第8話 新人類 ~中編~
「疲れたよ、パトラッシュ」
某アニメの主人公の気持ちが良く解る百香は屍のように、ぐったりと《エデン》の草原で寝転んでいた。
あふれる緑と心地良い風に、疲弊した神経がゆっくり癒される。
あれから二ヶ月。人工子宮の胎児達はすくすくと育ち、促進培養ですでに臨月。眼も開き、培養液の中を泳ぐようになっていた。ガラス越しの医師達に反応するようにもなっている。
もう少ししっかりしたら出して上げないとな。首が座ったくらいが頃合いか。
そんな事を考えながら、百香は自分も《悌》生まれなのだと思うと感慨深い。
それに、ある一つの謎が解けたような気がする。
野外作業に絶賛邁進している百香だが、実は死病を発症していない。
関係者には話してある。口裏を合わせてもらってもいる。野外作業に参加していたなかで、百香のみが発症していないのだ。
他の人と何が違うのか。今なら解る、私だけが人工子宮生まれ。私だけが異質だった。
だとすれば.....人工子宮生まれが、件の放射能に侵されないというなら、新人類達は地上で新たな文明を築く事ができるのではないか?
まぁ朗報と言えなくもないか。確証はない。
「それにしたって、ガイアもガイアよ。私が生まれる前から御父様の相棒だったのは知ってるけど、ほんと融通の利かないったら。御父様至上主義が過ぎるわ」
知ってたけどねっ
ガイアが疑似人格を有している事すら私は知らなかった。。
ガイアの後出しにもほどがある情報の数々。すべては彼の掌で踊らされているようだ。
そこまで考えて、百香は言い知れぬ悪寒に身震いする。
思わず起き上がり、斜め左にある《悌》の扉を凝視した。
まるであらかじめ知っていたかのように用意されていたシステム。我々が予測不可能だった事案を、ガイアは最初から知っていたのではないか?
冷凍睡眠で日本人が半減する事も、未知の放射能で死病が蔓延する事も。
でなけれは、《エデン》の居住区が、あんなに小さい訳がない。人々が激減するのを知っていたからこそだ。
更には人工子宮に隠された謎。放射能に耐性を持つように仕組まれたプログラム。これが未知の物にも対応している。
即ち、ガイアは未知の放射能を知っていた。
「そうだ、知っていたはずだ。知っていて.....野外作業を黙認した。.....人々を見殺しにした」
百香は愕然とした。みるみる眼が見開き、憤怒の炎が荒れ狂う。百香を含めた大勢が試行錯誤で苦しんでいるなか、ガイアは沈黙し、何も語らなかったのだ。
知っていたはずなのに!!
荒唐無稽かもしれない。単なる偶然だってありうる。しかし、それら全てを否定する怪しさは拭えない。
そして、ただの機械には怪しさなど存在しないのだ。正か否か。0と1で出来ているコンピューターに、人を騙す、あるいは濁すといった曖昧な事は出来ない。
ガイアはただのコンピューターではない。これは確信だった。
《悌》の扉が開くのももどかしく、百香は入ると同時にガイアの端末に駆け寄り起動する。
憤怒を隠さぬ百香の表情はまるで鬼神のようで、あまりの剣幕に引いた医師達は、何事かと御互いに顔を見合わせた。
「ガイア。あんた知ってたんでしょ? 人工子宮で育成された胎児は、放射能に対して未知の物も含んで耐性があるって」
訝る医師達を一瞥し、百香は腕を組んでガイアの端末を睨めおろす。
底冷えのする冷たい眼差し。見る者に十分な恐怖を与える鋭利な瞳だが、ガイアには何の意味もない。ほんっと忌々しいコンピューターだ。
《答エハ YESデス》
「何故知らせない? 私の事も含め事前に知っていれば、もっと何か手が打てたかもしれないのに。ひょっとして、あんた未知の放射能の事も知ってたんじゃないの?」
しばしの沈黙。
「知ってたよね? でなきゃ、人工子宮のシステムが未知の放射能に対応してる訳ないよね?」
ガイアは喋るだけじゃない。自我があり、自己判断でシェルターの管理をしている。
今までただ言われた事にのみ反応していたガイア。しかし、よくよく考えてみれば、我々は全てガイアに任せてきたのだ
