第24話 闇に飲まれた部屋

 気が付くとそこは、本棚に囲まれた、出入り口の無い小さな小部屋で、星姫(ほしひめ)だった私の体は、小部屋のベッドの上に横たわっていた。本を探そうと伸ばした手が、小さな金属音を鳴らして、私が手を開くと、そこには、白と蒼の小さな鍵が確かに存在していた。


 鍵を握り込んでいた私の手は、私が知っているものよりも小さく、本が消えている事に気付いた私が、慌てて身を起こすと、小部屋のガラス窓には、十年前、四歳当時の私が、仮面を身に着けてそこに居た。


「時を遡っている……の? じゃあ、あれは? あの、記憶は……私の?」


『遺伝子の一つが強く覚醒すれば、過去の自身の記憶を持ちながら、新しい身体で生き直す事も出来る』


『あー。そういうのが、前世持ちってやつになるのか』


 祭りの後に二人とした会話を思い出した私は、確信めいたモノを手にして、鍵を握り込んだまま、小部屋の本棚に並ぶ、本の背表紙を指で辿っていく。


「あった! これだ」


 似たような背表紙の中から、藍色の本を取り出し、裏表紙を確認した私は、さっきまで、くっきりと出ていたはずの天の川が薄くなっているのに気が付き、裏表紙の三角形へと、改めて視線を落とす。


 そこにあったはずのアルタイルの地図は消えており、アルタイルのあった場所には、シリウスの地図が浮かび上がっていた。


『これは……冬の大三角形?』


 そしてその地図が示す場所は、私が今居る、この小部屋だった。此処にメッセージがある事を確信した私は、再び周りの本棚からヒントを探そうと視線を動かす。


 取り留めてヒントになりそうなモノは見つからず、私が手元の本へと視線を落とすと、表表紙に、今まで無かったはずの鍵穴が浮かび上がっていて、私は本の表表紙を掌で撫でた。


「ああ。憎しや星の姫。私の大切なモノを、みな奪っていきおる」


 すると、窓の外から、恨みを纏った不気味な女の声と、何かを引き摺るような音。冷たい視線を感じて、私は小部屋の中から、恐る恐る窓を覗き込んだ。


 小部屋の外は漆黒の闇で、視線の主を見つける事は叶わなかった。僅かな光も見えず、出入り口の無い小部屋の中は、幽閉された牢屋のようにも思えて来る。


「此処まで静かで真っ暗だと、恐怖より、安らぎを感じてしまうのはなんでなんだろう。でも、さっきの声は怖かった。あれ、なんなんだろう?」


 小部屋を柔らかく照らす、暖炉のようなオレンジの光は弱々しく、なんだか眠気を誘われる。


「!!」


 再びベッドに転がり、ウトウトとしかける私に、もう一度冷たい視線が突き刺さって、思わず窓の外を見ると、漆黒の闇の中に、銀色の仮面だけが浮かび上がって揺らめく。


「ひゃっ!? だ、誰?」


 持っていた本で思わず顔を隠して、背筋に流れた冷たい汗を誤魔化して、本の端からそっと顔を覗かせると、窓の外に浮いていたはずの仮面は消えていた。


「落ち着くけど、この部屋に長く居るのはマズいかもしれない。早く此処から出ないと」


 再びヒントを探して、本棚や部屋中を調べてみるが、其処にはやはり何も見つからなかった。


「やっぱりこの本の鍵穴か。此処は多分シリウスの部屋だから、蒼い方の鍵かな?」


 ベッドに座った私が、手に持っていた蒼い鍵を本の鍵穴へと差し込むと、蒼い光が本の中から拡散して、オルゴールのようなメロディーを流しながら、開かれた本にホログラムが浮き上がる。


『物語から出て来た、王子様とお姫様みたい……もし、あの二人が兄妹じゃ無かったら、私は彼の心に、求めて貰えてたのかな?』


『君が劣等生でも、きっと彼は君を愛してくれるだろう。けど、守られるだけのお姫様じゃ、彼に見放されてしまうかも? 怖いよね? そんな中途半端で、本当に彼を好きだって言える? 君は彼に相応しくない。ねえ。今ならまだ引き返せるよ?』


