第25話 花

「痛ぅ~……」


 思いっきり額を地面にぶつけてしまった私が、額を撫でながら身を起こすと、私の体は成長しており、十四歳の私に戻っていた。


『仮面の化け物はどうなったんだろう?』


 私の目の前には、大きな河川が流れており、後方にあったはずの扉も見当たらず、漆黒の部屋も消え去っていた。


 すると、地面に触れている方の手の下に、硬い感触があり、私が手を持ち上げると、本が下敷きになっているようだった。


 本を拾い上げると、それは、藍色の文字で《星樹(せいじゅ)の花束》というタイトルが書かれた、一輪の桜を三枚の羽が取り囲む、藍色の本と同じデザインの表紙の、白い本だった。


 本を開いてみると、中の物語は、藍色の本と同じ内容で、藍色の本には無かった、影絵の挿絵も入っていた。裏表紙には、私がさっきまで握っていた、キーヘッドに、桜の一輪と羽のレリーフが施された、白銀の鍵が描かれている。


「そうだ。アルタイルは、私に描いた絵本だって言ってた」


 桜の上部の花びらに水色、左の花びらに橙色、右の花びらに灰色、左翼には藍色の宝石がはまっており、右翼部分だけはまだ空っぽな白い本の裏表紙を、私はそっと撫でる。


 鍵のレリーフの桜の部分の真ん中にも、楕円形の穴が開いていて、穴の中を覗き込むと、星の樹に掛けられている、無機質で大きな、歯車の見えるアナログ時計が確認出来た。


 不思議に思った私は、もう一度穴の中を覗き込んでみたが、もうその穴からは、時計は見えなくなっていた。


 さっきまであった穴を確認しようと、私が白い本の裏表紙を開くと、藍色の光が文字を浮き上がらせて、三つ目のメッセージが、本に記された。


『そのときは かならず つたえよう』


『いまは まだ ちいさな きみへ』


『きみが おれを わすれても』


 さっきの闇の部屋の中で付いていたのだろう。本を覗き込む私の髪から、灰色の小さな欠片が本の裏表紙部分に落ちると、吸い込まれた欠片から、灰色の文字で、メッセージが滲むようにして浮き上がってきた。


『きみの しあわせを ねがう』


『そのときは かならず つたえよう』


『いまは まだ ちいさな きみへ』


『きみが おれを わすれても』


 宝石の数と、メッセージから連想される、物語の登場人物の数が同じだと気が付いて、私はこの部屋の主が誰なのかを確認しようと、周囲を見渡した。


 空に浮かぶ月の光が川面に反射し、川の一部分だけが眩しく銀色に光を放っている。私が近づくと、川底に、大きな扉が揺らめいていた。


 大きく息を吸って、川に顔をつけ、目の前を泳ぎ去っていく小さな金魚達を見送って、川底の扉を確認すると、それはミルキーウェイの上空で見たのと同じ扉だった。


 扉を少し押すと、隙間から川の水が零れる。私は川の水が全部流れてしまわぬよう、きつく扉を閉じて、もう一度部屋を見回した。


『随分と内装が変わってるけど、此処はアルタイルの部屋かな?』


 星祭(ほしまつり)を楽しんだ、星の樹の丘の上ではあるものの、眼下には星祭の風景は見えず、丘を囲むようにして、浅い川が流れていた。


「五つ目の宝石は何処だろう? やっぱり、川の中かな?」


 私は靴を脱いで、浅い川に足首まで浸かった。不思議とその川は冷たくは無く、足首まで浸かっているはずなのに、水に入っている感覚は無い。


 私は川底の小石を一個一個ひっくり返しながら、見たことも無いアルタイルの宝石を探してみる。小石はひっくり返すと、弱い光を放って、流れ星のように、川の底へと流れていくのだった。


「こんな事やってたら日が暮れちゃう。というか、図書館の外は、今、何月何日の何時なんだろう? パパとママ、心配してないかな?」


 裏側の入り口から図書館に来て、随分と時間が経った気がしていた。スマホを取り出してみても、この図書館の中では待受けすら表示されない。


『星の樹の外の時計を見たら、時間が分かるかもしれない』


 私は星の樹に掛けられていた大時計を思い出して、この部屋の星の樹を見上げてみたが、この場所の星の樹には、時計は掛かっていなかった。


 心細くなった私は、星の樹によじ登って、いつもの枝に腰掛けてみる。視界が少し高くなると、川の対岸に人影が見えた気がして、私は目を凝らして其方を見る。


 川上に架かる橋が見えて、私は樹から飛び降りると、橋が見えた方向へと向かった。途中、白くて小さな卵を見付けた私は、見過ごす事も出来ず、卵を拾い上げて、懐へと仕舞った。


