第23話 星姫と月彦

『確かシリウスの部屋には、私の部屋から繋がってたはず』


 私は図書館内での自分の部屋の位置を思い出すようにして走る。本や装飾、ガラスの破片が散らばる、薄暗い図書館の中は肌寒く、底へと降りて行くらせん階段は、黄泉へと続いているようで、一人きりの靴音が私の恐怖を煽る。


「寒い……月の裏側って、こんな感じかな?」


 改めて、皆の声や体温に頼り切っていた事を思い知り、情けない気持ちになった私の視界が不意にぼやけ、ポツリと床に染みを作った事で、私は自分が泣いてしまっている事に気が付いた。


「また泣いているの?」


 気配も無く、突然聞こえた声に私が振り返ると、其処にはプロキオンの姿があり、不安と恐怖に押し潰されてしまいそうになっていた私は、彼へと駆け寄った。


「プロキオン君! 無事だったの? 小犬座の部屋で消えちゃったから、何処に行ってしまったのかって」


「君は何処までお人好しなんだ……ボクは君に、あんなに酷い事を言ってしまったのに」


 彼の冷たい指先が、私の頬の涙を拭って、そっと私を抱き寄せる。


「兄さんのように、温かな指先じゃ無くてごめんね。兄さんの願いを叶えて、兄さんと君に、きちんと許して貰おうと思ったのに……ボクの弱い心は、闇に飲み込まれてしまった。いつまでボクでいられるか……」


 か細く呟く彼の体は、所々透けていて、今にも闇の中に掻き消えてしまいそうだった。


「いつまで手伝えるか分からない。とんでもない羞恥を晒して、兄さんの図書館をめちゃくちゃにして、唯一誰にも言えなかった秘密まで暴かれてしまった。けどボクは、友達の君との約束を守って消えたいんだ。ボクの贖罪を自分で果たす。同行を許してくれる…かな?」


 感情の起伏が少なかったイメージのプロキオンだったが、今、目の前に居る彼の言葉には、何かが吹っ切れたように、しっかりとした決意と熱を帯びていて、私は、伝えたい言葉を飲み込んで頷いた。


「……兄さんの本には、君へのメッセージが込めてある。正直に白状してしまうと、ボクは兄さんの事故当時、そのメッセージに気付いて、嫉妬に駆られ、ボクの中の闇を呼び出してしまったんだ。兄さんを巻き込んでしまうなんて思いもしなかった。あんな事になるなんて……ボクの……ボクのせいで」


 プロキオンが苦しそうに低い声で呻くと、罪に震える彼の体が立ち消えてしまいそうになり、私は彼を引き止めるように抱き締めて、彼の背を撫でてやる。


「大丈夫。貴方の体が闇に眩まされてしまわなければ、きっとお兄さんとまた話せるよ。貴方が消えてしまう前に、今は私がこうして引き止めてあげるから。だから、お願い。まだ、行かないで」


 器を無くし、剥き出しの彼の体はとても繊細で、少しの刺激でも、その形が崩れてしまうのだろう。何とか意識を繋いでいる彼が、また何処かへ行ってしまわないように、小さな彼の手を繋いで、その手を包み込んで、彼を見つめた。


「そう……だね。ちゃんと兄さんに、ボクが謝るんだ。ごめん。ベガ。ありがとう。もう少し、せめて兄さんのメッセージが全部集まるまでは」


 胸元で手を握り込み、自分に言い聞かせるようにするプロキオンが、もう一度顔をグッと上げて、私を見据えた。


「ボクがめちゃくちゃにしてしまった図書館内は、部屋の配置が変わってしまっているんだ。だから、今の図書館内を闇雲に走っても、望む部屋には辿り着けない。けど、兄さんの本のメッセージが君を導いてくれるはずだ。ベガ、本の裏表紙を見て?」


