第10話 閉ざされた未来
あれから更に二百年。未だに千早は生きていた。
多くの仲間達を見送り、彼らが土に還った花畑を見つめ、残り少なくなった新人類達の未来を憂える。
保存されていた卵子は尽きた。あとは最後の子供らが成長し、年月を経て年老い、また花畑に見送るのだろうか。最後の一人として。
他のシェルターも似たような状態だった。ただあちらには私のように時が止まっている者はいない。緩やかに朽ち果てていくだけだろう。
何がどうしてこうなったのか。
新人類達は明らかに異質だった。
色素を失った肉体。二百年もある寿命。何より、自然と同調し、世界の成長を促すシンパシー能力。
この力が星の浄化を大幅に加速した。
今では地表に放射能の気配はない。むしろ戦前より豊かな自然に満ち溢れ、冷凍保存から放たれた動物達が繁殖し、深い木々の織り成す楽園となっている。
そうだ、三百年前に私が望んだ姿が。旧人類達の夢でもあった楽園が、今ここにある。
ただ人類が滅び消え失せるだけ。
俯く千早の顔に陰が落ち、すがめられた瞳には絶望が色濃く映し出されている。
何故、我々には生殖器が残されているのか。卵子も精子も正常なのに、何故授精しないのか。
両性具有増加という現象は種の絶滅の危機に陥ったさいに、自然界でもたまに起きる現象だ。
放射能の驚異にさらされた人類に起きる可能性だって十分ありえる。次世代全てというのは稀かもしれないが。
ただ、そうした自然現象であれば、授精しないという事はないのだ。授精出来る個体を増やすために両性具有が増えるのだから。
我々は種として固定されている。次世代を作れない理由がわからない。
「神様も酷な事をなさる....」
最初から欠損していれば夢も見ない。なまじ正常な健康体であるがために割り切れないのだ。
保存された卵子があるうちは、まだ良かった。
楽園を築く。神殿を造る。
そんな目的があるうちは、まだ楽観していられた。
神殿が完成し、楽園が甦った今。
千早に残るモノは何もない。ただ仲間の死を見送り、この地に独り取り残されるだけだった。
きっと地上から人類は消え失せるべきなのだ。世界が....星がそれを望んでいるのだ。
人類が世界に与えた暴挙を考えれば、そうであっても、おかしくはない。
先のない絶望は千早の精神を徐々に蝕んでいった。
人類は滅びを望まれている種なのだ。我々にシンパシー能力があるのは贖罪せよとの天の思し召し。
旧人類は罪人だった。彼らは贖罪し、我々のために街を創った。我々が彼らの罪を引き継ぎ、世界に贖罪出来るようにと。
我々は鬼子である。忌み子である。
千早は、残忍に口角を歪めてほくそ笑んだ。
我々は楽園を甦らせた。贖罪は終わった。あとは天の思し召しのまま滅び消え失せるだけだ。
三百年の長き孤独と取り残される日々が、千早から正気を奪いつつあった。
元々負に傾きつつあった精神は、保存されていた卵子が尽きた事で一気に奈落へ転落する。
新人類という種は終わったのだと。
絶望という陥穽に嵌まった千早の瞳には、鋭利な極寒の焔が宿っていた。人間味のない酷薄な笑顔。
我々は鬼子。滅び消え失せるべき種であり、生涯を贖罪についやす生き物。私はその長であり新人類の最後を見送る者。
自身の妄想に取り憑かれ、苦々しげに口を引き結ぶ千早の脳裏に、懐かしい何かが掠めた。
未だ鮮明に思い出せる愛おしい姉。
「姉さん....貴女も、こんな辛さを。そして私も....」
旧人類最後の独りとなった優しい人。
独りになった姉は行方をくらませた。どんな心境で何を選んだのか。何も知らせず、何も話さず、相談すらしてもらえなかった。
しかし彼女は最後の独りになるまであがいたのだ。決して人々の命を諦めなかった。
「私も...っ? いや....私は....」
姉の真摯な眼差しが千早を迷わせる。彼の瞳に微かな正気の欠片が戻っていた。
死に囚われていた精神が、にわかに奈落から浮上する。
「私も........ 最後の一人になるまでは。.....頑張ります」
脳裏で姉が微笑んだ気がした。
しかし、絶望の陥穽は簡単には抜け出せない。
「最後の一人になったら....もう良いですよね? .....楽になっても」
焦点の定まらない眼で、彼は歩きだした。覚束ない足取りのまま、仲間の待つ神殿へと。
死の妄想に囚われつつも、彼は代行として努力する。更に百年が過ぎ、各シェルターのうち三つが沈黙した。
一つ。また一つと沈黙するシェルター。彼らは命尽きるまで、共に頑張った仲間だった。
「お疲れ様でした。先で待っていてくださいね。皆の後に私も逝きますから。揃って家族に会いに行きましょう。私達は全力を尽くしたと胸を張って」
