第5話 過去の記憶



 ……困った。


 最近、ローラがいつにも増して私を甘やかしてくる。

 それとは別に、医者であるロイも、巻き込んで。

 二人して、市井で買ってきた菓子をプレゼントしてきたり。

 くまのぬいぐるみを買ってくれたりと誕生日でもないのに大盤振る舞いだ。


 侍女や、医者という立場の二人にそんな風にされなくても。

 必要ならば、皇帝が買ってくれるだろうに。

 わざわざ、“二人のお金”を使う必要がどこにあるのだろう。


【嗚呼、でも皇帝のお金だと皇室を通さねばならないから、そっちから入手する方がかえって毒殺などの危険があるのか】


【そういえば、前の時も、お母様が亡くなった直後は特に、“私自体”が皇女であると認められない人間がプレゼントと称して、毒が混入する食べ物を贈ってきたりしてきたっけ】


 ――あれ以来、贈り物が食べ物だった場合は、それがどんな物であれ、手をつけないようにしていた。


【どうせ、私が体調を崩していても、皇族は誰も気付かない】


 だからこそ、他の皇族だったら、慎重に検閲して調べるものも、“私”のものに関しては別だ。


【だって、私がどうなろうが、別にどうでもいいのだから】


 市井で買ったものよりも、皇室を通したものの方が、私の身が危険とは。

 なんとも、本末転倒のような気もするが、それは別に今に始まったことじゃないので今更だ。


 それと、二人が私を“子供”として扱っていることにずっと違和感を感じていたけど。

 それもそうか、と思い直した。

 二人にはどこまでも、奇妙なように映っただろう。

 起きた当初は混乱していて16の時の私の喋り方だったし、今もその癖は抜けないが、考えてみれば、今の私は10歳だった。


 “前の時”の私が10歳だったころは、こんな喋り方をしていなくて、もう少し子供らしい子供だったと記憶があるから、余計ローラ達からすると変だったのだろう。

 心配もされてしまうわけだ。


「はぁ……」


 プレゼントされた、くまのぬいぐるみを枕元に置いて、ベッドから降りる。

 どこにも出かけないのに。


 ……いや、どこにも出かけないが故なのか。


 ローラが私が暇をしないようにと、絵本の読み聞かせをしてくれたり、服を着替えさせられて、髪を結わえるためのリボンを選んだりということが。

 もう暫くしたらルーティンのように、始まってしまう。


【嫌な訳ではない】


 嫌な訳ではないが、なんともむず痒いその応対に、未だ慣れず。

 また、怠惰に甘やかされて過ごすそんな日々が決して“当たり前”だとは思わずに。


 今日こそはそんな日常をなんとかしようと、早めに起きてクローゼットの中を開ける。

 10歳の頃の私の、フリルやら装飾がついたドレスに思わず辟易する。


 別に流行遅れな訳でもなく、この年頃であるなら、至って普通のドレスだ。


 ただ、私の感性が変わってしまったのと、“前の時”の経験から好んで着ていたこういうドレスが、私にはあまり似合わないと知ってしまっているだけで。


「無駄遣い、ダメ、絶対……」


 思えば、これだけに、どれだけのお金を費やしてきたのだろう。

 いずれ、この流行が去ってしまうその前に不必要なものは売ってしまった方がいいだろう。

 一度しか着ない服は、まだ良い方で、これだけあっても袖を通してないものすらある。

 そんなものに、お金をかけても、結局未来にはどうにもならないのだ。

 一時の自尊心が保たれるだけで、私を救ってくれる訳でもなく。


【殺される時、かえって動きにくいだけだった】


 と、遠い記憶に想いを馳せながら。


「ああ、これがいいな」


 クローゼットの中で、一番、シンプルな服を手にとって。

 ローラが来る前に手早く着替えてしまう。

 一通りのことは、誰かの手を借りなくても一人で出来てしまう今の状況を、私自身それほど悲観的になることもなく、楽に感じていた。


 ローラやロイみたいな存在が奇特なだけ。

