第27話 紅椿
「ははっ。お前のそんな顔初めて見た。勿論考え無しに言ってる訳じゃねぇよ。ベガを狙ってるアレ、どうにかしねぇと、だろ? 俺が天女とやらを引き付けてみるから、さっきのお前の電撃みてぇのでどうにか出来ないかなって話」
「それはお前が危な……分かった。確かに俺一人で、ベガと妹を助けるのは厳しい。お前が一緒にやってくれると助かる。危険だとは思うが……頼めるか?」
「ん、それでよし。陸上部のエースの俺に任せろ」
アルタイルの答えに、満足そうに頷いたアークは、一度怒ったような表情を浮かべた後、大きく息を吐きだして、天女を見据えた。
「なあ。お姉さん。さっきの話だけどさ、あの子器として差し出したら、本当に俺も可愛がって貰えんの?」
天女に無防備で近づいて来て、首を傾げて見せるアークの言葉に驚いて、私が其方を見遣ると、彼の背中の向こう側から、アルタイルが「大丈夫だ」と、声に出さずに頷いた。
「ふふっ。やっぱり貴方も男の子なのね? ええ。勿論よ。きっとあの子も望んでいる事だと思うわ」
私に送るのとは明らかに違う表情と声音で、アークを見つめる彼女だったが、氷の刃は相変わらず私を捉えたままだ。
「けど俺、もっとお姉さんの事を知ってから、お近づきになりてぇな。じゃないと緊張しちまうからさ。憂いを秘めてるお姉さんは、確かに綺麗だと思うんだけど、お姉さんの笑顔を曇らせる深い事情があるんだろ? 俺、お姉さんの手伝いが出来たら、って思うんだけど」
真っ直ぐで素直なアークが、嘘を付く事は難しそうで、どうするのだろうかと、私とアルタイルは、二人のやり取りを見守っている。
「甘言を吐く男は信用出来ないが、戯れに昔話をしてやろう。私は、月の女神の加護を受けた美しい巫女と、天人の父から、強い力と、不老長命の加護を受け継いで生まれた。祈りの神殿という秘境の地の神殿で、星々の声を村人達に聞き伝えながら、女人ばかりの数人の側近と暮らしていた。恐らく私の力を恐れてだろう。保護という名目ではあったが、私は幽閉されていたのだ」
ぽつりぽつりと過去の事を話し出した天女の言葉に耳を傾けながら、私は氷刀の標的から、どう逃げようかと考えていた。
「生活に不自由はしていなかったが、私が逃げ出さないよう、外の情報は一切教えられる事は無かった。丁度八回目の誕生日を迎えた日、退屈していた私は、好奇心から、側近たちの目を盗み、神殿から少し離れた森の泉へと足を伸ばした。あの男に出会ったのはその時だ。私は男という生き物を初めて見た。私の知らない事を沢山知っている自由な男が、とても魅力的に見えてしまったのだ」
後悔しているのだろうか、その男性の話をしている天女の表情は暗く、少しだけ苦しそうにも見える。
「初めは好奇心や、男という生き物への探求心からだった。けど、男の話を聞いている内に、私は外の世界への憧れを抑えられなくなってしまった。外へと連れ出してくれるという男を信じて、側近達を振り切り、私は外の世界へと飛び出した。男は私にとても優しかったし、外の世界のモノは、皆新鮮で色鮮やかで、私の退屈は吹き飛んでしまい、気付けば私は、信頼しきったその男と、数年の時を過ごしてしまっていた」
さっきまで暗く、苦しそうな表情をしていた天女だったが、二人での日々は楽しかったのかもしれない。僅かにその表情は明るかった。
「男と出会って七年が経ち、初潮を迎えた私の体は、女のそれになっていた。そんなある日、私の寝屋を訪ねて来た男が、突然私を口説き出し、男女の関係を求めて来た。男という生き物を彼しか知らなかった私は、戸惑い、困惑し、一旦は拒否したが、男はそれを聞き入れてくれなかったんだ。信頼しきっていた男に、心の準備も無しに女にされた私は絶望し、祝詞を挙げたものの、暫くは男を許す事が出来なかった」
「それが、一族に復讐したい原因?」
アークが、柔らかい声音で天女に尋ねると、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「その後、数年掛けて、私の誤解を男が解き続けた事で、私は男に愛されていた事が分かり、ほどなく男の子供を身籠った。けれど……無事に男女の双子を出産した産褥期に、やつは浮気をしおったのだ!」
唐突に話の雲行きが怪しくなり、私達は揃って表情が強張る。アークも、どう声を掛けていいのか迷ったような表情を浮かべながら、曖昧に頷いていた。
「怒った私は、二人の子供と一緒に、男の所有する山小屋に引き籠った。不自由な暮らしでは、満足に食事も取れず、乳の出も悪くなり、男の元に戻ろうかと思った矢先、男に頼まれたと、親族の男が一人尋ねて来た。男は食事を与える代わりに、自分のモノになれと言ってきた。私は当然断ったが、その男はそれが許せなかったらしい。子供の命を盾に取り、無理やり私を奪った挙句、他の親族の男共を連れ立ってやって来ては、毎夜大勢の男達と私を辱め続けたんだ」
「酷いな……」
私が言葉を発する前に、アークが小さく呟いて、視線を落とした。きっと、私と同じように、なんとも言い難い複雑な心境でいるのかもしれない。
「ろくに避妊も出来ない時代の話だ。私は男共の子供を沢山産まされた。父親がどんなに酷い男でも、子ども達は可愛かったが、子ども達が三つになると、その子どもの父親が、子どもを連れて行ってしまうのだ」
