第20話 アルタイル
古木の丘の上の、アルタイルの部屋に戻った私達の星絹(ほしぎぬ)の浴衣は、元の服装に戻り、祭りの思い出の品は、夢のように解けて、消えてしまっていた。
遠くで不意に、タポンっと、水音がさやいだ気がして、私はそちらを振り返る。
「あれ? プロキオン君は?」
さっきまで一緒に居たはずの彼の姿も、魔法のように消えており、私とアークが彼の姿を探すと、アルタイルは、無言で古木へと近付いた。
アルタイルが古木に歩み寄り、その幹に触れると、夜空に浮かんだ私達五人の星座が一斉に空に輝き、一部の星々を残して、流星群となって古木へと降り注いだ。
その星屑達は、黄金色の桜の花びらを模して、アルタイルの本を、金糸で彩っていく。
『激しい衝撃に、体を引き裂かれたシラホシの意識は、赤く深い深淵へと沈み、ゆっくりと熱を奪われていった。意識が遠くなっていく過程で、愛しい少女の悲痛な叫びを聞いたシラホシは、対岸の闇に気が付いた。アヤボシを守ろうとしたシラホシは、彼女との、大切な記憶と約束を仕舞い込み、闇に見付からぬ星の樹へ、鍵として封印する』
『本の守り人として、共有者を生み出したシラホシは、アヤボシとの再会を願いつつも、闇の脅威に彼女が巻き込まれてしまう事を恐れ、本に守護の力を付与し、再生させるために、人々の願いの力を集め出す』
「封印? 私の記憶が曖昧だったのは、もしかして貴方が?」
「そうだ。本来の彼女の筋書きならば、あの星祭(ほしまつり)の夜に、事故に遭うのは君だったようなんだ。だが、俺が君を庇う事は、きっと想定外だったのだろう。闇を纏う彼女は、その場を一度去ったが、君をまた狙って来るだろうと思った。君を危険に晒す位ならば、いっそ記憶と約束ごと、俺の存在を君から無かった事にしてしまえば、何も知らない君の日常を守れると思ったんだ」
全く心当たりの無い脅威から、知らずに守られていたと知った私は、複雑な気持ちでアルタイルを見つめる。
『幼いアヤボシに、本を贈る約束をしたシラホシは、寝食も忘れて、彼女への本を完成させる。込められた想いが強い力を持ち、シラホシの本には、願いを叶える力が宿る。川の濁流に飲まれ、二つに裂けた本からは、宿った力が逃げ出していく。願い星を捕まえるカゴを、星屑が集まる古木へとシラホシは創った』
「まあ、俺の本心はそうでは無く、未練たらしく君に可能性を残して、本の再生のために、こんな世界を創ってしまった訳だが」
「ベガを狙った犯人に、心当たりがあるって事だよな?」
「恐らくは」
アークが確認するように尋ねると、アルタイルは、自信無さげに頷いた。そんな私達のやり取りを横目に、物語を夜空に展開しながら、時を止めていたアルタイルの本は、現在から過去へと、ゆっくりと時間を遡っていく。
『彼女の涙を止めたい衝動に駆られ、シラホシは、本好きな彼女のために、慣れない道化を演じてみせた。アヤボシに笑顔が戻って来れば、シラホシの冷えた心は、不思議と熱を取り戻していて、その日から、毎日星の樹を訪ねて来るアヤボシとの日々が、彼に穏やかな時間を届け続けた』
『シラホシにとってアヤボシは、命を賭しても守りたい、掛けがえない、大切な存在になっていった』
「でも、どうして私が狙われるの? 多分私は、えっと、闇を纏う人? とは、知り合いじゃ無いよね?」
「そうだな。直接的には知り合いでは無かったと思う」
「まどろっこしいな。そいつは誰で、一体何者なんだよ?」
「種族で言えば天女? 何者かと聞かれれば、先祖? いや、母親……か?」
明かされる、衝撃的な闇の正体に、私とアークは思考が全く追い付かず、表現に迷っている様子のアルタイルからの言葉を待つ。
『仕事に疲れたシラホシは、ひと時の休憩所として、星の樹の丘を訪ねた。丘が気に入ったシラホシは、丘の上で心を癒し、いつも気分を切り替えていた。ある日お気に入りの丘の上で、小さな少女、アヤボシと出会う。年は随分と離れていたが、シラホシはその幼い少女に、強く心を奪われてしまう』
「向こうでプロキオンから、何処まで聞いたか分からないんだが、俺達の先祖が、近親婚を繰り返していたのは知っているか?」
私が頷くと、アルタイルは間を置いて、桜の古木に凭れ、話を続け出す。
