第4話【ローラside】


 

「アリス様と距離を、感じます」


 扉を開けてすぐ、医者である、ロイに、開口一番そう告げると。

 彼は困ったように頭を掻いた。


 私たちがこうやって密室とも呼べる場所で会話を交わしてるのは他でもなく。

 私の仕える皇女様、アリス様のためだ。

 言い換えれば、こうして人目を避けてこの医者と会わなければいけない程にお嬢様には敵が多いということだ。


 それもあってか、誘拐後に奇跡的な生還を果たしたあと。

 すっかり人が変わられたように達観し、落ち着き払っているお嬢様に、私は何かを失った時のような焦燥感に似たものを感じていた。


【一体、誘拐時にどんな大変な思いをしたのだろう?

助けもこずに、母である皇后様も殺されて、どんなに恐かったろう】


 ぎり、と、小さく唇をかみしめる。

 大事な御方だからこそ、何かしたいと思うのに、お側にいても、何も出来なくて歯がゆく思うのだ。


【あれがほしい、これがほしい】


 と、もっと、子供っぽく喋る御方だった。


【……身体はっ? ……どこも怪我してない?】


 切羽詰まったように、私のことを一番に心配されたアリス様の姿を思い出すだけで胸が痛くなる。


【死ねなかった……?】


 と、ぽつり、絶望したようにそう言ったあの方が忘れられない。


 ……そうして、今まで愛情にただ飢えていて、ほしかった者の関心を引くことすらも、そっと手放すに至るまで。

 口調を変えて、急激に大人でいようと努力されようとするその姿に。

 諦めた様に、自分が“魔女”だと認めてしまっているようなその姿に。

 周囲に対する憤りを感じずにはいられなくて、私は怒りで手足が冷たくなるのを感じていた。


「前にも話したように、恐らく事件の後遺症だと思います」


 “よほど、恐い思いをしたのでしょう”


 とは、ロイの見解だった。

 感情を無くすほど、酷い思いをしたのだろうと、彼は言った。

 そうして、安定しているように見える今が実は、いつ崩れてもおかしくない程に危険でぐらぐらと不安定な状態なのではないか、と。


 それが、お嬢様があの事件以降、“誰とも”一線を引いて会話をしていることからしても明白だと。


 ――まるで、人が変わったかのように、お嬢様が穏やかに笑うようになった


 それ自体は良いことのはずなのに、お嬢様がどこか遠い存在になってしまったようなそんな風に思えてならなくて……。



「周囲がお嬢様のことを“魔女の子”だなんて、言っていても、私はそうは思わない。

 護られなければいけないはずの小さな子供が、どうしてそんな誹謗中傷を受けなければいけなくて、母親まで奪われなければいけなかったのかっ」


 荒げるように溢した本音交じりの言葉に。

 頷いてくれる人間はほんの一握りであることを私は知っている。

 そして、その数少ない貴重な人間が今、私の目の前にいることも。


「アリス様に外傷は見られなかった。

 その代わりに、心の傷は見えない故にわかりずらい。

 ……ただ、お嬢様に特殊な能力の兆候がまだ見えないのが不幸中の幸い、か」


 ぽつり、と憎々しげに呟かれた一言は決して前向きなものじゃない。

 “紅色の髪”を持っていたとして、全ての人間が“魔女”と呼ばれるように能力を持っている訳じゃない。

 その大半が、何の能力も持たないのに紅に近い髪色だからと“魔女”扱いされて迫害される普通の人間だ。


 ……アリス様にもしも、特殊な能力が備わっていると知った時点で恐らく“魔女”と侮蔑する保守的な貴族達は一斉にお嬢様に群がり、これ幸いとばかりに食い物にするだろう。


 そうでなくとも、テレーゼ様が皇后に正式に就かれたことで、そのお立場が危ういというのに。


「外傷はなくても、お嬢様が本当に何かしらの能力を持っていたら、それはそれで“短命”かもしれないんですよね……。そんなの、酷すぎます」


 お嬢様は何も悪いことはしていない。

 確かに、以前までのお嬢様は気性も荒く時々手がつけられないこともあった。

 でも、それは生まれた時から、彼女を愛するはずの存在が誰一人、存在しなかったからではないか、と私は思う。


 愛を切望して、小さなその手のひらで一生懸命腕を伸ばしても。


【誰も、“誰ひとり”、お嬢様のその小さな手のひらを“大丈夫だよ”と、握りしめてはやらなかった】


 一介の侍女の私では、お嬢様の寂しさは一時、埋められても。

 その根本的な部分まではお救いすることが出来ないことが、どうしようもないほどに歯がゆく感じる。

 今、どんなに近く、お側にいてもその心が此方へと向くことはないのだろう。

 それは、傍に居ればいるほどに、身に染みるように分からされる。


【アリス様の瞳は、今、誰の方も向いていない】


 前のお嬢様ならば、その矛先が誰に向いているか、手に取るように分かりやすかった。

 母親、父親、兄弟……家族。

 でも、今は本当に、凪いだ水面のようにぴたり、と。

 興味関心その全てが、誰の方も向いていない。


【まるで、全てを、諦めてしまったかのように】


 それは、私たちがお嬢様の手を取ることをやめてしまったら、その瞬間に、彼女は穏やかに笑って、全てを手放してしまうかのような、そんな危うい状態に見えてならなかった。



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