第13話 嗜好品 ~前編~


「マジかぁ.....」


 トオルはシェルターの全貌に感嘆の声を上げる。


 いや、本当に凄い。完全な自給自足の循環システム。これが、たった三十年後に作られたのか。


 ガイアのコンソールを弾きつつ、トオルは慣れた作業でデータを次々引き出していた。

 まるで滑るようなトオルの指先。しかし周囲の人々はスルスル流れるデータを理解しているであろうトオルの頭脳と技術にこそ感嘆していた。


「おし、大体は理解した。こんなもんだな」


 引き出したデータを片付けようと、トオルが再びコンソールを弾き出した時、千早がガイアを呼ぶ。


「ガイア、スクリーンの処理とデータのホスト管理をよろしく」


『カシコマリマシタ、千早』


 突然音声が流れ、唖然とするトオルの前でパタパタとスクリーンが閉じ、引き出したデータが瞬時に消える。コンソールは綺麗に最初の状態に戻っていた。


「すげぇ。自立型AIか」


 呆然と眼を見開くトオル。いや、全く。科学の進歩とは空恐ろしいものだ。

 彼はにっと子供みたいに笑うと、貪欲にシェルター内の知識を学び始めた。




「彼はまたガイアのところですか?」


「ええ。食事も忘れて研究に没頭しています」


 眉を寄せて苦笑する長の側近達。いつかどこかで見た光景。長の背中が脳裏に浮かぶ。

 あの時は、寝食を忘れたかのよう病的に職務に没頭する長を、如何にガイアから引き離すか皆で悩んだものである。

 病んで疲労が色濃く、生ける屍のごとき長を思い出して、側近達は背筋をブルリと震わせた。

 あれと比べたら今のトオルは可愛いものだ。

 本人が楽しんでいるし、何の心配もない。


 側近達はトオルに差し入れる食事を持ち、彼の元に向かった。




「..........」


 トオルは運ばれてきた食事に、うんざりとした眼を向ける。いい加減勘弁してほしい。


「食器は後で下げに来ますので」


 そういうと側近は静かに下がる。


「用意された物に文句はつけたくないが.....」


 テーブルの上にはホンノリ塩味の温野菜。数切れの茹でた鶏肉添え。それにパンかペンネがつく。

 味付けは微かな塩のみ。動物性たんぱく質は魚か鶏肉。どれも茹でただけ。

 朝食には牛乳やチーズも出るし、食材が無い訳ではなさそうなのに、何故ここまで質素なのか。

 全く食欲のわかないメニューをつつきながら、トオルはガイアのコンソールを弾き続けた。

 ぶっちゃけ飽食日本な時代からやってきた食べ盛りの彼には苦行以外の何物でもない。

 憮然と義務的に咀嚼していたトオルの眼が、あるファイルでピタリと留まる。


「あるじゃないかっ」


 幾つかのファイルを捲るうち、トオルは目的の物を見つけて眼を輝かせた。




「ん?」


 果樹園を散策していた千早の耳に、言い争うような声が聞こえる。なんだろう? 

