第5話 存亡 ~前編~


「検査の結果、女性四割、男性の九割が発症。余命は二年から最長でも五年。個人差はありますが、十年もたずに我々は潰えますね」


 淡々と語られる医師の見解。


 各シェルターでも緊急集会が開かれ、ガイアの端末には各シェルター代行の姿が映し出されていた。


「これから発症する者もいるでしょうし、手のほどこしようが無いですね。ぶっちゃけ、タイムリミットつきの無理ゲーな気分です」


 鈴木が頭を掻きながら呻く。


 みんな同じ気持ちだった。


 各シェルターでは今回の事態を発端とした自殺者が急増しており、同じ度合いで即席通り魔も多発していた。

 彼等は無差別に人々を殺しまくる。人を死に至らしめるのは存外簡単だ。隠れて隙を窺い凶器を突き立てれば良い。

 忍び寄る狂気に怯え、人々は疑心暗鬼に陥り、犯人特定は難航。複数人いるのだ。愉快犯を合わせて、何人居るのかも解らない。


 打つ手は全て後手に回る。


 間の悪い事にプチテロも発生した。食事に毒物を混入したり、自作のニトロモドキで居住区や医局を爆破したり。

 規模は大きくないものの、人々の要所に仕掛けられたテロは、確実に多くの命を刈り取る。

 先のない絶望が自暴自棄に変貌するのは、とても容易い。しかし自ら死を選ぶならまだしも、死ぬなら諸ともにと、他人を道連れにする暴挙は許せない。

 彼らは誤魔化す気もなかったのだろう。捕らえられた犯人は、数十人。皆、捕まれば殺される事を覚悟しており、むしろ死ぬ勇気のない者が、殺されるために今回の犯行に及んだようだ。

 百香は、迷惑極まりない他者依存型の自殺志願者、つまりテロリストや通り魔達を、全て身一つでシェルターから追放した。


 野外は見渡す限り平坦な陸地。


 首を吊れる木もなくば、飛び降りるような崖もない。探せばあるかもしれないが、開墾中も周囲は延々と続く平野しか見えなかった。

 簡単には死ねない環境で、餓えと渇きにのたうつが良い。生きる術もない地上で、死ぬために努力しろ。

 それが他者の命を無意味に奪った犯罪者達に下された報いだった。


 思わぬ展開に呆然とする犯人達。


 殺してくれと泣きわめく彼等に、百香は極寒の眼差しを向ける。

 鋭利で感情の欠片も窺えない苛烈な瞳に見据えられ、テロリストや通り魔達は固まり、微動だにも出来ない。彼らの全身に悪寒が爆走する。


「ふざけろよ? こっちが、皆と生きるために、どれだけ苦労してると思ってんの? その貴重な命を、サクサクと無差別に摘みやがって。楽に死ねると思うなや?」


 酷薄な眼をうっそりと細め、百香は笑みというには生温い。腸が煮えくりかえる残忍な憎悪で口角を不均等に歪めた。


「御互いに殺しあったら良いだろう? 誰が最後の一人になって孤独に餓死するか知らないが。自傷で努力するもよし、好き勝手に生きたんだ、好き勝手に死ねや」


 百香は彼等に猜疑の種を撒き散らして、シェルターの隔壁を閉じた。

 しばらく外から激しい呼び掛けがあったが、全てを無視して、彼女はほくそ笑む。


 死なば諸ともなんて馬鹿をやらかす連中だ。ああして示唆すれば、最後の一人になる恐怖から、殺し合いはすまい。皆が同じように苦しむのも一蓮托生と考えるだろう。


 こんな事で百香の怒りは収まりはしないが、それでも幾ばくかの溜飲は下がった。


 隔壁の外が静かになる。


 .........虚しいな。


 怒りが過ぎれば悲しさだけが残る。だが百香は生き延びるために前に進むしかなかった。

 一連の騒動で殺し殺され淘汰した結果、シェルター内の人口は半分ほどに減っている。

 即席通り魔どもの被害が大きすぎた。簡易テロリストどもの暗躍も痛かった。

 死なば諸とものマイナスな感情は、悪辣な思考を簡単に伝播させた。


 なんで、そんだけやれる賢い頭を、非生産的な事にしか使えないかなぁ?


