第6話 存亡 ~後編~


「すごいね....」


 ガイアの案内に従い、百香達は地下の《エデン》にやってきた。


 天井一面に張られた光彩パネル。真昼、薄闇、夜と時間帯に合わせて明るさは変化し、萌える木々は二百年の時を感じさせる立派な物だ。

 足首まで埋もれる柔らかい草を踏み締めながら、百香達は中へ進む。

 シェルターと同じ大きさの《エデン》は、八階層分ぶちぬきで、左右の壁面にも太い蔦が天井近くまで覆い垂れ下がっていた。

 蔦には、所々に蘭性の植物がまとわり咲き誇り、草原の花々と相まって、巨大な空間全域に仄かな良い香り漂わせる。


 何だろう、この既視感。あれだ、御母様と見た古い映画の.... 親方、空から女の子がって奴。


 天井こそガラスではなく光彩パネルだが、幼い頃に見た某有名スタジオの映画。あの空に浮かぶお城を彷彿とさせる。


「故意か偶然か。石動、貴様、趣味に走ったな?」


 遠い眼で呟く清水の言葉に、ガイアのインカムの向こうで誰かが噴き出した。

 くつくつと笑う声がインカムのスピーカーから零れる。


「首相、好きでしたからねぇ、こういうの」


 ガイアのインカムの向こうは各シェルター代行。それぞれの代行が、今同時にガイアの道案内を受けていた。噴き出したのは鈴木だ。


「大戦前のあの状況で... 必要ではあったのでしょうけど、全力で楽しんで此処を造られたのが分かりますね。理解はできませんが... ああぁ胃が痛い」


 望月の苦虫を噛み潰したような声に、百香達は思わず苦笑した。


 公人としては非の打ち所のない石動だったが、私人としては落第点。家族も仲間も置き去りにして、興味がある事に猪突猛進。

 その内の八割は、純粋に日本に関わる事だったので、眉をひそめつつも、誰も爆走しまくる彼を止める事はしなかった。 

 だが結果が出るまで、石動の行動が何を考えての事なのか理解出来る者はいない。

 ゆえに二割ほど純然たる石動の趣味のみな物も存在し、過去には周囲に頭痛の種を撒き散らしていたのだ。


 今は良い思い出である。


「壁ニ沿ッテ左ニ真ッ直グ五百メートルホド進ンデクダサイ」


 百香達は、ガイアの指示通りに進んだ。すると壁に違和感を覚える。

 蔦の下に幾ばくかの段差があり、よくよく見れば、それは扉だった。

 ステンレス製の板が扉に嵌め込まれ、そこには悌の文字。

 天井を目指して伸びる蔦が生い茂り、とても人が通れる状態ではなかった。


「植木鋏を準備ってのは、こういう事だったのね」


 ガイアの管理下、少数の園芸ロボットが最低限の手入れしかしておらず、基本は放置。

 うっそうとした森は、人の手が及ばない。

 溜め息をつきつつ、すちゃっと皆が取り出したるはステンレス製の植木鋏。ここでも人海戦術。

 一緒にやってきた各部署の責任者らと、バチンバチン軽快な音をたてながら蔦を切る。

 しばらくして、出来た蔦の小山の代わりに人が一人通れる位の穴が空いた。

 扉にあるは悌の文字。システム《悌》が発動しているため、扉の人感センサーが働き、音もなく左右に開く。


 システム《悌》とは一体?


 百香達は、緊張した面持ちで、静かに薄暗い部屋の中に入った。


「うぉっ? これは....つ」


 部屋の中央あたりに来た途端、薄暗かった室内が明るく照らされ、周囲にひしめく精密機械がパチパチと音をたてて稼働し始めた。

 最先端であったはずの医局すら足元に及ばない。この部屋は、素人目で見ても高度な医科学研究所である事が見てとれる。

 一際眼を引くのは、正面の壁に埋め込まれたガラスケース。縦五メートル弱、横十メートル程のそれは、幅二メートル間隔で内部が仕切られた巨大な水槽。奥行きは三メートルくらいか。


「こんな地下に何故....」


 唖然とする百香達と対照的に、医局のメンバーは、備え付けてある資料を食い入るように読み散らかしていた。

 そして、呆然とした顔で辺りを一瞥する。


「やっぱり、そうだ。ここは人間の育成培養システムです。しかも、完成してます。その....代行、これを」


 彼が差し出すのは一枚のメモ用紙。


 なんと、これから着手するはずだった難題に、いきなり目処がついた。家畜用の物を代用せずに済む。


 お父様、ありがとう。百香は、心から父に感謝した。


 ただ願わくば、予め心の準備をさせて欲しい。ガイアの自我と言い、《エデン》やシステム《悌》のこの部屋と言い、寝耳に水すぎて新展開についていけない。


 悪戯好きな父の事だ。今ごろ天国でサムズアップでもしているのだろう。

 正直、罷り間違えば二度手間になりかねない事態だが。

 医師が手渡して来た一枚のメモ用紙を受け取りながら、百香は感謝しつつも天国の父に愚痴る。

 そして、ふと医師の複雑そうな顔に気づいた。訝る百香に、医師は苦笑いを返す。


 一体なに?


 メモは父から娘に宛てた手紙だった。


 カサリと開くと、そこには少し斜に傾いだ独特な文字。

 見慣れた父の文字に、込み上げる懐かしさで眼が潤む。

 しかし、読み終わって顔を上げた途端、瞬間乾燥、更に斜め上へと事態が展開。

 いや、喜ばしくはあるんだが、いきなり自身に事態が絡むとか、有り得なさすぎだろう。


《百香へ。今、これを見ているという事は、予想外の何かで、人類に危機がおとずれたという事だろう。安心してこの部屋を使うと良い。卵子と精子も冷凍保存で、かなりストックしてある。人間の育成培養は完成している。証拠はお前だ。ここはお前の生まれた場所。おかえり百香。》


 絶句。


 百香の顔からスルリと表情が抜け落ち、しだいに眼を見開きながら、わなわなと震える手でメモ用紙を握り潰した。知らず知らず口角がつり上がる。

 然もありなんと、医師が慰めるように百香の肩に手をおいた。

 すでに人工子宮から人間は誕生していた。すくすくと育ち、三十路を前に頑張っている。


 .....私だ。


「だぁーから、何で私にくらい最初から伝えておかないかなあぁぁぁっ!!」


 カミングアウトするタイミングおかしいでしょっ、こっちの気持ちも考えて、準備期間よこしなさいよっっ! 糞親父っっ!!!!


 《エデン》に百香の絶叫が響き渡り、深い森から数羽の小鳥が羽ばたいていった。


 毒づく彼女の脳裏には、したり顔でサムズアップする父親の姿浮かんでいる。


 開拓元年夏。


 人類初の人工子宮ベイビー誕生(ただし、二百と二十八年前)


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