「そんな事をお姉さんがされてるって、お姉さんの旦那さんは知ってたの?」
「さあな。便りも寄越さず、迎えにも来てくれなかった。浮気相手との事で忙しかったのだろう。私は飽きられていたのだろうさ。私の心の拠り所は、旦那である男との二人の子ども達だけだった。私は子ども達を深く愛し、守り抜くつもりだった。疲弊している私を心配して、年頃になった私の娘が、山を下りて町に精の付くものをと、買いに行った時にその事件は起きた。大きくなった男共の息子達が、兄妹と知らずに、私の娘を襲ったんだ。大勢の男達に辱められた私の娘は、そのまま川に身を投げて、私の元に二度と帰っては来なかった」
彼女の人生は、聞けば聞くほど胸が痛くなるような話ばかりで、私は彼女への救いがないだろうかと考え始めていた。
「私から大切なモノを奪った男共と、その息子達に復讐を決意した私は、その事件を知った夜から、準備を始める事にした。私は、一人残してしまう事になる、心優しく賢い息子の事だけが心残りで、彼に家族の温もりを残してやろうと思った。私は彼と結び合って、彼との息子が無事に産まれると、息子を彼に託して、男共とその息子達を誑かし、毒殺したが、数人打ち損ねてしまった」
彼女の人生は本当に壮絶で、同情の余地も十分ありそうだが、数年掛けて誤解を解く労力を使うほどに彼女を愛していたはずの男性は、本当に彼女に飽いてしまっていたのだろうか。
「山小屋に戻って、計画を練り直そうと戻る途中、追手の掛かった馬で、崖から転落した時、アデヅキだった頃の記憶を思い出し、迎えに来た父親の天人に、息子とその子の命の保護と、私の帰郷を訴えてみたが、穢れを払ってからだと、私の帰郷は断られてしまった。復讐を果すため、私は私の子ども達の細胞の中の種を芽吹かせて、期を待つ下準備をしてから、私の一つ目の器の人生を終えた」
「あー。えっと、お姉さんの人生には同情するし、すっげぇ辛かったんだろうなっては思うけど、だからって、自分の子孫たちを殲滅っていうのは、ちょっと飛躍し過ぎっていうか、小さい子の癇癪みてぇじゃねぇかな? 他の方法とかさ、相談出来る人とかは居なかったの?」
話し終えて、一つ息を吐いた彼女に、アークが真っ直ぐな意見を述べると、彼女の表情が一変して、鋭い視線がアークを捉える。
「当事者ではないお前に何が分かるっ!」
彼女の、怒りに満ちた声を合図に走り出したアークの服を掠めながら、氷の小太刀は、彼の進路の数センチ後方に氷の楔を打ち込んでいく。
「このっ! ちょこまかと!!」
二刀投げられた氷の小太刀が、挟み撃ちのようにアークに向かい『危ないっ!』と、顔を覆った私から、天女の標的は完全にアークへと逸れていて、後方からアルタイルに声を投げられた。
「ベガ、そのまま左後方に逃げて、俺の後ろに!」
声に驚き、私が衝動的に彼の指示に従うと、彼の手から放たれた電撃は、大きなバチッという音と共に、天女の背後に直撃した。
「あ、危なっ。し、死ぬかと思った」
氷の小太刀に両脇を捉えられ、星の樹の古木に縫い留められていたアークの両肩の小太刀は、天女の形が崩れるのと同時に溶け出して、彼を解放した。
「終わった……のか?」
「いや、恐らくまだだな」
静寂が戻った星の樹の部屋だったが、雷鳴は響き続け、降り続く雨は止む気配が無く、言い知れなく淀んだ空気が、部屋を満たしていく。
「ハッ! ツキカ先輩っ!!」
「させるかっ!」
大きくなった気配に私の胸がざわついて、思わず叫んだ私は、星の樹の下の少女へと駆け寄るが一歩間に合わず、天女だった彼女から飛び出した紅い光が、かぐや姫のような姿を一瞬形作ったと思うと、少女の中へと吸い込まれていった。
私の叫びと同時に、手を伸ばしたアークだったが、彼も間に合わず、ゆらりと立ち上がった少女が、彼の横をすり抜け、私の横のアルタイルを抱き締めた。
「本当にやんちゃな子。母である私に刃を向けるなんて、もう一度私の愛をお前に伝え直さなくてはならないようね。さあ、ツキヒコ。私と一緒に月へ帰りましょう。いい子だから、ね?」
「だから、それは断ると……ぐっ。ううっ」
突然苦しそうに呻いて、左の足首を抑えたアルタイルがうずくまり、私は彼の具合を確認しようと彼の背に手を置いて、彼の表情を覗き込む。
「だ、大丈夫? さっきの氷牢での傷が痛むの?」
「さあ、ツキヒコ。お前を惑わすその女を消して、こっちへいらっしゃい」
天女の言葉通り、立ち上がった彼は、私へと手を伸ばし、私の首元へと当てると、力を込めて私の首を絞めつけて来る。
「お前っ! 何やってんだよ! 今直ぐその手を放せ!」
叫びながら、アークが此方へと走り寄り、私の首を絞めるアルタイルに体当たりをして突き飛ばす。
意識が落ちる直前に、私から手を放した彼の瞳からは、一筋の涙が零れており、天女に連れて行かれてしまう彼に伸ばした手は届かない。
『彼女の転生の条件が、故意にそうなのか、元の性別が同じじゃないと覚醒出来ないのかは分からないが、彼女の覚醒者は、代々、体の何処かに紅椿の痣を持って産まれて来るそうだ』
「紅……椿……?」
地面に倒れ伏した私の目に、彼の左足首に浮かび上がった、真っ赤な椿が飛び込んで来た。
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