第28話 星樹の花束

「オリナ。オリナ。しっかりしろ! 起きろよ! あのままアイツ連れて行かれていいなんて思ってねぇだろ!!」


 遠くなりかけた意識をアークに引き戻され、私はぼんやりと彼の顔を眺めて、アルタイルを追い掛けようと起き上がった。


「ご、こほっ……」


 大量に肺に流れ込んできた空気に噎せ返りながらも、意識を引き戻し、身を起こした私は、彼等の行き先を目で追う。


 私と年の近い少女へと器を乗り換えた天女とアルタイルは、やはりお似合いで、痛む胸が、私の一歩を妨げる。二人はこの星の樹から外へ出ようと、星の樹の根元へと向かっているようだった。


「貴方の復讐のために、大切な息子の手を、汚させるおつもりなんですか? 貴方のお父上が言われた穢れとは、貴方自身の事では無く、俗世に染まって復讐等と思いついてしまった、貴方の心根の方では無いのでしょうか?」


 私の中の星姫が、再び顔を出して、二人の背中へと疑問を投げかける。振り向いた彼女が、もう一度氷刀を出そうとするが、紅色の口角を片側だけ上げて、隣のアルタイルにしな垂れかかった。


「ツキヒコ。今度は失敗せずにやりなさい。愛しい貴方に命を捧げるならば、きっと彼女も本望よ。さあ、さっきの電撃を、今度はホシヒメに贈ってやりなさい。ほら。ツキヒコ」


 アルタイルの掌に電気が集まりだし、パチパチと音を立て出した。電気の塊は、円を描きながら、段々と大きさを増していく。その塊が彼の掌から放たれようとした瞬間に、天女の手が、アルタイルの手首を掴む。


「ツキカ! 起きてるんなら答えろ! アルタイルに何が起こってる? どうやったら、天女を月に帰して、お前等兄妹を取り戻せるんだ?」


 その些細な動作に確信を持って、天女へとアークが声を掛けると、天女は苦しげに顔を歪め、自分の中の何者かを抑え込もうとしているようだった。


「何、故……お前は消えたはずだ! 離せ! もう少しで私達の邪魔者を始末出来るのだぞ。どうして邪魔をするっ!」


「望んでないわ。兄さんも私も。兄に愛する人を殺めさせるなんて仕打ち、直ぐに止めさせて。先祖に同情でもしたのかしら? いくら天女の欠片を無理やり覚醒させられたからといって、そんな簡単に許すなんて、兄さんらしくも無いわね。情けない。悪い魔女に操られて、愛する姫に刃を向けるなんて、王子失格ではなくて?」


 きっぱりと言い切る、天女の中の月華(つきか)の声が聞こえると、アルタイルが放とうとしていた電撃が弱まり、彼は自分の左の足首へと、その電撃を放った。


「だ、から。寸でのところで、さっきから止めているだろう。ぐっ。うっ。はっ……ハァ……ハァ……く、そ……酷い痛みと不快感だ」


 意識が戻った彼に駆け寄ろうとした私を、天女の中の月華が制する。私はその場で足を止めて、彼女の次の言葉を待った。


「この場で、天女の器に成り得る体は、私と兄さんの二人だけ。器が完全に壊れてしまえば、彼女の魂は行き場を失い、あるべき場所へと還るはず。彼女は復讐に駆られ、自分の欠片を子孫達に埋め込む事で、自分の手足に、帰郷の枷を付けてしまっていたのよ。彼女の覚醒の地図である紅椿を焼き払って頂戴。器の欠片も残らない位に」


 胸に浮かび上がった鮮やかな紅椿を指して、私とアークを見つめる彼女の瞳に浮かぶ決意は固いようだった。


「体が無くなっちまったら、お前等どうなっちまうんだよ。な、何か他の方法を……」


「そ、そうだよ! 二度と会えなくなっちゃうかもしれない。そ、そんなの……嫌。嫌だよ! それにそんな事をする方法なんて、知らない。知りたくないっ!」


 私の拒絶の意思に、手を伸ばしかけたアルタイルが、酷く優しく微笑んで、ゆっくりと手を下ろす。


「そうだな。元々もう長くない幻影だ。それで姫を守れるなら、月へと帰ってもいいのかもしれない。俺の電撃を使ってもいいが、それでは欠片を残さないのは難しいかもしれないな。あれを使うか。電気は電気を呼べるはずだ」


 顔を上げた彼の視線の先には、ゴウゴウと悲鳴を上げて轟く、大きな雷雲があった。


「君と再会して、君との未来を夢見る事が出来て嬉しかった。俺を思い出してくれてありがとう」


「兄さん! 急いで! また天女に体の主導権を奪われてしまうわ。早く!!」


 私に背を向け、星の樹の根元へと、二人が駆け出して行ってしまう、悪夢のような光景に耐え切れず、私は大声で泣き叫んだ。


「駄目っ! 二人とも行かないでっっ!!!」


 不意に時計が止まる音がして、絵本を少女である私から手に入れたあの時と同じ、静かな空間の中に立っていた。あの時と違うのは、空間の中の心地よさと、ハッキリと止まって見えている、外の光景がある事だった。