「三角形?」


 私が本の裏表紙を見ると、藍色の本には、星屑が散りばめられたようになっており、三つの穴が、三角形に並んでいた。


「そこにまだ天の川は無いよね? じゃあ、ベガ、春から始めよう」


 一瞬、プロキオンの言葉の意味が分からなかったが、本の裏表紙を眺めていると、それが夜空に見えて来て、私は思わず呟いていた。


「春の大三角形? アークトゥルス?」


「そう。星座の本をよく読んでいた君には、きっと分かるだろうと、兄さんは思ったんだろう。アークトゥルスの先端の方角へと進んでみよう」


 本の裏表紙の三角形の指す左側の廊下へと入ると、橙色の灯篭が道を照らして、徐々に暖かくなって来た。辿った先には牛飼い座の扉が現れて、私が触れると、簡単に中に入る事が出来た。


 プラネタリウムの天井のように星々が輝く薄暗い部屋に、牛飼い座が輝いていたその部屋は、今では青空が広がっており、満開の桜の上に、白い鳩が羽ばたき、高い位置に橙色の星が一つだけ輝いていた。


「青空なのに、あんなにはっきり星が見えるなんて」


 私が不思議がっていると、羽ばたいていた一羽の鳩が、その星へと向かい、嘴に、橙色の桜を一輪くわえ、此方へと寄って来た。その一輪を私の持つ本に載せて飛び去って行く。


 一連の行動を呆然と見送っていると、本から橙色の光が放たれて、アークトゥルスの位置に、橙色の宝石が光り、牛飼い座の部屋があったはずのその場所は、図書館の本棚に戻っていた。


「これで、完全にこの世界の彼の物語は終幕を迎える事が出来た。ベガ、裏表紙を捲ってみて?」


 私がプロキオンに言われた通りに、裏表紙を捲ると、オレンジの光で文字が浮かび上がって来る。


『きみが おれを わすれても』


「大切な人に自分が忘れられてしまった事を認めるのは、とても勇気がいるだろう? 同時にこれは、相手の変化なんだ。アークの願いは、臆病な自分から変わること、そして、勇気で一歩踏み出す事。これは、君のお陰で叶える事が出来た。彼にアークトゥルスの仮面が与えられたのは、彼の本当の願いが、自分の変化と勇気だったからだ」


「それじゃあ、他のメッセージも、それぞれの物語に紐付けられてるの?」


「今回は、アークトゥルス以外の春の三角形の席は空席だ。ああ。天の川が現れたね。次は夏の部屋を探しに行こうか」


 頷いたプロキオンの透けていた足元が、一瞬闇に掻き消えた気がして、私は彼の足元をもう一度確認した。


「ベガ。よそ見をしないで。もう一度裏表紙を見て。次の部屋への道標が示されているはずだよ」


 焦っているのだろうか。私を急かすような彼の指示通りに、裏表紙を見ると、確かに三角形の下に、くっきりと天の川が現れており、オレンジの宝石の光が弱まっていた。


「これからどうすれば……?」


 尋ねかけたが、本の裏表紙の星空が水面のように揺らいだ気がして、私が三角形に触れると、指先に水が纏わりつくような感覚を覚え、私は一度、慌てて裏表紙から手を離す。


 しかし、確かに三角形には手ごたえがあり、私はもう一度三角形へと指先で触れ、一度だけ光った気がした本の上部の方角へと、アークトゥルスの止まっていた先端を回した。


 すると、カチリと小さな音が鳴り、本の上部方向の本棚へと水色の光の道が伸びて、本棚だった場所が、重そうな音を立てて、道をひらく。


 水色の光の道を辿って行くと、目の前に現れたのは琴座の扉で、私が開くと、私のその部屋には、ポツポツと雨が降り出していた。雷雲が少しずつ近付いて来ているようで、遠かった雷鳴も少し近くなっているようだった。


「ベガ? アルタイルは?」


 古木の下で、さきほど別れたアークと、物言わぬ少女、仮面の双子が、此方を見つめているが、一緒にいるはずのプロキオンの姿は、彼等には見えていないようだった。


「ごめんなさい。さっき、小犬座の部屋に一緒に行った時に、アルタイルは、氷の扉に吸い込まれてしまって……彼にだけ歌が聞こえていたようなの。今、彼を助けるために本のメッセージを集めてたんだけど、迷っちゃって。途中で会ったプロキオン君に助けて貰って、この部屋に戻って来れたの」