 幸か不幸か、絶望に囚われ自暴自棄になった者達が淘汰され、各シェルターは目に見えて落ち着きを取り戻していた。

 潜在的悪意の種はまだあるだろう。しかし、今回の処置で、自殺以外に死に至る方法はないと。

 犯罪を犯せば、生きる事の出来ない地上で、餓えと渇きに苦しみながら、死ぬ努力をせねばならなくなると人々に周知された。


 死にたい人間の茶番に付き合ってやる余裕はない。死病の蔓延で、今が人類存亡の危機なのに、ふざけるなし。


 犯人達への情け容赦ない仕打ちは、潜在的悪意が芽吹くのを抑制するだろう。悪意に囚われそうだった者も正気に返ったようだ。


 これで、ようやく事が前に進む。


 百香は後味の悪い安堵とともに、緊急集会を各シェルターに通達し、現在、議論中である。


「信では意見が分かれています。一刻も早くガイアの遮断壁を下ろしたいのですが、半数以上が、このまま開拓を続けたいと」


 竹中の言葉に百香は複雑な面持ちで眉を寄せる。そうなのだ。それが問題なのだ。


 命に期限が付いた事で、皆が一蓮托生の雰囲気を醸し出した。すなわち、残った時間を次世代のために遣いたいと。

 いずれ放射能が消えるのであれは、命の限り開拓に力を注ぎたいと言い出したのだ。

 特に男性は、ほとんどが発症している。なれば、街となる原型を作りたい。これからを生きる子供らの力になりたいと。

 何かを遺したい。我々が努力した事を。今に存在した事が無意味ではなかったと証明したい。


 これが各シェルター全てで起こっている現象だった。


 前途を見据えた前向きな人々の意見は、百香の胸に暖かい物をじんわりとわきあがらせる。

 マイナス思考な奴等との殺伐なやり取りの後だったため、その暖かさは、このうえない癒しだった。


 しかし代行としては、受け入れ難い。


「気持ちは分かるんだけど..... どうしたものかなぁ」


 百香は会議室の天井を仰ぐ。


 未発症な者を守るにはガイアの遮断壁が必要だ。だが、開拓を続けるとなれば、遮断壁を下ろす訳にはいかない。

 特殊遮断壁は厚さ五メートル。閉じるにも開けるにも、数日の時間がかかる代物だ。気楽に開け閉めは出来ないし、その数日間に未知の放射能の驚異がシェルターを襲う事になる。


 個人的な意見ならば、百香は守りに入りたかった。


 しかし、命に期限がついた人々の真摯な願いも無下にはしたくない。


「何か良い案はなぁい? ガイア」


 人の心情は理屈ではない。埒もないなと思いつつ呟いた百香の言葉に、なんと返事が返ってきた。


「忠、孝、悌、コレラノシステムヲ稼働サセタ場合、最奥ノ、プログラム《エデン》ガ発動シマス」


 絶句する人々。マザーコンピューター、ガイアが対話が可能などとは誰も知らなかった。

 今までも音声入力で使用してきたが、ガイアの声を聞いたのは、これが初めてである。


「あんた、しゃべれたのね」


 呆気にとられた百香の耳に、清水老人の声が聞こえた。老人は軽く眼を見開き、某か含むような微笑みを浮かべている。


「そうか、八行か。石動らしいな」


 八行? 聞きなれない名称に、百香は首を傾げる。

 それに気づいた清水老人は、周囲にも聞こえるように、八行について説明した。


「日本は古来から八という文字に重きをおく。末広がりで縁起が良いとか、国是の八紘一宇とか。八葉なんかもわりと有名かの」


 確かに。聞き覚えがある言葉だ。


「日本には仏教が渡る前から、八紘一宇になぞらえて八行というものがあった。五行の仁礼義智信に加え、忠孝悌というものだ。人にあるべき心は八つ」


「忠は主に尽くす忠義の心。孝は文字通り孝行、目上を敬い労う心。悌は子弟。目下を慈しみ育む心。これらが足りない者を八忘という。人の心を忘れた冷血漢という意味だ。昔は郭の主がそう呼ばれとったな」