「織姫……?」


 目の前に立つ、鏡のような空間から微笑む彼女のその風貌から、私が彼女へと声を掛けると、彼女はゆっくりと首を横に振った。


「まだ小さな貴方の中で一緒に読んだわ。本にまつわる、悪夢のような怪談や都市伝説を終わらせるのは、いつもハッピーエンドの上書きだったでしょう? 皆の願いの力の溜まった貴方への贈り物は、きっと貴方の願いを叶えてくれるはず。私も力を貸すわ。さあ、此方へ手を伸ばして」


 私が鏡へと右手を伸ばすと、鏡の中の彼女から繋がれた掌から、温かな力が流れ込んで来た。彼女の顔が、私へと近づき重なると、鏡は砕け散り、私の全身には、熱い力がみなぎっていた。


 私は傍らの絵本を開き、物語の続きを書こうとして、ペンを持っていない事に気が付いた。


「お前……その格好」


「ペンが……」


 私がペンを探している間にも、雷雲が星の樹の上空へと迫っていて、二人の時間が残り僅かな事を知る。


「離せっ。離せ。私は復讐を果たして、綺麗になって月へと帰るんだ。邪魔立てするならば、お前達でも許さぬぞ!」


「復讐は終わりだ。一つ貴方の知らない秘密を教えてやる。彼は貴方を迎えに行こうとしたその当日、貴方の美しさに狂わされた一族の男共に殺されているんだ」


「……そ、それは事実なのか?」


「ああ。さあ、貴方の望み通り、一緒に月へと帰ってやる」


 焦れば焦るほど、思考は追い詰められて、私は自分の姿が、前世返りしている事にも気づいて居なかった。


「射的の景品! オリナ。お前の懐だ!」


アークの言葉に反応するように、温かくなった懐から飛び出して来たペンの装飾は、夜空の中に花畑を閉じ込めた二つの鍵穴のデザインから、絵本の表紙のデザインへと変化していた。


ゴロゴロゴロ……ドガァーーーン!!! ベキッ! バキバキバキ!!!


 私が書き終わると同時に、一際大きな雷が落ちる音がして、轟音を鳴らしながら根元から折れた星の樹は燃え上がり、真っ赤な火の粉が夜空へと舞い上がっていく。


『間に合わなかった……?』


 樹の根元にあった二つのシルエットは、跡形も無くなっていて、私がその場に崩れ落ちると、紅く焦がされた天上へと、天の川が煌めき、火柱が青白く変化して、失われたはずの星の樹が再生し、その枝葉から、無数の光が天の川へと昇っていく。


「星樹(せいじゅ)の……花束」


 私達が星の樹へと駆け寄ると、下半身の透けているアルタイルが、驚いたように、自分の両手を見つめていた。その足元に、元の姿に戻った月華(つきか)が、寝息を立てるようにして、穏やかに目を閉じている。アークが彼女を抱き上げて、不安を滲ませる私へと、ゆっくりと笑顔で頷く。私はホッとして頷きを返した。


「そうか……君が願いを使ってくれたんだな」


「アルタイル! 消え、ちゃうの?」


 大事に絵本を抱えている私を見つめて、彼は笑顔で首を横に振る。その視線は、私と絵本を愛しそうに見つめていた。


「いや。君のお陰で大丈夫そうだ。が、体の再生には少し時間が掛かってしまいそうだからな。一旦フィナーレだ」

私は本当に、彼の願いを叶えてあげる事が出来たのだろうか。柔らかな笑みを浮かべる彼の体は、桜の古木の満開の星屑の花束に包まれて、彼の魔法と一緒に解けようとしている。


 浮き上がった彼の体を捕まえようと、必死に手を伸ばすと、其処にはまだ、彼の温もりが残っていた。


 両手でしっかりと彼を捕まえた私は、背伸びをして、初めて自分から彼に口付けたのだった。湧き上がる気持ちを抑える事が出来ず、胸をいっぱいに満たす想いを、今伝えなくてはいけないと思った。


「セイヤお兄ちゃん。大好き。貴方と初めて出会った日から、ううん。もしかしたらそのずっとずっと前から。私はセイヤさんが好き。私は貴方と結ばれたかったの。もう。絶対に間違えないから、逃げたりなんかしないから。今度は私が、貴方を待ってる。だから、本当の貴方で、必ず私を迎えに来て」


 一度大きく目を見開いた彼は、切なげに私を掻き抱く。私達は、互いの体温を絶対に忘れないように、腕を回してきつく抱き合った。


「この想いは、俺とお前のモノだ。理由を付けて、もう、一人で抱え込むのは止めだ。オリナ。俺はお前を愛してる。俺ももう、この想いから逃げないと約束する。だから、待っててくれ、何年経っても、必ずお前を迎えに来る。再会が叶ったら、その時は……」


「うん。お婆ちゃんになっちゃう前でお願いね?」


「当然だ。もう、俺を忘れるなよ? 泣き虫オリナ」


 私と彼の唇が再度重なると、彼の体は光の粒子となって、天の川への橋を渡って行ってしまった。


「オリナ……。 大丈夫か?」


 彼の幻影を抱きしめるようにしていた私に、心配そうに後方から慧(けい)が声を掛ける。私は目に溜まった涙を拭って。笑顔で慧の方を振り返った。


「泣き虫は今日で卒業。私も強くならないとね。弱いままじゃ、君主様の隣には並べないだろうし。 ね?」


 真っ直ぐに慧を見据えた私に、慧は息を飲んで、そして、何かを飲み込むように、そっと頷いた。


 病院に運ばれた月華に異常は無く、数日間だけ眠った彼女は、無事に目を覚ました。

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