと発酵蔵


「ん~。こんなもんか」


 トオルはスコーンにクロテッドクリームとジャムを添え、今日の料理番らと試食する。

 熱々スコーンは、割るとほんのり湯気がたつ。それにクロテッドクリームをたっぷりと塗り、トオルは口に運んだ。


「うわ....うっま。久方ぶりに食ったわ」


「美味しいですねぇ。甘味は格別です」


「糖分など果物や蜂蜜で十分と思っていましたが。うん、これを食べたら、果物など甘味と呼べませんね」


「だろ?」


 にっこり笑いながら、トオルは料理番の新人類らと交流を持つ。甘味を餌に彼らの胃袋を掴む作戦だ。

 それは成功しつつあり、料理番になる新人類達は、甘味と比べて質素で味気ない食事に不満を抱くようになった。

 以前と違い、今の新人類達には時間も余裕もある。手間隙を惜しむ必要がない事に気づいた彼らは、しばしばトオルに教えをこうようになり、さらには自主的にガイアのデータベースから料理の文献を調べるようにもなっていた。


「トオルがおっしゃっていた、料理は愛情という言葉がわかりますね。手間隙をかけるとこんなに美味しくなるなら、かけない手はないです」


「本当に。皆が美味しいといってくれるのが、こんなに嬉しいものとは。時間をかける甲斐があります」


 料理番は交代制なのだが、大抵は若い世代が分担している。

 古い世代になるほど重要な役職や仕事が振り分けられているため、どうしてもこういう形に割り振られてしまうのだが、大して遣り甲斐のない部署に若い世代は気力を失っていた。

 だから、画一的な業務の範囲を守り、遵守する傾向にあったのだが、トオルの投げた小石は、その彼らの琴線に触れた。


 身体を維持する食事という物が如何に大事な物なのかを説き、それを担う者の重要性を指摘する。

 食欲をそそるというのは大切な事だ。唾液の分泌を促し、胃腸や体内吸収率を上げ、ひいては健康な身体を作る。

 それに携わる仕事は、誇りある重要な役目なのだと、トオルは若い新人類達に切々と語り続けた。


 結果、仁の宮の食事事情は大幅に改善され、最初は良い顔をしなかった古い世代の新人類達も、今では食事を楽しみにして舌鼓を打っている。


 それに伴い、トオルの意見の正しさを理解した新人類達が軟化したため、彼の望んだ畑が作られ、ただいま甜菜が全力で育成されていた。


 無論、砂糖のためである。


 製菓に砂糖は必須なんだーっと叫ぶトオルに、新人類達が根負けしたのだ。食に目覚めた彼らが、トオルの言う砂糖なる甘味に興味が出たのもある。


 こうして着々とトオルは自身の居場所を確保していった。


 そしてトオルは我が道をゆく。




「醸造倉が欲しい」


「は?」


 書類と格闘している千早の執務室に押し掛け、トオルは空き屋の使用許可を求めてきた。


「葡萄栽培してるじゃん。大豆も米もある。醸造を試してみたいんだ。醤油や味噌、酒類とか。出来たら発酵倉もやりたい。今みたくカッテージチーズだけじゃなく、他も作ってみたい」


