第26話 星の樹に巣食うモノ
突然現れたプロキオンに、唐突に質問を投げ掛けた私を、仮面の下で息を飲む彼だけではなく、その場に居た全員が、固まって見つめていた。
「どういう意味かな?」
「此処に来てから、まるで別人のように変化する時がある貴方の言動に、ずっと違和感を感じていたの。一人は確実に、私の知るプロキオン君だった。けど、もう一人は、私の知る彼女では無かった」
「何変な事言ってるんだよ。ベガ。一緒に星祭(ほしまつり)を楽しんだのは、俺もよく知ってる、いつも少し素直じゃないアイツだった……よな?」
「最初は、ね」
私が首を振ると、アークは驚いたように大きく数度瞬いて、こちら側の星の樹に来てからの事を思い出しているのか、顎に手を添えて考え込むような素振りを見せる。
「この間此処で会った貴方も、多少強引ではあったけど、少なくともお兄さんの願いを叶えたいがために、物語の続きを探していた。なのに、此処での貴方は、本の続きだけを探しているみたいだった。シリウスが拘っている約束より、彼の解放に意識が向いてるみたいだったから」
「どうしてそう思ったの?」
「本が故意に隠されてるような発言をしたり、アークが明言していない力の正体が第三者だと確信していたり、シリウスがきっぱり、アルタイルとは同一人物だと言ったのに、貴方は彼を二人と数えた。アルタイルの年齢が、病院のセイヤさんと同じだとしても、それは、彼の体が具現化している、絶対的な理由にはならいでしょ?」
私がそこまで見解を述べると、彼は困ったように首を傾げて、大袈裟にため息をついて見せた。
「はあ。セイヤの姫が、こんなに聡い子だとは思わなかったよ。君とセイヤを再会させてしまったのは間違いだったかもしれないな。こんなに簡単にバレてしまったら、女優の名が泣いてしまうわね」
プロキオンの仮面が外れると、その顔は月華(つきか)そのものだったが、彼女の瞳にはガラス玉のように色が無い。
「ツキカ先、輩……?」
「いや。違う。どうして貴方が此処に居るんだ?」
アルタイルの呼び掛けに反応するように、紅のリップの口角を上げた彼女の輪郭が、ゆらりとぼやけると、プロキオンがいたはずのその場所には、艶やかな紅色の着物風の衣装と、羽衣を身に纏う、氷のような透き通った肌の、一人の女性が立っていた。その容姿は、冬の凍えた月光のように美しく冷たい。
「貴方はもう、この世には居ないはずだろう? 母さん」
「ツバキ・セレスティア・メイデン?」
その女性は、確かに大女優の彼女の顔をしてはいたが、私が知っている彼女とは雰囲気が違い、近寄り難いオーラを纏う。
私を一瞥した彼女だったが、その瞳に私は映ってはいない様子だった。彼女の視線はうつろに、うっとりと、私の隣のアルタイルだけを見つめていた。
「ええ。そうね。私の身体は貴方の言う通り、この世には居ないわ。十年前、お爺さまの差し金で、可愛い貴方の後を追って、崖から身を投げたはずだもの、ね? ずっと昏睡状態だったはずなのに、どうして貴方はその事を知っているのかしら? そんな状態になってまで、私を気にしてくれていたなんて、母さんとても嬉しいわ」
「お爺さまの身勝手な狂行で、命を落とした貴方には同情するが、貴方の死については、人伝にこの世界で聞いただけです」
「まあ。久しぶりの再会だというのに釣れない子ね。十年前はまだまだ可愛い私の坊やだったのに。すっかり男らしく逞しくなって……ああ。どうして我が子なのかしら。こんなに美しくて強い、完璧な男は他には居ないというのに。そんな冴えない小娘に誑かされてしまって……なんて、可哀想」
はらはらとわざとらしく、綺麗な表情で涙を零す彼女は本当に美しく、彼女が作り出す空間から切り離されたようで、私は孤独感に苛まれながら、二人のやり取りを見つめていた。
「それは貴方の主観に他ならないでしょう? 俺は誑かされてなどいませんし、自分の意思で彼女と一緒にいる。それを否定する権利は、貴方にもありませんよ」
母親へ語り掛けているはずなのに、彼の口調はどことなくよそよそしく、彼女と一線を引こうとしているようにも見える。
「貴方は何故、あの星祭の夜に、まだ幼い彼女を狙った?」
「邪魔だったからよ。貴方を想うあの子と私にとって。邪魔者の彼女が居なくなれば、貴方は私とあの子の元に戻ってくれるでしょ? ほら。今直ぐその子を消してあげるから、このまま俗世なんて離れて、私の元へ戻っていらっしゃい」
その声音は穏やかで、包み込むような母性が溢れてはいるものの、何処か空っぽで、虚空を見つめる彼女の瞳には、相変わらず色が無い。
「一緒に月へ帰りましょう? 月の皇族である貴方には、素直で従順な、月で二番目に美しい姫を紹介してあげるわ」
「月の姫君には興味がありませんし、俺は戻る気は無い。彼女を蔑むのも、母の真似事をするのも辞めて頂けますか? どちらもとても不快だ」
アルタイルの言葉に私が目を丸くすると、彼は彼女の足元に、光を飛ばした。光はバチッと音を立てて、彼女の足元に纏わりつくと、その形を崩していく。
「アルタイル? お母さんなんでしょ? そんな事をするのは……」
私はアルタイルを制止しようとするも、光の直撃を受けたはずの本人は、意に介している風でも無く、冷静にアルタイルを見据えていた。