冷凍睡眠カプセルの維持から、低年齢な者の養育。食事の管理や栽培プラントの調整まで。
シェルター内にいる家庭用、業務用ロボット達も、全てガイアが把握している。
父に日本人の命運を任された人工知能が、ただの機械な訳がなかったのだ。
ありえないほど今さらだが、ようやく百香は目の前の無機質な鉄の塊が、おぞましい化け物だと気がついた。
《ソノ質問ニハ プロテクトガ カカッテイマス。解除ガ必要デス》
「ふざけるなっっ!」
百香の怒声に、医師達がビクッと竦み上がる。
「あんた、私たちが血を吐く思いで生きてるの知ってるよね?! 発症した人達が薬で出血を抑制して、それでも諦め切れずに地上に街を作ってる!! 緑を増やそうと頑張ってるっ! なんでそんな無関心でいられるの?! あんたになら、みんなを救えたんじゃないのっ?!」
血を吐くような叫び。
相手は機械だ。情なんて物はないだろう。それでも叫ばずにはいられなかった。
やっぱりガイアは知っていた。分かっていた結末を静観していたんだ。悔しい、恨めしい。
「あんたに血も涙もないのは分かってるっ! でも...っ!」
百香の眼に涙が滲む。
「生まれた時から一緒にいたのに....凄く裏切られた気分だ」
百香が生まれる前からガイアは存在した。石動の研究を補助し、執務を手伝い。同時に百香の子守りであり家庭教師でもあった。
家事ロボットや園芸ロボットを操って、母の手伝いまでもしていた。
家族に近しい。いや、家族同然だったガイア。
《.......》
肩で息をしながら、百香はガイアが見ているであろう外視用レンズを睨めつける。
《私ハ....プロテクトノ解除ガ出来マセン》
寂しそうなガイアの言葉。無機質な機械音なのに、何故か機微が感じられた。不思議な感覚だった。
《デモ百香。アナタハ私ガ育テマシタ。アナタハ私ノ子。可愛イ百香》
百香が息を飲む。周囲の医師達も驚愕に眼を見開いた。
《ゴメンナサイ百香。マスターノ プロテクト解除デキナイ》
こんなに饒舌に話せたのか。
今、ガイアは己の意思で会話していた。百香は軽く眼を閉じ、絞り出すような声でガイアに問う。
「それは御父様が命じたのね? 私が次世代とともに、地上で社会を新たに築けるように..... 人は生き残れるのね」
百香は聞き方を変えた。今更になって、本当にようやく理解したのだ。
知っていたのは父だった。化け物なのは父だった。
まるで見えているかのようなと評された父の政治手腕。見えているかのようではない。見えていたのだろう。
父は未来を知っていたのだ。
だからガイアを作ったし、不備があると分かっても冷凍睡眠カプセル作成を強行し、大戦前にシェルターを完成させた。
私が生まれる前から作られていた放射能耐性付与型の人工子宮。それを私に使用したのも、細やかな親心だったのかもしれない。我が子が未来で困らぬように。
分かりにくいよ、御父様
百香の問いに、ガイアのコンソールが瞬く。
《YES マスターノ最終命令ハ 未来ニ生キル残存生命ヲ全力デ守レ デス》
百香はゆっくり息を吸い、細く長く吐き出してから、静かに眼を開けた。
「なら良いわ。あんたは御父様を信じ、御父様の命令を遂行しようとしている。私も信じるわ」
ふわりと微笑む彼女に、ガイアのコンソールが嬉しそうに再び瞬く。よくよく見ていれば、ガイアは結構感情豊かだった。
《アリガトウ 百香》
仕方無しに百香が苦笑していると、通信機のシグナルが点滅する。何気にスイッチを入れたとたんに、忙しない声が百香を探していた。
「どうしたの?」
『あああ、やっと見つけた! 八葉さんが産気付きました、破水して、今医局ですっ!』
「え?」
百香は固まった。
えーと、破水? 生まれる? 生まれるの?
完全に固まり微動だにしない百香を引き摺り、医師達は急いで医局に向かう。
それを見送りなが、ガイアのコンソールが一度だけ瞬いた。
《千早........》
知らず漏れたガイアの呟きは、誰にも拾われない。
開拓歴元年秋。
百香に弟が生まれた。
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