「俺達の先祖が、一目惚れして、攫うように秘境の土地から連れ出したのは、まだ八歳の無垢な少女だった。大切に育てられた少女は、先祖を信頼しきっていて、本来の結婚の意味をまだ理解していなかったようなんだ」
「本来の結婚の意味って?」
「一つは、家同士を繋ぐ事。もう一つは、子を育み、互いの家の血筋を絶やさずに継ぐ事だ。それによって当人は滅んだとしても、当人の血。自分の遺伝子は、永遠に子孫たちの中で生き続ける事が出来る。その遺伝子の一つが強く覚醒すれば、過去の自身の記憶を持ちながら、新しい身体で生き直す事も出来るって訳だ。まあ、人によって本来の結婚の意味は変わるとは思うが」
『優秀なシラホシは、幼い頃から、一族の期待を一身に受け、父の仕事を手伝っていた。優秀故に失敗は許されず、彼は常に強く、賢くあらねばならなかった。弱さを見せれば、父の地位と立場は一瞬で地に落ちる。隙を作らぬよう、周囲の者には心を寄せず、彼は、常に一人で物事を解決する癖が付いていた』
「あー。そういうのが、前世持ちってやつになるのか」
「そっか。結婚の意味は分かったけど、それを理解して無かったって?」
「無原罪の御宿りでもなければ、男女が子孫を残す方法なんて一つしか無いだろう?」
「無原罪のって……ああ。聖母マリアの? 確かにあれは、生物学的には有り得ないよな」
アークの言葉を肯定して、頷いたアルタイルは、落ち着いた声音のまま、話を続ける。
「推測だが、まだ幼かった彼女は、それについての知識も何も無いままに、年頃を迎えて結ばれ、身籠ったんだろう。恋慕では無く、親愛の情を寄せ、信頼しきっていた相手が、突然夫として男女の関係を求めて来たら。俺は男側だから、愛してる女性とは、当然結ばれたいと思ってしまうんだが、男女では、その事に対する見解が違うのだろう?」
アルタイルから問い掛けられれば、私は少し考えて、小さく頷いた。
「そうだね。知識があるのはもちろん前提条件だけど、相手と同じように、恋の相手として、相手を想っている事に気が付いたら、心の準備も出来るかな? まだ、心の準備が出来てない状態で、自分の気持ちにも気付いていなくて、その事に興味も湧いてない状態で、無理矢理結ばれたら、ショックと不信しか残らないかも?」
「女子って複雑なんだな?」
「まあ、子孫を残してもいい相手か選ぶのは、女性側だという説もあるしな。まずそこに寄り添えないようでは、男はダメなんじゃないか?」
『ミルキーウェイの広場に辿り着ければ、願いが叶うという噂が電子の海で広がり、若い星々が自然とミルキーウェイへと集うようになり、本によって増幅された願いの力は、星の樹へと集まって、更なる大きな力へと発展を続けていく』
「話が随分と逸れてしまったが、その事で彼女は、先祖に怨恨を残したまま亡くなったようなんだ。元々力の強い天女だった彼女は、子孫の中に、自分の欠片を埋め込み、気に入った器を見付ける度に覚醒して、美しいまま記憶を持って生き直しを繰り返し、自分の欠片を集め直しているらしいんだ」
アルタイルが語る、彼の先祖である天女の話に、私とアークは、複雑な表情で頷いていた。
「全部が集まると、どうにかなるのか?」
「全部が集まれば、彼女はかつての力を取り戻し、一族に復讐を果たせると思っているようだ。彼女の欠片と相性がいい身体は、受け継いだ彼女の力を一部使え、それが一族の中に時折生まれる能力持ちになる」
「もしかしてそれが、呪い? 『彼の本は二つに裂け、呪いと共に、深い水底へと沈んでいった』って、アルタイルの本で読んだ」
アルタイルの言葉から、思い当った物語の一節を私が口にすると、彼は重々しく頷いた。
「え? なら、セイヤ兄ぃも覚醒してっから、その天女の事情に詳しいって事なのか?」
「いや、彼女は見目麗しい女性の身体でしか、今まで覚醒をしていないんだ。俺達の母は覚醒者だったが、俺の事故の直ぐ後に亡くなっていると聞いている。彼女の転生の条件が、故意にそうなのか、元の性別が同じじゃないと覚醒出来ないのかは分からないが、彼女の覚醒者は、代々、体の何処かに紅椿の痣を持って産まれて来るそうだ。この話は、この世界のプロキオン。ツキカに聞いた話なんだが」