 川上に架かる橋に近付いているはずなのに、その橋には、いつまでも辿り着く事が出来なかった。


「この世界だから、もしかしたら、見えているものが真実とは違うのかもしれない。やっぱり川の中? 確かひっくり返した石は、川下じゃなくて、川の底に行ってたよね?」


 私はもう一度川に足首を浸すと、川面を眺め、絶対に無くさないように本を大切に懐に仕舞い、覚悟を決めて川へと潜った。


 川の水は、やはり不思議な物質で出来ているのか、潜っても息苦しさは感じなかった。私は泳いで橋のたもとへと向かって、川面へと映っていた逆さ橋へと辿り着いた。


 橋の向こうの対岸に辿り着くと、突然晴れていた天気が荒れだし、今まで穏やかだった川が、突然暴れだした。


 その暴れ川から逃れようとしてみるも、叶う事は無く、私はそのまま川に飲み込まれてしまった。


 荒れ狂う川の中を必死に泳いで、川の中で見つけた小さな扉を開くと、中から白い星が飛び出して、私の懐に消えた。


 その瞬間、周りの風景が幻のように消え去って、カチカチと鳴り響く時計の秒針の音の中、私の体は高速で重力に引き寄せられた。


「え? ま、またこんなパターン!? キャーー!!」


 今度こそ私は無事でいられないかもしれない。その恐怖からきつく目を閉じて、恐怖に耐えながら落下の感覚に身を任せるしかなかった。


「っ! 君は本当によく降って来る子だな」


 温かな腕に支えられ、間近で低い声が聞こえて、私はゆっくりと目を開けた。


「アルタイル!」


 私が彼の首に手を回して彼の名前を呼ぶと、ずぶ濡れの私を、心配そうに彼が見つめていた。


「そんなにびしょ濡れになってしまうほどの大冒険をして来たようだな? お帰り?」


 氷の部屋の寒さが身に染みて、私はアルタイルとはぐれてしまった扉の中に戻って来た事を知った。


「歌っていたのが誰かは分かった?」


「いや。時折視線を感じる気はするが、姿を確認する事は出来てはいない。もしかしたら此処は、氷牢なのかもしれないな」


 私が彼に確認すると、彼は首を横に振って答える。長い時間此処にいたからだろうか、寒そうに白い息を吐いていて、彼の耳は寒さで赤くなっていた。


 少しでも彼を温めたくて、私が彼の両耳に両手を添えると、彼は柔らかく吐息を零して微笑んでくれる。


「ああ。温かい。ありがとう。びしょ濡れではあるが、君が無事で良かった。だが、この氷の部屋では、びしょ濡れの君が凍えてしまうのも時間の問題だな。早く此処から出る術を見つけなくては」


 私を抱き上げた状態のまま、彼は出口を見つけようと部屋へと視線を送って、氷の壁を確認して回る。


「あ、アルタイル。重いでしょ? 自分で歩けるから大丈夫だよ。私も一緒に出口を探すから。お、降ろしてくれる?」


「いや、重くはない。この方が温かいと思ったのだが……分かった。床も氷だ。滑ってしまわないように気を付けてくれ」


 私をそっと床に降ろすと、私が転んでしまわないように、彼は私の手を取って腰を支える。


 度々見せる、女性の扱いに慣れていそうな彼の仕草や言動に、私の胸がチクリと痛むと、彼の足元の氷がパキッと小さな音を立てて、弾けた欠片が、彼の左の足首に、小さな紅を滲ませた。


「だ、大丈夫!?」


「小さな傷だ。気にしなくていい」


 彼の傷口を手当てしようと、慌ててハンカチを取り出そうと屈んで、スカートのポケットを探っていた私の懐から、先ほど拾った白い卵が転がり出して、私は卵が落ちて割れてしまわないように手を伸ばした。卵は私の指先に触れたものの、そのまま宙に放り出されてしまう。


 卵の動向を見守るしか無くなってしまい、ハラハラする私を尻目に、空中で静止した卵は、私とアルタイルの周りを一周回ってから、ドクン、ドクンと、力強く脈動して、二色の妖精が孵化した。


 白と蒼の光を纏う妖精達は、その光を散らしながら部屋中を飛び回り、氷を全て溶かして混じりあうと、氷の欠片を一つ私に渡して、アルタイルの中へと消える。


「!!」


 次の瞬間、アルタイルの仮面にヒビが入って、彼の仮面が砕け散ると、シリウスの面影を残す、シリウスよりは落ち着いた雰囲気を纏う青年の驚いた表情が、ハッキリと見えた。きっとそれは、病院のベットで眠る、現在の彼の姿に違いないのだろう。


『待ち続けたシラホシとアオホシは、アヤボシとの再会と約束を果たし、一人に戻る。長かった彼の物語は、ようやく終わりを迎え、待ち望んだ朝を彼女と迎えるために、メッセージをアヤボシへと預けて、旅立つのだった―― 了』