「人間の体って不便だわ。直ぐ簡単に壊れてしまうんだもの。美しい器を探すのも、楽では無いというのに。一度崩れてしまった体を再現するのも疲れるのよね。もう、この体は要らないわ。そこに私の美しい、新しい器があるんですもの」
そう言った彼女は、樹の根元に凭れ掛かる、物言わぬ少女へと視線を送って、其方へと向かおうとする。
「させる訳ねぇだろ。コイツの体はコイツのモンだ。他人がどうこうしていいモンじゃねぇんだよ」
アークが少女を守るように、彼女と少女との間へと立ち、二人の母親であるはずの彼女を睨みつけた。
「まあ。素敵な騎士様。貴方も中々にいい男ね。新しい器で若返ったら、貴方の事も可愛がってあげるわ。その子の体。興味があるでしょ? 男好みの完璧なプロポーションですものね」
くねりと肢体を逸らして、女性特有の体のラインを強調し、アークを誘うような甘言を吐いて、彼女は妖艶に微笑んだ。
「女の体に興味ねぇって言ったら嘘になるけど、守りたいのはそういう理由じゃねぇから。アンタの言葉に耳を貸す気は俺も無い」
僅かに赤くなりながらも、首をゆっくりと横に振ったアークは、きっぱりと彼女へと答えて、少女を庇うようにしたまま、少女へと寄り添った。
「俺の世界で、貴方に好き勝手はさせられない。穏便に手を引いて頂けないのであれば、多少手荒にしてでも、この世界から退場して貰う」
指先にバチッと光を弾けさせて、彼女を見据えたまま、アルタイルは私に寄り添うようにして、私との距離を縮めた。その様子を見た彼女は、不機嫌そうに私を睨みつけて、アルタイルへと向き直る。
「いくら貴方達の力が強いといっても、こんな大舞台を、人間風情に用意出来ると思って? 思い上がりもはなはだしいわ。人間って、どうしてこうも身勝手で傲慢なのかしら。けど、自分の願いに貪欲なところは嫌いじゃないわよ。おかげで天に帰るための、強いエネルギーを集められた。私は貴方達の一族に復讐を果たして、そして、綺麗で美しいまま天に帰るの」
彼女の口から出た、復讐という単語に、私はアルタイルとした、天女と呼ばれていた女性の話を思い出して、彼女の視界に入るように、アルタイルの背から前へと出る。
「貴方は、もう十分、綺麗で美しいと思います。なのに、アルタイル達の一族に復讐をするのはどうしてなんですか? 貴方は子ども達を愛していないの?」
私が彼女を真っ直ぐに見据えて、直球で質問をぶつけると、彼女は憎々しげに私を見つめ返して、そして重い口を開いた。
「何故貴様にそんな話をしなくてはならない? 只の人間風情の小娘に、私の事情など話す必要も無い。今直ぐ私の目の前から消し去ってやろう」
彼女の手元に氷の粒が集まって来て、氷が鋭い小太刀を模し、彼女の周りを取り囲む。彼女がその小太刀を放てば、只の女子中学生である私の命は、きっと簡単に消し去れるのだろう。
冷たい小太刀の鈍い輝きに、恐怖で唇と体を震わせながら、彼女と対峙する私の中で、紫の蕾が綻んで花開き、誰かが目を覚ました気配がした。
「貴方が憎んでいるのは、貴方から大切なモノを奪った、ホシヒメである私なのでしょう? 私は、彼とその子孫を守れるなら、貴方からの憎しみの刃を受けても構いません。事情を話して頂けないのであれば、その刃を突き立てるのは私一人で、その怒りの矛先を納めては頂けませんか?」
「貴様。思い出していたのか?」
「はい。アデヅキお義母さま」
「その呼び方をするな! 私は貴様を認めてなどいない。この輪廻の輪から、永遠に失せろ! ホシヒメ!!」
憎しみを顔中に滲ませ、髪を振り乱し、怒鳴りつける彼女の表情は、般若のように醜く歪んで、ボロボロに崩れていく。
冷静さを欠いているからなのか、そもそも肉体を維持する力が弱まっているからなのだろうか。その輪郭を保つ事が難しくなっているようだった。
「ホシヒメって……星祭のか? 七夕伝説の?」
「……そういう事か。であれば、俺達の出会いは必然だったという訳だ。長年の疑問が今更解けるとは。本当に、君は何度も俺を驚かせてくれる」
アルタイルの言葉に、訝しげに眉根を寄せて、アークは彼を見つめながら、難しい顔をしていた。
「いや、自己完結してねぇで、俺にも分かるように説明してくんねぇ?」
「ああ。簡潔に言えば、俺達兄妹が天女の末裔で、覚醒者であるように、ベガも、星姫の覚醒者だったという訳だ。恐らく彼女も因子を持っていたのだろうな。ホシヒメは目覚める気は無かったようだが、この世界の力が作用したのか、目覚めざる得ない状況だと判断したのか……」
「でも、お前は覚醒者じゃねぇんだろ?」
「ああ。天女本人の覚醒者では無いな」
ハッキリではなく、曖昧な表現に、アークの表情は益々険しくなっているようにも見える。
「なんだよ。その曖昧な表現。前世持ちではあるって言ってるようなさ……ん? はっ! もしかしてお前……実は、ツキヒコ?」
「……思い出したのは氷牢に閉じ込められている時だったから、本当に最近。今しがた。と、いったところだが」
頷き、肯定するアルタイルを見つめながら、がっくりとうなだれて、大きくため息をついたアークは、私へと刃を向ける天女へと視線を戻した。
「はいはい。規格外の血を持つお前等と違う一般人は俺だけって事な。なら俺は、一般人らしく逃げる!」
突然のアークの言葉に面食らったようにアルタイルが目を見開いて、大きく瞬いた。
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