 私の後方にアークの視線が向いたが、彼は俯いてゆっくりと首を振った。


「悪ぃ。今は俺には見えねぇみたいだ。けど、其処に居るんだよな?」


 私が頷くと、アークは大きく息を吐き出して、私の後方を睨み付けながら、濡れてしまっている髪を掻き上げた。


「おい。ツキカ。流石に怒ってんぞ。皆巻き込んだ挙句に、セイヤ兄ぃの図書館めちゃくちゃにして、一人で抱え込んで、勝手に終わらせようとかしてんだろ? お前等すっげぇ似た者兄妹だからな。お前の贖罪とか、昔の想いとか、はっきり言って、俺には全く無関係なんだわ」


 今まで聞いた事が無い位の低い声で、ハッキリとした怒りを滲ませるアークの声色に、思わずといったように私にしがみ付いて来る小さな手に、私も手を重ねて、彼の言葉に息を飲む。


「ベッドの上のセイヤ兄ぃは死んでねぇんだぞ。皆で、こっからセイヤ引きずり出して帰るんだろ? 本当に悪いって思ってるんなら、ちゃんと本人に面と向かって謝るのが筋だろうよ。死は、被害者への救済措置なんかじゃねぇんだ。勘違いして逃げてんじゃねぇ!」


 いつにもなく、厳しい物言いをするアークの言葉は、逃げてばかりの私にも突き刺さって、萎縮しそうになってしまったが、後方のプロキオンはそうでは無かったようで、彼の口角は僅かに上がっていた。


「お綺麗な顔グシャグシャに濡らしてでも、這ってでも戻って来い。お前が居ない日常には、俺は戻る気はねぇぞ。天女だか何だかの思い通りになってるんじゃねぇよ。お前はそんな妖なんかにどうこう出来る女じゃねぇだろ? 俺は、いつも綺麗で凛としてる、お前の強さを信じてる」


 アークの言葉を最後まで聞いたプロキオンは、戸惑ったように息を吐き出して、アークの方を見つめていた。


「信じてる……か。根拠も無く信じられても困ってしまうね。けど、好意を寄せている相手に、信じて貰えるのは悪くないかもしれない。ベガ。ボクが纏うこの闇からの脱出は、まだ、間に合うかな?」


「貴方が一人きりで頑張ろうとしなければ、きっと大丈夫だよ。皆が居るから」


「そうか。ありがとう」


 私の言葉に、何処かホッとしたような表情を浮かべたプロキオンは、雨空を見上げる。彼の体の下半身部分は、もう私にも認識出来なくなってきていた。


「ありがとう。だって」


「……素直に言われっと、なんかムズムズするから、早く憎まれ口叩く位ぇまで復活しろよ。プロキオン」


 私がプロキオンの言葉を伝えると、アークは少し照れ臭そうに呟いて、プロキオンと同じように雨空を見上げていた。


 見えなくても繋がっているような、そんな二人の絆を感じて、私もふっと肩の力が抜けると、雨空から一粒だけ、青白くチカっと光った雫が落ちて来て、私は其方へと手を伸ばした。


 雨粒をキラキラと纏い、私の掌に着地したその光の正体は、白く小さな花が集まった、赤ちゃんの吐息を思わせるように可憐な姿をした一輪だった。


 さっきの部屋で鳩がしてくれたように、私が、ベガの位置にその花を載せると、柔らかな青白い光が拡散して、ベガの位置には薄い水色の宝石が輝き、開いた裏表紙に、青白い光で文字が浮き上がった。


『いまは まだ ちいさな きみへ』


『きみが おれを わすれても』


 浮かび上がったメッセージの意味はまだ分からない。けれど、手書きのその文字はなんだか優しく、私の頬は自然と緩んでいた。


 雨空から落ちて来た宝石のような花を見たアークが、本の裏表紙を眺める。


「なんかお前の本、色々魔法が掛かってんな。どれもお前の心の中の本棚みたいだ。鮮やかな沢山の物語で、虹色だ。お前ならこの雨、止ませられるんじゃねぇか? 雨の後に架かるのは、いつだって虹だしな」