 穏やかな気質の新人類らには珍しい。

 同行している側近と不思議そうに顔を見合せ、千早は、声のする方に歩いていった。


「だから、もっと畑を拡げれば良いだけだろうっ」


「私の一存では.... それに収穫量は決まっているので、むやみやたらに自然を潰してはいけないのです」


 困ったような人々が囲んでいるのはトオルだった。


「どうした?」


「長様、トオル様を止めて下さい」


 心底困惑したような人々が千早に助けを求める。

 話を聞けば、トオルが農作業用ロボットを持ち出し開墾しようとするのを止めていたらしい。


「皆が暮らすのに十分な収穫はあるはずなんだが。トオルは何がしたいの?」


「香辛料だよ。ここの飯、味気無いからさ。ガイアで調べたら温室に香辛料とかの栽培もしてるじゃん。あれらを増やして香辛料作りたいんだ。調味料も」


 千早は少しだけ眼をひそめた。


 旧人類の時代に香辛料や調味料の類いは尽きている。新しく作ろうにも、この大地には酵母菌が存在しなかった。

 大戦の影響か、かなりの土壌菌が死滅しており、この数百年で新たに発生しはじめたばかりなのだ。

 これは旧人類にとっても予想外であり、備蓄してあった物が尽きてからは、遥か遠くの海から得る塩が唯一の調味料である。

 新人類達が大半をしめる頃には、今の食生活が定着しており、何百年と続いていた。


 新人類達の困惑は当然だろう。


 しかしスパイスなら作れなくはない。発酵が必要でなくば、出来る物はある。過去に旧人類達も試行錯誤して作っていた。


 だがそれも人々が数百万といた頃の話。


 いつ叶うかわからない楽園の再建を夢見ていた新人類達は、限られた卵子を節約し、地上を甦らすためにシンパシー能力を駆使して大地の浄化をしていた。

 身を粉にして働く彼らに余裕はなく、香辛料などといった嗜好品は作る暇も無くなり、姿を消したのである。

 それからも仁の宮の建設など、未来が閉ざされた新人類達は自分達の足跡を残そうと躍起になっていた。

 とても食生活を改善するなどという発想は出なかったのだ。


 人々に余裕が出来たのは、つい最近。


 トオルは知らないから仕方無い。


 それらをかいつまんで説明し、千早は今なら多少の余裕はあると、開墾の許可をだした。

 途端、周囲の新人類達が驚いた顔で二人を制止する。


「お待ちください、長様っ! 我らが.... 先人が身を粉にして甦らせた大地を潰すというのですか?!」


「そうです。我らの努力の結晶ではないですか。何故トオルは今ある物で満足出来ないのですか?」


「人の欲には際限がないものです。明確な線引きがなければならないと仰ったのは長様ではないですか」


 畳み掛けるように叫ぶ新人類達を、千早は眼を丸くして凝視する。

 決して譲る気持ちがない事を示す真摯な瞳。こんなに自己主張する新人類達の姿は初めて見た。

 新人類達の剣幕に圧され、千早は開墾の事を取り敢えず保留とし、その場からトオルと二人で逃げ出した。




「驚いたな。おっとりした人たちだと思ったのに」


「いや、あんな彼等は私も初めて見た。正直驚いている」


 早足に遠ざかりながら、二人の困惑顔はしだいに緩み、声を出して笑いだす。


「もっと、ざっくばらんに行こうぜ。みんな固すぎる。あいつらの口調、なんとかなんねぇの?」


 ああ、と千早は彼等が何故画一的な口調や思考であるか理由を説明した。

 大地を浄化する大きな目的があった新人類達は旧人類が全滅してから赤子の養育に手を回せなくなり、人工子宮であった事を幸いに、中で六歳あたりまで養育する事にしたのだ。

 人工子宮の中であれば世話は必要ない。教育はガイアに任せ、新人類達は地上の浄化に勤しんだ。


 結果、ガイア品質な画一的子供達が次世代に揃い踏みしたのである。


 勿論、個人差や各々個性はあるし、教育であって洗脳ではない。むしろ、その後の仕事や生活で知る事の方が洗脳に近かった。


 いわく、千早は唯一無二の旧人類から生まれた新人類だ。とか、千早は時を止めた奇跡の人だ。とか、千早は旧人類からの歴史を目の当たりにし、全てを知る人であり、我らの歴史その物だ。とか。


 後々他の新人類から聞く言葉の数々が、千早を唯一無二の絶対者として印象付け、次世代達に神聖視される原因となったのだが、千早本人はうっすらとしか知らない。


「人工子宮か。ガイア品質ってww」


 感情豊かに笑うトオル。


 こんな笑顔を見たのは何百年ぶりだろう。

 ガイア品質の次世代は生まれ出た時から思慮分別に長けており、感情を荒らげる事など全くない。

 穏やかな口調と物腰。これが次世代の特徴だった。

 むしろ千早の方が、病んだり泣き叫んだりして、感情の発露が激しく、彼等を困らせていた気がする。


 そして、ふと気付いた。


 先ほどの新人類達は感情を揺らしてはなかったか?


 憤懣やるかたない。そんな感じで眉をひそめ反論してきた者達を思い出して、千早は薄く口角を上げた。


 異論を唱え真っ向から主張してきた者達の他にも、腕を組んで、うんうんと頷いている者や、始まった口論にオロオロしている者。

 感情が発露した時、それぞれが違うリアクションを取り、各人の個性が顕になった。


 感情は伝播するのだろう。


 トオルという旧人類に引き摺られ、新人類達が変わり始めた。良い傾向だと思う。

 未来が閉ざされた事で新人類達の時代は止まり、すべき事の無くなった今、淀み腐り始めていた。

 その筆頭だったのが千早なのだから。

 心を病み、絶望に取り憑かれ、あらゆる物に無関心となり拒絶した。


 振り返ってみれば愚かだったと思う。


 そして横を歩くトオルにチラリと視線を向ける。


 彼は我々の澱みに投じられた生き物だ。自由奔放な彼は澱みを掻き回し、あらゆる風を吹き込んでくれるだろう。

 それが怖くもあり楽しみでもあり、千早は久しぶりのワクワク感に興奮した。

 旧人類とは、こういった者だっただろうか。千早は遠い昔に思いを馳せる。


 .....そういや姉さんも、こんな感じだった気がする。


 じっとり眼をすわらせつつも、千早は動き出した時代を歓迎した。




 開拓歴同年。


 トオルの傍若無人ぶりに新人類達が反撃する。

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