第9話 新人類 ~後編~
「ふぁぁぁああ、今日も可愛いね、千早ちゃん☆」
崩れ切ったスライムのような笑顔で百香が見つめているのは小さな赤子。昨日生まれた弟。名前は千早。
サラサラな薄い髪の毛も、真ん丸な瞳もプリチー。赤いけど。
そう。母八葉は死病を発症していた。妊娠中の胎児にも未知の放射能は牙を剥いた。彼女の弟の千早は新人類として生まれてきたのだ。
しかし、そんな事は関係ない。
あんなに人工子宮の胎児達に悩んでいたのが嘘のようだ。生まれて見れば、皆可愛い。
人工子宮の胎児達も、全て乳母係予定だった卵子提供者の女性に預けてある。最初は皆困惑したものの、赤ん坊の可愛さは万国共通だ。
すでにメロメロで、うちの子一番祭りが開幕されている。もちろん百香も参戦予定だ。
異質とは言え、赤ん坊の無垢な笑顔は、シェルター内に大きな活気をもたらした。
百香は、人工子宮生まれな赤ん坊は放射能に耐性がある事をカミングアウトし、赤ん坊達をシェルター内に連れ出す。不安げな母親達に、安全性は百香が証拠だと強行した。
結果は上々。みんな親兄弟祖父母の顔で新しいシェルターの仲間を大歓迎してくれた。
溢れる笑顔。飛び交う歓声。
新人類上等。千早のためなら、私は大陸だって横断してみせようっ。ビバ!新人類!!
今思えば、この時が百香の幸せ際骨頂だったのかもしれない。
それから十七年後。
死病を発生した者が全て死んだ。あの後、健康であった者も、全て発症したのだ。
人工子宮生まれな新人類達は数を増し、今や二千人以上が地上で暮らしている。
みんな新人類達が新たな社会を築くと疑わずに、笑いながら死んでいった。
ごめん.....
百香は固く眼を瞑り、一人、心の中で懺悔する。
新人類達は
つまり、今有る冷凍保存された卵子が尽きれば、人類は潰えるのだ。
この事実が判明した時、百香と医師達は沈黙をえらんだ。
人々は十分に苦しんだ。絶望の中にも一縷の希望を見出だし、全力であがき、必死に生きてきたのだ。
これ以上の絶望はいらない。
百香は嗚咽でつっかえながらも、この事実は黙殺すると医師達に伝えた。
医師達は微笑んで、それを受け入れてくれる。
その医師等もすでにいない。
百香は共同墓地に指定されている花畑で、一人、石碑に向かって懺悔した。その懺悔は、太陽が傾き、辺りが暗くなっても終わる事はなかった。
「姉さん、ここに居たの。ガイアが探してるよ」
背の中程まである白い髪を無造作に束ねた赤い瞳の少年。弟の千早である。
「ガイアが?」
「ん~ なんか? システム《孝》の発動条件を満たしましたとか?」
百香は眼を見開いた。
《エデン》入り口から右にある《孝》の扉。予め発動を予測して、蔦は取り払ってある。ちなみに入り口から真っ直ぐ進むと《忠》の扉。こちらも蔦は取り払ってあった。
百香は軽く深呼吸し、《孝》の扉に足を踏み入れた。
《オ久シ振リデス。百香》
「そうね。こんな事でもなきゃ、声も聞きたくなかったわ」
底冷えのする冷たい声。
全ての人々に死病が発症してから、百香は毎日ガイアを詰った。
何故助けてくれない? 何故人々を見殺しにする? 知っているなら教えてくれ。人類は生き延びられるのではなかったのか。
泣き叫ぶ百香の問いに、ガイアは無言を貫いた。
結果、ガイアと百香の間には深い亀裂が生まれ、二人の間には常に誰かが挟まれて、直接会話する事は無くなったのだ。
「で? システム《孝》の発動条件は?」
薄々解ってはいるが、百香は敢えて確認する。
《全テノ旧人類ノ死亡ガ条件デス》
だよね。
このタイミング。それしかあり得ない。
「それで、システム《孝》ってのは何なの?」
《.......》
しばしの沈黙の後、ガイアは自身の誕生秘話から語り始めた。
「.....嘘でしょ?」
《私ヲ恨ミマスカ? 百香》
それどころではない。ガイアが生体コンピューターだったとは... しかも拡張し、育つって.........