『……そうなのかもしれない。私なんかじゃ……彼には……』


「えっ? これは、私?」


 其処には、ガラスの小瓶の中に閉じ込められた私が、先ほどの銀色の仮面に色々な角度から囁かれて、固まっている光景が映し出されていた。


 それはこの小部屋に辿り着く少し前に、私自身が体験した出来事で、自分が何をしなくてはいけないかの答えに、私は瞬時に辿り着いた。


「あの時の本は、過去の私からではなく、未来の私から渡されたモノだったんだ。でも、渡した後はどうなるんだろう? この本が無くなってしまったら、今の私はどうなるのかな?」


 私は本に視線を落として、過去の私の方を見つめた。過去の私と目が合って、本へと手を伸ばす過去の私の方へと、本を開いたまま立ち上がって歩き出す。


『やるしか無いよね? 私はこの先に進まなきゃ……ええいっ! 当たって砕けろだっ!』


 本を手に持ったまま、私がガラスの小瓶に触れると、ガラスの小瓶が粉々に砕け散って霧散し、私は過去の私へと、開いたままの本を差し出した。


「って……本当に砕けちゃった!? じゃ、無くって!」


 本を受け取った過去の私に手を広げて、未だ不安げな過去の私へと微笑を浮かべる。


「私は知ってる。貴方は、もう大丈夫だよ」


 両手を広げて、過去の私を抱きしめると、辺りは眩しい光に包まれて、出入り口の無い本の小部屋は、跡形も無くなっていた。


 私の手にあったはずの藍色の本は消えていて、本の代わりに、キーヘッドに、桜と羽のレリーフが施された、橙色、水色、藍色の宝石のはまる、白銀の鍵を握っていた私は、漆黒の中に佇んでいた。


『本当に真っ暗……これじゃ、次に何処にいけばいいか分からない』


 不安に駆られた私が、無意識に鍵を握りしめると、鍵が三色の強い光を放って、一点を指し示す。


「見つけたぞ……星の姫……ああ。憎い。憎しや。憎しや。星の姫。此処でお前の運命の糸を断ってやろう」


 右後方で、地から這い上がるような浮かされた声が聞こえ、銀色の鈍い光が不意に揺らめいて、私はその仮面から逃げ出そうと、鍵を握りしめたまま、光が差し示す方向へと走り出す。


 足は速い方では無い。何度か仮面に追いつかれそうになり、転びながら、私は必死に光の先を目指した。


 暫く走ると、真っ白で厚みのある、大きな扉が現れて、私の行く手は阻まれてしまう。


『ヤバイっ! 追いつかれちゃう!!』


 何枚もの扉が層になっているように見えるその扉を、慌てて押し開けようとするが、白い扉はびくともしなかった。


 焦りばかりが募り、闇雲に扉に体当たりをする私の元へと、じりじりと銀色が迫ってきて、私が目を閉じると、闇の両脇から、白い影と、黄色の影が飛び出してきた。


「星の樹が消失するまでに、もうあまり時間がありません」


「さっさと本を完成させなさいよね。そして、絶対にプロキオンも起こして連れて帰って」


 姿は見えずとも、聞き覚えのあるその声の主たちを確認しようと、私は視線を動かして、闇の中を窺う。


「此処は私とポルックスがなんとか致します。姫は先をお急ぎください」


「カストル。私達はずっと一緒だよね? 三から一に戻っても、もう、離れ離れにはならないよね?」


「はい。私達としての意識が消失したとしても、私達は一つです。さあ、最期の仕事を済ませ、主の元へ参りますよ。きっと主の友人たる姫ならば、朝を届けてくれるでしょうから」


 影としてしか認識できず、声だけが聞こえる二つの光が手を繋ぐと、黄色の影の目元から、黒真珠が零れ落ちて、二つの光が一つに重なり、一瞬だけ、一人の影の人型を模して、花火のように砕け散った。


 その双子座達が生み出した欠片が、レースのカーテンのように揺らめいて、風に流される砂のように消えていく。


 迫りくる仮面に追いつかれそうになったところで、流された欠片の一部が扉に鍵穴を形作る。私は、持っていた鍵を咄嗟に差し込んだ。


 カチッと金属音が鳴ると、目の前の扉がふっと消え去り、扉を押していた私は、その力に逆らえないまま、前のめりに扉の中へと転がり込んでしまった。

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