「え? いや、ツバキさんまだ生きてるだろ? つい先日もテレビで観たけど。ツバキ・セレスティア・メイデン・天音(あまね)主演のドラマ」
「ツキカ先輩とセイヤさんのお母さんって、あの、セレスティアなの!?」
私もよく知っている、外国人大女優の名前がアークの口から出れば、私は驚きで声が裏返ってしまった。月華(つきか)の母親が、有名外国人女優なのは知っていたが、そこまでの大女優だとは思っていなかったからだ。
映画でも、メディアでも、街中のポスターや広告でさえも、彼女を見ない日は無い位に、彼女の存在は私達の日常の世界に浸透していた。
「ああ。俺とツキカの母は、確かにツバキ・メイデンだ。父の力を使えば、母の死を隠ぺいする位は容易いだろう。メディア内ならなんとでも出来るはずだ。アーク。お前は最近、生身の彼女には会ったか?」
「ん? そう言えば、ツキカから時々話を聞く位で、本物のツバキさんには会ってねぇな。忙しい人だからって思ってたけど、もしかしてそれだけじゃ無かったって事か? あれ? じゃあ、なんでツキカは、この世にもう居ないはずのツバキさんを、普通に居るものだとして、話すんだ?」
アークがポツリと呟いた疑問に、私とアルタイルは口を噤んで、それぞれ思考を巡らせる。暫くの間のあと、先に口を開いたのはアルタイルだった。
「母の死を受け入れられなかったツキカが、自分の具現化能力で母の幻影を生み出した。もしくは……」
「ツキカ先輩が覚醒者で、実際のツバキさんと話をしている?」
「ああ。別にツキカと母の仲は悪くは無かったが、ツキカは両親を恐れている節があった。ベガが提唱する可能性の方が高いと思う」
反時計回りの図書館の世界で、時々プロキオンに感じていた違和感を思い出し、私が口に出した可能性を、アルタイルは複雑そうに肯定する。
『仕事の合間、息抜きに見つけた電子の海で、シラホシは、若い星々の色彩に満ちた悩みや願いを知る。星同士の関わりからなる変化によって、その願いを叶えられる可能性を見出したシラホシは、夜空の星々が集まる、ミルキーウェイの広場を創った』
アルタイルの物語が一度フェードアウトすると、彼はゆっくりと本を閉じて、そして私達に改めて向き直った。
「俺は覚醒者では無いが、力を使える以上、彼女の欠片は、確かに俺の中にも存在しているんだろう。欠片を彼女の呪いだと捉えると、俺の本へのその見解は合ってるようにも思える。でも、水底へと沈んだ。と、いう部分が分からない。俺の体の昏睡という部分なのか、若しくは地の果て。死の世界への旅立ちへの表現なのか、あるいは別の……」
「自分の本の物語なのに、そこは分からねぇの?」
「残念ながら、な。元は俺の書いた物語ではあるが、現実世界の関係者と作用し合って、一部を除いて、俺の書いた元の物語とは別物になっているんだ」
「でも、シリウスの部屋にも、アルタイルの部屋にも、水の底は無いよね?」
「けど、さっきあっちに池はあったよな? ベガの浴衣。池に映して見てただろ?」
私達にアークが出してくれた助け船で、私達は、浴衣姿を映した古木の丘を少し下った場所にある池へと向かった。
「水底って事は、やっぱりこの下。なんだよね?」
「他に水辺は無いからな。怖いか?」
「うん。少し……」
私を気遣うように声を掛けてくれるアルタイルへと視線を送り、私は彼の言葉を肯定した。
「綺麗な水だけど、顔をつけて覗くだけじゃ、底までは見えなさそうだよな?」
アークの言葉に、私が、そっと池を覗き込むと、黒い大きな影が、私の目の前を横切った。影は池を一周すると、一度水底へと消えて。私は思わず水面に顔を近付けていた。
「今、何か……!!」
突然私の目の前に、妖艶な女性の顔が近付いて微笑み、輪郭がゆらりと歪に波紋に飲まれる。その背中は、池の底へと沈んでいく。
「に、人魚!?」
半身半魚のその影を追って、私は無意識に池の中へと飛び込んでいた。
纏わりつく重い水に引き込まれて、私はゴボと、肺の空気を吐き出してしまっていた。
『く、苦しい……っ!』
私が必死で伸ばした手が、水面を蒼白で覗き込み、手を伸ばしてくれている、アークとアルタイルに届く事は無く、私の体は水底へと沈んでいった。
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