 なるほど。まだ、三つの何かがある訳か。


「そのプログラム《エデン》てのは、なに?」


 ヴンと音をたて、ガイアは会議室のコンソール前にスクリーンを出した。

 そこには、一面の草原と深い森が映し出されている。

 さわさわと風に揺れる木立。緑濃い森からは鳥の囀ずりが聞こえ、中央に位置する巨大な湖の畔には、鹿やウサギなどがチラホラ見える。

 驚くほど透き通る湖は、かなりの深さであろう水底まで一望できた。ユラユラ揺れる水草に絡む、複数の魚が視認出来る。


 唖然とする人々に、ガイアの説明が聞こえた。


「マスタートオルの指示デ、各シェルター最下層ニ人工ノ森エリアガ存在シマス。大戦前カラ育マレタ森デス。多クノ野生動物ガ放タレテオリ、シェルターノ酸素供給ト水質浄化モ担ウエリアデス」


 スクリーンを見つめながら、全員が言葉を失う。


「こんなエリアの存在、何処にも載ってなかったわよ」


 眼をすがめ、非難するかのような険しい声音で、百香はガイアに繋がるコンソールを睨みつけた。


「非常事態宣言ガナサレタ場合ニノミ開示サレルエリアデス。酸素ノ供給ト水ノ循環ヲ担ウ《エデン》ハ、シェルターノ最重要施設デアリ、残存生命ニ著シイ危機ガ訪レナイ限リ非公開デアルベキト、マスタートオルノ命令デス」


「お父様.....」


 頭が痛い。石動の用意周到さに感謝すべきか、人を当てにしない自己完結型の思考を恨むべきか。


 私にくらい話しておいてくれても良かったじゃないっ!


 各シェルターの地下に、シェルターと同じ規模の施設がある事は知っていた。それが酸素の供給と水の循環、水質浄化を行っている事も。

 立ち入り禁止エリアで、完全にガイアの管理下だったため、誰も内部を知らなかった。


「今回ノ事態ハ理解シテイマス。システム悌ガ発動条件ヲ満タシマシタ。プログラム《エデン》ノ開放ガ許可サレマス」


 百香たちはガイアから改めて説明を受けた。


 石動は人類存亡の危機を想定し、複数のシステムを立ち上げ残したという。

 その一つがシステム《悌》。某かの理由で残存生命の継続が困難になった場合発動するシステムらしい。


「イズレノ場合モ《エデン》ガ開放サレマス。《エデン》ハ以前ノ自然環境ヲ完全ニ復元シタ巨大ナ箱庭デス。シェルター収容人数ノ半数ホドナラバ受ケ入レラレマス」


 百香はガイアの説明に首を傾げた。


「地下に自然を模した巨大な箱庭がある事は解ったわ。でもそれが今回の事態解決に、どう関係するの?」


 訝る百香に、ガイアのコンソールがパチパチと音をたてて動き出す。そして目の前に複数のスクリーンを開き、更なる説明をした。

 スクリーンにはシェルター全域が表示され、各種隔壁が色で示されている。外周は青。外周以外は緑だった。

 《エデン》が存在するであろう地下はブラックボックスになっており、上部シェルターと隔てる隔壁の色は青である。


「シェルター外周ハ全テ厚サ五メートルノ特殊遮断壁デス。《エデン》ヘノ入リ口モ同様ノ遮断壁ガ完備サレテイマス。未発症ノ人々ヲ避難サセルノニ最適ト判断シマシタ」


 固唾を呑む周囲の人々とともに、百香は眼を見開いた。


 開拓元年夏後半。


 プログラム《エデン》が解放される。








 

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