 アークに言われ、その言葉の前向きな響きに勇気づけられた私は、大きく頷いた。


「うん。ありがとう。なんだかアークに言われると、そんな気がするから不思議だね」


 彼に以前、私が言われて嬉しかった言葉を返してみると、一度瞬いた彼は、歯を零して、はにかむように微笑んでくれた。


「夏の星座はもう一つ。そのまま、アルタイルが示す方角へ向かおう」


 アークの言葉と笑顔に背を押されて、プロキオンの促しに応じ、私はアルタイルの星座の示す先へと向かって行く。


 アルタイルの部屋へと向かう廊下は、光の絨毯を敷き詰めたようになっており、よく見るとそれは、沢山の星々の、豊かな光で彩られていた。


「綺麗。天の川みたいだね」


「そうだね。ミルキーウェイだ」


 夜空を歩いているような不思議な感覚が面白くて、私の足は、自然と早足になっていた。辿り着いた鷲座の扉は、その重厚感を感じさせず、夜空に浮かんでいて、その現実世界ではあり得ない違和感に、脳が錯覚を起こしそうになる。


 手を伸ばしてみるが、その入り口は私達の歩いている場所よりも遥か上空にあり、時折流れる流れ星と、川のような星々が行く手を阻んで、届きそうに無かった。


 目の前にあるのに、手が届かない。それは、私と彼の関係のようで、チクリと痛んだ胸が、私の諦めを誘っているようでもあり、また心が萎みそうになってしまう。


『もう一度、夢から醒めた世界で、君と心を通わせるチャンスを、俺に貰えないだろうか?』


 俯いた私に、彼の声が聞こえたような気がして、私が周囲を見渡すと、大きな白鳥が、足元を飛び交っているのが見えた。


「ベガ? 何をするつもり? まさか……」


 少し恐怖を感じはしたが、戸惑い、声を上げたプロキオンに背を向けて、私はミルキーウェイの端から下を覗き込んで、タイミングを合わせて白鳥の背に飛び降りた。

 驚いた白鳥が夜空を暴れ、振り落とされそうになるが、私は必死でしがみ付いて、白鳥の首に腕を回し、白鳥をなだめるように首元を撫でる。


「驚かせてごめんなさい。けど、貴方が七夕伝説の白鳥なら、私をアルタイルの扉の中へ連れて行って。私は彼を、どうしても取り戻さないといけないの。彼は私の運命の人だから。絶対に諦めたく無いの。ちゃんと再会して、きちんと気持ちを伝えたい。もう、決めたから。だから、お願いっ!!」


 私の必死の願いに反応したのか、白鳥が甲高い声で一度鳴くと、天の川を突き抜けて、アルタイルの扉へと飛翔してくれる。驚きを隠せず、固まってしまっているプロキオンの手を引いて白鳥へと乗せると、私達はアルタイルの扉を目指す。


「し、心臓が止まるかと思った。君に何かあったら、ボクは今度こそ、兄さんに許しては貰えない。頼むから、無茶をしないでくれ。君、そんなキャラじゃ無かっただろ?」


「ご、ごめんなさい。けど、どうしてもセイヤさんを取り戻したくて……」


 今までの私ならば、絶対にしないであろう、我ながら突飛すぎる行動だったかもしれない。今更震えだす私を見て、彼は大声を出して、初めて私の前で笑ったのだった。


「あははっ! 君、震えてるじゃないか。そんなに怖いなら、止めておけば良かったのに。けど、君はちょっぴり強くなったみたいだね」


 その時、プロキオンの持っている本が光り出して、突然物語を紡ぎ出す。


『感情の暴走で、タガが外れたベニボシは、呪いに飲まれた体で、ミルキーウェイの迷宮で迷うアヤボシの道標となった。確かになった二人の絆は、ベニボシの闇に少しの光を灯し、彼女の体から飛び出した二つの欠片は、ベニボシへと還る。感情を取り戻した彼女は、贖罪の羽を生み出して、果たすために天女に眠る。ムギボシの声を胸に、羽化の朝を待ちわびながら――。 了』


 プロキオンの本が終幕を示唆すれば、彼の仮面が硝子のように砕け散り、破片が彼の体を取り巻くように渦巻いて、彼の顔を確認する前に、そのまま闇に攫って行ってしまった。「あ、り、が、と、う」声にならない彼の声が、唇だけで伝えられ、掻き消えた彼の空間には、灰色の羽が揺らめく。


 羽は陽炎のように立ち消えて、私の本の表紙の桜の上部に、一枚浮かび上がった。刹那の静寂の後、白鳥の羽ばたきだけが聞こえる空間はもの悲しく、唇を引き結んだ私は、胸元の本を抱きしめた。


 上空の扉を睨み付けるようにして、白鳥の背から飛び上がれば、扉に指先は掛かるものの、僅か届かず、足場の白鳥は飛び去って行ってしまう。


「くっ……」


『星の道が無い、この漆黒に落ちてしまったらどうなるんだろう』


 扉から水が染み出して来て、驚いた私は、大切な本を取り落しそうになり、慌てて下を覗き込んだ。足元には、深い漆黒が広がっている。


 漆黒の底で、小さな青い光がチカリと瞬いて、気を取られた私の腕から、抱えていた本が滑り落ちてしまう。


 私はアルタイルの部屋の扉から手を離して、本に手を伸ばし、必死で本を引き寄せた。本と一緒に闇に飲み込まれていきながら、浮かび上がるスクリーンで、私はそれぞれの物語と、自身の過去の記憶を眺めていた。


 過去の私の記憶を通り過ぎる度、私の体も時を遡って小さくなっていき、温かな水のゆりかごに揺られて、ウトウトしていると、逞しい腕に引き上げられていた。


「ホシヒメ。折角今年は私が会いに来たというのに、君はマイペースに居眠りか? 年に一度の逢瀬だというのに、恋焦がれて待ちわびていたのは私だけのようだな?」


「そ、そんな事はありません。ツキヒコ様。念入りに湯あみをしていただけで……」


「ふっ。そうか。念入りに……な?」


 目の前に居る、良く知っている彼が、組紐で縛った銀色を後ろへと流して、艶っぽい笑みを浮かべて、赤くなってしまった私は、慌てて首を振る。


 違う名前を呼ばれているはずなのに、私の口は勝手に動き、愛しい彼の名前を呼んでいた。


 星姫の中の私と、月彦との目が合うと、僅かに口角を上げた彼が、星姫の私を引き寄せて、重なった唇から、熱が注ぎ込まれる。


 脳がとろけてしまいそうな甘い痺れと快感が全身を駆け巡り、星姫の記憶が、私のモノとして急激に流れ込んで来て、流されそうになった私は身を捩る。


 体中から力が抜けて、腹部がじんわりと温かくなり、無意識に腹部に触れた私の手に、彼の大きな手が重なり絡められると、いつの間にか私は、白と蒼の、二つの小さな鍵を握り込んでいた。


「ホシヒメを抱く子孫殿。地上で悠久の時をさ迷う母上を、故郷へ帰してやってくれ」


 余韻から、ぼんやりと二つの鍵を眺める私の耳元に、唇が掠るほどの距離で囁いた彼の藍色が、穏やかに細められる。


『私達は天人だが、長い年月を経れば、私達の子孫が、人間と恋をする事もあるのだろうな』


『ツキヒコ……様……?』


『大事ないホシヒメ。そんなに不安そうな顔をするな。ああ。今日は夜空が美しいな。お前と二人で見るこの夜空も、遥か遠くの未来へと、きっと繋がっているのであろうな――』


 腰を抱く腕から解放されると、二人の声と姿が遠くなって、私の体はゆっくりと、また闇の底へと沈んでいった。

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