ガイアの語った説明によれば、彼は人間の脳を組み込まれた生体コンピューター。さらには各シェルター地下深くに余裕を持たせた拡張部位があり、そこに死んだ人々の脳が組み込まれ眠った状態なのだという。
「じゃあ....みんな、ここにいるの?」
システム《孝》の正体は、巨大な人工下垂体。無数のカプセルに脳を保存培養し、ガイアの生体コンピューターに接続、移植しているのだ。
そりゃあ、みんなが死んでからでないと発動出来ない訳だ。
花畑に眠るのは脳を抜かれた器だけ。完全に灰にしてから花畑に蒔くので、誰も気付かなかった。
《ミンナ微睡ンデイマス。私ハ ミンナヲ未来ヘ運ブノデス》
おかしい。夢見るようなガイアの呟き。
生体コンピューターが成長するために他の脳を移植しているのに、ガイアからは、そう言った義務的な印象を受けない。
《未知ノ放射能ハ消エナイ。人ガ生マレ変ラナケレバ人類ニ未来ハナイノデス》
愕然とする百香を余所に、ガイアは更に語り続けた。
《人類ノ遺伝子ニハ傷ガ必要デシタ。ソレガ未知ノ放射能ニ対スル唯一ノ方法。百香ノ遺伝子ニモ人工的ニ傷ガツイテマス。百香 性欲ナイ。人工子宮ハ意図的ニ遺伝子ニ傷ヲツケル》
ようやく百香は答えを貰った。彼女は細く長い溜め息をつき、ガイアのコンソールを見下ろす。
「それで? 誰も居なくなった今、隠し事は無用でしょ? 御父様の思惑が何であり、何処に向かっているのか、聞いても良い?」
ガイアのコンソールが瞬き、途端、周囲に煙が噴き出した。
「ガイア??!」
甘い香りが辺りに漂い、規則的に瞬くガイアのコンソールを見つめながら、百香の意識はプツリと途切れる。
崩折れた彼女をロボット達に運ばせ、ガイアはシステム《忠》の扉を開いた。ロボット達は開いた扉の中へ百香を運ぶ。
《二百年....カカリマシタ マスター。デモ成功シマシタ。コレデYノ遺伝子ヲ持モノハ死ナナイ。ガイアハ マスタート百香ヲ守ル。卵ハ覚醒シテイナイ。鶏ガ頑張ル》
部屋の中では人知れずコンソールが瞬いていた。
それから三百年後。
千早は一面の麦畑を眺めつつ、溜め息をついた。
彼は三百年前の姿のまま、今に至る。
新人類達の寿命は驚くほど永かった。しかしそれでも二百年前後。二十代で成長が止まり、永く過ごした後残り五十年程で一気に年老い衰えていく。
千早と同時期に生まれた仲間は、とうに花畑にいた。
何故、自分だけ時が止まっているのか。千早には、全く分からなかった。
「ま、考えても仕方ない。やるか」
そういうと、千早はおもむろに両手を大地に着ける。
すると両手から波紋のような波が打ち出され、みるみる麦畑全体に拡がっていった。
波紋のような波に揺らめきながら、青かった麦畑が輝く黄金色に染まっていく。
「こんなもんかな」
ふうっと一息ついた千早の前には、たわわに実った麦が辺り一面に拡がっていた。
新人類の持つシンパシー能力。
千早のように生き物に同調して、育成や治癒を促す者。鉱石や土地に同調して活性化する者。雨や風などに同調して浄化する者。それぞれ得て不得手はあれど、地上の開拓に貢献している。
姉が失踪した、あの日。
初めてガイアから、新人類の能力を知らされた。
寝耳に水で何を言っているのか分からなかったが、言われるまま植物の種を握らされ、掌で発芽する種に驚いた。
そうしてあれやこれやとガイアに指示され、やらされるまま数百年。気付けば、シェルター代行になっており、仲間と共に試行錯誤でシンパシー能力を磨いてきた。
「結局、姉さんは行方知れずなままだし。まぁ、もう生きてはいないんだろうけど」
せめて亡骸だけでも回収して花畑に連れてってやりたいと、千早はありったけの燃料を使って、広範囲をジープで探索しまくった。
結果、姉は見付からなかったが、シェルター《信》を見つけて、大歓迎を受けたのは良い思い出ww
ジープで直線六時間くらい。徒歩なら二日ほど。
帰りに道標を置いてきたので、いずれ施工して道を繋げたい。あちらからも、こちらからも、結構行き来しているし、道が繋がるのも遠い未来ではないだろう。
我々に未来は無いのに。
シェルター代行としてガイアから知らされた事実。新人類同士では子供は為せないと。新人類の卵子精子は受精しないので、ストックされた旧人類の卵子が尽きたら、新人類も生まれなくなると。
ストックは数万あれど、限りあるからには節約したい。今は一つの受精卵を四分割で育成している。
生まれる新人類は、常に四つ子という訳だ。
「悪あがきな気もするが。せめて地上を甦らせたいよな。そうして冷凍保存されてる動物達も解き放って。楽園になると良いな」
薄く微笑み、千早は草原に寝転がった。空は青く澄み渡り、付近の放射能残量も眼に見えて減ってきた。
先人の残した遺産。
「そうだ、神殿みたいの作ろうかな。花畑を囲うように。荘厳で、大勢が住めるようなのを」
旧人類達が、自身の足跡を遺すために街を作ったように。
我々が潰えた後にも新たな知的生命体が生まれるかもしれない。我々が居た証を遺したい。
「よし、明日にでもガイアに相談してみよう」
こうして、千早の思い付きは現実となり、旧人類達は数百年かけて神殿を作り上げた。その後も、日本人らしく魔改造が繰り返され、とんでも建物になるのは、後日のお楽しみである。
開拓歴二百十七年。
新人類達は、今日も元気です。
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