第29話 あの初恋をもう一度

 先日の台風で、私達を繋いでいた桜の古木は、私の初恋を連れ去って、根元から、無残に折れてしまっていた。


 私以外のミルウェイの関係者は、長い夢から醒めたように、皆シリウスの事を忘れてしまっていて、それでも、それぞれの未来へと、ゆっくりと歩き出していた。



 私達の季節が立ち止まる事は無く、もう、四度目の春を迎えていた。


「オリナ先輩。ご卒業おめでとうございます。もう先輩に会えなくなるなんて寂しいです。この花。受け取ってください」


「ありがとう。でも、大丈夫だよ。過去と未来は繋がってるの。きっとまた、運命は何処かで交わるはずだよ。 だから、またね?」


 後輩から受け取った花を胸元に差して、私は三年間の学び舎を後にする。


「オリナ先輩って素敵だよな? 中学の時は、あんまり成績とかよくなかったらしいんだけど、すっげぇ努力して、この高校に入ったらしいぜ?」


「かっけぇ。それで、この高校主席で卒業だろ? 頑張れる人って尊敬する。彼氏とかいるのかな?」


「実は運命の恋人が居るらしいぜ?」


「それ。なんか、かなりのロマンチストだな」


 星の樹での出来事の後も、私達はミルウェイの掲示板でのやり取りを続けている。


 アーク『オリナ。卒業式お疲れ。高校卒業おめっとさん。オレ、明日から陸上留学。何か今から、すっげぇ緊張して来た』


 ベガ『ケイ君も卒業おめでとう。海外の大学に陸上推薦で受かるなんて、やっぱりケイ君すごいね。オリンピックでケイ選手を応援出来るの、楽しみにしてる』


 アーク『ふはっ。プレッシャー掛けてくんなよ。まあ、ライバルも手強いと思うけど、オレだってそれなりに努力して来てるし、負ける気はしねぇけど』


 プロキオン『教授にどやされたわ。優勢、劣勢遺伝子の性質を利用した、治療法開発の研究に、なんの問題があったのかしら?』


 アーク『いや、多分それ、研究云々よりも、倫理観の方の問題じゃねぇかな? 遺伝子操作的なヤツなんだろ?』


 プロキオン『悔しいわ。折角いい方法を考え付いたと思ったのに。こっちに着いたら、この議論に付き合って頂戴。そういえばケイ。明日のフライトは何時なの? 時間を教えてくれなければ、迎えに行きようが無いじゃない』


 アーク『れ? 伝えて無かったっけ?』


 プロキオン『聞いていないわ。四年経っても、貴方って相変わらずね。まあ、少し自信がついたみたいだから、以前よりは格好良くなったと思うわよ』


 アーク『か、感情を露にするようになったツキカに未だ慣れねぇ! いや、嬉しいけどさ』 


 星の樹での出来事以来、二人は正式に付き合い出し、先に、海外の医大に留学していた月華(つきか)と、同棲する事になったらしい。


 ベガ『二人が幸せそうで、本当に嬉しい。ふふっ。お邪魔虫は、退散しまーす(笑)』


 アーク『いや、なんで今の会話の流れでそうなった?』


 プロキオン『そこは変わらないのね。乙女心の教育が、もっと貴方には必要そうね』


 アーク『は? え?』


 二人のやり取りに、幸せな気持ちで目尻を下げながらも、少しだけ切なくて、私の足は、桜の古木の丘へと向かっていた。


 もうそこには、私達の星の樹は無くなってしまっていたが、朽ちた切株に、雨粒を纏った小さな生命の息吹を見付けて、私の心が少しだけ晴れる。


「午後からは雨だっけ? こんなに曇ってるなら、今日は星は見えないかな」

「見えてるぞ」


 何の前触れも無く聞こえて来た低い声に、私の鼓動が大きく跳ねて、私の瞳は見開かれる。期待と不安が入り混じった複雑な気持ちで、私はゆっくりと振り返る。


「確かに可愛いとは思うが、それ、少し短くないか?」


 目を逸らす彼の言葉に、私は慌てて制服のスカートの裾を押さえるも、次々に湧き上がる感情が溢れ出し、自分から彼の腕の中へと飛び込んで、その唇に、私の温度を重ねていた。


「っ……! 待て。お前に伝えたい事が沢山あったのに、今ので、全部吹き飛んだ。どうしてくれるんだ」


 私からの不意打ちに、額近くで銀色をクシャリと握り込んだ、現在(いま)を生きる、彼の褐色の肌には朱色が差しており、私の大好きな藍色は、熱っぽく潤んでいる。


「大丈夫。今から沢山伝えて? 過去も、会えなかった時間も、これから先の未来も。貴方に相応しくなれるように、ずっと頑張って来たんだもん。もう私は、お兄ちゃんに守られるだけの、小さな子供じゃないよ。だから貴方の。セイヤさんの隣に、私の居場所をくれないかな?」


「お前……それはもう、プロポーズだろう。迎えが随分と遅くなってしまってすまない。俺の隣は、元からお前の指定席だ。お前の残りの人生を全部。俺と共に、生きてはくれないか?」


 私が頷くと、彼はこれまでに無い位に、幸せそうに微笑んで、啄むような口付けを私に贈る。私が不器用に応じていれば、その口付けは少しずつ深くなっていき、意図せず漏れた、切なさを含んだ吐息を合図に、私達の体は熱を孕む。


「ま、待って。こんな所じゃ」


 私の小さな抵抗は、彼が僅か指を鳴らす事で現れた、書斎の部屋のベッドに吸収されてしまった。


「もう、俺は十分に待った。この二人きりの空間の中で、今更怖気づくのはナシだ。オリナ……お前が欲しい」


「ず、ずるい。そんな顔で、そんな風に言われたら、逆らえないよ。わ、私だって、ずっと貴方を待ってたのに。セイヤさん。大好き……私の薔薇は、貴方に……あげる」


「ああ。君は本当に……綺麗になったな。優しくは出来ないかもしれないが、覚悟して受け入れてくれ。俺の、紫薔薇の君(しばらのきみ)。長年恋焦がれたお前を前にして、本当は余裕なんて無いんだ……。 オリナ。お前を、愛してる……」


 熱っぽく潤んだ藍色と、苦しそうに、切なく歪む表情。掠れた甘やかな声で求められてしまえば、私は抵抗する術を失って、愛しい彼を引き寄せていた。


 ツキカ『あ! そうだわ。オリナさんに朗報があるの。今朝方早く、兄が目を覚ましたの! 担当医も驚いていたわ。普通は十年以上も眠って居れば、動けるのは有り得ないって』


 ベットの傍らに投げ出されたスマホが、淡いブルーを暗がりの隅へと、心許なく落としていた。


 ツキカ『まあ、私達は神との混血らしいから、星の樹の存在もあって、人間の尺度では測れない事象も引き起こされているのかもしれないけれど……。 でも私が病院に迎えに行ったらもう居なかったわ。一体何処に行ったのかしら?』


 重なり合った二人の肌と鼓動は、うるさい位に互いに響き合って交じり合い、私達の熱と吐息は、夜の帳に飲み込まれていった。

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