 紅色の髪を持つ私に他の人間がローラのようにお人好しで好んで仕えてくれる訳がないことは“前”の人生で私が学んだ唯一のことかもしれない。


 どうせ自分への評価は何もしなくても“最底辺”なのだから、今更それを変えようとも思わない。

 だけど、前の時みたいに、何も考えず、我が儘放題で、傍若無人に振る舞うことも、今はする気にはなれなかった。


 義兄に斬られたあとの、あの日の後悔がまだこの身に残ってる。


【お前が、何で殺されるか知ってるか? 王家にとってお前はいつだって恥でしかないからだよ】


 二番目の義兄に言われた言葉を思い出して苦笑する。


【……そんなこと言われなくたって、私が、一番分かっていた】


 世間は、一番上の義兄が、新しい皇帝になったタイミングで、お祭りのように賑わっていた。

 そんな、中で、私だけが独房に居た。


【罪状は、多分でっちあげられたものだった】


 それでも、その状況に、至るまで。

 私は色んな人間を、敵に回しすぎていた。


【……アリス様、お逃げくださっ……う、ぁっ】


 そうして、私を解放してくれたことで、ローラまで殺されてしまった。

 大切な人が、自分の行いのせいで死んでしまう苦しみ。

 あんなのは、もう二度と味わいたくない。


【結局、何もしないのが一番なのかもしれない】


 ――このまま、何もしなければ未来は変わるだろうか。

 それとも、何も変わらずに、結局また、殺されるだろうか。


【何もしなくても、私が紅色の髪を持つ忌み子だという事実は変えられない】


 どうせ、死ぬならば。


【今度は、ひっそりと、誰にも知られることなく死にたい】


 ぽつり、と浮かんできた自身の考えに笑う。


 ただでさえ、“紅色の髪を持つもの”は、迫害によって能力の発現など関係なく、短命だというのに。


【死に方まで、選びたいというのは高望みしすぎだろうか】


 魔女の能力が発現したならば、或いは……。

 それも可能かもしれない。

 魔女の能力は使い続ければ使用者の身体を蝕むという。


 だが、前の軸、私は終ぞ、魔女の能力に目覚めることが無いままだった。

 故に、何かのきっかけがあったとしても、今回も、同様に、魔女の能力に目覚めるとは思えない。


「前世、あれだけ傾倒したというのに……」


 くつり、と自嘲する。

 前の人生で、あれほど必死になったのに。

 無意味に終わった自身の研究は、当然ながら今、この場所には欠片もない。


【もしも、何かの能力が発現したのなら、それが呪いではなく、誰かの手助けとなるものだったなら、私は……、“わたしは”……】


 “あいしてもらえる?”


 “こっちをむいて”


 ――あまりにも子ども染みた考えだった。

 それゆえに、馬鹿らしいと今ならば思える。


 “呪い”が“救い”に変わることなどない。

 誰かを幸せにする主人公ヒロインがいるのなら、私はその反対の悪女役がお似合いだろう。

 テレーゼ様が正であり、母がその対であったように。


【一度過ごしてきたからこそ分かる】


 私の人生は決して、真っ当な道へ続くレールはひかれていない。


 そして、今の状況の様に時間を引き延ばして引きこもっていても無意味だろう。

 先日“義兄”が様子を見に来たように、私は名ばかりの“皇女”の役目を放棄することを決して許されてはいない。


 私に出来ることは、せいぜい、ほんの少しでも彼らと関わる時間を短くすることだけだ。

 そして、他者との関わりを短縮して作る自分の時間を今度は、少しでも大切にしようと思う。


【――16で、死ぬ、その日まで】


 そう考えると、なんだか、ちっぽけだった自分の人生に大きな意味があるように見えてくるから不思議だ。


「うん、そうだな……そう、決めた」


「……アリス様、失礼します」



 ひとつ、今後の方針に納得していたら、いつの間にか扉が開いてローラの声がした。



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