 トオルの言葉に千早は暫し考え込んだ。


 前述したように、大戦の影響で多くの壊滅的被害がおき、旧人類が目覚めた頃には、荒れ果てた大地に戦前のような酵母菌類は、ほぼ皆無であった。


 しかし大地が復活して数百年の年月が流れている。さらには菌という物は強靭で、生き残るために眠る性質があるとも聞く。

 ならば今の緑豊かな今の状況で、目覚めている可能性もあった。


 千早は軽く頷き、トオルに柔らかく微笑む。


「良いだろう。幸い空いてる建物も多い。どの街でも好きに使って構わないよ。手すきな者に手伝ってもらうと良い」


「いよっしっ、待ってろよ、絶対成功させるから♪」


 腕捲りしながら意気揚々と部屋をあとにするトオルを見送りつつ、千早は何とも言えない満足感を得た。


 時代が動く。新人類達が変わる。


 諦めと絶望しかなかった澱んだ世界に、新たな息吹きが吹き込まれ、人々は眼に見えて活気を取り戻していた。




 トオルは仁の宮から程近い街を加工街と名付け、手すきな若い世代の新人類らと共に発酵倉から始めた。


 菌の増殖が目的だ。


 トオルの指示の元、それなりの距離を保ち、各種発酵倉が作られる。

 各種それぞれ専門の倉でないと菌が渡り正常な発酵を阻害すると説明し、各々専任の担当をつけ、まずは試しに空気中の菌を利用した発酵から始める。

 同時進行で土壌からも菌の捜索を行い、新人類達は夢中で新しい試みに取り組んでいった。


 そしてトオルは一人密かに発酵倉に籠る。彼の手には数本の小枝。偶然温室で見つけたコレは、上手くすれば、ある発酵食品が作れる。


 トオルが発酵や醸造に手を出した理由だ。


 無論、本当にチーズや酒や各種調味料が欲しかったのもある。しかし、この枝を見つけなくば、それらに手をつけるのは、まだまだ先だったに違いない。


 喜んで貰えると良いな。


 トオルは彼の人が驚き微笑むのを想像して、軽く頬に朱を走らせた。




 そんなこんなで月日がたち、発酵倉も醸造倉も順調に進んでいく。千早が予想したとおり、大地にはかなりの菌類が復活していて、各倉は嬉しい悲鳴を上げていた。


「良く育っています。まだ若いですが、御披露目したいです」


 大きなホールチーズを抱え、満遍なく撫でながら、彼は満面の笑みでトオルを見上げた。

 ズラリと並ぶホールチーズ。スタンダードな物しかないが、壮観な光景だ。


「一つくらい良んじゃね? カッテージチーズとは違うコクと旨味を見せつけてやろうや」


 牛乳の凝固作用を使ったカッテージチーズ。レモンのみで作れるコレが、ここでの主流なチーズである。

 しかしコレは生食中心で、加熱調理には向かない。


 チーズか。ピザにチーズ焼き、フォンデュやサクサクな焼きチーズも捨てがたい。そのまま酒のアテにとか....。


 そこまで考えて、トオルは醸造倉の酒類を思い出した。


 葡萄酒、純米酒、....ウィスキー系はまだなんだよな、大麦なくてさ。あいつら小麦しか作ってなかったんだよな。トウモロコシとか他の穀類はあったのに....無念。


 だが抜け目なく大麦も育成中のトオルである。


 酒は製菓にも多くの恩恵をもたらす。リキュールや酒粕、ラム酒など。使える菓子は山ほどあるし、代用でも良いが、完成形が食べたいトオルだった。




 そしてトオルの悲願だった発酵食品も完成し、しばらくして醸造倉と発酵倉の御披露目会が開かれる。


 各倉専任の者と料理番が趣向を凝らし、その日の夕食はバイキング方式。多くの料理が立ち並び、新人類達は感嘆に息を呑む。

 色鮮やかな数々の料理の隅に、ひっそりと置かれたグラス類。言わずと知れた酒類だ。


 実はこれ、千早から猛反対を受け、出すのに一苦労した代物だった。


 千早は、酒類に強い中毒性と依存性がある事を知っており、その存在すらをも毛嫌いしていたのだ。


 食材の一環として生産は許可してくれたが、飲酒という行為は絶対に許さないと頑なに眼を怒らせる。

 それを必死に説き伏せ、試飲という形で一人一杯のみを何とか認めさせたのだ。しかも、グラスはシェリーグラスで。

 食前酒用の、ホントに一口サイズなグラスである。

 それでも御披露目出来るだけマシだ。危うく専任の努力が無駄になる所だった。


 開墾の妨害から、厨房ジャック、甘味推進に料理番達の意識改革。ここまで漕ぎ着けるのに越えてきた多くの苦労を振り返り、思わず苦虫を噛み潰すトオルである。


 しかし今、その苦労が報われるのだ。


 千早とトオルは顔を見合せて微笑み、夕食会の開かれる大広間へと肩を並べて向かった。

 

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