虚ろな眼差しで労う千早に、周囲の新人類達は危険を感じ、彼に休息を取ってもらおうと、シェルター暮らしの彼を神殿に引っ越させた。
シェルターでガイアと二人暮らしが良くないのだと。
シェルター《仁》の新人類の人口は既に百人を切っている。街も一つしか機能しておらず、他は閑散としたゴーストタウン。
神殿なら業務の中心となっており、誰かしら常駐しているので安心だ。
仁の宮と名付けられた神殿は、和風建築の白い建物だった。天皇御所をイメージして建てられており、多くの建物が迷路のように繋がっている。
その奥まった一室。三部屋続きで落ち着いた部屋が千早に用意された。広い縁側からは整えられた美しい庭が一望出来る。
側仕えに最後の子供達が二人つき、千早は幼子の無垢な労りに触れ、病んだ精神が少しずつ快方に向かっていった。
儚くはあるが、笑みを見せるようになった千早に、新人類達は安堵する。
しかし、絶望はその牙を離さない。
神殿に忍び込んだ肉食の獣によって子供らは食い殺されたのだ。
人気のない神殿だった事が仇になり、悲鳴を聞き付けた千早が駆け付けた時には、一人は絶命。もう一人は獣に食いつかれ泣き叫んでいた。
千早は必死に獣を引き離そうとしたが、深く食い込んだ牙は頑として外れない。
「やだ...もう、やだ....死なないでっ」
無言の不文律で、野生動物には危害を加えてはならない事になっていた。
食するのは家畜のみ。
幼子の生と死の狭間で、千早の長としての矜持が揺れ動く。
優しい子供らと静かに日々を過ごす。そんな些細な幸せも、我々忌み子には赦されないのか。
獣の牙を押さえつけながら、千早は心から祈った。
後生です、神様。この子を助けてください。代わりに私を....っ!!
そこへ遠くから誰かの足音が聴こえる。常駐の誰かが悲鳴を聞いて駆け付けてきたのだろう。
ならば....!!
千早は全力を振り絞って子供を癒した。千早の能力は育成のシンパシー。これは自然治癒力を上げて、外傷ならば癒す事が出来るのである。
みるみる子供の傷がふさがっていくが、食らいついた獣の牙が新たに皮膚を引き裂いた。
子供の口から絶叫が迸る。
誰か...っ、間に合え!!!
治癒する千早と食い破る獣。悲痛な子供の叫びが谺するなか、千早は駆け付けたであろう人々の影に安堵する。
そして人々が獣に手をかけた瞬間、糸が切れたかのように意識を失った。
シンパシーは気力体力の複合体。自身の生命力をエネルギーにしているがゆえ、疲れを感じたら休まねばならない。
そんな力を、たて続けに限界以上使った千早は、泥のように深い眠りから数日目覚めなかった。
そうして、ようやく千早が目覚めた時。
「.....そうか。助からなかったか」
結局、子供は死んでしまった。
傷は治癒が間に合っていたものの、出血が多すぎたのだ。私がした事は無意味だった。
いや、むしろ残酷な所業だろう。幼子に何度も噛み裂かれる激痛と恐怖を与えたのだから。
鬼だな。私は。
スルリと表情を失った白い顔で、千早は周囲に人払いを命じた。
もう何も考えたくない。最後まで頑張りたかったが、もう駄目だ。心がバキバキと折れていく。
私、十分頑張ったよ、姉さん。もう良いよね?
そんななか、退室しようとしていた人々のうち一人が、意を決したかのように千早の寝所へ駆け寄った。
彼は足早に近づくと膝をつき、正面から千早を見据える。意思を固めた真摯な瞳。
「黙っていようか悩みましたが。今の貴方様には必要だと存じました」
何の話かと首を傾げる千早に、彼は口を開いた。
「あの子の最後の言葉です。《長様、逃げて》と。あの子は最後まで、長様を案じておりました」
そう言うと、彼は静かに部屋から出ていく。
それを見送りながら、千早は唖然とする。
確かに.... 耳には届いていた。悲鳴に掻き消されながらも。虫の息のしたで....逃げてと呟くか細い声が。
それの意味は....
「.....生きろと? 私に?」
千早の眼から涙が零れる。声もなく彼は泣いた。溢れる涙は止まらなかった。
でも、辛いんだ。もう耐えられない。
だが、あの幼子は、大人でも絶叫するであろう悶絶の中で私に逃げてと言ったのだ。
千早は泣きながら顔をグシャグシャにして天井を仰いだ。その眼は、ただただ深い悲しみに満ちている。
「情けないな私は。生きるよ。あの子に対する贖罪だ。命ある限り私は生きよう」
彼はようやく声を上げた。慟哭にも近い泣き声は、千早の心にわだかまっていた物をほんの少し溶かしてくれる。
純粋な涙は、心を洗い流す特効薬だった。
開拓歴四百二十六年。
冷凍保存の卵子が尽き、人類滅亡のカウントダウンが始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます