第19話 星祭(二)

 神社へ続く参道への道の両脇から、商店街沿いの道路まで。たこ焼きやりんご飴、かき氷。綿あめにイカ焼き。金魚すくい、射的にくじ引き、お面に、ヨーヨー、スーパーボール釣り。光る腕輪にうちわ、ペンダント。水笛等の屋台が並んでおり、先の川沿いでは、花火も上がっている。


 商店街の中にある、足湯がある広い公園の広場には、やぐらとステージもあり、その周囲とやぐらの上、商店街の通りでは、星絹の帯を身に着けた子ども達が、和紙の灯篭を掲げて踊る、幻想的な風景が広がっていた。


「星祭だ。とっても綺麗……」


 行き交う人々が、星座の仮面を身に着けている以外は、私の良く知っている星祭と、何も変わらない光景がそこにはあって、星座の仮面の人々の口許は、皆楽しそうに、穏やかに笑っていた。


「そうだね。本当に、あの夜のままだ……」


 ポツリと、声を落としてしまったプロキオンの呟きを拾ったアークが、明るく彼に笑い掛けて、彼の手を取った。


「しょうがねぇから、迷子にならないように、今日は繋いどいてやるよ。ほら、こんなにリアルなんだから、屋台にも寄れると思うぜ? まず何が食べたいよ?」


「だから、ボクはそんなに子供じゃないと言ってるだろう。それは食べ物限定なのか? そうだな。それじゃあボクは、たこ焼きが食べてみたい。もちろん君のおごりなんだろう? アークお兄ちゃん?」


 悲しげに俯いていたプロキオンだったが、アークの言動で顔を上げて、彼の言葉に乗るように笑みを浮かべる。


「あ、そういや、此処の通貨、どうなってるんだ?」


「あっちと変わらない。今日は特別に、俺が皆に小遣いをやろう。無駄遣いするなよ?」


 アークとプロキオンのやり取りに、安心したように、シリウスが息を吐き出した事に私は気が付いた。僅かでも、妹の感情が表に出ている事を、喜んでいるようだった。


 差し出された通貨は、現実世界と何も変わらず、外に持ち出すと、通貨以外も、この世界で手に入れた物は消えてしまう。と、いう説明を受けてから、私達は星祭を回りだす。


 不思議な事に、屋台で食べる物も、品物も、なんら現実世界と変わりなく、私達は祭りを楽しむ事が出来ていた。最初に食べ物の屋台を回った私達は、公園の足湯に浸かって、買った物を食べている。


 肌がしっとりする温めの湯が、サラサラと足を撫でる感覚は、歩き回った足に、とても心地よかった。


「だからさ、たこ焼きっていうのは楊枝で刺して、一口で食べるモンなんだって。ほら、こうやってさ。あひっ(熱いっ)」


「だって、熱いんだろう? ほら。すごく熱そうだ」


「それがいいんだよ。熱い方が美味いって」


 箸を使ってたこ焼きを食べようとするプロキオンに、アークがたこ焼きを食べる手本を見せて、試してみたプロキオンが、熱そうに口許を押さえる。


「そうそう。あ、ソース付いてる」


 指でアークに口許を拭われた事に慌てたのか、急いでハンカチを取り出したプロキオンは、自分の口許を拭った。


 いつも世話を焼かれているアークの方が、プロキオンに世話を焼いている光景は、兄弟のようで微笑ましく、私はリンゴ飴を舐めながら、穏やかな気持ちで二人を眺めていた。


「その飴、綺麗だな?」


「うん。パリパリしてて美味しいんだよ。シリウスは食べた事ある?」


「いや、無い。ゆっくり祭りを回れた記憶が俺には無いんだ。両親とも、とても忙しい人達だったからな」


 光の当たり具合で、時折キラリと輝くリンゴ飴を眺める彼の視線が、もの珍しそうにリンゴ飴を見ている。


 彼の興味津々な様子がなんだか可愛くて、私が「食べてみる?」と、リンゴ飴を、私より座高の高い彼へ差し出すと、彼が遠慮がちに、上から飴の端っこを齧った。


 睫毛を伏せて近付いて来る彼の顔に、古木の下でのキスを思い出してしまった私の体温が一気に上がって、私は慌てて立ち上がる。


「し、シリウス。金魚すくい行こう!」


「随分と急だな? 俺は構わないが」


 余裕の笑みを浮かべる彼に、心を見透かされているようで、急に恥ずかしくなってしまった私は、胸元を押さえ、小走りで金魚すくいの屋台へと向かった。


 屋台のオジサンに代金を払って、金魚をすくおうとした私が、全く上手くいかずがっかりしていると、隣からシリウスが、私の代わりにオジサンからポイを受け取った。


 シリウスがやってみるも、水面に反射する影に気付いてしまうのか、ポイを近づけると、金魚達は、すぅーっと、逃げてしまうのだ。


「これ、結構難しいんだな」


「兄ちゃん下手だねぇ。金魚は意外と繊細なんだよ。追いかけるばかりじゃなくて、優しく迎え入れないと」


 屋台のオジサンの言葉に、少しムッとしたのか、いつもの彼らしくなく、ムキになって何度も金魚すくいに挑戦する姿は、やはり何処か可愛くて、甘い切なさが胸の中を満たしていく。


「おーい。こっち、食い終わったぞーー!」


 沿道の向こう側から呼ばれる声に振り返ると、アークとプロキオンが、此方へ渡ろうとしていた。


 その時、笛の音が聞こえて来て、私達の目の前に、空っぽの移動神楽(いどうかぐら)が止まる。


 移動神楽が空の理由に、直ぐに思い当たってしまった私が、神楽を目の前にして立ち止まってしまうと、金魚すくいの屋台から向き直ったシリウスも、少しだけ驚いてしまったようだった。


「この街に、どうして他には無い、移動神楽。なんてモノが存在しているか、お前は知ってるか?」


 移動神楽を前に、私が首を振ると、私から視線を神楽に戻したシリウスが、ゆっくりと話し出す。


「江戸の初期、まだ天桜市(てんおうし)が天桜町(てんおうまち)と呼ばれていた時代、月食を切欠に、川と共に生きて来た天桜町に、洪水が頻発した時期があったんだ――」


『昔々、星の雫から生まれた、穏やかな川の女神の星姫(ほしひめ)は、水を汲みに降りて来た、凛々しく美しい山の神。月彦(つきひこ)に出会う。一目で恋に落ちた二人は、急速に仲を深めていく。しかし、それを快く思わない女神がいた。嫉妬深い月の女神、艶月(あでづき)だ。彼女は息子の月彦を溺愛していた』


『二人の仲に嫉妬した艶月は、ある日深い闇で、月彦の姿を隠してしまう。月彦と会えなくなってしまった星姫は、嘆き悲しみ、三日三晩泣き続けた。彼女の涙で川の水位が上がり、彼女の悲しみが伝わった天上の星々も、雨となって地上に降り続いた』


『町の河川はことごとく氾濫し、その被害は甚大だった。困った地上の人々は、月の影が消えないならば、艶月に分からないように、月彦と星姫に逢瀬をさせ、この洪水を収めようと考えた。星姫の父である天星(てんせい)も、天上から沢山の星々が、下界に降りる事に困り果てていた』


『そこで天星は、外からは中が見えず、けれども二人に相応しい、美しい布の織り方を地上の人々に伝え、星姫の嘆きが治まったあかつきには、艶月に二人の婚姻を認めさせる事を約束した。地上の人々はそれを見事に織りあげる。これが、この街の伝統工芸品の織物、星絹だった』


『移動神楽を星絹で覆って、中を覗かれても、艶月には決して分からないよう、街の若い男女を、星姫と月彦の仮の依り代として、移動神楽で静かに運んだ。月彦に星姫の存在を知らせるため、軽くて扱いやすい紙灯篭を川に見立てて掲げる事で、星姫の来訪を知らせる術としてな』


『特殊な製法の織物を準備して、移動神楽を作成するには、一年は掛かるそうだ。雨が増える七夕のこの時期に、年に一度、二人の逢瀬のため、祭りをするようになった。それが天桜市版の七夕伝説。この街の星祭の始まりなんだ』


「この祭りをするようになって、天桜町の水の災害は収まり、地上の人々は更なる発展を得る。治水がされて随分と洪水も減ったが、ホシヒメの嘆きと、星絹を与えてくれたテンセイへの感謝を忘れないため、慣習に従って、この街の人々は、この祭りをずっと守り続けて来たんだ。まあ、今では有名な七夕伝説とごっちゃにされて、天桜市版の七夕伝説を知る人は、ほぼ居なくなってしまったけどな」


「そうなんだ? 私も知らなかった。どうしてシリウスは、その伝説を知っているの?」


「ホシヒメ、ツキヒコに選ばれたら、座学として勉強するんだ。本当の伝説を知っていた方が、舞にも表現力が増すって考え方らしい」


 天桜市で、長年愛され、守られて来た星祭の始まりを知り、私が感心したように頷くと、シリウスが、空の移動神楽に上がって、私の方を向く。


「ねえ。貴方が事故でツキヒコの役を出来なかったのは知ってるけど、どうしてこの神楽に、ホシヒメも居ないの?」


 私が、ふと浮かんだ疑問を口にすると、彼は口許に笑みを浮かべて答えてくれた。


「星祭の相手役は、お互い当日まで知らされない。アデヅキに見付かって、邪魔をされないように。との、配慮らしい。当日、ツキヒコ役を演じられなかった俺は、相手が誰だったか知らないんだ。此処は、俺の記憶から再現されている世界だしな」


 シリウスの言葉に、舞手同士のジンクスを知る私は、不慮の事故に遭ってしまった彼には申し訳無いが、ホッとしてしまっていたのだった。


 顔に出てしまっていたのか、シリウスが悪戯っぽく片側の口角を上げて、私へと手を差し出し。


「舞えるかオリナ? お前が俺のホシヒメになってくれるんだろう?」


「お客さんとしてしか見た事無いから、私、分かんないよ」


「男舞と、女舞の対の舞だ。一人では舞えない。他の誰でもなく、俺はお前がいい」


 戸惑って首を振る私は、手を伸ばせないでいたが、シリウスから真っ直ぐに見つめられ、きっぱりと告げられた事で、彼の手を取った。


 強い力で、移動神楽の上に引き寄せられると、再び雅楽の音色が奏でられ、恭しく礼をするシリウスに合わせて、私もぎこちなく礼を返す。


 観客としてしか見た事が無い、星姫、月彦の舞を思い出しながら、私は、引き裂かれてしまった恋人達の物語に思いを馳せた。


 星姫、月彦の出会いから、この舞は始まり、急速に仲を深めた二人が引き裂かれ、地上の人々の協力で、秘密の逢瀬を重ね、絆を深め、最終的に結ばれるまでを、シリウスが話してくれた物語を辿って綴られる。


 一つ一つの舞や動きに、二人の感情が乗せられ、時に切なく、時に情緒的に、相手を深く想いあう二人の物語は、舞手の力量や表現力によっては、多くの人の涙を誘う事もある、そんな美しい舞なのだ。


 自信無く、ぎこちなく舞う私を、シリウスが丁寧にリードしてくれ、物語の終盤に向けて、音楽も盛り上がりをみせる。私は何とか最後まで舞う事が出来た。


 いつの間にか物語の世界へと入り込んでしまっていた私へと、アークとプロキオンが拍手を送ってくれ、気付けば集まった仮面の住人達からも拍手を貰ってしまっていた。


 急に恥ずかしくなってしまった私が、移動神楽から降りようとすると、先に降りたシリウスが、私の腰元を支えて、神楽の上から降ろしてくれた。


「お前が思っているより、上手く舞えていたと思うぞ?」


「ううん。自信無いよ。でも、シリウスが一緒に舞ってくれたから、楽しかったかな。ありがとう」


 私がシリウスに礼を言うと、アークとプロキオンが、沿道の向こう側から駆け寄って来た。


「ベガ。凄かったな。よく、ぶっつけ本番であそこまで出来るよな。緊張とかしなかったか?」


「私が神楽に上がった時は、まだ誰も居なかったし、シリウスが話してくれた、星祭の由来の話で頭が一杯だったから」


 いつもならば、緊張で固まってしまいそうな場面だったが、シリウスが居てくれたからなのか、私は不思議と緊張を感じてはいなかった。


「あ、現実では無ぇとはいえ、ホシヒメベガの相手役取られた。ジンクス、流石にこの世界まで有効じゃねぇよな?」


「どうだろうな?」


「何か、おいしいとこばっかりお前に持ってかれて悔しいんだけど。よし、シリウス。勝負しようぜ。あれで」


 そう言って、アークが指さす先には、射的の屋台があった。「いいだろう」と、浴衣の袖を捲り、二人が屋台へと駆けて行く背中を見送りながら、私は穏やかな気持ちで、プロキオンを見た。


「男の子って、なんだかいつまでも子供っぽいとこあって、可愛いよね?」


 プロキオンに話し掛けると、彼はその背中を見送りながら、冷たい声音で、一度私を一瞥する。


「星祭の伝説が、実は伝説では無いとしたら。ベガ、君はそれを信じるかい?」


「えっ?」


 私の疑問に満ちた声は、拾われる事は無く、プロキオンは私を置いて、先に行った二人の後を追いかけていく。


 私はその場で立ち尽くし、気のせいだと自分に言い聞かせ、慌てて彼等の後を追うのだった。


 辿り着いた射的の屋台では、既にアークとシリウスの勝負が白熱しており、屋台のオジサンが楽しそうに、忙しく景品の補充をしながら、中々決着のつかない、二人の勝負の行方を見守っていた。


 並べられた景品の中に、夜空の中に花畑を閉じ込めたような、二つの鍵穴のデザインが施してある、綺麗なペンを見付けた私は、妙にそのペンに視線を惹き付けられ、気付けば見つめてしまっていたようだった。


 乾いた、パンッという音が響いたかと思うと、視界からいつの間にかペンは消えていて、笑顔のオジサンが手を叩いていた。


「今の、俺だったよな!」


「いや、俺だっただろう? どっちだ店主?」


「ほぼ同時だったからねぇ。これが最後の景品だ。どっちのお兄ちゃんが受け取るんだい?」


 屋台のオジサンが首を振って、先ほどのペンを二人へと差し出した。受け取ったアークが、私へとペンを差し出す。


「これはお前のだぜベガ。俺もシリウスも、ベガの視線に気付いて、これを落としたんだからな」


 アークからペンを受け取り、私が胸元にしまうと、少し不服そうに私達を見ていたシリウスが、柔らかな表情で頷いた。


「あ、ありがとう。そんなに物欲しそうにしてたかな?」


 私が首を傾げたその瞬間、大きな雷の音がして、私達は、花火かと川辺へと視線を送ったが、川辺の花火は、相変わらず穏やかに空を彩っているだけだった。


「ああ。穏やかな時間は、残念ながら、もう終わりのようだな」


 不意に険しい顔をしたシリウスが、花火の向こう側の夜空をじっと見つめて呟くと、シリウスの姿はアルタイルへと変化していた。

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