 妖精達から受け取った氷の欠片は、透明の宝石へと変わり、アルタイルの位置に収まると、真っ白な羽が本の裏表紙の真ん中から飛び出して、私の本の表表紙へと舞い降りた。


『もしも また であえたら』


『きみの しあわせを ねがう』


『そのときは かならず つたえよう』


『いまは まだ ちいさな きみへ』


『きみが おれを わすれても』


 集めたメッセージが本から浮き上がると、空中で短冊のように揺らめいた。バラバラなままでは、伝えてくれようとしている事が読み取れず、私がアルタイルを見ると、彼は大きく息を吐きだした。


「変化の翼を手に入れたムギボシ。贖罪を果たし、感情の翼を取り戻したベニボシ。再会と約束の両翼を持つ星の幻影。そして、本当の星との穏やかで愛しい日々を、もう一度望むアヤボシは、仲間から送られた花で出来た、星達の花束の翼に気が付いた」


 彼が教えてくれた本の一節を聞いた私は、宝石を手に入れた部屋を思い出しながら、登場人物それぞれが示すメッセージの順番に短冊を並べ替える。


『きみが おれを わすれても』


「これはアークの部屋。変化を願い、一歩を踏み出した橙色の宝石」


 私が思い出した部屋と、アークの願いを口にすると、短冊は橙色に弾け、一輪の花へと姿を変えた。


『きみの しあわせを ねがう』


「これはプロキオンの部屋。闇に飲まれても尚、強く輝く、感情を願う漆黒の宝石」


 私が短冊に触れて並べ替えると、アークの時と同じように、今度は漆黒に弾けて、滑らかな花びらの一輪へと変わる。


『もしも また であえたら』


「これはアルタイルの部屋。純粋に、深く、再会を望む透明の宝石」


 私はそれぞれの本当の願いを口にしながら、ゆっくりと短冊を並べ替えていく。


 並べ替える度に短冊は、宝石の色と同じ光を弾けさせて、同色の花びらを持つ一輪へと変化していく。


『そのときは かならず つたえよう』


「これはシリウスの部屋。長い時の中で、約束を叶えようと孤独に耐え続けた強い想いの藍色の宝石」


 私がシリウスの短冊を並べ替えると、アルタイルの願いの一輪の花がシリウスの一輪と重なり、二輪咲きで、花びらに二色の色を持つ一つの花へと姿を変える。それは、二人が一人である事の証明のようでもあった。


 それぞれの色を持つ一輪達は、花の大きさは様々なものの、全て星の形をしていて、一様に柔らかな光を放っている。


『いまは まだ ちいさな きみへ』


「これは私の部屋。自分に自信が無くて、逃げてばかりだった、泣き虫な私が成長を願った水色の宝石」


 私が全ての短冊を並べ替えると、宝石から生まれた花々は、アルタイルの手元へと集まっていく。


「絵本を渡そうとしていた時には、まだ、メッセージは此処までだったが……」


 集まった花々が彼の手元へと集まり切ると、花々を見つめて頷いた彼が、少し迷った素振りを見せる。


「……これは、セイヤである俺からの最後のメッセージだ。これで絵本が本当に完成する」


 少しの間の後、彼が星の花達を上に押し上げると、ゆっくりと浮かび上がった花達は、星の樹に掛かった大時計を囲むように円を描いて、大時計の中心部の扉が開く。


 中から出てきた藍色の本に、花々が吸い込まれると、最後の羽が浮かび上がり、私の本へと吸い込まれ、それぞれの色の宝石の欠片が集まり、裏表紙の穴を埋めた。


『君が俺を忘れても 君の幸せを願う もしもまた出会えたら その時は必ず伝えよう 今はまだ小さな君へ――。 〈俺は君を愛している〉 』


 金色の文字で、裏表紙の中面へと書かれた手書きのメッセージを確認して、胸が一杯になった私は、絵本をしっかりと抱きしめた。


 先ほどの真っ白な羽と合わさった羽が両翼を形作っていて、私の本の表表紙へとしっかり浮かび上がり、桜を中心とした花束の両脇に添えられていた。


 全ての羽が私の持つ本の、桜と星の花束を取り囲むと、本は眩く光り出し、アルタイルの本との間に、天の川を一瞬描いて、あるべき一冊へと戻り、彼の手の中へと収まっていた。


 いつの間にか雷雲の轟く、自分の部屋へと戻って来ていて、アークの横で、人形のような少女を心配していた、二人の仮面の子供たちは、その風景から居なくなっていた。


 何処から現れたのだろうか、本の完成を確認したプロキオンが、アルタイルの前へと歩み寄り、ゆっくりと手を伸ばす。


「さあ、兄さん。兄さんが持ってるその本を渡して。十分に願いの力の溜まったその本で、ボクが、兄さん達を此処から解放してあげる」


「プロキオン君。貴方は誰?」

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